平行世界の君と僕

りーりん

平行世界のアカリと僕

「神様って、どこにいるの?」

 彼女、アカリは唐突に僕へ質問を投げてきた。


 近年、人は宇宙へ旅立ち、各コロニーで生活するのは当たり前の時代。勿論地球や火星にも生命は暮らしているし、木星の調査も進んでいる。


 でも、神様と呼ばれる存在はまだ確認されていない。にもかかわらず、宗教は存在している。

 地球の陸も空も宇宙も、平行世界ですら捜索済みなのに、だ。


 平行世界は金太郎飴と呼ばれる組み飴なんかと一緒。

 長い飴は元となる世界、輪切りに切り取られた部分が平行世界。まったく一緒のようで、絵柄が少し違う飴。

 たくさん切れば、たくさんの平行世界が生み出される。

 切る道具は、次元爆弾だ。いや、爆弾になってしまうと言ったらいいのかな。

 どこかの研究所が行っている実験で、失敗する度に爆発が起こり、次元が切り取られるなんて情報を本で読んだことがある。


 真実なのかはわからない。たぶん、もっと状況は深刻で、複雑なんだろう。

 メディアも政府も、本当に重要な事を漏らさないのはいつの時代も一緒。


 ある時、アカリが神様を探したいと言い始めた。

 僕が、もう世界も宇宙も探し尽くされたよ、と言っても諦めなかった。

 じゃあ、どこを探すの? と僕が聞き返したら――。


「神様がいないなら、どうして宗教はあるの?」

 アカリは僕によく質問をする。別に博識でもなんでもないから答えられない事が多いのに、それでも聞いてくる。


「さぁ? 心の中にでもいるんじゃない?」

 神様も宗教も興味が無い僕は、素っ気なく答えた。


「じゃあ、私の心の中にもいる?」

「いるかもしれないし、いないかもしれない。見たことがないからね、誰も。だから、確かな答えを出せる人はいないんじゃないかな」

 僕は、ベッドの上で横になっているアカリの頭を優しく撫でた。僕の答えに納得いかない様子で眉をひそめている。


「神様がいないなら私の事、治してもらえないね」

「大丈夫、科学も医療も進歩しているんだから、きっといつか治るよ。僕は信じてる」


 アカリが平行狭症へいこうきょうしょうを発症してから、もう3年が経った。

 症状を和らげるだけで、未だ完治することはない。


 平行世界の方へ体も魂も引き寄せられ、時空の狭間へと挟まれるこの症状は、近年患者が増えている。

 挟まれたら最期、存在が消滅してしまうようだ。

 今は時空安定の保護バリアを展開しているおかげで、体も魂もここにあるけど、どちらか一部を持って行かれた人も多い。

 体を持って行かれた人は、人工的に作られた器に魂を定着させている。


 体と魂の分離を確認している現在もなお、神様は発見されていない。

 魂があるなら神もいる、なんて訳分からない理屈で信じている人もいる。


 僕は、いないと思っている。


「そういえば、月へ出張行くんだって? いいなぁ、私も行きたい」

「うん、一週間だけどね。お土産買ってくるよ、何がいい?」

 アカリは天井を見つめながら、欲しい物をリストアップしていった。ぬいぐるみ、絵はがき、写真立て等、どこにでもある物を欲しがっていく。

 僕は病室の窓へ向かい、ガラス窓を開いた。


 ふわりと心地よい、春の風が部屋へ舞い込んできた。


 高台の上に建てられたこの病院はつい最近開院した。平行狭症専門として。

 各病室は時空干渉の防護壁で出来ていて、もし万が一病院全体が持って行かれても大丈夫なように、まわりは山等の自然しかない。

 何の事情も知らなければ、のどかで心が落ち着く場所だ。


「決めた、詩集が欲しいな」

「詩集? それなら僕が書こうか?」

 アカリは笑って、笑顔で否定した。


「ソータじゃ詩じゃなくて只の感想文になっちゃうよ」

「あぁ、この花瓶に活けられた花はなんと麗しいことでしょう。まるでこの花瓶で佇んでいる事が喜びのように」

「なにそれ、変な寒気するからやめてよね、ふふっ」

 こみ上げる可笑しさを押さえながら、肩を震わせて僕を静止してきた。

 そんなことで僕の詩はとまらない。笑い転げるまで言葉を紡いでやることにした。


 ☆


「もうだめ、お腹痛い」

「笑いすぎだろ、失礼だなまったく」

 僕は不機嫌さを演じて、アカリの髪をくしゃくしゃっとかき混ぜる。必死で抵抗を見せるが笑いすぎて力が入らないのか、為す術もなく髪は乱されていった。


「もー、梳かすの大変なんだからね」

 そう言いながら手で梳いている。


「いついくの? 月」

「今日の夜だよ」

 髪を梳かしながら、少し俯くアカリ。


「向こう行っても連絡してね」

「うん、当たり前だろ」

 僕はアカリの頭を軽くコツンと叩いて、ベッドへ腰掛けた。


 発症してからほとんど寝たきりになってしまった。持って行かれる際の重力は想像を超える程の力だそうで、体の負担がひどいらしい。

 今、こうやって元気な姿を見せているけど、僕は毎日だって不安だ。

 僕がいない間にアカリが消えてしまうのではないかと、拭い去れない漠然とした不安を抱えている。

 本当はどこにもいきたくない。ただアカリの傍にいたい。


 しかし僕には仕事がある。仕事をしなければ生活出来ないし、無職になればアカリを不安にさせてしまう。

 だから、月なんて今行きたくない場所にも行くんだ。


 僕はアカリにそっとキスをした。

 柔らかい唇に、熱い吐息。僕は繰り返すように、またキスをする。

 手を絡めて、静かに眼を閉じながら。


 本当はもっとアカリを愛したいけど、体への負担を考えてそれは出来ないと結論が出ている。

 症状は回復を見せているから、後少しの辛抱だ。


「気をつけてね、ソータ……」

「うん、向こうに着いたら連絡するよ」

 僕はもう一度だけキスをしてから、この短い時間を噛み締めた。



 ☆



 月への旅はあっというまだった。軌道エレベーターも高速になり、名称を高速軌道エレベーターと変えてもいい程だ。

 1時間の旅を経て、月の宇宙港へ到着する。

 僕は重力から解放された。街へ入ってしまえば重力が発生するが、港はほとんど無重力だ。


 不慣れな人は壁側に備えてある案内レバーを握ると、目的地まで連れて行ってもらえるので、僕はそれを頼りに市街地へと向かった。


 ホテルへチェックインをした後、アカリへ連絡を入れる予定だ。


 しかし、その予定は変更せざるを得なかった。


 アカリがいる病院がまるごと消滅した、と速報が街頭モニターに表示されたからだ。



 ☆



 僕は出張をクビ覚悟でキャンセルして急いで病院へ向かった。

 クビでもなんでもいい、僕にとっては仕事よりアカリだ。

 失いたくない。

 病院へ着くまで数時間かかったが、僕には2日くらい経ったんじゃないかと思えた程だ。その間、病院の情報を調べられるだけ調べ尽くしたけど、詳細はどこにもなかった。

 詳細を語る程の事がないから、なのかもしれない。平行世界へ飲み込まれたんだと、その一言で説明は終わる。

 どういう経緯で、なんて説明出来るわけもない。

 自然豊かな丘の上にある病院が消えていく様を近場で見ていた人も、きっと飲み込まれているだろうからだ。


 僕は急いで最寄り駅から走って病院へ向かう。普段はタクシーが数台停まっているけど、今日はいない。

 退避したのか、飲み込まれたのか、利用中なのか。


 病院が近づくにつれ、僕の鼓動もますます早くなっていく。

 病院は消えた、その情報はきっと確かなものだろう。それでも信じられない。


 昨日まで確かに存在していたし、時空干渉の対策は過剰な程だったはずだ。それなのにまるごと消えてしまう事自体信じたくなかった。


 息を切らしながら丘を登っていく。

 後少しで病院だ。


 この階段を駆け上がれば、病院が見える。

 僕は、スピードを落としてゆっくり1段、1段と踏みしめた。


 病院はある、なくても、無事な人はいる、そう願いながら。



 階段を登りきった僕を迎えたのは、風だった。

 何の障害物もないから、風が大きく吹き抜けていく。


 何も、なかった。

 病院だけ、まるで何も建っていなかったように消えていた。

 日本で唯一対策されていた病院が、何も残さずいなくなっている。


 僕は辺りを、病院があった場所を走りまわった。誰かいるかもしれない、何か残っているかもしれないと、必死で走った。

 地面も、空も、空間も、瞳に映るもの全てを探した。


 それでも、何もなかった。

 僕のほかにも人が数名いるけど、皆僕と同じだ。

 誰かを失った人たち。

 地面へふさぎ込んでいる人、泣いている人、呆然としてる人。皆会話をせず、自分の気持ちを押し込めていた。


 会いたい気持ち。今すぐ会って抱きしめあいたい、肌に触れて相手が今存在している事を確認したい。

 僕が抱いている気持ちと、同じものだろう。


 僕は、その場で座り込んだ。

 体の力が一気に抜け、立っていられない。


 喪失感、というものはこんなにも心に大きな穴が開くのかと、何故か考えた。穴を埋めようとする気も起きず、ただその空洞が存在している事への苦しさのみ込み上げてくる。

 その空洞を埋める事は出来ないと、わかっているから。


 後日、検証の結果正式に平行世界へ飲み込まれたという結果が発表された。この規模は病院だけでなく、今、世界の至るところで起こっているらしい。

 今まで平行狭症になった事がない人でも、突然のタイミングで飲み込まれたり、バリアが無効かと思うほどの力強さで飲み込まれてしまう等、他人ごとではない事態に世界は陥っていた。


 そんなご時世になってしまってから、社会という機能が停止、今は自動で動く機械以外仕事をしていない。


 皆、いつか、そして急に訪れる最期のときまで好きに過ごそうと考えているようだ。

 社会も街も機能を停止したけど、治安は思いのほか良かった。犯罪を犯す事よりも大切な事があるんだろう。

 料理を振る舞う人もいれば、演奏する人、宇宙の果てまで逃げる人もいる。


 僕は、自分の部屋にいた。

 両親は火星にいてこっちへは戻れないらしい。軌道エレベーターも船もとまってしまった。

 それでも通信はできるから、毎日会話をしている。


 政府が解散する前日に、衝撃的な発表があった。

 僕がいるこの世界は、元の世界から分離した平行世界なんだ、と。

 金太郎飴の大元はすでにあって、切り取られた飴がこの世界。

 今、元の世界での実験によって平行世界が消えていっている。なんて発表を聞いたけど、今更、という思いしかない。

 消えていく世界で、これから消えますなんて言われてもすでに遅い。


 平行世界へ避難する事は出来ないとも発表していた。滞在期間が長くなると、どっちにしろ消滅してしまうらしい。


 結局、僕らが消えるという運命は変えられない。

 全て、何もかも消えてしまうんだ。僕が生きていた事も、アカリが傍にいた事も、綺麗さっぱり。



 ☆



 僕が自室へ籠城してから2日経過した。まだ僕は消えていない。

 ニュースも無いから今世界がどうなっているのかわからない。

 僕はずっと閉めっぱなしだった窓を開けてみることにした。


 窓の外に広がる景色は、いつもと変わりない。

 ただ、遠くの方がやけに暗い事に違和感を覚える。今は昼だというのに、空も暗い。


 あれは、空なのか?


 暗い闇が、徐々に広まっていくように見えた。黒い液体を紙へ垂らして、徐々に染み込んでいくように。

 僕とアカリが過ごした街が、暗くなっていく。


 消えていく。


 暗い闇は、消えた跡だった。

 世界が飲み込まれていった跡には闇が残されていくようだ。


 僕も飲み込まれるんだ。

 アカリも、恐怖で泣いたのだろうか。

 せめて、傍で一緒に消えたかった。2人で最期を迎えたかった。


 僕は迫りくる闇を見つめながら、ただ、アカリの事を思い出していた。

 いつも明るくて、少し幼くて、寂しがり屋のアカリ。

 もし、神様がいて、消えていく僕らを可哀想に思うなら救ってほしい。


 アカリに逢いたい、と強く願いながら、僕は闇に飲み込まれた。


 飲み込まれた瞬間、全ての視界は暗闇に包まれてどこが上でどこが下なのか、足は床を踏んでいるのか、一切の感覚が消えた。

 こうやって少しずつ消されていくのかと思った時、暗闇から一転、世界が明るくなった。

 あまりの眩しさに眼を閉じかけたけど、無理やり瞼に力を入れて明るい世界を凝視すると、見覚えのある景色が広がっている。


 僕とアカリがよく行っていたレストランだ。

 そうそう、僕はここのグラタンが好きで、アカリはホットケーキが好きだった。


 そのレストランのある席に、見慣れた2人の姿があった。

 僕と、アカリだ。

 2人はいつものように食事をしながら尽きない会話を楽しんでいる。


 多分、この景色を見ていたのは数秒かもしれない。それでも僕は数秒の間にこう考えていた。

 この景色は、僕がいた世界とは違う、他の世界の景色なんだ、と。

 僕は嬉しかった。体が消えていく感覚を味わいながら、涙を流しながら、僕とアカリは他の世界で一緒なんだという事に。


 アカリも僕も消えるけど、僕らは一緒に生きているんだ。

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平行世界の君と僕 りーりん @sorairoliriiro

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