マニキュア
かんらくらんか
マニキュア
リンが藪から棒に言った。
「ツメ切ってよ」
わたしは自分の指先を見せて答える。
「昨日、切ったけど」
「じゃなくて、ウチのツメ」
文芸部の部室はしんと静まり返っていた。
野球部の走り込みの掛け声が聞こえ、また遠ざかっていった。
「は?」
わたしは短編集から顔を上げた。
「なんで?」
「右利きだから」
「……うん?」
「右手のツメを切るの難しいじゃん」
「そりゃね、そうよね、わかるよ」
「だから、ツメ切ってよ」
「わたしが?」
「ほかに誰かいる?」
文芸部はわたしとリンの二人きりだ。
積み上げられた古本は黙りこくっている。
「いないけど」
「ほら」
リンは長机の上に手を出した。
小指だけを立てて、ほかはグー、指切りげんまんの形だ。
左手でツメ切りをよこす。
わたしはそれを受けとった。
「小指だけ?」
「ううん、一本ずつ、やって」
「パーにしなさいよ」
「いーじゃん、勝手でしょ」
わたしはリンの手をじっと見た。
なにか隠しているんじゃないかと思ったからだ。
見つけたのはマニキュアだ。
素人技でビックリマークが描かれていた。
近頃のマニキュアは変わった図柄がオシャレと聞く。
「嫌なの?」
「……いいけど」
合法的にリンの手に触れられるのは願ってもないことだ。
わたしはもにょもにょした違法的な思考を打ち切る。
短編集をわきにおいて、長机ごしにリンの手をとった。
柔らかいし、華奢だし、白いし。
「ツメ、よく見て、丁寧にしてね」
「うん、ええと……あっ」
わたしはいったん手をはなして、ツメ切りを準備した。
気がはやって、さきにリンの手をとってしまった。
違法行為が見抜かれていないか、顔をうかがう。
……大丈夫そうだ。
「いくよ」
わたしはぱちんぱちんとリンのツメを切った。
やすりで多少磨く。
「これでいい?」
「うん、合格」
わたしはほっとした。
リンは小指をグーにしまって、薬指だけを立てた。
「わ、器用!」
生まれてこの方、そんなふうに薬指を動かせる子を見たことがない。
そう思わせる、なめらかな動きだった。
「こういうのって生まれつきなんだって」
「へえ」
わたしは自分の手で試してみたが、やはり薬指は上手く動かせない。
どうしても小指が一緒に動いていしまう。
リンの指に注目しなおす。
薬指のマニキュアにも図柄があった。
横に二本線、縦に一本線のマークだ。
簡略化した電柱のマークにも見える。
「いくよ」
ぱちんぱちんとツメを切る。
やすりで仕上げる。
「いい?」
「うん、いーね」
続いてリンは薬指をしまって、中指を立てた。
「ちょっと待って!」
わたしは叫んだ。
「え! なに?」
わたしが大声を出したのでリンはびっくりしたらしい。
しかし、中指を立てた右手はそのままだった。
「いや、この手の形はファ☓☓ユーだよ!」
「どういう意味?」
「外国ではこれを出したら、大変なことになるから!」
「ふうん」
「いや、だから、やめた方が」
「でも、ここは日本じゃん」
「そ、そうだね、たしかに」
わたしはぱちんぱちんとツメを切った。
やすりをかける。
「これでいい?」
「オッケー」
リンは中指をグーにしまって、人差し指を立てた。
人差し指にもマニキュアがあった。
その図柄は漢字の『人』か、あるいはカタカナの『イ』にも見える。
アンテナのマークだろうか。
そして中指にもなにか描かれていたことを思い出す。
たしか、リボンのマークだった。
漢字の『又』みたいな図柄だったと思う。
「デスビーム、ビビビ」
人差し指を向けて、リンが冗談を言い。
わたしは小声で答えた。
「クリリンのことかー」
「デスビームでやられたのはベジータだよ」
「あ、そうなんだ……」
ぱちんぱちんと爪を切る。
やすりがけ。
「こんなもんで、どうでしょう」
「良い、良い」
リンは人差し指をグーにしまった。
親指はなかなか出てこなかった。
どうかしたのだろうか。
わたしはリンの顔を見ようとした。
その時、今度はリンが大声を出した。
「はい、親指!」
「お、おう、よしきた」
わたしは手の方に視線を戻す。
リンは親指を立てていた。
フェイスブックのいいねボタンだ。
こちらから見ると逆さ。
というか、わたしの方を指してるけど。
「これで最後ね」
わたしは親指のツメに注目した。
そこにもマニキュアでなにか描かれていた。
漢字の『夕』に見える。
いや、ちょんちょんがついている。
カタカナの『ダ』に近い。
というよりカタカナの『ダ』そのものだ。
変わったマニキュアの図柄もあるもんだと思う。
「いくよ」
わたしはぱちんぱちんぱちんと爪を切った。
やすりをかける。
「完了!」
「うん、ありがと」
そう言ってリンは手を引っ込めた。
やれやれとわたしは思う。
短編集をとって開く。
しかし、変な図柄だったな。
たしか、小指から順番に、
『!』
『キ』みたいなの。
『又』のようなの。
『イ』っぽいの。
『ダ』
だったっけ。
……ん?
わたしは短編集をひたいにあてた。
顔がかくれる格好になったのが幸いした。
ダメだ。
やばい。
やばい。
にやけるな。
にやけるな。
にやけるな。
むりだ。
わたしはしばらく顔をあげられなかった。
短編集の表紙にいる芥川龍之介がわたしを守ってくた。
あの、なにか見抜いたような顔で。
マニキュア かんらくらんか @kanraku_ranka
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