第8話 記憶

 遠い、記憶を見た。



 ――この世界はね、様々な色に溢れているんだよ。


 果ての見えない草原。

 白銀の髪を風に靡かせ、穏やかに彼女誰かは言う。


 ――例えば、蒼穹そら。青い蒼い空の色と、白い雲。時にはほら、灰色の雨雲も混じる。日が昇る時、落ちる時。あんなに青い空は、まるで燃えているかのようなオレンジに染まる。昼と夜の境目、そのグラデーションが彩る空は正に絶景だよね。


 私はそれが大好きなんだ、そう付け加えて誰かははにかんだ。

 その誰かの瞳は、朝焼けや夕焼けのような燃えるオレンジ――茜色をしていた。

 上機嫌で誰かは続ける。


 ――例えば、山。山の木々は緑の葉を湛え、茶色い幹を持っている。けれど、その緑だって濃かったり薄かったり。葉の形でさえも様々だよね。それが、季節ごと違う様相かおを見せてくれる。春には花を、夏には生い茂る葉を。秋には紅葉、冬には裸の枝に降り積もる真っ白い雪。


 当然、それも大好きさと、今度はしたり顔で言い放つ。その的外れな自信たっぷり具合に、思わず吹き出した。


 ――あー、酷い子だね少年。……けど、ようやく笑ってくれた。


 優しく頭を撫でてくる。


 ……笑えた、だろうか?

 あの日以来、ボクは笑えているのだろうか?


 ――笑えているとも。人はね、楽しい記憶の色も、辛い記憶の色も、哀しみも喜びも。全てを抱えられる、呑み込んでいける。そして、その色で形作られるんだ。言ってみればそうだね……人は、真っ白いキャンバスなのさ。


 キャンバス?と尋ねれば、何も描かれてない白い紙みたいなものだと、誰かは答えてくれた。

 なるほどと、ボクは頷いた。


 ――白い、というのはね。無垢なる者、純粋なる者という意味も持つんだ。そして幾つもの同じ意味の、違う音が在る。私の名前もその一つさ。私にはとても似合わないが……あぁ、これも好きな言葉で、好きな色なんだよ


 困ったように笑ったあと、白い誰かは立ち上がり、腰に携えた細身の剣を抜いた。

 白刃に光が反射する。


 ――はね、色は覚えたけれど、まだその描き方を知らない。まだ絵の具を揃えてどうしようか悩んでる、そんな段階と思えばいい。


 何処かを指すように、真っ直ぐに構える。

 目線は切っ先の、更に先を見据えて。

 も立ち上がり、その誰かの横に並び立つ。


 ――キミが名付けたとおり、あの子はまだまだ白く純粋なんだ。だからね、頼んだよ少年。


 此方の目を見据え、誰かは言う。

 あの時は見上げるくらいの差があった誰かの顔が、今は真正面にある。


 白銀の長い髪

 茜色の瞳


 彼女と同じ色を湛えた誰かは、彼女と同じように淡く微笑む。


 ――導いてあげてくれ。別の命を歩む、もう一人の私を。

 教えてあげてくれ。君たちが紡ぐ、世界の色を。


 落ち行く夕陽を背に、誰かは願いを託す。

 だけど、俺は……


 ――大丈夫さ。キミはまだ……



「――生きているよ」



 そこで俺は、目を覚ました。



 ***



 重い瞼を開けると、知らない天井が見えた。

 全身がとても重たい。


(――ここは?)


 一体何処だ?

 身体を包み込む感触と仰向けらしき自分の視点から、どうやら寝かされているらしいのは分かるのだが……。

 もぞもぞと動かそうとすると全身に痛みが走り、思わず呻く。


「お、やっと起きたわね」


 その呻きで気づいたのか、近くから女の声がする。かと思ったらその声の主……少女は立ち上がり、ぺたぺたと部屋の入り口まで歩いていった。

 ドアを開け、そのまま部屋の外へ――


「おーい、ハクノーん。ラーレくん起きたわよー」


 ……は出ていかずに、その向こう側へと声をあげる。

 状況が掴めない。とりあえず、痛みを堪えながらも上体を起こした。どうにか身体は動くようだ。

 窓から見える景色から、どこかの家屋の二階だと思える。青空の下、遠くに破損した住宅も見えた。

 薄紫の長い髪の少女は、「すぐ来るわ」と言って、ベッド脇の椅子へと腰掛ける。何が可笑しいのか、口元はずっと笑っている。

 ……はて、あのヒラヒラした格好に見覚えはあるが、誰だったか?

 思い出そうとして思考の海に沈む前に、この部屋に向かって凄い勢いで足音が近付いて来た。


「ラーレっ!」


 バァン、と勢いよくドアを開けて、白銀の少女が息を切らせて駆け込んでくる。

 その顔は見覚えのあるいつもの無表情……ではなくて、今にも泣きそうな顔だった。ついでに、何故か侍女メイド服を纏っている。

 その唐突な登場と見慣れぬ衣装と表情で、反応が遅れてしまう。その反応に、少女は部屋の半ば程で立ち止まった。


「……ぁ、ぅぅ……」


 おろおろしているハクノ。これはかなり珍しい表情なのでは?

 とはいえ、いつまでも放置するのは可哀想だろう。おろおろしてる理由も、なんとなく察することはできたのだし。


「……よう、ハクノ……」


 掠れた声で呼んでみる。途端、少女は泣きながらこちらへと飛びかかってきた。


「ラーレ!良かった、良かったです……!」


 勢いそのまま、少女は少年の身体にぎゅっと抱き付き、


「~~っ!!?!?」


 満足に動けない少年は、全身を貫く痛みに悶えるしか出来なかった。


 ―――


「すみません、ラーレ……」


 数分後。

 部屋には、ロングスカートの侍女メイド服を着たハクノと、普通に入り浸っている謎の少女、そしてベッドには全身包帯のラーレ。

 ハクノは動きやすいようになのか、その長い髪をうなじのあたりで括っていた。しゅんと項垂れる姿と相まって、どこか気落ちしてる犬の尻尾を思わせる。


「気にしてねぇよ。それで、いったい何がどうなってんだ。あと、ここは一体何処だ」


 改めて状況の確認にかかる。

 記憶が吹っ飛んでて、何が何やら混乱状態だ。自分がどこに居るかすら分からない。


「ここはミュエインの家、です。えぇと……」


 ミュエインという人は確か、ハクノの服を買ったとこの店員だったか。何故そんな人の家に居るかも気になるが、ハクノはそれをどう説明していいか分からず言葉に詰まっている。


「まぁ、早い話。死にかけてたのよ、貴方」


 そこに、さっきからずっとニヤニヤ傍観してた少女が割って入ってきた。ハクノと並んで立つと、ハクノよりやや背が高いことが分かる。


「経緯を説明する前に、私のことは覚えてるわよね?……そう、《氷雪の踊り子スノウダンサー》の異名を持つ美少女魔術使いウィザード、セレナ・アメイジスとは私のことよ!」


 ビシィッ! とポーズを決めながら、こちらが応える間もなく勝手に自己紹介してくる。

 ……あぁ、一緒に戦ってた魔術使いウィザードだったか。忘れてた。あとハクノ、別に拍手しなくていいぞ。


「イエーイ、ハクノんありがとー♪」


 ハイタッチまでしだした。当のハクノはちょっと恥ずかしそうだが。ていうかやけに親しいね君たち。


「てなわけで、あのバカみたいにでかい魔獣に轢ねられたラーレくんは、憐れにも死にかけてたんだけどもね」

「……あ、うん」

 そして向き直って普通に話し出す。あぁ、こいつはツッコむだけ無駄なタイプだわ。


「そこをここんのミュエさんに助けてもらったのよ。いやぁ、いくら万能で天才で美少女な私でも《回復魔術ヒール》系は苦手でねー? 正直血だるまのキミを見たときはお手上げだったんだけども。あの人が元冒険者の《治療術師ヒーラー》だったおかげで貴方は助かったわけよ。あ、もちろん私も手伝ったのよ。ま、吹っ飛ばされた先が壊れやすい木造の建物だったのも幸いだったわね。石造りだったら貴方、潰れたトマトみたいな状態だったろうし」

「……へぇ」


 大袈裟な身ぶり手振りを交えてよく喋る。

 それを半信半疑ジト目で聞いていたが、隣のハクノはしきりに頷いているので真実なのだろう。よくもまぁ生きてたものだと、我が事ながら感心する。

 信用してないなー、とセレナの方はぶーたれてるがそこはスルーし……待て、その超大型魔獣とやらの顛末を聞いてない。


「あぁ、ならこの子が消し飛ばしたわよ?」

「……は?消し飛ばし……え?」


 いったい何を言ってやがるのか。

 セレナが指差す先は隣のハクノ。

 そのハクノは、俯いてエプロンをぎゅっと握っている。ただそれは、悔やんでるとかいうのではなくて、何というか……恥ずかしさか何かで顔を逸らしてる印象だ。

 そんなハクノに構わず、セレナは喋り続ける。


「誰も傷つけらんなかったあの魔獣を、一発でドカーン!とね。いやー、あの時のハクノんの台詞をキミに聞かせてあげたいわー。あ、そうそう。ここに担ぎ込まれたときもずっとこの子ね――」

「―っ、セレナ!それは言わないでほしいと何度も!」


 慌ててセレナの言葉を遮ろうとするハクノ。その慌てぶりがどうにも可笑しくて、思わず吹き出していた。


「ラ、ラーレ!?」

「あぁ、いや、わりぃわりぃ。ハクノがそんなに慌ててるの見るの初めてだからつい、な」

「う、うぅ……」


 困ったような照れているような表情。自分が意識を失ってる間に、表情がとても増えていたことが嬉しいのもあって、笑いを抑えられなかった。

 その増える過程が見れなかったことは、残念ではあるけれど。

 少年につられてか、二人も笑いだす。


 後になってラーレは思った。

 この時の少女ハクノの笑った顔は、夢に出てきた彼女誰かと瓜二つだった、と。

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