077:夕日
俺はランタンの薄ぼんやりとした灯りを頼りに、地面いっぱいにひしめく苔草を引っこ抜いて回っていた。
「はいっ」
「ブビビヴーッ!」
水がどこからか滴って壁を湿らせ、心なしか空気がじめついている。
暗い洞窟の奥で空気の流れが悪いのか、それとも気分のせいか。息苦しい気がして、首元にまとめていたポンチョの端を引っ張り緩めた。
「えいっ」
「ヴァビブベヴォッ!」
水は床まで滲みており、それがこの群生を作るのに貢献しているのだろうことは想像に難くない。
苔草の表面から滴る粘液質の液体も相まって、至る所がぬかるんでいる。足を滑らせないようにと、慎重に手を伸ばす。
「ぽかぽかっと」
「チキェキュケケッ!」
てらてらと照り返す歪なキノコを、しゃがみ込んで毟っていると気が滅入った。
……なんだ今の声。
通路の暗がりで魔物討伐していると思っていたシャリテイルだが、振り向けばそこにいた。こえぇよ。
「タロウ。その手さばき、見事ね。スバラシイわ!」
一々魔物に怯えていたら仕事が終わらないし、周囲の様子を意識から断ち切って作業していた。
「なにを倒してたんだ?」
さっきの魔物の声には聞き覚えがない。
「コイモリよ。黒くて平べったい羽を広げて天井にみっしり張りついてるから、一気に来られると面倒なのだけど、今朝はしっかり討伐されてるようだから数匹いただけ。残念だったわね」
残念感はこれっぽっちもないです。
シャリテイルによれば、ここでのコイモリは飛ぶというより跳ぶらしい。
跳躍力の問題か、狭い洞窟内通路を好んで徘徊しているそうだ。
「そうか、コイモリか」
コイモリはゲーム中レベル17の魔物で、コウモリの羽が生えたイモリだった。
いつもながら何かを混ぜ合わせただけの姿に、なんのひねりもない名前だ。
こいつはハリスンほどではないが素早さもそこそこある。俺が知っているのは数値上の話だが、聞いた限りでは、そう差はなさそうだ。洞穴面では最も雑魚にあたるモンスターだったから、数がいるのも意外じゃないな。
特殊攻撃は、細長い舌による貫通攻撃……天井にみっちり。
絶対に会いたくねえ。
「また一人でにやにやしてるわね」
「どこがだよ」
作業の進みはどうかと、全体を見回した。湿って、より黒ずんで見える地面が、かなりあらわになっている。半分は超えたよな?
今日中にいけそうだが。
「時間は、どのくらいある」
「気の済むまでやっちゃってくれても構わないのだけど。そうねー、まだ午後も半ばだから」
「なら終えられるな」
むしった苔草を、とりあえず放り投げてできた山を見て気付いた。
「たしか、洞穴の周辺に埋めるとか言ってたよな」
「ええ」
「どうやって持ち出すつもりなんだ」
「道具袋があるじゃない?」
なんとなくそうかなって思いつつ、聞きそびれていたけどさ。道具袋って、粗い目の布製だぞ。
ただでさえ苔草はぬめってるというのに袋は隙間だらけだし多くを詰めないと移動が大変だ。だからといって詰め込んだら変な汁が出るし肩から担ぐか腰にぶら下げることになるがどっちにしろ……めちゃくちゃ汚れるじゃないか!
やっぱりカゴは必要だったな!
カゴだって滴ってたけど、詰め込まなくていいだけマシだった。
でも何度も運び出して戻る時間を考えたら、なるべく詰めるしかないか。うう、潰れてえぐい苔草シェークができそうで嫌だな。
「はーしかたない……邪魔だし、一度運び出そう」
「それが良さそうね」
道具袋を取り出し、膝の高さほども積んでしまった茸の山へ近づき屈む。袋を広げて片手を伸ばし、ぐにゃっと山の上から掻き込んでいく。
シャリテイルは器用に幾つかずつ手に取り、ぽいぽいと放り込んでいた。
「よく滑らずに摘まめるな」
「そういえば、滑り止めの加工してあるからじゃない?」
「へえ、そういうのもできるんだ」
俺のグローブもそこそこ優秀だと思うが、滑り止めの機能はないらしい。
「適当にてんこもりで高いの作ってって、お願いしたから多分ね!」
いい加減だな。ちょっと期待しただろ。
いやストンリに相談すれば、何かは提案してくれそうだ。防具を受け取りに行くときにでも聞いてみよう。
「今日は道具袋を多めに持ち歩いていてよかったわ。四袋あるの。二つくらい持てる?」
俺も大中と合わせて四袋はあるが、仮に大サイズが倍増えたところでなんてことはない。大きめの枕くらいだし。枕と違って丸々と詰められるが。
それらを担いで移動して疲れを感じないんだから、以前の体と比べると随分とパワーアップしてるのにな……。
「全部持つよ。戦闘に邪魔なんだろ」
「助かるわ!」
縛って束ねたものを肩から吊るすのは、さすがに食い込んで痛いか。
試しにと、ポンチョを脱いで広げ、道具袋を包んで縛り背に担ぐ。シャリテイルが風呂敷包みを背負って旅立った姿を思い出した。あの姿を笑えないな。
そのまま歩いてみるが、あまり水が染み出てこない。おお、これは歩きやすい。
ポンチョ万能説。俺の中で劇的浮上!
「よし、行こう」
機嫌よく移動しながらも周囲を見ていて、分かれ道を過ぎた。もうこの先は一本道だ。魔物は奥の方から近付いてくるのだと、ふと思い出した。
今まで奥で足止めしていたなら、戻りはなにも出ないんじゃ。俺は荷物の持ち損だったりするのか?
いや、身を守ってもらってるのだからそんな不満はお門違いだ。というより、シャリテイルは楽しようなんてそぶりは全くないしな。
「こうも魔物が出ないと、そわそわするわね!」
戦闘狂かよ。
「出口に向かうほど、魔物は出ないんじゃないのか」
洞穴の外から魔物が入り込んでくることがあるなら話は別だが。
「どこか穴が開いてないとは限らないのよ?」
「ああ、崩れやすそうな壁だよな」
「硬い岩盤も見つかっているから、全崩壊はないらしいけれど。でも、魔物が少ない内に急ぐほうがいいわよね」
警戒のために普通に歩いていたが、多少ペースを上げることにした。
洞穴を出てすぐ側の、人があまり通らないという木々の狭間へと、苔草をぶちまけてからすぐに戻ったが、すでに苔草広場より手前まで、魔物がちらほら出だしていた。
シャリテイルはまったく気にしていないようだが、俺は魔物の数が増えることが気になってくる。幾らシャリテイルが強くとも、一人でカバーできる範囲は限られているだろう。
とはいえ俺にできるのは、なるべく急ぐことだけだ。
むしるスピードを上げようとすれば、軋むように鈍る腕の筋肉。
その叫びを無視して、俺は人族の限界に、挑む!
ぬおおおおお――――っ!
「おっ、先客か? ってタロウじゃねえか!」
俺の気合いは霧散した。
「なにぃ? おおっ希少種冒険者がこんな穴倉に!」
「見ろよ、あの苔草の山。こりゃあ本物だぜ!」
「つるんつるんした床が、綺麗さっぱりじめじめするだけの地面に変わってるじゃないか!?」
どうやら午後に巡回予定の冒険者たちのようだ。やかましいが、これで魔物の心配はなくなったな。ほっと息を吐いたそばで、雄叫びが響いた。
「ひゃっほーい! 飛んで跳ねても転がらないぜーっ!」
「滑り込んでもいけるな!」
奴らはびょんびょん垂直跳びしたりスライディングし始めた。なんなんだ、この喜びようは。
「そういや依頼を出しはしたが、えらく早く来てくれたな。ありがてぇ!」
「おう、みんなで頼もうぜって盛り上がってな。お小遣いから少しずつ出し合ったんだぞ!」
おこづかい……カンパで成り立っていたのか。
「そうか。喜んでもらえたんなら良かったよ」
「ばばーんと報酬を弾んだからな。頼むぜ! ここはけっこう大変な場所でな」
笑顔になれる仕事って素敵だねってことで終わりたかったが、俺の耳は不穏な言葉を無視しきれなかった。
「ほう、そんなに大変な場所、だったのか」
「この辺、細い道が続くだろ? 広い場所がここしかないもんだから毎日魔物が吹き溜まってな」
「そうそう、魔物がおしくらまんじゅうしてんのよ」
「今まで苦労したんだよなあ。がははははっ!」
聞き捨てならないことを聞いたああっ!
シャリテイルうううぅ!
「ずしゃーっ! あはは、楽しいわねこれ」
一緒にスライディングして遊んでんじゃねえ!
「じゃあ、頼むわね」
「おうよ。この先は俺達に任せて存分に刈りな」
「……こころづよいよ」
俺は無気力に冒険者たちを送り出すと、何事もなかったかのように仕事を再開した。
そうして運び出しては戻りを何度か繰り返し、俺は最後の敵の前に立った。
「遺言は死んでから言え……よしっ終わりだ!」
とくに惜しむこともなく首を討ち取った。
「今の呪文はなんなの?」
「な、なんでもない」
しまった。思わず妄想を口にしていた。まさか、今までも無意識に喋っていたらどうしよう……。そうだ何事もなかったふりをするんだ。
「さあおわったぞ。あとかたづけをしようじゃないか」
「あっそうよ、急ぎましょう! もちゃっとしたこんな場所からは早く出たいものね」
シャリテイルはジャブを打ち込む勢いで、苔草の袋詰めを済ませた。
今まで、本気を出してなかったのかよ。
午後の巡回当番らしい冒険者たちが来てくれたお陰で、シャリテイルも魔物を殴る手を苔草殴りに変えられた。後半を早めに片付けられたのはそのお蔭でもある。
やはりいつ来るかもわからない魔物を警戒し続けるというのは、ベテランでも大変な苦労があるのだろう。
……冒険者が当番。
俺の中にあった、世界を股にかけて賞金稼ぎで生きる思い切り自由業なイメージの冒険者像は死んだ。
そう言葉にすれば、現状でも間違いではないような気がしないでもないが……。
まあいいか、もう出られそうだ。
荷物をまとめて、そんなことをぼんやりと考えているとシャリテイルが戻る姿が見えた。
「残ってるものは、なかったわね」
シャリテイルは、奥の通路に差し掛かるあたりの壁の窪みまで、苔草が残っていないか確かめていた。
どうせ種だか根というか菌糸だろうか。残ってるんだろうし、苔草の復活は避けられまい。
「また、ぼちぼち生えてくるだろうな」
「そうなの。気が付いたら居るのよね」
「今後は応援を呼びかけたらどうだ? 通りかかるたびに一つずつ引っこ抜いてくれとかさ」
シャリテイは俺の提案を吟味するように、宙を見上げると片頬を膨らませて、その頬を人差し指でぽんぽんと叩く。
森葉族の身体能力なら、水中でバブルリング衝撃波とか出そうだ。
それはともかく、そんなに考え込むようなことか?
自分で言っておいてなんだが、小学生なみの提案だと思う。
生えたのを見つけた時は、群生する前にすべて取れよと言いたいところだが、しゃがんでちまちまやるのは辛いらしいから無理は言えない。
とはいってもな。
自分の体で種族特性を実感しているというのに、あいつらを見ていたら身体的な理由より、精神的に苦痛だからという理由の気がしてならない。
「うん、そうね。それギルド長に伝えてみるわ。じゃあ戻りましょ!」
算段が付いたらしい。シャリテイルはうきうきと歩き出し、俺は溜息をつきつつ荷物を担いで後を追った。
ようやく終わると通路を歩いていると、気にかかっていたことを思い出した。
「そういや前の素材。トキメに預けておいたんだけど、受け取ったか」
「いけない、伝えるの忘れてたわね。ありがとう、もちろん受け取ったわよ!」
良かった。
短い間とはいえ、ギルドの職員の誠実さは見てきて分かっているつもりだ。
そういうのとは別にしても、初めてのやりとりは緊張する。
「選別する時間もなかったし、そのままストンリに売り飛ばしておいたわ。また何か面白いもの作ってるかもよ?」
「ちょっとまて」
なんてことをするんだよ!
俺、装備を依頼しちゃったばかりなんですが……。
初めて手に入れるまともな装備なのに、余計な改造されたらと思うと不安だ。主に見た目的な意味で。
もう遅い気もすると、肩を落として歩いていた。
このまま洞穴を出ると思ったが、シャリテイルは間もなく足を止めた。
いきなり止まるなよ。
ぶつかるほど距離を詰めてはいないが、魔物が出たのかとどっきりするじゃないか。
「ね。早めに終わったから時間が余ってるの。ブンブン君と戦うでしょ? あっちに少し気配があるわよ」
俺のどっきりは、半分当たっていた。
立ち止まったのは、分かれ道のある場所だ。
先に進んだやつらがいるのに魔物がいるってことは、こっちの行き先はまた別の魔脈に続いてるんだろうか?
「いや、もう十分」
「え、あんなに眉間に皺を寄せてしょぼくれた顔で言い出したのに? 良い機会だから稼いじゃうといいじゃない?」
俺はそんなに暗い顔してたのか。
だとしても、なにを嬉しそうにそそのかしてくるんだよ。
「そりゃ、少し、悩んではいたけどさ……」
「なら問題ないわね。まだ体力か有り余っているのは分かってるわよ」
やけに押してくるな。
またなにか裏でもありそうな。
「それってシャリテイルの方の都合?」
「なによ、疑り深いのね。親切心と好奇心が奇跡の融合を遂げただけなんだから、素直に受け取りなさい?」
「帰ろうか」
俺が歩き出した刹那、背中の荷物が重量を増した。
「ふぉっ」
こっ、これは幻の重力魔法!?
「んなわけあるか。シャリテイル、離せ」
「ねぇそこのお兄さん、入りたてのブンブンなカラセオイハエだよ? すぐそこに活きのいいのがいるのよ?」
「なんの呼び込みだよ!」
荷物が軽くなり、代わりに行く手が阻まれた。
腰に両手を当てて、きりっとした表情だ。
「タロウって、お気楽に来るようなヤツかと思えば、なんやかや気を遣うじゃない? それって、私が最弱じゃないって言ったこと、気にし過ぎちゃってるのかなって」
意外なのは、俺の方だ。
そんなこと、気にかけてくれていたとは。
なんとなく顔が熱くなるが、ひとまず置いておくとして。
「それと、ブンブン君を倒すのに何の関係が?」
あ、呼び方が移っちまった。
「そりゃ、稼げないって悩んでると聞かされては、手を貸さない訳にいかないでしょ?」
「俺は稼げないのを嘆いてたわけじゃないよ。ただ、少しでも強くなりたいって」
「あれ……同じじゃない?」
自分の頭を拳でぐりぐりとしだした。
いつもよく分からないことで悩みだすな。
「まあ、強くなるにも場数を踏むのは大切よね!」
あ、やばい。
これはまた突っ走る予感!
牽制しろ!
「俺は、追い込み漁できる場所を探してくれと言ったわけじゃない!」
焦って勢いつきすぎた。
怒鳴るように吐き出した言葉が洞窟内に響き、心なしか遠くから物音が反応したような。
「……ヴブンブー」
発生源が近付いてきた。
馬鹿か俺は。
結局、カラセオイハエを倒す羽目になり、俺は地面に転がる殻を通路の隅へと重ねる。
少しだとか言いやがって、グループで飛んできたじゃねえか。
シャリテイルはあっという間に片付けると、ご丁寧に残した一匹をこっちに誘導しやがった。
「ノリノリだったじゃない?」
寄越されたら倒さない訳にいかないだろ。
シャリテイルは罪悪感からなのか手伝おうとしてくれたらしいから、それに文句はない。
ただ、真面目に宣言しておこう。
「俺、こういうのは嫌だ」
なにを贅沢言ってんだよ俺は、と思う。
だけどさ。
「こんなんで、一人前になれると思うか?」
シャリテイルは、困ったように微笑んだ。
俺の中では正しくとも、シャリテイルの中では別の答えがあるって表情だ。
でも、危険な場所で魔物が待っていてくれるのかと。
はるかに強い奴が場を整えてくれて、ぬるい戦いをこなして、それが身につくかよと。
素人同然の俺が、シャリテイルにこんなことを聞かせるなんておかしいだろう。
俺の考え方は、以前の生活の中から生まれたもので。
さして社会も知らない俺が、仕事のやり方に持論を語るのは滑稽だろうさ。
これは、下らないプライドなのかもしれない。
「もう少し、頑張ってみたいんだ」
だけど、今ここで悩んで立ち止まってるのは、自力で抜け出さなきゃならないことだと思うんだよ。
漠然とだけど、そうしなければ、先に進んでいけないような気がするんだ。
「そう」
シャリテイルは短く答え、納得したのか満足気に笑った。
「せっかくの心遣いだけど、これで十分だから……」
「うん、わかった。タロウがそう言うなら、その邪魔はしないわよ」
思えばシャリテイルは、いつもこうだった。
はっきりと伝えると、それ以上は何も言わない。
だけど、その応援はしてくれるというか……まさか、また何か曲解してたりしないだろうな。
空は陽が傾きはじめて、夕日がまぶしい。
明るい場所で見たシャリテイルの姿はひどいものだった。
全身どろどろ。
女の子なのに。綺麗な髪……いやいつもブラシ通してるのかっていうほつれ具合だった気がするがそれはいい。
髪もあちこちべったりと固まっている。
俺はもっとひどいだろう。
「楽しかったわね!」
それでも、にこにこと楽しそうだ。
なぜか眩しくて、綺麗だと思えた。
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