邪神としもべ・三
気が付けば、詩は途切れていた。
あまりにも圧倒されていて、結構な長い時間、静かだったのだと頭は告げる。
力が増えたっていっても……限度ってもんがあるだろ。
邪竜と方向は違えど、途方もないもんというのが実際にどの程度か、ようやく身をもって知れた気分だ。
一通り吐き出してすっきりしたのか、落ち着きを取り戻した邪神の声で、意識を外に引き戻された。
「この空間に居さえすれば、距離にかかわらず好きに移動ができそうだというのは証明されたかな。ちょっと距離を短縮してみよう」
二、三の街を通り過ぎたが、景色の流れがジョギングほどに速くなっていた。特に思い入れのある王都へ急ぐためだと思っていたが、移動速度の調節に意識を向けていたらしい。
邪神がこの辺と無造作に探った空間を掴むと、景色が線状に流れた。
そしてすぐに手を離したそこは、どう見ても先ほどとは別の場所だった。
「うまくいったよ。マイセロだ」
どこもジェネレション領ほどの規模でさえなかった。しかし目の前の街は、ジェネレション領と比べても長い境界が、自然と人の生活を区切っている。
他と同じく周囲に魔脈によるらしい低い山並みもあるが、外壁と山並みの間にはもう一つ王都が作れそうなほどの草原が広がっていた。これは、他の場所にはなかったゆとりだ。
王はマイセロを死守するだろうという、ビオの言葉が思い出された。
そうか……王様がここを守ろうとしたのは、まだ逃げて来た人々を受け入れる余地があったからなんだ。
そんな感傷や、邪神によって距離が詰められたことに軽く気持ちが混乱する。
「……時を超えるってのは、こんな感じなのかな」
なんとなく呟いたら真面目に答えだした邪神によると、過去に戻ることはないが時の流れが一定でもないらしい。
こっちと時間の流れに差があるのは気付いていたが、変動は考えてなかった。
「この空間が、私と君の魂に起きた時間の歪みを正してくれるようなんだ。そこで、これを利用することを思いついてね。ああ、これは日本から来るときの話だ」
時の流れ方に違いはあれど、それを邪神は自在に調整できるようになった。だから睡眠中の、予め決めた時間内を設定しての見学が可能だから、希望があれば前もって念じてくれと言われた。
予約できるのかよ。邪神といく死出の旅、異世界ツアーのお得なプラン。
……お得か? なんかもう神業過ぎるんだが……あれ?
楽しみにしていた王都を前にして、足が鈍る。
「では街に下りよう。私は研究院を見てみようと思うが、君はどこか行きたいところはあるか?」
別の事が気掛かりで、俺は足を止めていた。
なんと言ったものか……返答に戸惑っていると不審に思ったらしい邪神が振り返る。
俺を見てすぐに何かあると見抜いたのか、しっかりと向き直ってきた。
急かすことなく黙って待っているが、その雰囲気から促されているのは伝わってきた。
これもだ、違和感は。
どこかこいつの纏う空気は異質で、顔も見えないのに周囲から表情が伝わるようだった。
そりゃ、こうして人型を取っていようと俺たちだって、この青い空間を満たす聖魔素の一部だというなら、実際は境目などはっきりしないのかもしれない。
会話しなければならない程度には分けられるというのも不思議だが……あ、なんかこれスケイルと話してた時に考えたような。
そうだ、スケイルの記憶――。
スケイルは姿を得て以前の記憶は曖昧のようだと思ったんだ。
だとすれば、この空間には、聖魔素に還ったスケイルたち聖獣も一部になってるのかな。
でもそれじゃ、人のためにある場所ではありえない。
聖なる世なんて呼んでいたにもかかわらず、この場所に意志を持つ存在はない。
「なあ、ここには、俺たちだけなのか……」
言葉が詰まった。
互いに人型の縁は青みがかっているが、邪神を覆う膜は銀に輝くように強さを増したからだ。
俺の方は、固めた煙に映像を投射して作られたように存在感が薄いというのに、こいつは……周囲の聖魔素から実体化したように、そこに在る。
邪神の輝きが消える。
「以前に調べた限りでは、誰の存在も見つけられなかった。改めて探ってみたが、やはり他にはない」
まさか今のぴかぴかーは、それを調べてた?
……こいつ。なにかすごく嫌な汗が出る。幽体もどきだから錯覚のはずだが。
だって、もしかして、もしかすると……いやいやいや、まさかね?
「それで、何か気が付いたことが? 不安でも思い付きでも、なんでも言ってくれないか。他者の視点は貴重なんだ。特に、ここではね」
調べたことが本当なら、知的生命体は俺とこいつしかいねぇもんな……。俺も知的だからな?
それなのに何が悲しくて、おっさんと二人旅なんだ。
あのさぁ、こういった役どころといえば定番は女神だろ?
邪神は身を乗り出した。期待の目を向けられている、気がする。
研究熱心なんだろうが……ちょっとフラフィエを思い出して引く。
気付くもなにもというか、色々とあり過ぎてどれを言おうか混乱してきた。
まずは核心からずらした話題から出してみる。
「本当に、俺も聖獣みたいだと思って。それで、こんなに聖魔素を何もかも自由に操れるなら、本物の聖獣も……」
こいつの今の力があれば本物の聖獣も作れるんじゃないか――言いかけて、最後まで言う前に止めた。
形は俺のように作れるかもしれないが、俺たちのように核となる魂はない。聖魔素に還った一部を切り取っても、それはスケイルにはならないだろう。
俺がスケイルに会いたいからとか……馬鹿かよ。
そんな紛い物を求めているわけじゃないだろ。
また黙ってしまったのをどう思ったのか、邪神は声を落とす。
「よっぽど言い辛いことでも構わない。君には、その権利がある」
俺に対して行ったことを負い切れない罪と考えているなら――。
何かを望めば、こいつの意に反しても実行してくれるのかもしれない。
なんでもないというつもりで頭を振って返し、ついでに邪念を払う。しっしっ。
大きく息を吸って吐き出す。そんなことが、ここで効くかは分からないが気分的にな。
ああもう俺に遠回しにだとか策を弄すなんて無理なんだって。
邪神を真っ正面に捉える。
「他に、隠してることはないのか。さっき言ってた、俺の観察も含めて呼びたかったというような」
俺から聞かなければ言われなかったか、後で話の流れで言うつもりだったのか。
もし俺がこいつの検証に付き合うと了承しなければ、こいつはどうした?
また勝手に何かしてたんじゃないかという疑惑は晴れない。
「黙ってることがあって当たり前だし、そこは気にしない。ただ、関わった以上は俺にも見過ごせないことはある。この世界に関わるなら、重要なことだけは聞いておきたい」
何か新たな力を手にして隠しているかもしれない。できることが増えたせいで、またよからぬことを考えてないのか。
もしそうでも俺に止めることはできないが、せめて、おかしなことをしないように釘を刺しておかなければと思ったんだ。
邪神は苦笑を漏らした。
「実体化して関わるか心配か……それもそうだな、私には前例がある。まだこの力にも謎は多いが、これだけは言える。もう関与することはないし、できない」
邪神はきっぱりと言い切った。その理由が続く。
「肉体が必要だったんだ。君のことも、結界石に取り込まれた肉体があったからできたことだ。現に、こうして肉体を作ろうとしても、無理なことは分かるだろう? 大変な力を得ても、ここまでが限界ということだ」
つい体を見下ろした。
確かに、わずかながら透過してるが、魔素をケチったわけではなく本気で顕現させようとした結果だったのか。
……やっぱ、考えはしたんじゃねえか。
「あ、そうか。物体化されたものがマグだっけ」
ここでは青い色だけだ。魔素のままでしかいられないんだ。
あれは地上で起こる現象だったのか。
「そうだ。仮に肉体を得たとしても、関わるつもりはないよ。このまま、見守りたいと思う。心から」
邪神はしみじみと続ける。それについても長い事自問自答したんだろう。
人の人生だから余計な口出しなんだろうけど。俺はこいつの、ここでの行動を知る唯一の人間で、がっつり関わってしまった。何か言えるとしたら、俺しかないわけで……気は進まないが別の懸念を伝えることにする。
ジェネレション領の砦などを見て実感の湧いた、過去の長い戦い。
「あいつら大らかだけど、頑固だろ……また、争いが始まるかもしれない。介入しようとか、思うんじゃないか」
あんまりべったりで辛いことばかり考えて過ごすよりは、離れた方がいいと思ったんだ。
邪神は首を振った。
「その世界のことは、その世界の者が解決すべきだ。そして私はもう、日本での暮らしを選んだ。そのことについては、様々な覚悟を君から貰ったよ」
俺の覚悟……自分では本気だった。
他人からもそう見えたなら、本気出せてたんだと思えて嬉しいが。
「それでも、変えられないことはある。ここで過ごしたという記憶。命を賭して戦った記憶。大切な人々の記憶……」
それは俺も、こいつほどではないかもしれないが痛いほど理解できる。
聞けば、多感な十代半ばに意識不明だった。
人格を形成し社会性を身に着ける大事な時期を、別の世界で暮らし邪竜対策をして過ごしてしまった。
一々行動やらが浮世離れしているが、その影響は大きかったろう。その後も、夢の中の出来事と割り切れずに引きずっていたんだし。
たった三ヵ月ほど関わった俺より、よほど深く思い入れがあって、人生から切り離せないものとなってしまったのだろうか。
邪神は声を強め、青いオーラを放つ。
「だからこそだ。以前よりも、この場で自由に動けるようになったのは、義務を課せられたために思えるんだ」
ええと、すでに何か思い詰めてないか?
「だから、ただ見守るよ。どんなに今の生活が幸せで、それに比べてどんなに目を背けたい事が、こちらで起きようとも……ただ行く末を、追っていくつもりだ」
邪神の足元が、下に見える世界と隔てるように青さを増す。
「……そこまで決めてるんなら、他に言えることはない」
俺も詰めていた息を吐きだして頷いた。
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