第8話 記憶
遠い、
――この世界はね、様々な色に溢れているんだよ。
果ての見えない草原。
白銀の髪を風に靡かせ、穏やかに
――例えば、
私はそれが大好きなんだ、そう付け加えて誰かははにかんだ。
その誰かの瞳は、朝焼けや夕焼けのような燃えるオレンジ――茜色をしていた。
上機嫌で誰かは続ける。
――例えば、山。山の木々は緑の葉を湛え、茶色い幹を持っている。けれど、その緑だって濃かったり薄かったり。葉の形でさえも様々だよね。それが、季節ごと違う
当然、それも大好きさと、今度はしたり顔で言い放つ。その的外れな自信たっぷり具合に、思わず吹き出した。
――あー、酷い子だね少年。……けど、ようやく笑ってくれた。
優しく頭を撫でてくる。
……笑えた、だろうか?
あの日以来、ボクは笑えているのだろうか?
――笑えているとも。人はね、楽しい記憶の色も、辛い記憶の色も、哀しみも喜びも。全てを抱えられる、呑み込んでいける。そして、その色で形作られるんだ。言ってみればそうだね……人は、真っ白いキャンバスなのさ。
キャンバス?と尋ねれば、何も描かれてない白い紙みたいなものだと、誰かは答えてくれた。
なるほどと、ボクは頷いた。
――白い、というのはね。無垢なる者、純粋なる者という意味も持つんだ。そして幾つもの同じ意味の、違う音が在る。私の名前もその一つさ。私にはとても似合わないが……あぁ、これも好きな言葉で、好きな色なんだよ
困ったように笑ったあと、白い誰かは立ち上がり、腰に携えた細身の剣を抜いた。
白刃に光が反射する。
――あの子はね、色は覚えたけれど、まだその描き方を知らない。まだ絵の具を揃えてどうしようか悩んでる、そんな段階と思えばいい。
何処かを指すように、真っ直ぐに構える。
目線は切っ先の、更に先を見据えて。
俺も立ち上がり、その誰かの横に並び立つ。
――キミが名付けたとおり、あの子はまだまだ白く純粋なんだ。だからね、頼んだよ少年。
此方の目を見据え、誰かは言う。
あの時は見上げるくらいの差があった誰かの顔が、今は真正面にある。
白銀の長い髪
茜色の瞳
彼女と同じ色を湛えた誰かは、彼女と同じように淡く微笑む。
――導いてあげてくれ。別の命を歩む、もう一人の私を。
教えてあげてくれ。君たちが紡ぐ、世界の色を。
落ち行く夕陽を背に、誰かは願いを託す。
だけど、俺は……
――大丈夫さ。キミはまだ……
「――生きているよ」
そこで俺は、目を覚ました。
***
重い瞼を開けると、知らない天井が見えた。
全身がとても重たい。
(――ここは?)
一体何処だ?
身体を包み込む感触と仰向けらしき自分の視点から、どうやら寝かされているらしいのは分かるのだが……。
もぞもぞと動かそうとすると全身に痛みが走り、思わず呻く。
「お、やっと起きたわね」
その呻きで気づいたのか、近くから女の声がする。かと思ったらその声の主……少女は立ち上がり、ぺたぺたと部屋の入り口まで歩いていった。
ドアを開け、そのまま部屋の外へ――
「おーい、ハクノーん。ラーレくん起きたわよー」
……は出ていかずに、その向こう側へと声をあげる。
状況が掴めない。とりあえず、痛みを堪えながらも上体を起こした。どうにか身体は動くようだ。
窓から見える景色から、どこかの家屋の二階だと思える。青空の下、遠くに破損した住宅も見えた。
薄紫の長い髪の少女は、「すぐ来るわ」と言って、ベッド脇の椅子へと腰掛ける。何が可笑しいのか、口元はずっと笑っている。
……はて、あのヒラヒラした格好に見覚えはあるが、誰だったか?
思い出そうとして思考の海に沈む前に、この部屋に向かって凄い勢いで足音が近付いて来た。
「ラーレっ!」
バァン、と勢いよくドアを開けて、白銀の少女が息を切らせて駆け込んでくる。
その顔は見覚えのあるいつもの無表情……ではなくて、今にも泣きそうな顔だった。ついでに、何故か
その唐突な登場と見慣れぬ衣装と表情で、反応が遅れてしまう。その反応に、少女は部屋の半ば程で立ち止まった。
「……ぁ、ぅぅ……」
おろおろしているハクノ。これはかなり珍しい表情なのでは?
とはいえ、いつまでも放置するのは可哀想だろう。おろおろしてる理由も、なんとなく察することはできたのだし。
「……よう、ハクノ……」
掠れた声で呼んでみる。途端、少女は泣きながらこちらへと飛びかかってきた。
「ラーレ!良かった、良かったです……!」
勢いそのまま、少女は少年の身体にぎゅっと抱き付き、
「~~っ!!?!?」
満足に動けない少年は、全身を貫く痛みに悶えるしか出来なかった。
―――
「すみません、ラーレ……」
数分後。
部屋には、ロングスカートの
ハクノは動きやすいようになのか、その長い髪をうなじのあたりで括っていた。しゅんと項垂れる姿と相まって、どこか気落ちしてる犬の尻尾を思わせる。
「気にしてねぇよ。それで、いったい何がどうなってんだ。あと、ここは一体何処だ」
改めて状況の確認にかかる。
記憶が吹っ飛んでて、何が何やら混乱状態だ。自分がどこに居るかすら分からない。
「ここはミュエインの家、です。えぇと……」
ミュエインという人は確か、ハクノの服を買った
「まぁ、早い話。死にかけてたのよ、貴方」
そこに、さっきからずっとニヤニヤ傍観してた少女が割って入ってきた。ハクノと並んで立つと、ハクノよりやや背が高いことが分かる。
「経緯を説明する前に、私のことは覚えてるわよね?……そう、《
ビシィッ! とポーズを決めながら、こちらが応える間もなく勝手に自己紹介してくる。
……あぁ、一緒に戦ってた
「イエーイ、ハクノんありがとー♪」
ハイタッチまでしだした。当のハクノはちょっと恥ずかしそうだが。ていうかやけに親しいね君たち。
「てなわけで、あのバカみたいにでかい魔獣に轢ねられたラーレくんは、憐れにも死にかけてたんだけどもね」
「……あ、うん」
そして向き直って普通に話し出す。あぁ、こいつはツッコむだけ無駄なタイプだわ。
「そこをここん
「……へぇ」
大袈裟な身ぶり手振りを交えてよく喋る。
それを
信用してないなー、とセレナの方はぶーたれてるがそこはスルーし……待て、その超大型魔獣とやらの顛末を聞いてない。
「あぁ、それならこの子が消し飛ばしたわよ?」
「……は?消し飛ばし……え?」
いったい何を言ってやがるのか。
セレナが指差す先は隣のハクノ。
そのハクノは、俯いてエプロンをぎゅっと握っている。ただそれは、悔やんでるとかいうのではなくて、何というか……恥ずかしさか何かで顔を逸らしてる印象だ。
そんなハクノに構わず、セレナは喋り続ける。
「誰も傷つけらんなかったあの魔獣を、一発でドカーン!とね。いやー、あの時のハクノんの台詞をキミに聞かせてあげたいわー。あ、そうそう。ここに担ぎ込まれたときもずっとこの子ね――」
「―っ、セレナ!それは言わないでほしいと何度も!」
慌ててセレナの言葉を遮ろうとするハクノ。その慌てぶりがどうにも可笑しくて、思わず吹き出していた。
「ラ、ラーレ!?」
「あぁ、いや、わりぃわりぃ。ハクノがそんなに慌ててるの見るの初めてだからつい、な」
「う、うぅ……」
困ったような照れているような表情。自分が意識を失ってる間に、表情がとても増えていたことが嬉しいのもあって、笑いを抑えられなかった。
その増える過程が見れなかったことは、残念ではあるけれど。
少年につられてか、二人も笑いだす。
後になってラーレは思った。
この時の
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