第7話 閃光

 戦端が開かれてからどれくらいたっただろう。

 伝声石を預かるおっさんモルブが言うには、あの光の矢の射手が既に半数を討ったという。どれだけ凄い奴なのか会ってみたいものだと、建物の陰から陰へと移動しながらラーレは思う。


(そういやあのチビウィンディもボウガン背負ってたな)


 とはいえ、アイツがそんな凄い奴には思えない。アホだったし。そもそも、ボウガンであんな大威力の狙撃なんて無理だ。


 まぁそいつが誰であれ、今やるべきことを果たさないことには顔合わせも出来ないだろう。

 所定の位置に着いた少年は頭を切り替え、大通りからこの防衛ラインへ迫る魔獣の足音へ耳を澄ませる。


 大地を揺らし、魔獣は駆ける。

 3……2……1……


(――それっ!)


 迫る魔獣にタイミングを合わせ、トラップを起動。と言っても、道を横断するようにロープを張り、足を引っ掛け転倒させるという、とても単純且つ古典的なものだが。突進攻撃が基本である猪型の魔獣にはこれが思いの外有効で、魔獣は急に出現したロープに前肢まえあしを引っ掛け、勢いよく回転しながら転倒した。

 ……コレ、他の防衛ラインでは試さなかったのだろうか?


「ナイスよ、ラーレくん!」


 こちらを誉める声と同時に、薄紫色の魔力光を纏って魔術使いウィザードの少女が通りへと躍り出た。


「――荒ぶる愚者に、吹き荒ぶ氷雪の戒めを」


 詠唱と共に、手にした魔杖剣ウィッチブレードを地面へと突き立てる。魔杖剣とは、行使する魔術を強化する増幅器ブースターとして広く使われる、長剣ロングソード型の儀礼装備である。少女は突き立てたそれを中心に魔方陣を展開。同時に、魔獣の直上へと氷の粒が急速に集まっていく。


「絡み付け!《氷獄の枷アイシクル・バインド》!!」


 発動を意味する声の直後、集まっていた氷は一気に弾け、魔獣の全ての脚と頭へ殺到、氷の鎖と成ってこれを地面に縛り付ける。

拘束魔術バインドマジック》、直接的な攻撃でなく、相手を拘束することを主眼に置いた魔術である。短詠唱の簡易魔術オートスペルとしても存在するが、長い詠唱と魔方陣を交えたは、その数倍以上の拘束力を有する。


「おじさん、やっちゃって!」


 間髪入れず少女は叫び、


「おじさんと呼ぶなと――言っているだろう!」


 文句混じりで吼えながら、大剣を抱えた剣士が魔獣の側面へ突撃する。剣士は突進しながらも《武器強化魔術アームドエンハンス》を起動。直後、炎のような魔力で覆われた刀身が、深々と魔獣へと突き立てられる。


 グオォォォォッッ!?


 魔獣は咆哮を上げ、その剣と戒めから逃れようともがく。氷の鎖でもって強固に拘束バインドされた魔獣の首と脚は、その鎖を断ち切らんばかりの怪力で足掻いている。


「上等じゃないっ!このセレナさんの魔術から、逃げられると思うんじゃないわよ!」


 紫水晶アメジストのような瞳を光らせ、少女――セレナは中空に指を走らせる。

 指の軌跡を追って描かれたのは、魔方陣を構成している物と同じく薄紫色の《魔術文字》。それをもって魔術使いは己の魔術……即ち、魔獣の拘束を強化する。強化終了と同時に、魔獣は文字通り地べたに縫い付けられた。

 その動きに合わせ剣士もまた、その刀身に纏わせた魔力を解き放つ。


「ぶっ飛ばせ!《破斬解放バーストデモリッション》!」


《武器強化魔術》で刀身に纏わせた魔力を解放し、斬撃を翔ばすのが本来の使い方だが、剣士はそれを魔獣の体内で全方位に爆発させる。必然、逃げ場のない魔力の奔流は魔獣の身体を内部から吹き飛ばし、その赤黒い心臓核コアを剥き出しにした。


 例の射手からの提供で、魔獣の弱点は心臓核コアと呼ばれる魔力の塊であると知らされている。

 その位置は概ね、元となった獣の心臓と同じ位置。

 故に、対処は単純。

 そこまで突き刺せるだけの長さと強度攻撃力を以て狙い穿つか。

 あるいは、直接破壊するか。


 飛び退く剣士と入れ替わるように、ラーレは魔獣へと駆ける。

 両の手には、逆手に構えた短剣。

 少年は《武器強化魔術》を使えない。

 それに代わり、疾走と跳躍の勢いも乗せて、


「せぇぁぁぁっ!」


 気合いと共に、剥き出しになった心臓核へと思いっきり二つの刃を突き立てる。

 重厚な肉の鎧も獣特有の俊敏さも剥がし、無防備を晒す今ならば、非力と言えるラーレの得物短剣であってもそれは十分に必殺の一撃となる。


 グルォォォォォォッッ!?


 再生の暇もなく与えられた致命傷に、魔獣は断末魔の咆哮を上げ、倒れた。

 刃を突き立てられた傷からは、瘴気混じりの魔力が霧散していく。あとは、放っておいてもそのまま消滅していくだけだ。


 ――ちなみに、もう一つの手段として圧倒的魔力で丸ごと消し飛ばすことも知らされているが、これを実行出来るのが例の射手くらいしか居ない。なのでこれは、端から論外として手段として考慮されていないことを附記しておく。



「ナイスアタックよ、おじさん」


 薄紫の長い髪を揺らしながら、セレナは中年の剣士に笑い掛ける。


「だからおじさんと呼ぶなと……」

「ラーレくんもお見事お見事~♪」


 言い返すも当の少女から完全にスルーされ、おじさんことモルブは嘆息する。


「俺はトドメ貰っただけだから」

「謙遜しないのー」


 短剣を腰後ろの鞘へとしまうラーレを、うりうり~と肘で突っついてくるセレナ。

 そもそも、セレナのパーティーメンバーが負傷で後退していなければ、ラーレはトラップ専門として陰でコソコソ動いてるだけだったのだ。荷が勝ちすぎている、と思っても仕方ないことだろう。

 それはそれとして、彼女セレナの距離感が近すぎるせいで困惑してるのだが。魔術使いウィザード装備特有のヒラヒラに加え、少女の嗜好なのか、露出の多いその衣装は目のやり場に困る。


「おっほん」


 そんな二人を見かねてか、咳払いをしたのはさっき無視されてたモルブだ。


「じゃれ合うのも結構だが気を抜くな。あっちの狙撃手お嬢さんの矢はもう尽きたらしい。粗方倒せたとはいえ、まだ奴等は残っているんだ。さっきは上手くいったが、次も確実に討てるか分からんのだぞ」

「おじさんは心配性だねぇ」

「分かってる。俺、トラップ張り直してくる」


 口々に応えた後、能天気な少女から逃げるように、少年はその場を後にする。


 それを見送るモルブもまた、僅かな休息を使い呼吸を整えにかかる。

 シーフの少年をトドメ役に充てたのはモルブの判断だが、これは半ば賭けでもあった。

 彼の判断の遅れや躊躇いで魔獣が拘束から逃れたり、再生を許してしまう可能性もあったからだ。だが、錬度はまだまだではあるがひとまず覚悟と思い切りは十分だと、モルブは評価する。


『頭ぁ、大変っス!大変ッスよぉ!』


 不意に、伝声石からキースの悲鳴じみた声が響く。同時に地鳴りのような音と、地面が揺れるのを感じた。


超大型魔獣めっちゃデカいのここに接近してるッス!やべぇッスよこれ!?』


 聞きながら、その原因と思える土煙へと視線を向ける。魔獣が現れたのと同じ方角から、何かが近づいている。


「……あぁ、見えたよキース」


 伝声石へ応答しながら、を見る。

 傍らに居た少女も、驚き混じりに同じく見る。


 二人の目に映るは、山の如き黒ベタの何か魔獣

 先ほど討ち倒したのが概算3メートルとすれば、あれはいったいどのくらいの大きさなのか、検討もつかないほどの巨体。


「……なんだよ、アレ」


 一人離れていたラーレも、それを見た。

 山を駆け下りてくるとでも言うのか。


「……化け物めっ!」


 モルブの叫びはしかし、降りだした雨と雷音に消えた。



 ***



 超大型魔獣そいつは、ただひた走る。

 餌に相応しい高密度の魔力を発する獲物を求め、山を駆け降りていく。

 そして、それ獲物は、人間どもの集落の中央に居た。


 自分たちをけしかけたのが、如何なる存在かは知らねども、極上の獲物にありつけるなら乗るのも一興だと、そいつは思う。


 雨が降りだしたが、魔力を嗅ぎ分けるこのケモノの鼻には何も関係ない。

 そして、嗅ぎ分けたなら。

 突き進み、喰らう。

 それが魔獣の本能であり、摂理である。


 極上の獲物への期待感で、ケモノはその速度を上げる。



 ケモノは駆ける。


 その巨体ゆえ、木々は障害物と成り得ず。

 その巨体ゆえ、川は水溜まりに等しく。

 その巨体ゆえ、岩さえも石ころに過ぎず。


 その巨体ゆえに、人間など塵芥に等しい。


 道すがら、残存の眷族をも糧に突き進む。

 迫る巨体を阻止すべく立ち向かった騎士人間たちを、その巨体を以て軽々と撥ね飛ばし、踏み潰し、鏖殺する。

 矮小な人間ゴミどもに、我を止める術など在りはしない。


 いつしか景色は、緑溢れる森から人間どもの造った醜悪な構造物の森と化していた。


 そう、ケモノは辿り着いた。


 雷光と共に、獲物は表へと出てきている。

 細かく探す手間が省けるというものだと、ケモノは舌舐めずりした。

 さぁ、後は食らうだけだ。



 ***



 それは、僅かな時間の出来事だった。


 超大型魔獣が迫る中で、有効かも分からないトラップのために待機していたラーレの視界へ、超大型が駆けてくる大通りに彼女ハクノが顕れたのは。

 彼女はこちらの居場所に気付かず、辺りを見回している。当然だ、少年は隠れているのだから。


 脅威が迫る中で、深く考えるだけの暇はない。


 迫る敵の脚は止まらない。


 だから少年は、後先考えずに駆け出していた。


 大通りを突き進む、これ幸いと大口を開けて彼女へ迫る魔獣と、その危機を知覚できていない少女との狭間へ。


「ハクノーッ!」


 力の限り、叫ぶ。

 何故ここに――だとか、

 危ないから逃げろ――など、

 言いたいこと、聞きたいことはある。

 だがそれは、叶わない。


「ラーレ!」


 少年の姿を発見し、喜んでいるような声と同時。

 少女は、自分の肩に掛かる力に押し倒されながら、見た。


「――ガ、ハ……ッ!」


 つい先ほどまで己が居た空間で、少年が撥ね飛ばされる光景を。


「――――――ぇ」


 仰向きに倒れた少女の上を、黒い塊超大型魔獣が通過する。


「……ラー、レ……?」


 先程まで其処に居たはずの名を呼ぶ。

 しかし、先程から降りだした雨は一層強さを増して、少女の呟きを掻き消した。


 超大型魔獣はぬかるんだ地面に脚を捕られながらも、獲物……ハクノを喰らうべく、その巨体を制動し、一度動きを止めた。魔獣の動きに巻き込まれ、幾つもの建物が倒壊する。

 それを契機に、魔獣を追い集まっていた冒険者らがそいつへ殺到する。


「何としても奴を止めろ!」


 焔のような色の魔力を纏わせた剣を、鎧の男は振るいたてる。しかし、それは魔獣の表面に掠り傷すら付けられていない。


「コイツ、拘束バインドが効かない?!」


 冷たい風が吹く。視界の端の水溜まりが凍る。

 自らを見下ろせば、せっかく彼に買って貰った服が泥で汚れてしまっている。怒るだろうか、彼は。


「君!早く逃げろ!」


 キミ……?


 違う、私は"キミ"では、ない。

 私の名前は、彼が与えてくれた名前は、じゃない。

 私は……私の、名前は……



 あぁ……わたしは、だれだろう?



 少女は地面に爪を立てる。雨でぬかるんだ土を握る。

 冷たい感触が、少女を現実へと引き戻す。


 ――私は、何をしている?

 何のためにここへ踏み出した?


 そうだ、彼の側に居たいと。そのために……


 顔を上げてみれば。

 少し離れた場所で、黒い塊と、それと戦う人々が見えた。

 けれど黒い塊は、その抵抗を意にも介さない。

 不意にそれは、口のような所を大きく開ける。大剣を掲げる男を頭から呑み込み、一息に噛み砕いた。焔色の魔力は霧散し、口からはみ出していた男の脚が零れ落ちる。その直下、紅い血溜まりが拡がる。


 ―だけどそれは、彼じゃない。視線を移す。


 ケモノの脚へ、氷や炎、或いは蔦のようなものが絡み付いている。

 けれどそれは、絡み付く端から切られ、また絡み付くを繰り返している。そして、その脚の近くに居た男が踏み潰される。


 ――だけどそれは、彼じゃない。視線を移す。


 獣の直上から、焔の矢が降り注ぐ。見れば、この豪雨に負けない熱量を宿した武器弓矢で以て、小さな勇者ウィンディが奮戦している。その傍らに、髪のない男が見えた。


 ――――だけど、ラーレでは、ない……


 ならば、彼はどこに。


 そして、思い出した。つい数分前さっきのことを。



 記憶をトレースし、それを追う。


 そして、見た。


「…………ぁ」


 ケモノの更に奥で、横たわる人影を。


「…………ぁあぁ…」


 血に塗れ、動かない彼を。

 その光景現実に、少女は眼を見開いた。




「……あ、い、ぁぁ……ぃ……ゃ……イヤァァァァァぁァァあアァァッッ!!?!」




 絶叫。

 そして。

 少女の身体は、それ叫びに呼応するように魔力を展開する。


 座り込み、泣き叫ぶ少女を中心にして、幾重もの魔方陣が辺り一面を埋め尽くすように描かれる。


 ――其れは、拒絶を意味するモノ。

 ――其れは、否定を意味するモノ。

 ――其れは、抹消を意味するモノ。

 ――そして、束ねるそれの意味するは、少女が初めていだく感情。



 ――どうしようもない、《殺意》だ。



 泣きながらも幽鬼のように、ゆらりと少女は立ち上がる。

 滅茶苦茶に展開する魔方陣から伸びた魔術文字の糸が、まるで人形を操るかのように、少女の右手を超大型魔獣へと掲げさせる。

 その右手を……否、右腕全てを覆うように、大小様々な魔方陣が絡み付いていく。

 それは例えるなら、魔方陣でできた大砲とでも言うべきか。


 その異様な光景に、異様な魔力の奔流に。

 場に居た誰もが……魔獣でさえもが動きを止めた。


「……返して」


 ポツリと、少女は呟く。嗚咽は止まらない。

 それは、聞く者の背筋を凍らせるほどに、熱のない声。


「……返してよ」


 右腕に、魔方陣で変換された魔力殺意が集中する。

 青白い稲光魔力が空の稲妻と同調し、その雷光エネルギーをも糧とする。


 雨に濡れ、泥にまみれた白銀の髪。その隙間から覗く瞳は血のように紅く染まり、止めどなく涙を流している。

 少女の左手は、己が心臓を鷲掴むかのように、胸元を抑え、きつく握られている。


 そして、その口からは。


私の居場所ラーレを……返してよぉぉォォっ!!!」


 咆哮。


 そして、閃光が走る。


 少女の叫びを引き金トリガーに、魔方陣が汲み上げ圧縮されたその魔力を、容赦なく魔獣へと叩き付ける。


 少女から放たれたその青白い閃光は、山の如き超大型魔獣を容易く飲み込んだ。

 それは膨大な魔力による、純粋なる破壊の閃光ひかり

 ただ討ち滅ぼすためだけの光に、誰も傷一つ付けられなかった魔獣は、呆気なく消滅していく。

 止まることのない閃光は、避難所の屋根を掠め、豪雨もたらす厚い雲を、そして空をも斬り裂いた。


 それは、時間にしてほんの数秒。

 役目を果たした閃光は消え、そこには。



 座り込んで、泣きじゃくる一人の少女が残されていた。




 ***




 ―――???



「――焚き付けた魔獣は全滅……フフ、そうでなくてはね」


 声が響く。


「えぇ、ようやく目覚めてくれたのだもの」


 夜の雷光が、灯りのない玉座を照らす。

 照らしてもなお暗いそこに腰掛けるのは、少女と形容できる黒い人影。


「さぁ、いつ迎えに参りましょうか」


 黒く長い髪に、血のように紅くくらい瞳。

 酷薄な笑みを湛えるその左頬に、血の色の刻印が光る。


「私はとても愉しみだわ。

 ――貴女はどうかしら、《零号複製体ゼロレプリカ》?」


 他に人影のないその場所で、その問い掛けは誰に向けてか。

 玉座を離れ、黒いドレスを翻して少女は一人踊る。


「えぇ本当に、とても愉しみだわ」


 独り唄い、謡う。


「ヴァイスの希望は、私が噛み砕いてあげましょう」


 窓越しの空。鮮血あかい月を見上げ、嗤う。


「そう……この《竜殺しの黒ズワルトゥ・バルムンク》が、世界の希望を殺して見せますとも」


 黒い少女――ズワルトゥは、ただただ世界を嘲笑い、踊り続ける。

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