036:冒険者として、生きていかなきゃ
コントローラーの、電源がなくとも光り続けているという不思議パワーを宿していながら、レベルとマグ獲得量が表示されるのみというしょぼい機能。
助かるのは、マグ読み取り器がなくとも大まかながら獲得量が把握できることだけだ。
それで満足したというか頭が冷えたというか。ヤブリンら一組を倒すと、その後は草刈り場へと戻った。
きっちり十五束分をまとめたところで空はオレンジに染まりつつあった。思えば宿代の払い方を変えたんだから、ノルマ十五束も意味はないんだよな。予定はまた考えよう。甲羅が邪魔だし今日は戻るか。
「おかしいな」
表通りをギルドへ向けて歩いているが、住人から甲羅への反応はない。ちらと目を向けられるのは、大荷物だからついといった感じで、何か分かると逸らされる。
意外と持ち帰られる素材なんだろうか。刺さる視線に対する心的防御を固めてきたが、無駄になって良かった。
代わりに逃げたくなるような呼びかけが。
「待てータっロー!」
足を止めず、さっと首だけ巡らせる。うわ……速い!
シャリテイルなのは声で分かっていたが、なんで杖を掲げて走ってくるんだよ!
急いで懸命に遠ざかろうとするも、あっという間に俺を追い越していった。
なんでだよ!
「あっと行き過ぎたわね」
シャリテイルは後退して俺の横に並んだ。
「草と遊んでると思ったのに、今日は早いのね」
草刈りはなあ、遊びじゃねえんだよ!
なんでこんなことにパッションを迸らせなきゃならんのだ。
「もしかして、正式に繁殖期は終わったのか?」
「ひとまずは、そうね。少し離れた周辺地域の隅々に派遣されていた中ランク冒険者が、昼に戻ってきたの。明日からは魔物の数も通常時に戻ってると思うわよ」
「そうか。それは安心だな。まあ、お疲れさま」
やはり、か。
当初は一日十匹足らずのカピボーが現れるくらいだったよな。
くっ、もはや俺に安全に稼ぐ道は残されていないのか。
「タロウもお疲れさま。コエダさんから、ケダマ草採取を頑張ってくれてたって聞いたわ」
「大した数は採れてないけどな」
「なんだか悪かったわね、間が悪くて。普段は比較的安全な場所なのだけれど」
「さすがに、これはシャリテイルのせいじゃないよ」
「あら、他に私のせいで面倒ごとがあったみたいな言い方ね?」
ないと思っていたのか。思い込んだら即行動しているだけで、振り回しているつもりはなさそうだけど。できれば今度は、本人に相談してからにしてくれよ。
そりゃ恩恵は受けているし、ありがたいけどさ。
「ゴホン。とにかく、安全になったなら、明日からは採取量も増やせると思う」
「ほんとに? やった! また忙しくなりそうだからタロウに大期待してたのよ」
初めっからそのつもりだっただろうに!
ケダマ草採取が少し滞ったくらいで困る人がどれほどいるのか分からないが、しっかり摘めば最低限の稼ぎにはなるんだからやるけどな。
そんなに採っても、肌着という限定的な利用にとはいえ生地になるまで足りるか疑問だし、毟れるだけ禿げ散らかしてやる。
そういえば、安くて面倒な素材でも柔らかいから使われているという理由なら、普通のシャツなんかにも利用して良さそうなもんだよな?
「シャリテイルの服も柔らかそうだけど、それもケダマ製?」
ケダマ製という気持ち悪い響きは置いておくとして、シャリテイルの白いワンピースは柔らかそうというかキメが細かい。
ここの住人が着ているものが、粗い目の硬そうな服ばかりな中で浮いている。
「ああ、これはシルキープランツっていう植物製よ」
シルク? 絹も植物なのかよ!
いやシルキーだから、絹っぽいって意味かも。だとしたら蚕もいるんだろうか。
「なんだ、この生地が欲しいの?」
「いや別に」
「以前話したかしら。高価な布ってこれよ。人の手で生育可能なのだけれど、手間がかかって費用が嵩むらしいの。それに素のままだと丈夫でもないし冒険者向きじゃないわよ」
聞いてないし。だからいらないんだって。
「ただし、複数の強化がかけられるのが強みかしら。戦い方次第ではあるけれど、中ランク以降なら取り入れるのもいいかもね」
「ほ、ほほぅ」
そんな理由もあるのか。
この口ぶりだと、複数の強化が可能な基礎素材は多くなさそうだ。今の俺には遥かな遠い未来に考える可能性もゼロではない程度の知識だな。
なんにしろ頭には留めておこう。
知識の差異に、覚えること、それに予定なんかも増えてきたな。
こうなるとスケジュール帳が欲しくなってくる。また無駄な出費だろうか?
紙とペンくらいは持っていても無駄ではないだろう。
機械化された工場なんか無いだろうから安くない気はするが、そこは覚悟しておくか。
「それで、なんなのコレ」
ギルドで精算したら日用品店に行こうなどと考えていたら、シャリテイルの杖が背中をコンコンとつついた。答えるまでもなく、呆れている気がする。
「ツタンカメンの甲羅。素材になるか分からなかったから持ってきた」
「もちろんなるわよ。なるけど」
「低ランク素材だろ。需要あんの」
「薪になるわね」
燃えやすそうだもんな!
残念ながら、これが欲しいなんて依頼はないらしい。無駄骨かよ……。
そんなことを聞いたところでギルドに到着した。
窓口に向かうと、大枝嬢は顔のウロを大きくする。
「タロウさん、危ないとお伝えしたのに奥の森へ行かれたのですカ」
「はい、安全第一で慎重に踏み込んでますから、ええと……スミマセン」
困り顔の大枝嬢に申し訳ない気持ちになる。俺よりあらゆることを知っているはずだし、意見は適切だ。
しかし、俺は自重しない。できないと気付いてしまったんだ!
「コエダさん、俺も南の森なら難なく回れるようになりました。装備も少しずつですが揃えてます。一つ何かを達成したなら、一歩次に進みたいんですよ! もちろん、草刈りもケダマ草採取も欠かしませんからご安心ください」
俺は身を乗り出して言いくるめ……熱弁していた。剣や肘当てなどの装備を見せて、亀をどう倒したかと真剣に伝える。
ここは適当に言い逃れて後でこっそり好きに行動、なんて出来ないからな。タグのお蔭で。ならば正々堂々と宣言するしかないのだ。
大枝嬢よ分かってくれ。俺には払わきゃならない、宿代があるのさ……。
「まあ、もう南の森に馴染まれたのですカ。それにいつの間にか装備まで。それなら危険度は下がりますネ」
大枝嬢は疑問が氷解したようにぐにゃりと笑った。
え、そんなあっさり納得しちゃうの? 対策が不十分だと思われていただけ?
俺の熱意は必要なかったようだ。
「それでも、十分警戒してくださいネ」
「マグ探知能力なんてないですから、慎重に歩きますよ」
職員にも行動を細かく強制する権限はないようだし、何をしようが俺の自己責任ということではあるが。
それでもなるべく相談しアドバイスしながら、各人の希望を叶えるために摺り合わせしてくれている。義務感もあるだろうけど、大枝嬢の善意が本物だというのは分かっている。
無茶しつつも慎重に頑張ります。矛盾してようと、世の中結構そういったことはあるよな。
ギルドを出ると、シャリテイルは小言を聞かせるような口ぶりで言ってきた。
「もうタロウったら、またコエダさんを困らせてるし」
俺たちのやり取りを欠伸しながら見てただろ。
「いつまでも甘えていられないしさ。せめて堂々と低ランク冒険者と認められるようにならないと」
「それは刻印貰ったんだから十分でしょ?」
「実質的な働きのことを言ってるんだよ」
「分かってるわよ。ほら、日が暮れる前にストンリに突撃しましょ!」
「なんで」
なんでだよと言い切る前に、急ぎ足で前を行くシャリテイルを追いかけた。
「やほーストンリ、装備の修理をお願い」
やっぱ自分の用事かよ!
「うるさいのが戻ったか。繁殖期の解除宣言は届いた。昼の内に駆け込んできた奴らも多かったからな」
「ほとんどは昼解散だったからね。はいコレとコレ」
いつものことなのか、うるさい奴と言われたことを華麗にスルーしたシャリテイルは、ストンリにグローブなどの革防具を渡した。
「タロウは素材の持ち込みか」
「お、おう」
素材の持ち込み……なんとも俺には不似合いな響きだ。いやこれ買ってくれるのかよ。薪じゃなかったか?
せいぜい道具屋向きの素材かと思ったが、鍛冶場の燃料とか?
「何に使うんだ」
「防具。何もないよりはマシな程度だが」
へえ、一応、防具になるのか。他の奴には無い方がマシなレベルの気がする。
「ちょうど何もないな。使う当てがあるんなら、買ってもらえるだけでも助かるけど」
背中から降ろして渡すと、ストンリはわずかに眉根を寄せた。
「買うのもいいが、どうせなら何か作らないか?」
「それいいわね、面白そう!」
面白くてどうする!
シャリテイルのわくわく笑顔を見て、俺もちょっと好奇心が湧く。
需要は低いようだし買い取ってもらっても微々たるもんなら、頼んだ方が良さそうだ。
「それもいいかな。おっ、そうだ。強化に、このモグーの葉は使えるか」
「珍しいもん拾ったな。面倒でなかなか探す奴がいないんだ。久々に見たよ」
っておい。珍しい理由が面倒だからなのかよ。
「残念だが、木製素材では強度が釣り合わない。殻でもいいが、革がちょうどいいよ」
あっさりと俺の希望は取り下げられた。ゲームでもあった組み合わせの制限だが、現実になってもあるのか。そりゃあるよな。微妙な違いは混乱の元すぎる。
メモ紙を買う金も残してないと。その前に。
「幾らかかる」
「500でどうだ」
「材料があるからって安すぎないか」
「余りが出るからな。その分を買い取る形だ」
そんなもんならと、お願いすることにした。修理が多いから明日は無理かもしれないらしく、また伝言をくれるとのことだ。
うっかり帰りかけて振り返る。伝えておかなきゃな。
「殻の剣、すげえ役に立ってるよ。防具も楽しみにしてる」
ストンリはフッと笑っただけだが、どうやら喜んでいるようだ。
だが無慈悲な声が、心温まる交流を引き裂いた。
「わあ、殻製の武器なんてまだ作ってたのね」
「どんな素材だって一長一短だっていつも話してるだろう。材料の特質を把握しておくためにも、定期的に触れていた方がいいんだ」
「だからって売れもしないのに在庫増やしてたら、地面が沈んじゃうわよ?」
「いや売れたし。ほらタロウが買って役に立ったって言ってるし」
なんだか言い合いしだしたけど。待った、なんだよ在庫って。
俺は体よく在庫処分されただけなのかよ!
シャリテイルとストンリのひどい会話を聞き終えてベドロク装備店を出る頃には、すっかりテンションは下がっていた。
「なにをむくれてるのよ? あっ話してる内容が高度過ぎたのかしら。ストンリったら細かいのよね」
「べつに」
俺の心に対する高度な消耗戦か?
まあ、いいんだよ。在庫処理だろうが役には立ってるんだ。役に立つのは俺だからだろうが、道具はレベルに合ったものがいいし。そうに決まっている。
俺は徐々に高みに上る楽しみを、取り置きしてるだけなのさ。
日は暮れかけていたが、まだランタンは必要ない。頓珍漢なシャリテイルのお喋りを聞きながら裏路地を抜ける。表通りに戻ると、シャリテイルは通りの南へと体を向けた。
街の南西には、農地従事者向けらしい住宅地がある。道具屋のある通りを西に行ったところだ。
街の南東にも同じように住宅地があるらしいが、そっちは冒険者の区域だ。以前大枝嬢にアパートの賃貸について話したときに、ちらと聞いた。多分シャリテイルは、そこに住んでるんだろう。
じゃあ、と挨拶しかけるシャリテイルを呼び止めた。
「紙とペンが欲しいんだけどさ、日用品店にあるよな?」
「あるけど閉まりそうね。雑貨屋のが近いわ、急ぎましょ」
わずかに歩いたところにある店の前には、表に置かれたベンチサイズの台の上にまで商品があふれている。
竹ぼうきのようなものとか、竹籠のようなものとか、竹編みバッグのような……ようなものばかりなのは、竹林なんか見覚えがないからだ。ゲームにもそんな場所はない。それらを店員が店内にしまっているところだった。
これは選んでいる時間はないと、慌てて安いメモ紙と筆記具はないか尋ねる。
三束組みだと言って渡されたのは、豆腐なみのブロックだ。葉書大で、目が粗く分厚い束の上部に二つ穴を開け、紙紐で括っただけのもの。フラフィエから渡された依頼書とも同じに見えるが、一度だけ行った食堂の店員が注文に使ってたやつでもある。
基本はみんなこれを使ってるんだろう。商利用向けだから分量があるのか、たんに単価が安いから多いのか。なんにしろ俺の用途も量がいるしありがたい。
問題はペンだ。
ギルドで見た羽ペンとインク壺が思い浮かんで、扱いが面倒だと考えていた心配は杞憂だった。なんと鉛筆があった!
実際は鉛筆ではなさそうだが、見た目は似ている。芯には木炭を使用し、それを木の板で挟んでいるらしい。先が減った分は鉛筆のようにナイフで削ればいいようだ。
鉛筆以上に割れやすそうだけど、慣れないつけペンなんてものよりいい。ただし一本500マグもする。紙と合わせて800マグ……。
思い切って購入した。
店を出るとシャリテイルが興味津々に見ている。
「不思議なものを欲しがるのね」
新人冒険者がまず買うものではないだろうな。
帰ろうかと思ったが、ついでだし聞こうと思っていたことを尋ねることにした。未だ見ぬ英雄の名前についてだ。どう絡めようか。
「そうだシャリテイル、ええと、シャソラシュバルさんって知ってる?」
超直球!
恐る恐るシャリテイルの様子を伺うと、呆けて固まっている。
緊張してきた。
なにか、地雷でも踏んだか?
直後、シャリテイルは地面にしゃがみ込んだ。膝を抱えて震えている。
俯いた頭から、空気を引き裂く音が漏れ出た。
「プ、フヒーッ!」
俺はシャリテイルが魔物化する呪文を唱えてしまったのだろうか。
「しゃ、そらしゅ、ばる、さんだっヒー!」
「な、なんだよ。そんなに可笑しいかよ……」
ぶひゃぶひゃ笑うのやめてくれ。通りすがる人目が痛い。
いつ笑いが治まるのかと待っていたら日が暮れ、渋々とランタンに火を点したところで、むっくりと立ち上がる影。立ち直ったシャリテイルは、真顔を作ろうとして失敗しながら言った。
「あのねタリュ。シャソラシュバル、さんっていうのは、称号よぴひっ」
「称号……あ、そうなんだ」
どうやら騎兵の一部で、特筆する働きをした者がそう呼ばれるとのことだ。
「随時面白質問をお待ちしてるわよー!」
シャリテイルは笑いながら、なんの罪もない通りすがる人を脅かしつつ走り去っていった。すっかり夜道だ。顔真っ赤だとしてもばれなかっただろう。
なんてこった、称号、ね。クソッ、そう来たか!
ゲームの名前入力時にデフォルトで入ってたんだぞ。それでシャソラシュバルという英雄の跡を辿る話って書いてたら、名前だって思うだろ!
熱い顔を叩きつつ、宿への道を急いだ。
宿に戻って雑事を済ませると、狭いサイドテーブルの前に椅子を移動する。初めて椅子を使ったな。普段は壁沿いに置いて、荷物置きにしか使っていない。
「まったく、称号とはなぁ……。ええい、謎は解けたんだ。デスクワークに励もうぜ」
初めはゲームと似た点ばかりを気にしていたが、最近では基本は何も知らないこととして頭を切り替えるよう努力はしている。そうして知ったことから、ゲームとの差異を吟味するといった感じだ。
それらの、今まで気になったことを書き出そうと思うんだけど、ゲームの知識は書かなくてもいいか。
こっちの魔物と素材、それに強化の情報は書き留めておこうか。今後も続々と増えていく予定だし。増えるはずだ。増やすんだよ。
「一応、カピボーから書いておくか」
そうしてしばらく鉛筆もどきを紙面に走らせていた。芯が太くて柔らかく、細かくは書けないが、インクを零しそうな緊張感がないのはいい。それにサラサラとした軽妙な摩擦音が耳に心地よかった。
「ええと、次は……」
書いたばかりのメモの横に、ゲームの画面や説明書などを並べる気持ちで思い浮かべる。
ふと、目にしているものが、揺らいだ。
「え……」
揺らいだのは、錯覚だ。
だが、その正体に気が付くと、手が止まった。
静寂に包まれ、急に外から聞こえる虫の音が大きくなったようだった。
もはや心地よさなど微塵もない。
鉛筆を投げ捨て、立ち上がる。
今にも叫び出しそうな口を押えて、部屋のなかを歩いた。
ぐるぐると意味もなく歩き、辺りに視線を彷徨わせる。
ここは、どこだ。ここは、別の世界だと再確認するように。
部屋を飛び出していた。
階段を駆け下り、井戸へと走る。
誰かが灯した明かりは、まだ残っている。
洗面器大の桶に水を汲み、灯りに近い棚の上に置く。息を殺して、波紋が鎮まるのを祈るような気持ちで待った。
薄っすらとしか分からないことに苛立つが、映っているのは確かに、自分の知っている俺自身の顔だ。
もう少しはっきり見えないかと、水面が波立たないように、そっと覗き込む。
意を決して、口を開いた。
「俺は、間違いなく、スミノタロウだ。そう……」
そうだろと、最後まで言い切れなかった。
息が止まり、自分の鼓動だけが響いてくる。
震える手で桶を戻し、部屋へ引き返した。
逃げたくても帰りたくても、他に行き場所はない。
落ち着け、落ち着け、落ち着けって……!
ベッドに潜り込み、重い上掛けを頭までかぶる。
今しがた目にしたことに耐えるように、奥歯を噛みしめる。
あまり字が綺麗な方だとは思わない。書かれた文字は、いつもの四角張った楷書だ。
ただ、その形状は、いつもの日本語ではなかった。
依頼書などで見る、この国の文字と、印象は変わらない。
揺らいで見えたのは、これまで当たり前に日本語として考え、書いていたものが、知らないものだったからだ。
説明書などの字とは明らかに違うのに、まるで生まれたときから、この世界に居たように、俺はそれを自然に使いこなしている。
翻訳機能でもついたのかと思っていた。
違ったんだ。
それを確実にしたのは、喋った時の口の動きだ。
日本語の動きとは、到底呼べないものだった。だというのに、意識して見なければ、違うということすら認識できないでいた。
なんでだ。なんでなんだよ!
考えようとして、考えたくなくて、ベッドの中で目を閉じたり開いたりする。
怖かった。
魔物と向かい合った時よりもずっと怖かった。
これまでは、漠然と帰れないんだろうと思っていただけだ。
それも今はというだけで、どこか、いつか、方法は見つかるかもしれないと希望を抱く余地はあった。
体が作り替えられたなら。
それは、確実に戻れないという証拠を突き付けられたようなものなんだ。
俺は本当に――死んでしまった。
そういうことなんだろ?
本当の逆境っていうのは、こういうことを言うんじゃないだろうか。
急変した環境に日々の苦労。それらは、日本でもごく当たり前に起こる日常の一部だ。バイトに明け暮れたくらいで、世の中を少しは知った気になっていた。社会に出てみないことには理解しきれないものなんだろうと思う。
お前は死んだと言われ、ヴリトラマンから新たな命を吹き込まれた、タロウの人生に重なる。
変えられた未来と、押し付けられた誰かの望みを自身の道へと重ねなくてはならなくなった。逆境にもめげず、修行を余儀なくされ、立ち向かうべく知恵を絞る。
それでも、腐ることなく正義のために戦う。正義のためというヴリトラマンの意思だけではないんだろう。
ただタロウは、必死に生き延びようとしたんじゃないか。
それと比べるまでもなく、俺は弱い。
戦う力とか関係なく、心が弱すぎる。
親父……本当にタロウはヒーローだったんだと、ようやく分かったよ。
◆◆◆
逃避に眠りたいと思いながらも寝付くのに苦労した割に、いつも通り目が覚めてしまった。そして、いつも通りに着替えた。ここに来てからの、いつも通りだ。
シャツを取る自分の手が、これまで両親と俺が育てて来た体ではないのだと思うと、目に映る全てが空々しく感じた。
目が覚めたら、何もなかったようにすっきりできると思っていた。俺の長所は、ひと眠りしたら全部忘れて、切り替えられることだと思っていたんだけどな。
記憶なんかない方が、よっぽどいい。
飯を食う気も起きないなんて初めてだ。
階下に降りるとそのまま出口へ向かったが、背中にでかい声がかけられる。
「タロウ、お早うさん!」
振り返って目が合うと、おっさんの目が鋭く細められた。
昨晩は騒々しかっただろう。注意を受けることになるかと近付いた。
「おはようございます。夜に廊下を走ってすみません」
「おう、ボロ屋だからな。音がでかいのは仕方ないってことよ。それより飯を作りすぎたから食ってくれ」
「いや、あんま腹減ってなくて」
出かけると言いかけたが、強く遮られる。
「いいから、飯は食っていけ」
「……分かった」
仕方なく、いつも座る食堂の奥の席へと腰かけた。
普段より時間がかかってる気がする。それとも、早く逃げ出したいと思っているからだろうか。
トレイを持って姿を見せたおっさんだが、置いても腕を組んで動かない。
いつもはさっさと引っ込むのに。食うまで見届ける気だろうか。
仕方なくスプーンを手にしてみたが、それで動く気配はない。
「元気に働くのに、飯は不可欠だ。食事をおろそかにするんじゃないぞ」
無言でいると、おっさんは珍しく話し始めた。
「お前さんも冒険者だろう。それも人族で頑張ってる。しっかり力をつけんとな」
「人族だから、俺はなんの貢献も……」
「貢献だ? 何を言ってるんだ。お前さんが、この食材を育てるんだよ。お前さん自身が食うもんを、自分のためにだ」
育てる、俺が?
「いいかタロウ。この町は何をやるにしろ、冒険者がいないとままならん。畑だって農夫だけでなく、冒険者と協力して守ってる。冒険者だって、一緒に育ててるようなもんだ」
普通の冒険者なら、そうだろうな。そうやって、互いに頼って頼られている。
だけど、俺に何ができたよ。
「農地じゃタロウの評判は上々だぞ。見事な草刈り技術だってな。視界を確保するのに、人手を割かずに済んでいる。その分、住民は時間を作れているんだ。それで、おまけの野菜を一つ増やせる。これを役に立っていると言わずして、なんとするかってんだ」
おっさんは、言うだけ言って出て行った。
草刈り技術ってなんだよ……。
湯気が鼻先をかすめ、食事を見下ろす。
いつものビーフジャーキーの欠片みたいな肉ではなく、大きめの塊が添えてあった。燻製肉かな、齧ると風味が木屑っぽい。
視界が霞むのは二度目か。
この世界でのお袋の味が、おっさん特製ってのも笑えない。
笑えねえよ。
歩いている内に、体の芯が温まるのを感じる。
おっさんが言ったように、飯は、ただ働くのに不可欠なのではない。
元気に、働くために不可欠なんだ。
そう、飯は力。
飯こそ、パワー!
「ああ働いてやるさ。新しい体ってことは、新生タロウ爆誕ってことだ!」
拳を固めて気合いを入れる。
走れ、奥の森に。
人族の限界など糞食らえだ。
慎重さなど知ったことか!
怒れ、この理不尽に。
悲しみを叩きつけろ、生活を脅かす魔物という存在に!
「でもヤブリンに食いつかれるのは御免だからな。藪刺し確認はしておこう」
「ャブリィーッ!」
藪を丁寧につつきながら、俺は奥の森をさらに奥へと突き進んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます