007:失われた帰り道と持ち物検査

 宿屋のおっさんは部屋に着くと、扉脇にある四角いガラスの中に火を移した。


「寝るときは消してくれ。どのみち燃料はケチってるから長くは持たないけどな」


 そう言って、扉の横に立てかけてあった棒切れをよこすと去っていった。扉には取っ手の代わりに、木製のフックが取り付けてある。

 ああ、これ閂か。初めて見た。

 なんとも頼りない鍵だが、板を差しこむと気が抜けてベッドに倒れこんだ。


 うわ、生地が硬い。ごわごわしてるし、なんか薄いな。

 回る目を閉じて、長く息を吐き出した。


 シャリテイルには悪いことをした。

 というか俺の方こそ、まだまだ聞きたいことがあったというのに。

 こんな時に体調不良なんて間が悪い……まさか、これが普通なんてことはないよな?


「……最弱か」


 種族差の開きには驚かされた。

 できれば他種族のことも含めて、その辺を把握できたらと思ったんだが。


 シャリテイルが聞きたがっていた、聖なる祠のことも話すついでに、実際にはどんな場所なのか知る良い機会ではあった。

 大枠は同じなのに、ここまでの最も大きな違いは、種族特性くらいだ。



 ――なぜ、人族は弱体化した?



 ゲームだと、主要キャラ以外のモブなんて描かれない。

 何の取り得もない一般的な人族の主人公が、冒険者として活躍する理由なんて、ゲームを遊ぶ限りでは考えたことなんかなかった。


 いや用意されたメインストーリーはあるけれど、そうではなく、そこにいたるまでの主人公の境遇とか心情といったことだ。主人公っていうかプレイヤーキャラだし。


 主人公が存在するのは、ゲーム内の世界でゲーム内の期間だけだ。

 プレイ内容に関係のないことは、見せる必要のない情報だろうし。


 でも、その世界を現実にしたようなここで、住人の比率なんかも考えたら、人族の冒険者が一人も居ない状況ってのはおかしい。

 人間は感情や欲望で生きている。

 幾ら人族は向いてないと言われようと、やろうとする奴は居ていいはずだ。


 まるで一人にするために、無理やり理由をつけられたみたいじゃないか。


 ゲームの中の特殊な状況を再現するため、なんだろうか。

 人族を自他共に認める最弱とすることで、他の人族冒険者候補を排除してるように思える。


 大枝嬢は、魔物の多いこの街には居ないと言っていたから、他の地域には冒険者になりたい物好きもいるってことだし。

 この街にだけ居ないように、調整されたような感じさえしてくる。



 だけど、こんな風に変化させてでも、大枠は変えまいとしているなら。

 なんだろうな、どうしても人族の冒険者が地道に頑張って、強くなって、甦った邪竜を打ち倒すって筋書き。これを、変えたくないってことなんだろうか。



 こじつけっぽい。ゲームを元に考えすぎだな。

 だめだ、支離滅裂だ。

 頭が働かない。

 色々と起こりすぎなんだよ。

 目が覚めたら、部屋で寝落ちてんのかね。


 あーあ……飲み会、行きたかったな…………。




 ◇




 チュイチュイ。

 うるさい、眩しい。

 チュチュイチュイ。


 重い目蓋をこじ開け、音の方に頭を向けると、見たこともない鳥が窓際でさえずっている。

 カーテンもなく、金属など見当たらない木枠に、歪んで曇ったガラスがはまった窓。

 窓の外には、空を区切る電線も、近所のマンションなんかも見えない。


「夢、覚めなかったか……」


 軋む硬いベッドから体を起こして、自分を見下ろす。

 服も質素なモブ冒険者って感じのままだ。

 着たまま眠ってしまっていた。


 顔をこすると、昨日のあれこれが思い出された。

 ええと、祠に飛んでコントローラー握って敵倒してガイドに会いギルド登録後は宿でダウン。


 なにより頭が痛いのは、どうやら種族特性のせいで人族は最弱ってこと。

 だから、人族の冒険者は俺だけってことだ。


 その理由の心当たりは、ゲームの主人公の状況だってことなんだが。


「嘘だろ、まじかー……」


 部屋でごろごろしながらコントローラーで操作してりゃいいわけではない。

 実際に体を動かして戦っていかなければならないんだよな。


 こんなことなら、センサー付きコントローラー用のゲームでもやりこんでれば良かった。いや、あれは剣を振るといってもあんまり意味ないか。

 もう少し部屋で対策でも考えたいところだが……部屋?


「まずっ、宿代がない!」


 ぼんやりしてたら今晩こそ野宿だ!

 急に頭が冴え、慌てて宿を飛び出した。




 走り出したものの、すぐに息切れして速度を落とす。


 体に宿った最弱力が……恨めしい……!


 のろのろとギルドへ向けて道を歩く間、気懸かりに頭を悩ませる。

 伝言してくれと言われたしシャリテイルと話をと思ったが、いったん落ち着いてみると、自分自身がなにも把握していない状態ってのもまずい気がしてきた。


 シャリテイルは俺を怪しいと言いつつも、本気で警戒していたようには見えなかった。お節介焼きなだけで裏なんかなさそうだとは思う。

 どっちかというと興味本位なだけの気もする。


 だけど実際的なこの世界の知識がない以上は、俺も何が良くてまずいか分からない。妙なことをして捕まるようなことになったら嫌だし。


 よくシャリテイルとの会話を思い返してみる。

 彼女が俺を怪しんで様子を窺っていた理由。

 確か、人族が聖なる祠から出てこれるわけないと、言ってなかったか?

 違うな。

 聖なる鎖に触れるはずがない、だっけ。


 これは大きな違いだ。

 出たところは見られてないんじゃないか?

 聖なる鎖とやらにすら触れないなら、俺が中から出てきたのを見られていたら大騒ぎになっている気がする。


 性格がゲーム内人格と変わる程度には、疑われたってことだし。下手なことを話して俺も魔物と思われても困るよな。いや魔物なら余計に聖なる場所なんか近づけないか。


 まあいい。もう一度、祠に行って現状確認だけはしておこう。

 ついでに何ができて出来ないのか、自分なりに確かめておくか。話して構わないことと、駄目なことなんかの基準も少しは把握できるかもしれない。


 よし、ギルドはパス。まずは祠だ。

 寄り道してたら、クエストなんてこなせないかもしれないからな。

 ギルドの前に来ると少し悩んだが、結局通り過ぎた。


 もし戻ることになったら話す機会はなくなる。

 このまま帰れるなら、その方がいい。




 そうして淡い期待を胸に、聖なる祠へ訪れた俺は、祠に入ろうとして体をぶつけていた。


「入れない!?」


 洞穴の入口に張り巡らされている、光の角度によって透過具合の変わって見える鎖。その外見とは違い、入口全体がひんやりとした壁のような手触りで、完全に塞がれている。さらには、出てきたときにはなかった通ろうとすると押し返すような反応がある。


 黒い鎖は、掴もうとしても殴っても、見えない壁に阻まれびくともしない。

 石を投げても跳ね返ってきやがる。

 もう、外からはどうやっても入れなかった。


「嘘だろ……帰れるとしたら、ここだと思ったのによ……」


 なんで俺は確認もせずに出てきたんだよ。

 あの変な石とか何かありそうだったのに!


「はぁー分かってた」


 なんというか、こういうのもお約束だよな。

 まあ、確認はできたんだし、良しとしよう。


 戻れる希望や可能性を潰して外堀を固めていくって、虚しい気もするけど。そうでもしないと、諦めがつかず気が散ってしまう。

 こんなところでぼんやりするなんて命取りだ。


「でも落ち込むもんは落ち込むんじゃい」


 ふらっと来れたように、ふっと帰れるんじゃないかと、頭のどこかでは考えていたんだ。

 しばらくいじけて、岩壁を背に膝を抱えて座り込んでいた。




「くそっ次だ次!」


 勢いをつけて立ち上がり、落ち込みを振り払うように叫んだ。

 分からないことは後回しだ。帰れないことが分かったんだから、これからどうするか心配しよう。

 できることなんて、手荷物を確かめるくらいだけど。


 周囲を見渡し、頭の中にマップを思い浮かべる。

 偶然か用事があったのかは知らないが、シャリテイルが居たくらいだし、祠は他にも人が来る場所なのかもしれない。

 場所アイコンの間で、人の通り道から外れる場所に見当をつけて木々の間を移動する。


 といっても、やはり魔物は怖い。狭いが平らな草地があり、そこから祠の方を振り返ると小さく見える場所で足を止めた。

 逆に、人が来たならすぐに気がつけると思うことにするか。


 その名の通り、聖なる空気に守られている結界のようなものという設定だから、弱い魔物しか近付けないはず。

 弱い奴ほど近づけないのではという疑問の答えは、性質が違うかららしい。同じ魔素といっても、聖と邪という相反する性質があるのだ。

 強い魔物ほど邪の魔素が濃く、聖なる魔素とは反発する、とかなんとかいって街から遠いほど強くなる説明をつけていた。


 そんなわけで、この辺ならケダマしかいないはずだが、それでも俺には厳しい相手だろう。昨日、ケダマ一匹を倒しただけでレベルアップできたのは、俺も雑魚だからだ。


 だからこそ、今日の俺は昨日とは一味違うぜ!


 レベルの分だけ、基礎ステータス値が底上げされるからな。

 基本を8で割り振ってしまったから大して上がらないだろうが、二脚ケダマなら仕様どおりに三匹で襲い掛かられても片付けられるかもしれない。

 うん、いけるいける。


 今まで漠然と怯えていたが、気が大きくなったのはレベルのことを思い出したからだ。さっきな。

 要領は分かったというのも大きいが、多分昨日ほどは苦労しない、はずだ。


 ……さすがに、ナイフを使う練習はした方がいいかな。毎回体当たりするのは厳しいだろう。

 慣れてないから、慌てて取り出すと指を落としそうで怖いんだが。

 せめてグローブくらいあったらマシだったのに。


 草地に座り込むと、グローブが入ってますようにと願いつつ、腰のベルトにくっついていた袋類を外していく。ナイフは側の地面置いておこう。

 ポンチョは今の装備の中では一番防御力が高いはずだから、脱がないように捲り上げて鞄を取り外す。

 それから、くっそ固く括られている一番大きな袋の紐を必死に解いた。


「水筒あるじゃん!」


 まず目についたのは、角が丸く平べったい金属製の入れ物だ。昔の人が酒を入れて懐に忍ばせ持ち歩いていたような、口が狭いやつだがサイズはもっと大きい。

 黒く艶もないせいか金属特有の硬質さは感じられないから、厳密には金属ではなさそうだ。この世界独特の素材かもしれない。


 蓋を開けて手の平に少しばかり垂らす。

 色に問題はないし、飲み口を嗅いでみたが大丈夫そうだ。どのみち昨日から水分を取っていないから我慢できそうもない。

 口に含むと、生き返ったような気持ちになる。


 一息つくと、一緒に入っていたものを広げた。どれも物珍しくはあるがガラクタに見える。

 小さな木箱に入っている金属片と石の塊と紙切れ?

 たしか火打石だっけ。旅してきた設定なら持っていてもおかしくはないな。

 小型のナイフもある。実戦用ではないな。髭剃るのにちょうど良さそうだ。

 巻いた紐が数本。袋を縛る用のスペアだろうか。

 予備の袋が二つほど。スペアだろう。

 それと、なんだこのゴミ。

 指ほどの長さの枝だが、片側は箒のように毛羽立っている。ブラシにしても、小さすぎるし、何用だか分からない。


 別の小さな袋を開けた。

 ジャラジャラした二つの袋には、砕いた木の実のようなものが詰まっている。濃い茶色の欠片を嗅いでみると微かに香ばしい。ところどころ焦げ目もあるし、炒ってあるようだ。

 食べ物だと分かると、今まですっかり抜け落ちていた空腹感が戻ってきた。口に放り込むと、ガリガリと齧りながら、ふやけて膨れないかと水で飲み込む。

 量が無いから、少しずつ空腹を誤魔化さないとならない。


 最後に背中の袋だ。

 スペースのほとんどを埋めるような、折り畳まれた大きな汚い布を引っ張り出して開いた。


「お、あった!」


 手首まで覆う革のグローブが挟まっていた。早速、装備だ。

 喜び勇んで布を開くと、タオルサイズの布が出てくる。さらに漁る。

 そして……それだけだった。


「は……これだけ?」


 ざっと見て思ったが、薬草だとか着替えだとか、役に立つもんがねえ! 

 期待はしぼんだ。

 もう少しだけと言い訳しつつ、木の実を齧りながら、広げた荷物を見渡す。


「やっぱ異様なのは、お前だよ」


 コントローラーを膝に乗せて睨む。

 これが唯一の現実、というか元の世界の物だ。安心していいのか悪いのか、一晩経ってもアクセスランプは青く光っている。

 あちこちを押すが、昨日と変わりはない。

 押しても駄目ならコマンド入力でどうだ。


「上上下下左右左右ビーエーっと」


 反応はない。


「なんちゃらゲリングベーイ」


 今時のコントローラーにマイクなんか付いてないし叫んでも無意味だ。

 当然ながら特に何か強化されるなどの変化はなかった。

 無駄に遊んでいたら、腹に圧迫感がある。


「木の実のせい? 満腹感すごいな」


 こんな干からびた見た目のくせに、腹でかなり膨れるらしい。全部食ってたらと思うと気持ちが悪くなる。

 飯代なんか手に入りそうもないし、これが分かっただけでも儲けもんか。


 なんとなく溜息をつきつつ、荷物を片付ける。

 コントローラーは、なんだかよく分からないし背中の袋にしまっておこう。


「どうすっかな」


 早々にやることがなくなってしまった。

 改めて、ゲームの記憶も掘り起こしたほうがいいのかね。


 英雄軌跡か……時間がなくても途中で飽きても、セーブ場所を探して戻らなければなどと焦ったり面倒に思うこともなく、放置してもストレスがなく気楽だった。

 ゲームを終わらせたいなら、メインシナリオを起こすフラグを立てればいいだけだ。

 わざと話を進めずカンストするまで延々と金を貯めたり、レベルを上げ続けることができる。その間にも装備の強化素材を集めて回ったり等々、トロコン目指しついでに隅々まで触ったと思う。ちょっとした空き時間や、ぼけーっと遊んでいたい時にはうってつけで、結果的にやり込んでいた感じだ。


「そんな気楽さは、ゲームの中だけでしたね」


 考え事だけなら、もっと安全な場所でもできる。仕方ない、街へ戻るか。


 あわよくばケダマで稼げるかと思ったが、今日はなんの気配もなかった。

 大人しくクエストでも受けたほうが良さそうだ。昼からできることがあるのかは知らないけどな。

 なあに、ブランケットらしきものを持ってると分かったんだ。野宿もドンと来いだぜ。


 そうは言っても、昨晩の疲れ具合を思い出すと不安だ。走るとすぐ息切れするポンコツな体を恨めしく思いつつ、できるだけ急いで来た道を戻っていた。

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