009:最弱な決意と砦の兵士

 振り回したナイフが、ネズミもどきの薄汚れた茶色く脂ぎった背を切りつける。

 太った猫ほどの大きさがありそうな体だ。

 当てやすいはずで、勢いもあるはずなのに、胴を断つまでには至らない。


 パシュッ――小さな破裂音。その最後の音を聞いて、我に返った。


 三匹が寄っていたからか、振り回したナイフの線上に全部いたようだ。体を断つまではいかなくとも、致命傷にはなったらしい。

 揺れる赤い煙を呆然と見る。


 荒ぐ息の中でも、体内の変化が感じ取れる。全身が、活性化するような、じんわりと熱くなる感覚。


「レベル3に、なったのか……」


 もう周囲に動きはないが声を殺してじっと立っていると、赤い煙が吸い込まれる動きのおかしさに気が付いた。

 マグタグとは別の場所へも流れている。

 その先は、大きな道具袋だ。


 袋にあるって、まさか。

 警戒も忘れ、急いで袋の口を開いた。

 やっぱりコントローラーに吸い込まれている!


 ケダマを倒した後も、アクセスランプが明滅した。俺のレベルアップに関係するのかと思っていたが、違うんだろうか。

 今回もレベルアップはしたけど、こいつ自身がマグを吸収している。

 新たな展開かと胸が騒ぐ。

 俺のタグと分配されているわけではない。ケダマを倒したときだって吸ったはずだが、ギルドで確認したときには15マグあった。これはゲームの設定通り、ケダマから得られるマグ量だ。それに大枝嬢も討伐を確認したが、何も言わなかったのだから、そこに違いはないだろう。


 ならば、別の用途があるってことじゃないか?


 もう少しよく見ようと袋からコントローラーを取り出そうとして、腕に張り付いた血が目に入った。気がつけば、袋も汚れている。

 うわっ、しまったな。

 これ以上あちこち汚れると、明日の仕事で困りそうだ。依頼人にどう思われることやら。


「くっそ、こんなところで怪我とは……はっ?」


 腹立たしげに、肘を見て呆然とした。


「傷が、薄い?」


 肘の上らへんだから見辛いが、歯型の段差が目立たなくなっている。傷が消えたわけではないけれど、痛みはほとんど感じられない。触ってみれば、治りかけの膜が張ったような状態に思える。


 まさか、この自然治癒が俺に与えられた特殊能力か!

 なんて一瞬喜びかけたけど、時間回復じゃなかったな。急にぶわっと戻ったような気がする。


 あ、あの活力が湧いてくる感覚が関係するとか?

 レベルアップでステータスが回復するゲームもあるが、英雄軌跡では便利な自動回復なんてなかったんだが……いや確かに全快ではない。傷が塞がっただけだ。


 ゲーム難易度がハードモードになったための調整作用……なんてことも浮かんだが、それは憶測にすぎない。


 まあいいか。

 全快でなくても、助かったんだから、ありがたく受け入れておこう。


 怪我による恐怖よりも、明日の仕事ができないことに不安を覚えてしまった。

 現実なら、俺は立派な社畜になれたかもしれない。




 そんなことを考えていたら遠くから動きがあり、はっとして顔を向ける。


「おおい、あんた大丈夫かあっ!」


 二人の男が走ってくるのが目に入り反射的に逃げかけたが、俺は走れないんだった。すでに足を止めた二人を見て観念する。

 こんなに気が付かないなんて、呆然としすぎだ。気を抜いていい場所じゃなかったな。気を付けないと。


 男たちは冒険者とも他の住人とも雰囲気が違った。飾り気のない茶色の革鎧で、頭から足先まで着込んでいる。肩にはワッペンに揃いのマークが入ってるし、同じ格好ときたら砦の兵かな。


「怪我してるじゃあないか!」


 一人の大声に、自分の体を見てびっくりした。シャツに血がべっとりとついているのは分かっていたが、ズボンにまで派手に垂れている。

 うわ、ここは誤魔化さないと、治癒するのが普通なのか分からないし。


「み、見た目だけだ。大した傷じゃなかったんだが、おかしいな。はは……」


 引きつりながら腕を振ってみせる。

 だけど兵の深刻さは変わらない。


「見たところ倒せたようだが。しかし、そんな怪我を負うほどの、一体何が出てきたんだ? この辺に危険な魔物は出ないはずなんだ」

「ああ、もし異変でも起こったなら知らせなけりゃならん」


 そうか、防衛任務だから報告があるよな。


「ええっと、ネズミもどきでわかりますか。そいつの群れに囲まれちゃって」


 ネズミで通じるか不安だったが、問題はそこではなかった。


「群れだと!? ネズミもどき、そいつぁカピボーだろう。群れってどんくらいだった、百か二百か?」

「えっ、五匹、ですけど……カピボーだったのか、アレ」


 言われて気が付いたが、ゲーム内容に関係ない場所でよく見る絵だ。

 説明書の隅を飾るように描かれていた小動物は、カピバラを小さくして口から控えめに牙を覗かせた、マスコットキャラのようなものだったはずだ。

 丸っこいハムスターのような体に、つぶらな黒い瞳を持ち、はにかむような微笑みを浮かべて頬をピンクに染めていた。

 おかしいな、イラストでは可愛いやつだったんだが……。


 俺の呟きをどう思ったのか、途端に呆れた顔つきになった兵の態度は、雑になった。


「五匹……そりゃ冗談で言ってるのか? たしかに、大抵は三匹ほどで行動しているから多いほうではあるが、群れなんて大げさな言葉を使うんじゃない」

「おい待て、ギルドから報告があったろう……あぁ、お前が、噂の人族冒険者か」


 後に話しかけてきた男が、俺の首からぶら下がっているマグタグをちらと見て言った。

 報告なんて尤もらしいことを言ったが、噂ってことは知り合いと面白がって雑談でもしたんだろう。


「まったく、無理をするから」

「まさか、ここまで弱いとはな……」


 目の前で言われると、さすがにグサッとくる。しかも俺自身が、はっきり自覚したところなんだ。

 最弱種族といわれる所以を、舐めていた。


 そう哀れんで俺を見る二人は、炎天えんてん族と岩腕がんわん族という、二大基礎ステの高い種族だ。


 この炎天族は力任せの戦闘向きで、体は他の種族より一回り大きく筋骨逞しい。

 岩腕族は耐久度を活かした鍛冶仕事向きとあるが、四肢が岩に覆われたような肌でハンマーのように振るうのだ。重い自重を安定させるためか、やや横幅がある。

 冒険者としては、敏捷値は高くないが硬いから壁役に向いてる種族だった。

 まあ全員が鍛冶職に就くわけにはいかないよな。兵士になるやつもいるだろう。


 この世界では、種族ごとの特性がはっきりとしている。

 それが現実になるってのは、こういう感じなのかと打ちのめされる思いだ。


 それでも腑に落ちないことはある。

 あまりに、この世界離れしたことを聞きそうで黙っていたかったが、どうしても確認したくなった。


「……敵を倒す内に、レベルアップとかするんじゃないのか? 根気良く続けていけば、能力も底上げされるんじゃないかと、思うんだけどさ」


 その内容に、困惑顔の炎天族と、険しい顔の岩腕族に分かれた。

 困惑顔は、たしなめるように言う。


「レベルアップ? 剣の握り方なんて基礎から訓練すりゃ、多少は様になるだろうがよ。敵と戦いながらなんて、そんなのは生き残っていたらの話だろう」


 全くもって、おっしゃる通りです。

 もちろん俺が言いたいのは、そういった現実的な話ではない。


「その、マグを吸収する内に強くなると言うか……」

「……おい、それは人族の伝承なのか。どんな馬鹿が言い始めたか知らないが、そんな都合のいいことを信じて危ない真似をするなら、冒険者なんかやめろ」


 もう少し詳細を足してみたのだが、険しい顔の方に遮られた。

 恐らく、真剣に説教してくれてる。

 俺が馬鹿な考えに憑りつかれ強くなる夢を見ているようだが、その先に待つのは最悪の未来だと心配されている。


 十分すぎる答えだよな。

 やっぱりゲームのようなレベルアップの概念はないんだ。

 ステータス画面は現れないし、ギルドで読み取る器機もなかったんだから。


 ならばそれは、俺の持つアドバンテージじゃないのか。

 俺には、おかしな感覚が確かにあった。

 本当に数値が上がっているのかは、まだ検証しようがないけど……タイミング的にも無縁とは思えない。


 厳しい表情の岩腕族は、口を引き結び俺をじっと見、どう返答するかと待っている。

 噂話の伝わり具合だけをみれば、ギルドと軍との関係は悪くなさそうだ。ここで兵の気を良くしようと、お茶を濁すような言葉を口にすれば、無理にでも放り出されるかもしれない。


 俺は、レベルアップできていると思っている。

 だけど、それだけではない真剣さで答えるしかない。

 というより、辞めさせられるかもと考えれば、自ずと真剣みが湧いた。


「ギルドから聞いたなら知ってるはずだ。俺は、冒険者になりたくて来た。だから辞める気はない。さっきの話だが、強くなれそうだって話だけを信じてるなら、故郷で魔物退治でもしていればよかった。そうだろ?」


 この機会を逃してたまるか。

 そうさ俺には、この見知らぬ世界での生活がかかってるんだ。


 すなわち飯――まともな飯を、この手にするまで、俺は戦いを諦めない!


 数秒か、俺と頑固な兵は息を詰めて睨みあっていた。

 不意に兵の口元が緩んだ。


「そこまでの覚悟なら、何もいう事はない。俺は、馬鹿にしたつもりではない。いいか、人族には人族の優れた点がある。駄目だと思ったら、それを思い出せ。無理をするのも構わないが、周囲がその無理を受け止めることになるのを忘れるなよ」


 う……あんまり変なのがうろついてると業務妨害になりそうだよな。

 そんなこと……今は考えてなかった。

 もちろん、分かったと真剣に頷いておいた。


 二人は念のためと言って、ネズミもどき――いやカピボーを探しに、草むらへ入っていった。

 仕事増やしてすみません。




 二人の背を見送ると、詰めていた息を吐く。

 血が固まってごわごわしてきたシャツが気持ち悪くて、生地を引っ張った。


「くそう、洗濯して落ちるかね、これ」


 またあいつらと会うのは面倒だ。

 刈り取って積んでいた草を米俵のように束ねると、同じ草で縛った。


 ポンチョを頭から被ると汚れが隠れて助かる。

 そういや、ポンチョの分の防御力が下がっていた。やっぱ低レベルのうちは、脱がないほうがいいかな。着たままでも、まともに動けるように訓練しないとな。


 刈り取った三束のうち、二束を背に、一束を抱えてギルドへと向かった。

 五束くらいは刈り取りたかったが、持ち運びのことを考えてなかったし、丁度切り上げ時だったと思おう。

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