139:お守りと英雄
俺は頭を抱えていた。
「これじゃ、どうにもできないじゃないか……」
聖獣を手に入れたことを、ことさら気にすまいと、何を突っ込まれてもいいようにあれこれ考えていたはずだった。
別に起こったことは仕方ないからいいんだ。ただ騒ぎになるのか、いつものように訳の分からないことで流されるのかと予想もつかないから、動揺しすぎないように身構えるためだ。どうせ俺のことだから無理だろうけど。
特に今回は、不安な要素がでかすぎる。
「全部、コントローラーのせいなのかよ」
「グルル?」
まさか、冗談で思ったことが真実に近いのか?
実はこの世界に呼ばれたのはコントローラーの方で、たまたま俺が手にしてたから巻き込まれて来ちゃったとか悲しすぎるんだが……。
とにかく聖獣のことだ。まずは大枝嬢とでも、それとなく話してみようと画策していたというのに。コントローラーが絡むなら、それもどうなるか。
契約するには、聖獣のランクに見合うマグ量が必要らしいことは知られているようだった。マグ感知がナチュラルに備わっている他人種の中に居ては、黙っていれば分からないなんてことはないだろう。
幾らスケイルが調整したと言おうと、人族のマグ量の少なさは誤魔化しが利かないレベルだよな。それに、そんな能力があるなら図鑑にだって真っ先に書かれてそうなもんだ。
コントローラーが俺の体の一部だと思えたが、感傷めいたものだけではない。
スケイルの言葉の端々にも、そういったことを感じられた。
俺自身の肉体に関してはマグはないと言い切るのに、体の一部に融合するらしい契約では、コントローラーを俺の体のように言っていたりだ。
スケイルは目に映る物をそのまま受け入れているんだろう。細かいことは俺から聞かないと知ることは出来ないし、まだまだ齟齬はありそうだな。
取っ掛かりも分からないもんは脇に置くとして。
「他の奴と話せないのか?」
《なぜ、そのようなことをする必要がある》
一人としか会話できないらしいから、言って欲しいことを決めて、誰かに伝えてもらうとか。俺が言い張るよりは真実味があるだろう。その間は何を言ってるか分からなくなるが、こいつのことだから勝手なことを言われそうなのが不安だ……。
他に俺の体にないはずの聖魔素の在り処について、理屈はつけられないのかな。
「そ、そうだ、聖獣は邪魔素を聖魔素へ変換できるというし……」
《先ほどから様子がおかしいが主よ、我は悪だくみには加担せぬぞ》
「ぐぬー! 変なところで融通が利かねえな。あーでもないこーでもない……」
《聞いておらぬか。ふむ、なれば今の内に……プルァーッ!》
スケイルの舌が魔技石のポーチに伸びるのを、無意識に掴んで引っ張り上げる。
《つい魔が差したのだ! 悪だくみはせぬと言ったからには、我も守らねばならぬよな!》
手を離すと、舌はバチンとスケイルの眉間を弾いた。ゴムかよ。
「……ピルゥ」
「これ以上考えても無駄だな。一度、戻るか」
舌でアホ毛の毛づくろいをするスケイルを、げんなりと眺めつつ溜息をついて立ち上がる。
《主よ、客人だ》
驚いて振り返る。
ちょうど声をかけようとしていたのか、木に手を付いて顔を出しているのはシャリテイルだった。
「私の気配に気づくようになったのね」
「俺じゃないよ」
「クァ」
鼻高々に舌を手のように掲げて自己主張するスケイルに、シャリテイルは微笑みかけた。
この気持ちの悪いものを見ても、そんな風に優しく笑いかけられるとは、さすがシャリテイル。
「なんだかタロウも、その子も疲れてるみたいね」
「……ちょっと、色々と試してたんだ。ああそうだ、こいつの名前スケイルっていうらしい」
《なぜ省略したまま紹介するのだ》
「こんにちは、スケイルくん」
ふとシャリテイルの笑顔が翳って見えた。
怪我が後を引いてる?
「シャリテイルの方こそ、疲れてるんじゃないか?」
「クゥエー?」
《マグ量は戻っているようだぞ?》
スケイルの言葉に、少しほっとしつつ経過を尋ねる。
「怪我の方はいいのか?」
「ドラグに傷を塞ぐ葉っぱを貼り付けられたから、数日は足技が使えなくて不便なくらいよ。体調はいいわ」
足技って……。
あれだけの出血だったし、元の世界なら縫うような傷のはずだよな。
「葉っぱって、前に鼻に貼ってたやつ?」
「そう。回復薬をべったり塗ると、人の肌によくくっ付くから治療に使われているのよ」
えらく診察が早いと思ったが、そういう処置で済むのか。傷薬の癖に回復薬なんて曖昧な名前なのも妙だと思ってたけど万能なんだな。なるほど、冒険者があれ一つを持ってればいいのも納得。
「昨日のことだけど、ごめんなさいね。私から約束したのに」
シャリテイルがなんの伝言も残さずにいたなんて、よっぽどだ。
「いや、いいよ。忙しいんだろ?」
俺とは違って、という言葉は飲み込んだ。そんな自虐ジョークが通じるような雰囲気ではない。
「この後、暇ある? ちょっと、話したいことができちゃった」
「もちろん。そういう約束だし」
どこか違うと裏付けるような言い方だった。
いつも押し切るのに、こんな風に聞くなんて初めてじゃないか?
よっぽどコントローラーが気になってるんだろうけど、なんとなく、それだけではないと感じる。背筋がざわつく、なんて言うと、まるで嫌な予感みたいだ。どうにも落ち着かない。
「場所を移動していいかしら」
ただ頷いて、静かに促すシャリテイルの後に続いた。
俺たちは南の森の中ほどにいたが、そこから東へ歩き南街道を横切って、祠側の森へ進む。
以前だったら歩きながらでも、すぐに根掘り葉掘り聞いてくるだろうに、今はまったく触れようとしない。
「この先の崖の上まで行くわ。洞穴には入らないから安心して」
げっ、と思ったが崖の上?
そう言ったが白っぽい木々の中ほどで、シャリテイルは足を止めた。祠だ。
「ここであなたを見かけたのが、ついこの前だなんて思えないわね」
「この前って、結構経った気がしてたな」
もうすぐ二ヶ月くらいか。
長いのか短いのか、微妙な期間だ。
「忘れたの? 人族が冒険者として、それだけの期間をこの街で過ごしただけでも大したものなのに、残した功績も呆れるほどよ」
「そんなことはないだろ……」
「まったく、まだそんなこと言ってるのね。少しは誇りなさい?」
どれが功績にされてるんだろうな?
自分で思い返しても草しか生えてないんだが。
ただ、シャリテイルの呆れも、今なら少しは理解できる。この街の奴らもそうだもんな。極々当たり前に自ら鼻にかける。謙遜する方が嫌味だと言う。
さすがに誰でもそうあるべしといった価値観を受け入れるなど、俺には難易度が高いけど。
この最弱具合じゃ、威張れないだろ。
それにしても、この言いようだと、この街の冒険者として俺を受け入れてくれてる、信頼してくれてるように聞こえる。
いつも他の目的が先にあって、それだけだと思っていた。違うんだろうか。
急に、罪悪感みたいなものが湧きあがる。
シャリテイルは以前そうしたように祠の入り口に立ち、聖なる鎖に触れるようにして奥を覗き込んだ。通路は曲がってるから、奥の石の部屋が見えるわけではないが、他の何かを見ているように。
あることに気付いた。
鎖に舌を伸ばして嘗めようとするスケイルの顔を鷲掴みにして押しのけ、シャリテイルを咎めるように言ってしまう。
「なあ、そこに触れるのだって痛むんじゃないのか」
コントローラーに触れたときも、聖魔素で苦しそうだったろ。
「ちょっとだけ、我慢してるの」
なんで、そんなことを?
「あー……俺、初めから失敗してたんだな」
「そうね。あなたは平気で触れていた。だから私も、平気なふりしてみたの。でも、他にはなんにも妙なところはないんだもの。不思議だらけだったわよ」
ぱっと手を引いたシャリテイルを見て、情けなくて頭を掻いた。いつもながら俺の行動は穴だらけらしい。
全部は話せないし、どうにもできないことを聞かされても困るだろう。
だけど――せめて、コントローラーで何をしようとしたかくらいは話そう。
「このお守り、敵を倒したとき限定なんだけどさ……傷が、塞がるんだ」
真っ直ぐ目を見てとはいかなかったが、一拍区切って言葉にした。
どんなことでも、言葉にしてみれば大したことなんかないように思えてくる。
限定の状況と言ってみて思い至った。レベルアップ時だから誤解していたが、それだけのマグ獲得量が必要とか、そういうことだったのかな?
しばしの、沈黙。
シャリテイルは口をつぐんで、何事かを考えている。ようには見えないな……真面目くさって俺の顔をじろじろと見ている。
「ふぅん?」
やがて出てきたのは、生返事だった。
「なんだよ、ふぅんって。それだけ」
「なるほどねって、思って。それじゃあ、話せないわよね」
「それだけ、なのかよ」
シャリテイルは笑いを隠すように口を尖らせる。
変顔はやめろ。なんで……笑顔になれるんだよ。
「私だって、話せないことはたくさんあるわよ? コエダさんや他のみんなだって、きっとそう。だけど互いに信頼してるのは伝わってくるもの。今、タロウは同じ冒険者でしょ。この魔物のいる場所に、あなたは立ってる。それで、いいのよ」
思わず、目を逸らした。
「でも、私は今からそういったことを話そうと思うの。聞いてくれる?」
どうも、スケイルを拾った時とは違う。コントローラーのことを聞きたいと思っていたのに、シャリテイルの方が話したい?
緊張に言葉がつまった。
いつも俺の同意なんか丸無視の癖に、本当に、なんでこんな時だけ聞くんだよ。
それは、俺が聞きたくないかもしれないことが含まれているという意味か?
それとも、その話せないことの方なのか。
シャリテイルの場合、口にした以上は、自分の感情と天秤にかけても話す方が重要だと判断したんだろう。
俺は何も知らないんだ。わざわざ、なにかを伝えたいというなら断る理由はないはずだ。その対価に何かを得たいのだとしても。
でも俺は、自分のことなのに、何もはっきりしたことは答えられない。未だに、自分に何が起きてこうしているか分からないんだから。逆に罪悪感が湧く。
でも、思い切ろう。
「なにか知りたいなら、聞いてくれればいい。俺に答えられることなら、話すよ」
「別に無理をして話そうというつもりはないの。これも、私の勝手だから」
早とちりだったのか?
気まずそうに笑うシャリテイルに、俺は黙って聞くと伝えた。
「邪竜の封印が、レリアス王立研究院に属する聖者に託されたのは、知っているかもしれないわね」
研究院と聖者はゲームに存在しなかった。俺が知っているのは、ゲームの主人公である英雄が邪竜を封印したということだけだ。
「この封印を成し遂げたのは聖者の一人で、シャソラシュバル――その称号を賜った人。正真正銘の英雄よ」
聖者だった? ってことは、そいつも研究者だったのか。意外だ。英雄だとか、騎兵がどうのと聞いたから、てっきり武闘派だと思っていた。
シャリテイルは一度口を引き結んだ。緊張した顔がこちらを向き、俺も聞き逃すまいと構える。
「彼は、人族だったの」
やっぱり、人族か。
それで?
緊張したまま続きを待つが、シャリテイルの表情はさらに強張ったようだった。
ん? まさか、それだけ?
「やっぱり驚かないのね」
「驚くところ、なんだ……?」
ふはーとシャリテイルは項垂れて息を吐きだした。
「なんで……あ!」
言いかけて思い出した。
初めはゲームとの共通点ばかり探っていたから、自分の役割なんかを考えていたじゃないか。幾ら人族に厳しい環境だと言われても人の感情がコントロールできるはずない、人族の英雄が存在したならなおさら、俺以外の冒険者が存在しないのはおかしいってさ。
「……まさか、知られてない?」
「その、まさかよ」
やっぱり、いくら覚悟してようと思いがけないことには動揺してしまうな。
「前に、シャソラシュバルのこと聞いたでしょ? まるで、『誰か』特定の人を指してるみたいにね。だからタロウは……英雄のこと知ってるんじゃないかなって」
いえゲームのデフォルトネームだっただけです……。
「もしかしたら英雄と同じ隠れ里出身、もしくは彼の家族じゃないかしらって思ったの。そうしたら、失われたはずの聖なる小道具を持ってるんだもの。英雄の話を聞いて育ったなら、人族がこの街を目指してもおかしくないものね」
「でも、だったら、他の街にいる隠れ里出身の人族の冒険者が、この街を目指してもおかしくないだろ」
「そう、それなのよ。タロウがずれてるのは」
し、失礼な。
「隠れ里が幾つも存在するからというのもあるけど。だって彼は……」
なぜかシャリテイルは真剣さを増した。
「彼は最期まで、人族ということを隠してたんだから」
最後って、死ぬまで?
「彼が研究院に属したのは、隠れ里にも知れていたでしょうね。でも英雄の名を戴いてからは、信頼できる故郷の隠れ里の人々に協力をお願いして、他の隠れ里を近隣の国に属するよう働きかけたと聞いたわ」
唐突に、身近で遠い存在だったゲームの主人公の背景が現れた。
知らないことが山盛りだ。
「な、なんで、隠れなきゃならないんだよ……」
どうにか絞り出したのは、話を逸らすようなツッコミだったが、それも地雷だった。
「人族なのに、聖魔素を体に宿していたからでしょ。それどころか、彼は始祖人族と呼ばれる肉体を持っていた」
始祖人族。
聞きなれないが記憶に引っかかる言葉を口の中で呟く。どこかで聞いたぞそれ。
もう関係ないと、すっぱり頭を切り替えたと思ったのにこれだ。
どうしても、ゲームのことが引っかかる。
「待ってくれ、最後までってどういうことだ?」
そこ重要じゃないか?
なにがどうとは言えないが……そうだ、なんでシャリテイルは知ってるんだよ。
「封印には、大きな結界石が必要だった。でも、それだけ強力なものだと、幾ら聖者でも扱いには注意しなければならない」
なんだか嫌な結末を予感させるが、その先は想像通りだ。
「彼は封印を成功させるため、結界石と一緒に、この中に入っていった。青い光が走った後には分厚い透明な壁が阻むから、中を確認することはできないけれど、彼は結界の一部になった。そう、聞いたわ」
それって、どういうことだよ。いや分かりたくないというか。
「し、死んでる……!?」
って、ことだよな。
……俺は、その結界石の側に湧き出たんですけど?
狭い場所で、出口を探すのに中心の石を回り込みながら壁伝いに出たが、躓くようなことはなかった。
人骨のように、大きな障害物は無かったはずなんだ。
「……邪竜を封じるほどなら、結界石は相当でかいんだろうな」
「ええ、その上彼にしか触れられないほど強力だったから、背負って移動したそうよ」
「背負う? 両手で担げる程度の大きさなのか」
「背負わなければならないほど、大きなものよ。今だと作れるか分からないほどのものなのよ?」
違う――。
言いかけて口を閉じる。俺が見たのは、大人の背丈ほどあった大きなものだ。そう、ちょうど人族の平均的な背幅はあって……嘘だろ。
まさか、そいつは結界石と、同化しちまった、のか?
「どう? あなたの知ってることと、知らないことの擦り合わせができるかと思ったの。逆に、私にとってもよ……話したいのは私の勝手というのは、そういうことなの」
「あ、ああ、分かるような気がする」
「長くなったわね」
またシャリテイルは歩き出した。崖に行くんだったな。
今の話だって、かなり重要だと思ったのに、前置きだっていうのかよ。
シャリテイルは、俺にも隠したいことがあるだろうと思いつつ、どうにか知らない情報を得たかったのか?
英雄のことは話せなかったのか、話したくなかったのか知らないが、世に知られてないことだ。聞かされたことが真実かどうか、俺に確かめようもない。けど作り話にしては、端々にこちらでの事実や、俺だけが知ることとの繋がりが見える。
だから、それを対価に聞き出そうとしてるのか?
違うよな。
そんなことしなくても問い詰めれば良かっただろ。人族なんて弱いんだから、どうとでも出来そうなもんだ。
今聞かされたことだけでも、一住人のシャリテイルが知るには重大すぎることが気になってきた。個人的なことで片づけられる規模の話か?
多分、大枝嬢にさえ話してないはずだ。ギルド職員だし、ギルド長がこの国の貴族でもあるなら、祠に触れる不審人物なんて真っ先に伝えるだろう。
英雄シャソラシュバルは人族だった。
なぜかシャリテイルは、真っ先にそれが浮かんだんだ。そいつが秘密主義だったと知っていたから、俺も隠して当然と思って、ずっと様子を見ていたのかもしれない。
なら、これから話すことは、それに関することなのか?
ゲームの主人公が人族だということが、こうも重要だとは思わなかった。
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