第3話スツールとベッドの上で

 アマネさんとファザー―――降谷紘一さんが初めて出会ったのは、病室でした。アマネさんはベッドの上で本を読んでいて、降谷さんが彼女を訊ねたのです。

 

 私はファザーが残していた記録媒体、そして彼から聞いた話を合わせて二人の関係を描き出すことができました。


 それは、まだ猫島に気象観測衛星の打ち上げ施設とその実験場があったときのこと。猫島には島民と研究員が一緒に暮らしていました。

 猫島には大昔、とある因習があったと云います。

 それは雨が降らなくなったときに、雨乞いのために海に牛と少女、それから牛車を生贄に捧げる、そんなとても残酷なという儀式です。


 少女は天に昇って雨を神様に乞うために。そして天に昇るための乗り物として牛車と、それを引く牛を海へと投げ込むのです。


 しかしその因習はとうの昔に廃れていました。何百年も前に。

 それは猫島宇宙センターができるずっと前。この島に残っていた雨乞いの儀という、生贄を使わない伝統も、日本製の気象衛星が宇宙を周回するようになってから、なくなってしまいました。


 今は、生贄の儀式も、雨乞いという言葉すらも、猫島からは失われています。


 けれど、猫島宇宙センターで衛星を乗せたロケットを打ち上げる日を境に―――たくさんの雨が何日も振り続きました。

 それから数か月後に、延期した打ち上げを決行しようとしても、また大雨が降るのです。


 不思議に思った研究員が、降雨の原因を探したところ、一人の少女が見つかったのです。


 それが、霧島雨音―――。

 まだ、生きていた頃のアマネさんです。


 そして猫島宇宙センターで最も若い研究員だったのが、降谷紘一。まだ年齢は中学生くらいの特別研究員でした。彼は猫島にたった一つだけある、中学校に通いながら、猫島宇宙センターに出入りしていたのです。


「なんの本読んでるの?」

「―――宇宙の」

 

 紘一さんは病室に一つだけあるスツールに座って、アマネさんに話かけました。

 

「ふうん。難しそうだね」

「そうでもない」


 黒くて長い髪は水色がかって、少しだけ湿っています。それが蛍光灯の薄い明かりであってもきらきらと彼女の髪の毛を煌めかせて、とても美しい。

彼女の真っ白な肌もまた、水滴に透明なフィルムを貼ったみたいにつやつやとしています。


「何か……用?」

 アマネさんは、じっと座っている紘一さんに話かけました。

 どうやら、彼はスツールに座って何十分もアマネさんを見ていただけのようでした。

「まあ、大した用事じゃないっていうか、なんで僕がっていうか」

 少しだけ不満げに、紘一さんは頭を掻きました。


 アマネさんが雨を降らせる原因であることを突き止めた猫島の研究員たちは、彼女を病室に隔離して彼女の身体を調べることにしたのです。

 結果、アマネさんを悲しませてしまったときに雨が降ると彼らは考えた。喜ばせているうちは、あの気象衛星に映らない不可思議な雨雲は発生しないということがわかったのです。

 

 しかし研究員たちの目的はロケットを打ち上げること。彼らはアマネさんがどのようにして雨を降らせているのかと調べることよりも、雨雲の増殖を防ぐことができればよかった。

 だからこそ、研究員の中で一番アマネさんと年齢が近い紘一さんが、話し相手として選ばれたのです。

 彼女を悲しませずに、ずっと微笑ませる相手として。アマネさんを淋しがらせないたった1人の友だちとして。


「昨日何食べた?」

「甘食」

「ふーん」


 出会ったばかりの二人に突然、仲良くなるようにと言われてもうまく行くはずがありません。

二人はときどき思い出したかのように会話をして、けれどほとんどの時間を病室で本を読んで過ごしたのです。


それから二人の距離は少しずつ縮まりました。その距離はまるで猫島の降水量が表しているかのようで。

島の週間雨量が300ミリ、200ミリと減るごとに二人はたくさんお話しできるようになったのです。

 

 


 

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