037:四足の影
奥の森を慎重ながらも、ときに豪胆に歩く。
鬱蒼としているとはいえ、地面の全てが下草に覆われているわけではない。日陰で育ちにくいのか、まばらに開いた場所を縫うように移動した。
もう地表に飛び出た木の根に躓くこともなければ、茂みに潜むカピボーに怯えることもない。蠢く物体を反射的に踏みつけたら、ただの虫だったなんてことも減った。
どうだ、俺の森ボーイっぷりも様になってきたと思わないか。
「む。不審な茂み」
目いっぱい腰を引き、腕を伸ばして剣先を突き入れる。
「リブャッ!」
ヤブリンだけは別だ。あんな牙で何度も食いつかれたら穴だらけになっちまう。
ついでにツタンカメンも退治だ。どうやらヤブリンが食いついての足止めを待ってか、時間をあけて動くんだ。恐らく声が合図なんだろう。
しかし死んでしまった叫びでも、ツタンカメンの動きは変わらず悠長だ。まずは必ず一斉に蔦攻撃を仕掛けてくるが、そのお陰で退治が楽でもある。
単純なことで、蔦を引っ張ればいいと気付いた。大抵は茂みから引き摺りだされたところで千切れるが、反撃するには十分な近さだ。初回で見た目ほど重くないと知れて良かったよ。
連続での蔦攻撃は無理にらしく、その間に首を落として終わりだ。噛みつき攻撃する頭の動きは素早いから牙には気を付けなきゃならないが、首を伸ばすから余計に切りつけやすくなるのだ。
甲羅は嵩張るから、今は木の根元に寄せるだけにして放置だ。帰りに持って帰ろうと思う。
そんな風にして進んでいると、景色の様相がわずかながら変わってきた。
落ち葉や草の間に覗く地面は暗く湿っているが、枯れたような茂みや低木も増えている。幹の細い木も増えたため、薄暗いながらも視界はやや開けたが、そろそろ別の魔物が現れそうな雰囲気だ。
「不気味だ……」
南の森でさえ街側と奥側で魔物の分布に変化があり、手前からカピボー、ケダマ、ホカムリ、キツッキと強くなっていく。
それだけならいいが、奥には手前側の魔物も現れるから、同時に現れる種類が増えていくため危険度も増すのが厄介だった。
ただ、標の石を境にヤブリンたちへと変わると、カピボーら手前の魔物は出てこない。その辺は、ゲームの『面』のような区切りは存在しそうだ。こっちの理由といえば、結界との距離だろうな。
速度を落として奥へと進む内に、鬱蒼とした雰囲気に加えて湿気た土の臭いが強くなっていく。そろそろ距離的には奥の森マップの外れに差し掛かったはずだ。
そういえば、魔物の数は平常時に戻ったんだよな。だったら、草原側から来た方が近かったかもしれない。なんで肝心なところで抜けてるんだろうか。
周囲の様子からして、この先に泥沼面があるのは間違いない。
泥沼マップは、中ランクの中では花畑より攻略難度の上がる場所だ。まだそこまでは行きたくないが奥の森を踏破できたら、次の目標は花畑か泥沼を目指さないとならない。
ただし泥沼の方が難易度上といっても、花畑の魔物は飛行系。俺の特性を考えたら、花畑の方が厳しいと思うんだよな。
今までの例から、ゲームで受けた印象よりも魔物は巨大なはずだし。そのくせ素早さが落ちるわけでもない。蜂もどきの魔物から複数に追いかけられたら詰む。
花畑のことは今はいいとして、泥沼だ。
カイエンに注意を受けたのは、柵の結界を超えられる魔物が存在するということだ。繁殖期辺りに現れるというから、普段は出会う機会はないだろう。って、今はめっちゃ旬じゃないか?
でも足は遅いらしいから心配は……いや手強いと言ってたような。高ランク者の言うことを真に受けるなど言語道断だな。
ふぅ危ない。また危うく暢気スキルを発動するところだったぜ。
どっちにしろ、俺にとってはどんな魔物だろうと面倒な敵だ。
だが、この中ランク指定の中でも最底辺に位置する奥の森マップを超えずして、花畑だろうと泥沼だろうと攻略は果たせん。
落ち着いて進め。そんで泥っぽい場所が見えたら引き返す。
ガササッ――ケャウ!
「ひっ!」
葉を揺らす音と共に木立に奇怪な叫びが反響した。
そして木々の合間を飛び交う影を視界に捉えたが、ケダマのようだった。
お、お脅かすんじゃねえよ。思わず飛び上がったじゃないか。
奥の森も半ばは越えたと思ったが、ここにもケダマ?
不審に思い、剣を両手で掴みなおすと足を止めて見上げる。きょろきょろと見回すと、木の高い位置にある瘤が不自然に揺れた。薄暗く見辛いが、よく目を凝らすと幾つかいる。手前の奴は、すでにこっちを狙ってるな。
一匹一匹は離れている。ならば近くの奴から片づけようと、身をかがめ、木に身を寄せるようにしながら移動する。
飛びかかってきたときに、幹にぶつかってくれたら楽だからな。
上空を気にしつつ目標地点へと進んだ。すると目的の塊が幹をカサカサと伝い下りてくる。やっぱりシルエットはケダマだが、あんな滑らかな動き方は見たことがない。
「正面からやり合う気か。よかろう、この殻の剣の錆に……いやカルシウムは錆びないか」
どうでもいいことが気になりかけたが、地面に降りた一匹を視界に捉えつつ、周囲の木にも目を走らせる。数匹いたはずだが、枝の陰にいるのか姿は見えない。
葉擦れの音は聞こえているから、近付いているのか。
後退しながら様子を見た方がいいか?
じりじりと下がると、前方の一匹はぴょんぴょこと跳ねて距離を詰めた。
「は?」
かなり小さな姿だったものが、それだけで、すぐそこに迫っていた。
「でかっ! げっ、お前は……」
ずんぐりとした体はケダマそのものだが、体積は四倍はありそうに巨大だ。すかさず剣を振り下ろしていた。
「ケダミュッ!」
手応えはあったが一撃で死なない。
脂ぎった毛並みはケダマよりも暗い灰色で、何よりも足に違いがある。
「くそっ、
そう、ただでさえ気持ちの悪い鳥の脚が四本生えていた。走るときはウサギのように跳ねるが、歩く姿にはぞっとする。鳥の脚で器用にも、前後に動かし歩く様は滑らかだ。
素早さと細やかな動きは、ケダマの比じゃない。
不意に、頭上の葉擦れの音が、風に揺られたのか四脚ケダマによるものか分からなくなる。
全身が、総毛立っていた。
「う、う、うおおおおおおおっ!」
腹に気合いを入れて思い切り叫んだ。
声に驚いて固まるのは、こいつも変わらないらしい。その瞬間を見逃さない。
「きめええええええっ!」
俺はその隙に逃げ……撤退戦へと移った。
「こ、ここまでくれば、だいじょぅぶふぅ……」
気が付けば道標の石が目の前にあった。戻りすぎ。
ああっなに逃げてんだ! なんで一匹くらい戦ってみなかったんだよ!
いやいや、まずは作戦会議が必要だと思う。新しい敵だからな。
行きがけに駆除したが、念のため周囲の藪をつついて休憩だ。
水を飲むと、道具袋から紙と鉛筆を取り出した。鉛じゃなくて木炭の筆だが。もくたんぴつ……面倒くさい。鉛筆でいいか。
紙束をめくると、書きかけで止まっている頁で手が止まる。
まじまじと自分の書いたはずの文字を見ていると、口が歪むのが分かる。
今まで通り、日本語で考え日本語で文章にしているつもりだというのに、そこにあるのはレリアス王国で使われている言葉だ。
「違和感ぱねえな……」
あんまり考えない方がいいよな、こういうのって。意識したら混乱して書けなくなりそうだ。
「考えるな、フィーリングってやつだよ」
新たな頁に、『四脚ケダマ』と見出しを書きこんだ。
ゲーム中レベル7の四脚ケダマは、突進に加えて特殊攻撃に回避がある。
さっきの手応えの軽さは、それだろうか。あいつの方が素早いから、俺の踏み込みでは間に合わないだけかもしれないが。
木々の合間を跳んで渡り、枝を伝って移動する物体を目で追う。
「さあ、仕切り直しと行こうぜ、四脚ケダマ」
なんて茂みに潜んで言っても格好はつかないな。
途中で拾ってきた小石を握りしめると、静かに立ち上がる。
確認できた中で最も手近にいたケダマの視界に入るよう、ゆっくりと進む。足元の枯れ枝がパキッとか軽やかな音を立てているが、俺にNINJYAスキルはないんだ仕方ないだろ気が付かれませんように。
ツタンカメンやヤブリンの例を考えれば、目で見てるのか定かではないが、動物の器官を真似てるなら役割も似たものになるんじゃないか?
それだとケダマは植物になるな……ま、まあ鳥の方だとしても、耳はなさそうだし、音よりも目に頼っているのではないかと思う。
とにかく、あの黒くつぶらな瞳が、獲物を捉えた時に不穏に輝いてこっちを見るのは確かだ。
木の上で余所を向いている、目標のケダマの少し手前で止まり、小石を投げ付けた。本体には届かなかったが、奴のすぐ下の幹に当たった。その物音でか、ケダマがこちらを向く。
耳か、それとも振動で反応かはともかく。
「よし、来い!」
逃げる準備は万端だ!
小声で気合いを入れたと同時に、俺は小走りで来た道を戻り、ケダマはジャンプした。
すぐ追いつかれるだろうが、それでいい!
計画通りのはずだったが、数メートルと走ってないのに追いつかれていた。
「速すぎだろおおっ!」
剣を振り回して追い払うようにしながら逃げる。
背後を見るに他の仲間とは離せたと思うけど、こいつが声でも上げればすぐに追いつかれるだろう。
懸命に距離を保ちつつ走るが、どこまで追って来てくれるだろうか。
出来れば、こいつらが嫌がる結界のラインを探りたいといった目論見もあったんだ。
ほれ、もうちょっと来い。
あっちで静かにお兄ちゃんと二人っきりで鎬を削りあおうな!
「キェ!」
「おい馬鹿、返事はえーよ!」
さっと視線を走らせるが、仲間の姿は見えない。
見えないものの、遠くの枝葉が揺れたような……?
くっ……この辺が限度か。
振り返りざまの勢いでもって、袈裟懸けに剣を振り下ろす。
だが四脚ケダマは、とっさに剣とは逆の二本足を下げて体を傾け、そのまま斜め上に跳ねて避けた。
渾身の一撃だったはずなのに、剣先は掠っただけだ。
「この! 変態機動しやがって!」
ただのケダマなら、避けたとしても横に転がっていたろうに!
いや、よく見ろ。
掠っただけだが、赤い筋は見えている。
素早さはカピボーなみだが、体はでかいんだ。的としては当てやすい、はずだ。
即座に前に出て何度も切りつけていたが、ぬめっと毛並みを滑るように剣先を逸らされるのを感じられた。
うえっ、やっぱこれが特殊能力の回避かよ……面倒な。
「当たれ、当たりやがれ!」
逸らされるというより、斬りつけたとしても毛の厚さか弾力のせいだかで大した傷がつかない。ただのケダマより随分とタフだ。
この調子ではモグーと戦ったときと同じく、何十と傷をつけてようやく倒せる持久戦になる。あの時は一対一だから、どうにかなっただけだ。
下から斬り上げると、ケダマが後方へ跳んだ。
そこで視線を上げると枝葉の揺れが近付いていた。他の奴らがだ。
地上に意識を戻すと、ケダマは力を溜めるように屈んで飛びかかる位置を吟味しているようだった。跳躍しようとするケダマを牽制すべく、突っ込んで剣を左右に振るが、カサカサとキモイ避け方しやがる。
殻の剣の切れ味はそこまで良くはない。切れ味だけなら、元から持っているナイフの方がある。その分、先端の鋭さを増して殺傷力を上げているのだと思うが。
って、あれ? それでいいんだよ!
剣を引いて両手で掴み腰だめに構えた。
ケダマは隙ありと言わんばかりに、気持ちの悪い動きでぴょこんと跳ねた。
俺の頭に取り付こうと、一直線に飛んでくるケダマ。
今だ――飛んでくるケダマの軌道へと、剣先を突きいれる!
「ケダュゥ……!」
「ぐぅ、おお!」
剣身がケダマの胴体を貫通し、手に重みがのしかかった。
ケダマの背後から煙が噴き上がり、一瞬の後に全体が煙となって消えた。
「オコリュ!」
「ケダャッ!」
安心するのも束の間、援軍の到着だ。
て、撤退いいいっ!
即座に反転し全速力で走ったが、翻るポンチョに一匹が取り付いた。
「ぎゃあ来るな呼んでねえ! また今度にして下さいって!」
「ゴケュゥ!」
振り切るのに肘を振ったら、重い衝撃を受け、叫びが聞こえた。
殻の肘当てもなかなかの攻撃力があるじゃないか!
今の内にと、布を手繰り寄せて悶絶しているケダマに剣を突き刺した。
走っているから煙が後方へと流れていく。今までは移動しながらといっても、そう遠ざかったことはない。
このマグ、カウントされるのか?
されないとしても足を止められない。もったいないが、今はしょうがない。
「くっそ!」
恨めしく横目に追いつつ、俺はしばらく走り続けた。
今度は馬鹿みたいに道標まで逃げ出さず、小走りに移動しながら背後をちょくちょく確認する。奥の森も、中ほどまで戻ったら追撃は止んでいた。やっぱ、あんまり奥からは出たがらないみたいだな。 この辺が、結界ラインか?
立ち止まって、ちょっと休憩。
「ふぅ……手ごわい塊だった」
四脚ケダマのやろう、見た目はケダマの倍程度なのに、強さは倍じゃ済まないだろあれ。一気に押し寄せられたら洒落にならない。
そりゃレベルは7と高いが、これでまだレベル一桁台だぞ。マジかよな。
まぁそれなりに苦労したし、一匹はまともに倒せたと思うし満足しよう。
おまけで二匹目も倒せたのはラッキーだ。
ゲームではレベル1だった二脚ケダマだが、こっちの世界ではさらに下にカピボーが存在する分、感覚的には倍のレベルがあると考えた。
おおざっぱだけどレベル1が2か3くらいに上がったのかなと。
もう無理にそんな換算しなくてもいいんだけどな。相対的に考えれば元のままでいいんだし。
不思議に思ったのは、レベル1と7の差よりも開きを感じたことだ。
同系統の魔物のはずなのに、段階的な上がり方ではない。
強くなり方が極端じゃないか?
強さといっても、腕力値よりは体力と敏捷値が高いようだったが。
「それ書き加えておくか」
特徴を紙束に書き加えると、木々の隙間から空を見上げる。すっかり昼は過ぎていた。
「やべっ、草採りと草刈り!」
戻りがけに、放置していた甲羅を幾つか担ぐと草刈り場へと走った。
南の森がそう広くないのはありがたいことだ。
できれば沼を見てみたかったな。
もうちっと四脚ケダマ対策を考えないとまずいだろう。
よっしゃ、今日は早く寝て、明日は万全の準備で挑もうではないか!
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