第9話 感情の行方

 魔獣の襲撃から5日が経っていた。


 村のそこかしこには、未だ襲撃の爪痕は残されていたが、襲撃してきた敵の種別を考えれば、被害は軽微だったと言えよう。

 そして村人らは既に、それぞれの生活へと立ち戻ろうとしていた。


 村の小さな商店街の外れに、衣服屋クロノスは在る。

 二階建ての木造家屋の一階を店舗に、二階を居住スペースにあてたごく平凡な造りをした、小さな店である。幸いなことに、戦闘区域から遠かったため大きな被害もなく、3日前から営業を再開していた。


 ラーレの保護と引き換えに、その店を手伝うという約束をミュエインと交わしていたハクノは、その日も慣れないメイド服を纏い、看板娘役として文字通りその手に大きな看板を携え、店の前に立っていた。

 もっとも、小さな村ゆえに人通りは相変わらず少なく、少々手持ち無沙汰ではある。そもそも、こうやって立っている事に意味があるのかもよく分からない。が、商売の仕方など少女にはまず分からない。なので言われたままに立ちながら、そこから見える景色を眺めていた。


(……あの人、ラーレの何なのでしょうか?)


 茜色の瞳に景色を写しながらハクノが考えていたのは、セレナと名乗る魔術使いのことだ。

 あの戦いの後、ミュエインに頼み込んでラーレを保護してもらったその翌日、どこから嗅ぎ付けたのか彼女はひょっこりとここに現れた。そして何を思ったのか、ラーレの看病をすると言い出して居座っている。


 彼女の薄紫色の長い髪と、紫水晶アメジスト色の瞳を湛えたツリ目がちの双眸に整った顔立ちは、自称するだけあって美人なのだと、美的感覚に乏しいハクノでもそう思える。自分より頭半分程度は背が高く、自信に溢れた表情と佇まいが、勝ち気な性格を伺わせた。

 実際、幾度かの会話でそれが間違いでないことは分かりきっている。押しの強い彼女と対面すると、ハクノはどうしようもなく気圧されてしまうのだから。


 あの日、ラーレと共に戦っていたというのは彼女セレナが既に話してくれている。昨日、ようやく目を覚ましてくれた彼も、セレナの話を肯定しているから、それは正しいのだろう。

 けれど、それならそれでセレナには本来の仲間が居るはずだ。

 なのになぜ、あの人はずっと、ラーレの傍に居座っているのか。

 ……なんで私は、こんなところで独り立ち呆けているのだろうか。


 モヤモヤした、だけど理由のわからない感覚を胸に抱えたままハクノは立ち尽くし、今日何度目かわからないため息をつく。

 天気は晴れ。

 あの日の豪雨はとうに去り、穏やかな陽射しが目に写る風景を照らしているのに、ハクノの心中は未だ穏やかではない。


 ハクノが自我を得てから、今でおよそ10日ほどになる。

 それは、人として数えればあまりにも短い時間だ。

 その短い時間で、少女は数多くの事を取り入れて学んできた。今こうして物事を考えているという行動も、その成果だと言える。

 ――少女には初めから、世界の基礎知識や言語などがその中に存在る。なので、出来事の理解や追認などに不自由はない。

 けれど今、少女の"ココロ"の中で渦巻くの答えを得るには、圧倒的に経験が足りていない。


 もちろん、感情の種別は分かる。

 その知識はある。

 喜怒哀楽--感情の基本は理解できている。

 だけど、それが意味する心の有り様が分からない。

 その感情を、どうやって処理すればいいのかが分からない。

 今抱える、気分を沈める感情への向き合いかたが分からない。

 ――いや、全てが分からないわけではない。


 僅かな期間だけれど、ラーレと出会い過ごした道のりの記憶は、安心をもたらしていると思う。

 あの時、彼が死に瀕したことを思い出せば、とても胸が苦しくてうずくまってしまいそうになる。

 昨日彼が目を覚ました時は、その苦しみの全てが吹き飛ぶくらいの気持ちだったと覚えている。


 だけど今は、別の要因で胸が苦しいと感じている。

 ――彼の傍に、私じゃない誰かが居る。

 ただそれだけなのに、どうしようもなく不安になる。


 自分の力や出生などの、他に考えるべきであろう事柄も、今のハクノには些事となるほどに、その問題は肥大し重石になっていた。


「…………はぁ」


 再びため息。

 沈んでいく考えに合わせて、白い少女は徐々に俯いていってしまう。

 その時。


「うーむ、やっぱ見た目通り薄いわねー」


 不意に後ろからかけられた声と遠慮なく胸元をまさぐる感触に、


「――っ!?」


 ハクノは思わず持っていた大きな看板を振りかぶり、後ろに立った不埒者セレナに、全力全開のフルスイングをお見舞いしていた。



 ***



「というわけでですね、一緒にパーティー組みましょうハクノん。あとついでにラーレくん」


 開口一番、フォークを掲げながら前置きもなくセレナはこんなことを口走った。


 時刻は昼食時。

 店番を店主であるカターに任せ、四人での食事である。

 セレナの顔はつい先程、看板のフルスイングを喰らって未だに赤く腫れ上がったままである。見た目は痛々しいが、やったことを考えれば自業自得だろうと、誰も心配していない。


「俺はついでか、おい」


 その提案にまず声をあげたのはラーレだ。

 まだ包帯は巻いているものの、《治癒魔術》の甲斐もあって彼の外傷はほぼ完治している。節々の痛みは動かしているうちに治るだろうからと、そろそろ出立を考えていた矢先の、彼女セレナの提案である。その声音には若干の刺々しさも含まれていた。


「うん。だって、私の目当てはハクノんだし。おぉ、このスープパスタいけますねミュエさん」


 そんなラーレの内心を知ってか知らずか、特に悪びれる気もなくセレナは言い放った。その合間に、昼食のパスタを誉めることも忘れない。


「ってわけでどうよ、ハクノん。私と組まない?」

「イヤです」

「なんとぉっ?!」


 真顔の即答だった。

 そのにべもない返答にセレナは愕然とし、ラーレはくっくと笑ってしまう。

 が、そこはまだ予想の範疇だったのか。魔術使いの少女はすぐに気を取り直し、再び口説きにかかる。


「ぐぬぬ……仕方ない。んじゃ、ちょっと真面目な話をしましょっか」


 いつの間に食べ終えたのか、空になった皿の上にフォークを置き、セレナは目を細める。


「ハクノんがどういう存在ひとなのかは、正直私にはよく分かんないわ。だって、初めて見たのはあの超大型を消し飛ばしたとこだし。人となりについてはこの二、三日で把握した程度ってとこかな。

 けど、幾つか推測は立てれる」


 そこまで言って、セレナはハクノを見つめる。

 ただし、先程までの能天気な視線ではない。それは真相を見透かすかのように鋭い、魔術使いとしての視線だ。

 その鋭さに、ハクノは少し寒気を覚えた。

 視線を戻してセレナは続ける。


「……ま、個人的な感情のアレコレは置いといて。

 重要なのは、ハクノんが自分の魔力制御を出来てないポイってことね。いえ、制御自体は身体に刻まれた魔術回路で無意識でやってるみたいだけど……多分、自分が何をどれだけできるかってのは把握できてないんだと思うわ。

 でなきゃ、《空間跳躍》なんて"魔法"をいとも容易く実行なんてできないわ。それこそ、山に引き篭ってるとかいう黒い魔女さんとかじゃないとねぇ」


 ま、そいつに会ったことなんてないんだけどね、と自嘲気味にセレナは笑う。




 ――魔法。

 そして、魔女。

 この二つは独立した要素であるが、同時に、不可分のファクターでもある。


 自らの魔力を籠めた、実体なき《魔術文字》を媒介に、文字や図画によって世界へ干渉するすべ、技術を人は魔法や魔術と言う。


 魔術使いは、そのうちの魔術を使う者……ではなく、"魔女の成り損ない"という言葉が発端である。

 火を起こすだけ

 風を呼ぶだけ

 水を集めるだけ

 土を動かすだけ

 そんな、魔法を使えない半端者と蔑まれたモノたち……それがいつしか、その魔術を鍛え上げ、研ぎ澄まし、それらを使うエキスパートとして意味を変革していった。

 そう、貶められた反動が、その名の意味を変革させた。

 現在において魔術使いの名は、魔術を極めた称号であるといえる。


 一方で"魔法"と呼ばれる、それ魔術とは次元の異なる力を行使する者を、人々は"魔女"と呼んだ。

 通常ならばあり得ない、他の手段で再現し得ない現象を引き起こす技術。

 それは時に空間さえ捻じ曲げて、遠く離れた場所と場所とを瞬時に/自在に跳躍

 それは時に時間さえ飛び越えて、原因結果を書き換え

 それは時に命の理さえ切り捨てて、永久とこしえの生を謳歌せんとする


 しかし、強大かつ常人に理解の及ばない力は当然、人々の畏怖を招いた。

 故に、彼女ら魔女は迫害され、追い詰められ、狩られ、その存在を歴史の闇へと葬られた。

 後にのこったのは、その存在に向けられた敵意と恐怖の代名詞としての"魔女"という言葉であり、この言葉の意味を正しく把握している者はほぼ居ない。




 ――そんな、世界の常識を彼女は語った。




「んでね、ラーレくんもハクノんが謂れない理由で襲われたりするのはご勘弁でしょ? でも、キミには魔術の素養がまるでない。

 なので、私がハクノんのお師匠になってあげようというわけよ」


 長々と魔法やらを説明した後に、セレナの話はようやく結論に辿り着いた。

 ミュエインが淹れてくれたコーヒーを啜り、セレナもようやく一息つく。


「まぁ、俺に魔術使いの素養がないのは分かりきってるから別に良いし、お前の理由も分かった」


 だがなと区切り、改めてラーレはセレナを問い質す。


「お前、自分とこの仲間はどうするんだよ」

「あ、それなら大丈夫大丈夫。うち、解散しちゃってフリーだから。……言ってなかった?」


 あれれ? と、首を傾げながら周囲へ聞き返す。

 聞いてないと返すラーレに続いて、その隣に座るハクノを見る。

 そのハクノも首を横に振り、


「私も聞いてないわねぇ」


 頬に手を添えながら、ミュエインも証言する。


「あいやー、これは失敬失敬。

 いやまぁ、そういうことなんでうちの心配は無用なわけで。

 どうかしら二人とも。改めて、私と組まない?」



 なるほど、とラーレは思う。

 確かに(一人分以上にうるさくなるが)特に大きな不利益もなく、魔術の心得のない自分が口を出すよりもよっぽど建設的だろう。……男女比率については悩み所だろうが。

 多少思うところはあるものの、特に反対する理由に乏しいと判断してラーレは結論した。


 ――が、返答は思わぬところから上がった。


「――イヤ」


 ポツリ、と。

 ずっと押し黙っていたハクノが漏らす。

 その答えに、みな一様に目を丸くする。


「あの、ハクノん……お話聞いてた?」


 いち早く復帰し、恐る恐るというていでセレナが問い掛ける。

 だがそれは、火に油を注ぐ結果となったようで。


「――イヤです。理由なんて、知りません。

 私の力も、魔術の使い方も魔女の事なんかも全部知りません!

 そっちこそ、何でですか? なんで入り込もうとしてくるんですか!なんで貴女はここに居るんですか!?

 なんで……なんで! 私の居場所を、盗ろうとするの!!」


 睨み付け、堰を切ったようにハクノは捲し立てる。抑えの利かない感情が、セレナに向けて刃を振るう。

 その、今までにない少女の激昂に、誰も口を挟めずいた。

 感情に呼応するかのように、ハクノの足元で魔方陣が描かれ、部屋を青白い魔法光が照らしはじめる。


「要らない! あなたは、要りません!

 ずっと、私が、ラーレのためにって……、なのに、あなたは、分かったみたいな顔をして! ずっと……私が……私は……!」


 涙が溢れる目元を抑えながら、ハクノは叫ぶ。言葉に脈絡はなく、ただただ覚えたての感情のままに吐き出していく。


「――セレナなんか、大っキライです!!」



 そして、その決定的な一言と同時に、は転移の光と共に消えた。


 残されたのは、


「そ、そこまで言わなくても……」


 半泣きになってるセレナと、


「……ハクノ」


 困惑したラーレとミュエインだった。

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