144:マグの親和性

 俺は這いずるようにして、ぐったりと寝そべるスケイルの背に取り付いた。

 再び投げ出されたが前回より速度は落ちていたし、魔技石ポーチの蓋も閉じていたから石も無事だ。

 次でうまくいかなければ、一度この試みは止めよう。


「ちょっと強く掴むけどいいか?」

《ひ弱な主に心配されるほどのことなどない》


 ちょっとどころか全力になると思うが、こう言ってるし平気だろ多分。

 気を遣われたと思って嬉しいらしく、アホ毛を揺らして見栄を張っている。


 そのひ弱な俺に、頭の羽を毟られたことを忘れてるだろ。

 まあいいか、俺も今は忘れていよう。


 次は座るだけでなく、スケイルの首に縋りついた。しっかりとゴワゴワした羽を掴む指に力を込める。

 足腰は心もとないが、俺の身体能力の中で握力は一番マシだと思う。単純に握力だけでなく、把持力が上がったというか。振り落とされないようにするには最善のはず。


 ただしすごく微妙な構図だ。外から見たくない。

 座って飛ばされるなら、諦めて背中に貼りつくしかない。スケイルの首の羽が頬にちくちくするが今は我慢。何か布でも巻いた方が良さそうだな。覚えておこう。


 あーあせめてこれが、もっさい蜥蜴ではなく美女だったら……美女に騎乗、だと?

 ダメだそんな素敵な響きは、いや破廉恥だ紳士になろう。集中集中!


「もう、走ろうとしなくていいから」

《人生を諦めるには早すぎる》

「諦めてねーよ。言い直す。今は、走らなくていい。俺が、まだ慣れてないから無理だ」

《やれやれ仕方のない主だ》


 まだその時ではないのだよ。


 走ってみようとしたのは、そこが最終地点だから、試せるものなら見ておこうと思っただけだ。

 たった数歩でも歩くのを見たからな。一瞬ならいけるかと思ったんだが、そう上手くはいかないか。

 無理なら無理で、次にどうするか指標が得られる。高い目標から徐々にハードルを下げていくのだ。


「初めは普通に歩いてたろ」

《あれが普通と思われては困る。マグ量が足りず這いずるごときであった》


 優雅さが足りないとか文句垂れてたな。


 でも、元々足りない量で無理に移動してくれたんだと、よく分かった。

 俺からは出現する分しかマグを得られないから、肉体の形成分からマグを再利用してるらしいし。戻る時は気持ち悪いゲル状になるのは、そのせいだよな。

 あとは重心移動でやり繰りしているとか?


 俺が頼んだから……。

 つい俺の勝手であれこれやってしまう。

 スケイルは見栄を張って無理をするから、なにがまずいかもわからず頼めば、どんな問題が起きるかも分からない。

 何がと言われれば、健康を損なうとか……こいつに健康?

 とにかく、もう少し相談を心がけよう。


「俺みたいな小走りというか、早歩きはできないのか」

《人族にできて我に出来ぬことなどない!》

「できるだろうが、お前さ、ぶっちゃけ速度の調整は苦手だろ?」


 スケイルは憤慨して空に向かって吠えた。


「グルエェエエエエエ!」

《我が力の前に敗北はないいぃ!》


 のたっ、のたっ。

 右足ぺたり、左足ぺたりと、掛け声とは裏腹にカクカクとした動きだ。


《ふっ……ど、どうだ主よ。これしきの鈍足技術、我が前に捻じ伏せてやったわ》


 鈍足に技術がいるかよ。

 息まくスケイルには悪いが、かなり難しいのは伝わってしまっていた。

 すごい形相で力んで四肢も強張るが、ぐにゃりとすぐに力尽きるし。


 マグ使用量の調整の方は、頼んで一発で変えてきたのと比べて、あまりにぎこちない。これが苦手じゃなくてなんだっていうんだ。

 マグ調整の方が得意なおかげで、以前ほどの気分の悪さもなく俺は助かったが。


 身体能力も並外れてると思うのに、苦手な理由はなんだ?

 十分にマグさえあれば、山の上の魔物だって相手にならないだろう強度がありそうなんだが。


 逆に、得意すぎるから、力を抑えるのは難儀するのか?

 元々敏捷値に特化してる種類なら、それも納得できる。

 どうも分類を見ても、能力的な特徴は人間よりはっきりしてるようだ。聖獣にも補正差があるのかもな。




 一応、スケイルの頑張りで落馬、と言っていいか分からないが、振り落とされることはなかったため、魔技石が続く限りはスケイルの気が済むまで挑戦してもらった。

 休憩を挟みつつ、乗っては走ろうとするスケイルを宥めて歩いてもらうのを繰り返す。

 ただ歩いてるだけだが、数歩ごとにマグ回復小を割ってみた。


《これでは到底走っているとは呼べぬのに、構わぬのか?》

「すぐに疲れるんだろ。俺も、気分が悪くなるよりいいからな」

《我は平気である》


 そう言いつつ、顔が緩んで開いた口から舌が伸びている。

 干からびたように、よれよれと動かれると、あまりに哀れになったのも本心だ。

 でも正直、ここはケチりどころじゃない。

 ここで納得できるかどうかで、先のことが変わる。


「俺も本気だから」

《我が主は、そうでなくてはな》

「まだまだ何も返せないけど、長い目で見てくれ」

《なにを言うか。その闘志が我には何よりの褒美である!》


 そういえば意志が欲しいだとかも大まかな目的は一致したことで、なんとなく理解できた気がして頷いたが、よく考えれば具体的なことは分かってない。


「こんなことでいいのか」

《迷いが消えるというのは、心地よいものではないか》


 なんだそれ、ほんと人任せだな。


《どれ、もう少し張り切ろうではないか。主も気合いを入れて掴まるがよい!》

「やめろまだはや、ぐべっ! ぐぼぼっ!」


 スケイルが前進する度に、俺の口からも不思議な呪文が出て行った。




 体中が重い。

 夢中になりすぎたと気づいたのは、魔技石が尽きかけていたからだ。

 危ねぇ。明日起き上がれないところだ。


 午後のほとんどを潰したが後悔はない。

 俺を乗せて、少しだけ早めに歩く試み。

 その成果は出た。


「どうにか、走った? うん走ったな」

「ゲルゥ……」

《我は異議を唱えたい……》


 不満気にぼやくスケイルの声にも、力はない。


 できたのは小鹿のように、ぴょこん、ぴょこんと跳ねるような挙動だ。そう言えば、可愛いらしい姿に思えなくもないだろう。

 実際は俺が無様に叫びつつ背中の羽を毟りながら縋りつき、スケイルは足を引き摺るように、かっくんかっくんと、シーソーのように跳ねていた。


 どうしても走ろうと意識すると、思いっきり力んでしまうらしかった。ごわごわの羽毛ごしでも、体がバネのように引き絞られるのが感じられ、そのたびに冷や汗を流しながら宥めた。


 洞窟の中で、スケイルが真っ直ぐに突進する姿を思い出す。

 走るというより、弾丸が射出されたようだった。

 あの爆発的な跳躍を制御しようとすれば、相当な苦労があるのだろう。


「グギョレルレッ……!」


 唸り声は、普段より一層可愛さの欠片もないものになっていた。




「きょ、今日は、ここまで」

《無念なり……》


 戻り途でも、スケイルは腹立たし気に、カピボーを舌で串刺しにして飲み込んでいた。

 いつもコロッと切り替わるのに、ここまで後を引くのは、初めてのことじゃないか?


「そう不貞腐れるな。かなりの進歩だろ」

《退化と呼ぶものと習った気がするが》

「詳しくは分かりようもないけど、俺みたいな人族のマグ量で、よくやってると思うよ」


 宥めるつもりで、スケイルがいい気になるように自分を下げつつ褒めたつもりだったが、これにもまた不満を見せた。

 これは、本気で落ち込んでるのか。

 それは、思った理由とは違った。


《主は、ただの人族ではない》

「あ?」


 見上げたスケイルの顔つきから、不満が怒りに変わっていた。

 怒りというより、不快というほどだ。なにか、まずいことを言ったらしい。


《主は、自己を低く見過ぎる》


 お前が言うなよ。

 真剣な様子にツッコミは喉の奥に留めておく。


《この街の人族と比べて、主は随分と余裕がある。いや、以前過ごした場所で見た、どの人族よりも優れたマグの流れを持つ》


 なんと驚きの事実。俺が、自分で自分を貶めるなと、怒ってくれてるのか。

 だったら、普段の言動も……いやそれは価値観の問題もあるか。


「そういえば、どこかで似たようなことを聞いたぞ」

《なに? 我に劣らず気付く者が、人の中に居るのか》

「あ、ビオだ。聖者だよ。お前の居た研究院にいる人だ」

《ほう、人間でありながら、なかなかの鼻を持つようだな》


 鼻、なのか?

 魔素のにおいがどうのと言うのは、ただの表現だと思っていたが……。


「森葉族だから、特に敏感なんじゃないのか」

《なんと、まだ森葉族に、聖質の魔素を持つ者が残っているのだな》

「まだってなんだよ」

《最も魔素と親和性の高い種族だ。いや、最もと言うならば樹人族なのだが、あれは特殊な例だ……それはともかく、その性質ゆえに人類で聖魔素を失うのは、森葉族が最も早いだろうと言われていた》


 えっ、なにこいつ。突然、重要そうなことをぺらぺらと。研究院で得た知識って、機密じゃない?


「それ、俺が知っていいの?」

《人間にとっては随分と昔の話ではないか?》

「それもそうか」


 時効ということにしておこう。


「それで、その親和性とやらが、どう聖魔素と関係するんだ。魔技を使うには、ぴったりに思えるけど」

《まさに、そこだ。余りにマグを感知しやすい弊害だ。聖魔素が減少を続ける現世には、邪魔素が満ちている。邪魔素は、生きし物の肉体に浸透し易いものだ。それらと触れることが多い者の肉体も、自然邪魔素に満ち、我らは押しやられる》

「引き寄せやすい上に、さらに取り込みやすい体質だから」

「クァ」


 なぜ聖獣が、邪竜に敵対するか聞いたときの話だ。

 どうも、世の中には魔素が存在できる量のようなものがあるらしいということが、聖者減少にも関わっていたとは。

 邪魔素が増えれば、隅に追いやられて生きるという訳にはいかない。邪魔素の浸透し易い性質によって、消されてしまうらしいからだ。


 方や聖魔素は、維持しようとする性質があるのか、取り込もうとする邪魔素共々破壊してしまう。

 根幹の魔素は同質ということから、聖魔素の方は邪魔素の質を書き換えることができるらしいが、少量で変換速度は緩やかだ。


 聖魔素が増えすぎることはないだろうが、存在が強すぎて増やすこともできないように思う。

 人間にとっては、どちらが増えすぎても生き辛いことになるんだろう。


 思えば、敵を同じくするから、人と手を組んでいるだけのような。

 だとしたら、いずれ敵対するんだろうか。


《なかなか主も調べているようで見直したぞ》

「本に書かれてることくらいだけだ」


 スケイルの冠羽に動きが戻った。機嫌を直したらしい。

 ほっとすると、俺も顔が緩んだ。


 敵対……そんなの、人間同士も同じじゃないか。


「あのさ、スケイル。聖獣が人と寄り添おうとしてくれて良かったと、俺は思ってる」


 きもい、面倒と思いつつ、話す相手がいることは素直に嬉しかった。

 俺ちょろすぎ。

 ずっと一人だった弊害かもな。

 それでも、いい相棒ができたと思う。


 前の主を亡くしたことに思い至ったとき、俺には重い空気を見せた。

 それで話し辛いと感じたが、それは俺の気分の話だ。スケイルが嫌がらないなら、もう少し昔の話でも聞いてみようか。


 どのみち、この疲労具合いでは夜の討伐は厳しい。今晩は早めに休むついでに、のんびり過ごそう。

 そう思っていた俺の前を人影が遮り、立ち止まった。


 砦兵の鎧姿。

 メタルサとヴァルキだ。


 ヴァルキは、スケイルを目に留めると気まずそうに視線を逸らした。

 メタルサは、厳しい顔つきで俺を見る。まるで、初めて会ったときのようだ。

 また、俺がしでかした何かに怒っているんだろう。


「砦長、フロンミ・ショーンが、面会したいとのことだ。今から時間を貰えるか」


 まずはギルド長かと思っていたから、意外な呼び出しに驚いた。

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