邪神としもべ・二

 村のあった森を抜けた場所に、長い長い壁が見えた。石作りの立派なものだ。

 ある位置で色が明るくなるのは作られた時代が違うからだろうか。


「あれが」

「ああ、ジェネレションの街だ……変わってないよ、あの頃となにも」


 邪神は感慨深げに呟くと足を早める。

 近付くと目に付くのは古めかしい城砦。壁の中に広がる街並みの中で、唯一の巨大建築物だ。

 城壁のすぐ上にまで高度を下げた邪神は、俺の視線の先を見て言った。


「あの砦が、領主の住まいだよ」


 中世の城塞都市なんかだと、敵から攻めづらくするために何層か壁が作られ、街に囲まれた中にあったりすると思うが……この砦はジェッテブルク山側の外壁に組み込まれているようだ。まあ立地的にそうなるか。

 あそこがギルド長の実家とは……。あんな恐ろしい場所で育ったとか、怒らせることがなくて良かった。


 なんというか、街の全体的な印象は中世ものの映画やSLGと大差なく思える。

 ただ言っちゃ悪いが、それより貧相というか物寂し気だ。

 家々の素朴な感じはガーズと変わらないが、あっちは村っぽい雰囲気に合ってたからな。こっちは外壁や砦の重厚さとの差で余計に寂れたように感じるのかもしれない。


「さっきの村といい……本当に、ガーズが特殊だったんだな」

「壁のことか。結界石を設置できたのは門周辺だけだからね。私の代でさえ、聖魔素はそれほど失われていたのだから、どこも街自体は壁に囲まれているよ」


 砦の側で立ち止まった邪神は、じっと見上げながら語る。

 こうした頑丈な壁が築かれたのは魔物が現れるようになってからで、それまでは治める範囲を示すために柵で囲んでいた程度だった。だから周辺にも田畑や村はあったのだとか。

 明るい壁の繋がる場所が歪なのは、そうした外の区画を壁内に組み込んだときのものらしい。


「とはいえど、このジェネレションを除いた話だ。ここは元よりパイロとの戦いの最前線だから、砦を含む壁はその時からのものだよ」


 色差がはっきりしすぎる気がしたのは、結構な年月が経っていたせいのようだ。


 邪神は俺のために簡単に説明してくれているんだろうが、内容とは別のことを思い出しているようで声を掛けづらく、ただ相槌を打っていた。


「では、次へ行こう」

「もういいのか。久々なんだろ」

「今日のところはいい。ここまで来て、はっきりと手応えを感じられたよ。幾らでも行く場所はあるからね」


 さっぱりと物思いを振り切るように、再び邪神は高度を上げる。


「手応えってのは?」


 移動するだけでも力を使うにしろ、他の場所へ行けそうな感覚ってどういうことだ……?


「なんというかね、私がこれまで訪れた場所を考えていたら、そこが把握できたような気がするんだ。たとえば王都を思い浮かべれば、すぐそこに繋げられそうな予感がした」

「……へえ」

「言葉もないよね。私も驚いている。聖魔素……いや邪魔素にしろ、この世界を構成する魔素というものの力とは、人の枠を超えていると改めて実感したよ」


 うーん、ちょっと俺の絶句の理由とは違うんだが……まあ、いいか。なんか嬉しそうだし。

 心なし邪神の足取りが軽やかになった気がするのは、ついてくる穴に映る景色の流れがわずかに早くなったからだ。


 俺もまた黙々とついていく。

 だってジェネレションを出ると、景色は自然一色だったんだ。

 轍の跡が残る、薄っすらとした道筋はある。ところどころ、ひび割れたり地面が盛り上がったり山崩れで埋まっていたりと途絶えがちではあるが、誰かが最低限の除去は済ませたようだ。こんなところまで派遣されるとか、頭が下がる。

 とにかく、人工的なものは道くらいしか見られないということだ。


 その自然もガーズからジェネレション領までの短い距離であろうと、至る所が荒れて放置されている状態だ。といっても主に山々周辺だから、元々あれも魔脈に押し上げられたものなんだろう。


「下を歩くことはできないのか?」

「見学したいならそうしよう。ただ、遠くへ向かいたい場合は、この空間でないと時間がかかりすぎるからね」

「街を歩いてるときも、なんか幽霊みたいに移動してたぞ」

「それは良く知る場所だからの筈だ。それでも、自分の知る道なりにしか移動できなかったろう?」

「ああ、確かに……」


 すっと景色が流れるようだった。ということは省略するようでも、早くなるだけなのか。それも知らない場所では無理と。

 知らぬうちに縮地法をマスターしてたとかではなかったらしい、残念。


「そういえば、日本でも聖魔素を扱えると言ってたよな」


 それで俺、というか候補者を送りつける目印をつけていたとかなんとか。

 思えば、とんでもない大発見だ。

 まあ誰にも証明はできないだろうけど。観測もできない……よな?


「そうだね。目覚めてから体の奥底に聖魔素を感じられるようになっていたから、そこに手を伸ばして触れるように意識すると、この空間に繋がる感覚があったんだ……扱うことの出来る理由を説明はできない。推測でよければ」


 もちろん続きをお願いする。


「半ば死んでいたため、魂が持ち帰ったのだと考えている。逆転生というのかな……その魂がどうのというのも、便宜上そう呼んでいるんだけどね」


 まあ、あの人魂意識体を見れば、他に言いようは浮かばないな。


「……少し話したが、君の魂が傷を負ったと表現した理由でもある」


 な、なんだよ、早く言えよ。俯きぎみに言われると、よっぽど悪いことが起こったのかと不安になるだろ……。


「空になった器に、君の魂を移しただけのつもりだった。それも、私の魂の殻に覆ったような形で。だから、君の魂を見失うことはないし、他からの干渉もないと考えていた」


 なんと入れ子構造だったのか。俺はタロウロボットに乗り込んだパイロット太郎だったのだ。

 続々と知らされる嫌な情報に喉が鳴る。


「そ、それで?」

「仮初とはいえ、君は、あの肉体で限界まで生きた。人の体で邪竜に直接挑むまでに」


 あれ、また俺の自業自得感がするぞ?


「邪竜の死の瞬間、エネルギーの奔流は相当なものだった。その時に私の魂の体も薄れて、君の魂が直接さらされてしまったんだ。すぐに、この空間に手繰り寄せはした。けど僅かながら、君の魂に聖魔素との結合が見られた」


 ほう、やっぱ直接殴ったのがまずかったと……。


「そんなことがあったんだな。でも、あんたが大丈夫だったなら……俺もこうして無事だし、謝る必要はないだろ」

「私には、考え受け入れるだけの長い時があっただけだ。全ての真理にたどり着いたわけではない。だから、今後、どのような弊害があるか分からなくてね」

「弊害っても、ただこうして、こっちの世界を覗き見できるようになっただけじゃないのか」

「そう、完全ではないが、干渉できる……実のところ、それもあって経過を見たいというのも呼んだ理由の一つだ」


 ほんと、色々と隠してるなこのおっさん。

 もう一度呼び出したのは、後で気付いたからなのか。


「理由は分かった。納得したよ。起きたことは戻しようがないんだから、観光を楽しもう」

「そう言ってもらえると気は楽になるが……そうだな、せっかくの旅だ」


 気を取り直して邪神は、景色の中に目に付いた異常植物の説明を始めた。

 それはいらないです。




 そうして、たまに俺が質問の体をした雑談をする他は、何もない。何か起こってもらっても困るけど。

 けれど、なんにもない景色を眺めていても、不思議と欠伸は出なかった。

 ところどころに見覚えのある憎き植物が見え隠れするせいで、別の世界だと思い知らされるからだろうか。


「懐かしいな。本当に」


 邪神は、俺の知らない何かを景色の合間に見ては呟く。

 ああ、そうか。俺もなんだ。

 まだ大して時間は経ってないのに、この世界のどこを切り取っても懐かしいような気分でいた。

 どうしてか邪神の心情に影響されているらしい。


 邪神はたまに思い出した場所を指しては、あそこに穴を掘っただとか説明が入るのだが、その頻度が増していく。

 そうしていく内に、よほど感極まったんだろうか。気が付けば邪神は、過去の旅路を語り始めていた。


「私たちは聖魔素を集める旅に出たんだ。この道筋も魔脈に沿って歩いた。それも初めの頃に、聖魔素が無くなっているのを確認するためでね。こうした街と街の合間などは前の代に集めつくしたのだろうということで、人々の生活圏の外に出ることにした。大冒険だったよ。なんせ、未踏地域だらけのようだからね」


 もう俺に語っているのではなく、邪神自身が記憶を再生し浸っているんだ。

 思わず、息をのんでいた。


 何の変哲もない自然。地球だってもっと壮大で変わった場所はあるだろうと思うほど、延々と続く草原や森やなだらかな山々や空と、なんの特徴もない景色――のはずだ。


 それらの場所に、邪神の声が重なり意味を与えていった。

 実際に、形にして見せてくれたんだ。


「あの谷はね」


 そう邪神が何気なく話しながら手を軽く振ると、そこに薄っすらと青い人影が浮かんだ。

 谷底を覗いては話している数人の中に、邪神らしき兜姿もある。


 過去の姿が紡ぎ出されているのは、理解できた。そう頭が判断しただけで、唖然とした気持ちは消えない。

 映像は通り過ぎれば霧散して周囲の光に戻る。しかしすぐに次の光景が重なる。

 邪神が一歩進むごとに、手で空を一仰ぎするたびに、それらの光景は増え重なり続け、次々と人の姿だけでなく当時の景色も自然の中に浮かびあがっていた。


 紛れもない別の時代、別の世界が、光の壁に構築され流れていく。


 こいつ……自分が何をしてるか分かってるのか?

 どう見ても無意識に、感情が赴くままに語り、それに合わせて腕は力を形にしている。

 だけど余計な質問で止める気は起きなかった。



 邪神が指揮棒を振る度に紡がれていく。


 これは、叙事詩だ――――。



 荘厳としか言いようがなかった。

 目に映しては消えていく物語を食い入るように眺める。

 本当にその時、そこに立ち、英雄の旅を共にしているようだった。


 なんでもない場所に、積み重なる歴史がある。

 それらの上に俺たちは立っているんだと思わせてくれる。


 知らず目頭が熱くなる。

 この体でも涙は出るのかと余計なことを考えながらも見逃すまいと、輝く過去と、そこから繋がる現在を目に焼き付けていく。


 過去から現在に繋がっている。

 そして――その今から未来を繋ぐ助けが、俺にできたんだ。

 不格好だったかもしれないけど、それでも踏ん張って良かったと思える。


 複雑な気持ちの底に、静かながら確かな高揚が湧きだすのを感じていた。

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