#31 協力

 スーヴェンの屋敷を後にした俺たちは、そのままあの旧貴族街の屋敷に向かう。数週間張り込んで監視していたその屋敷は、数本の炭化した柱が残るだけの更地となってしまっていた。幸い延焼などはなかったようだ。このあたりの家は、貴族が住んでいたということもあって、それぞれの家々の間にはかなりの間隔が開いている。


「ここね?」

 クラリスの問いかけに、俺は頷きを返す。

「そうだ」

 下車し、通りを眺める。昨日と何も変化はない。雨が降っていないことと、一軒の廃屋が焼失した以外の違いは見当たらない。俺たちは無言のまま、焼け跡に向かう。塀などはレンガ造りになっているため、ほとんど残ってはいたが、門をくぐると、中は惨憺たるありさまだ。きれいにすべてが焼かれてしまっている。家の形は分かるが、この分では調べたところで何も見つけられそうにはない。

「駄目ね」

 クラリスも俺と同じ感想を持ったようだ。

「きれいに燃えているわ。油か何かを撒いたようね。じゃないとこんなにきれいには焼けないわ」

「ああ」

 それは、俺自身も目にしていた。地下室に降りてくる炎の映像は、まだ鮮明に覚えている。

「でも、それならそれで分かることがあるわ」

 クラリスが、足元の瓦礫をどけながら呟く。

「この家を燃やした男――あなたの見解ではE・J・Mということになるけど、その男が入ってからあなた達が入るまで、それほど間は空いてないわよね?」

「そうだ。蜘蛛アレニェに電話を掛けたが、あいつは出なかった。2分か3分くらいしか、間は空いてないはずだ」

「だとすれば、この家を燃やした人間は、最初から間取りを分かっていたということになるわ。でないと、そんな短時間で各部屋に油は撒けない」

 伊達に、20年以上記者をやっているわけではない。クラリスの推理はおそらく正しい。

 しかし、俺も同じことを考えていた。クラリスとは少し違う視点だが、地下室の存在を犯人が知っていたからだ。暖炉の奥にあったあの地下室の扉は、事前に知らなければ容易に見つけられるものじゃない。

「どうする、地下室に行ってみるか? 」

「もちろんよ」

 瓦礫と炭の中を、俺たちは分け入っていく。焼け落ちた廊下を歩き、中庭を左に見ながら、一番奥の部屋へとたどり着く。昨日とは違い、歩みを止めるものはない。

「死体はいくつあったの?」

「数えていない。だが、少なくはない数だ。すべて白骨化していた。かなり時間は経過しているように見えた」

「そう」

 クラリスは眉根を寄せている。何か思いつくところでもあったのだろうか。

「あったぞ」

 暖炉はある程度その形を残していた。昨日自分が火に巻かれながらも、シエルの冷静な声で発見したその扉もまだ残っている。ただ、瓦礫が地下へと続く階段いっぱいに詰まっていて、容易に降りられそうにはない。時間をかければ進めそうだが、そのが俺たちにはない。

「この下に、その灰色の眼球があった、ってわけね」

「そうだ。それと金属製の骸骨……おそらくは機巧義肢マキナ・ドールの研究が行われていた、この場所で」

 こんな帝都のど真ん中で、ヨハンや数多くの人間が実験と称して殺されたのだ。どんな気持ちだっただろう。薄暗い地下室で、いつ出られるかもわからないままに囚われるのは。分からない。想像もつかない。俺に分かるのは、自分がそのうちの一人の人間を、友人だと思っていたということだけだ。

「となると、やっぱりこの家の持ち主こそが、E・J・Mでしょうね」

「そう考えるのが妥当なところだろうな」

 時間がない。はやる気持ちを抑え、俺たちはその場でしばし黙考する。どうするべきか。結局ここにきても、手がかりと言えるものは見つからなかった。

 空を見上げると、雲の流れが速い。雨は降りそうにないが、日はまださしていない。雨上がりの空模様だ。夕暮れまでは、あと3時間くらいのはずだ。

 できることなど、何もないように思える。時間が過ぎていくのを待つこと以外に、一体俺に何ができる。

 考えろ。考えろ。そう言葉にするたびに、大切な何かが抜け落ちていくような、零れ落ちていくようなイメージだけが頭を通り過ぎていく。

「あと、私たちにできることは何?」

「……この家の持ち主を、調べることくらいだな」

 それが俺が行きついた答えだった。どれだけ考えても、裏返しになったままのカードはそれだけだ。だが、そこに何が書いてあるのかなど分かっている。E・J・M。ただそれだけだろう。そんなものでは何の手掛かりにもならない。だが、返してみるまで分からないのが、カードゲームのいいところでもある。

「社に戻りましょうか」


 旧貴族街の土地ということは、売買されていれば新聞記事になっているはず、と、車中クラリスは説明した。つまり、売買されていなければ、調べたところでみつからない。その場合はもう打つ手がないということだ。時間もあまり残ってはいない。

 俺たちは他にも数人の記者を読んで、保管庫に並べられてある古い新聞の束をひっくり返した。

 社の地下にある保管庫には、背丈ほどもある棚が30列ほど並んでおり、その半分ほどが既に埋まっている。

「どこから調べるべき?」

「20年前から調べよう」

 俺は即答した。この決断こそが、すべてを左右する。おそらく調べられたとしても、5年分がやっとだろうから、見当はずれのところを調べていては、たとえそれが記事になっていたとしても見つけることはできない。だが、俺には妙な確信があった。すべてが始まったのが20年前。だとすれば、きっと答えはそこにある。

 古新聞の独特な匂いを全身に浴びながら、俺たちは黙々と新聞をめくる。

 懐かしい記事がある。俺が書いた記事もある。講和会議の写真を見れば見るほど、当時の記憶がよみがえってくる。文字を目で追いかけているはずなのに、頭の中に浮かぶのは、妻の笑顔だった。

 隣には若い記者がいた。クラリスの部屋に駆け込んできた青年だ。若く、故に使命感に燃えている。その目は真剣で、、俺が失ってしまったものを彼はいまだに持っていることが分かる。あの頃、俺は同僚たちを巻き込んでしまうことを恐れて、何も彼らに話をしなかった。自分一人で抱え込み、使命感の持ち方を誤った。そして時が巡り、今、俺はあのとき頼ることができなかった記者たちの協力を得ている。因果、という言葉では足りない、因縁という言葉でも尚欠けている、これを一体なんなのだろう。


「ありました!」

 時間にしておおよそ30分ほど。棚の奥から声が上がった。

「旧貴族街6番、9ブロック。取引されています」

 見つけたのは、こちらも若い女性記者だった。全員が、彼女の背を取り囲み、指が示す記事を覗き込む。そこには確かに、土地売買という簡潔なタイトルの小さな記事が掲載されていた。

「売り手は?」

 すかさず尋ねるのはクラリスだ。

「えー、サイモン・ガーフレックス」

 予想通りだ。やはり、E・J・Mの名前はない。サイモンの屋敷をE・J・Mが使っていたということだろう。

 しかし、売り手ということは、買い手は別にいるということか。俺の内心の言葉に呼応したわけではないだろうが、女性記者はそのまま記事の続きを読み上げる。

「旧貴族街6番、9ブロック。売約済。スーヴェン・ゾラ伯爵」

「スーヴェン・ゾラだと?」

「ああ、そう書いてあるわ」

「何故、わざわざ彼が買うんだ」

「わからないわ――。ただ、ここにこうして記事がある以上、それは事実よ」

 事実。つまり、あの家はE・J・Mのモノでもサイモンのものでもなく、スーヴェンが所有しているのだ。

「日付はいつだ?」

 口には出しながら、もう問いかけてはいない。女性記者の背後から新聞を奪い、自分の目で確認する。20年前の9月26日。妻が殺されたのは真冬の12月。となれば、これはそれよりも前ということになる。だが、何故E・J・Mはあの家を手放し、スーヴェンがそれを手に入れたのか。

 屋敷の惨殺事件。おそらくあれは発覚していない。そうでなければ、白骨化した死体が放置されているわけがない。だとすれば、あの屋敷で行われていた実験の口封じのために殺されたと考えるのが妥当だ。つまり、惨殺事件は実験後に起きている。

 だが、そんな厄介な物件をスーヴェンは何故買う必要がある。しかも、仲間であるサイモンから、わざわざ。いや、逆だ。おそらくあの惨殺事件はスーヴェンの手によって引き起こされた。

「クラリス、E・J・Mの死は政府から知らされた……だったな?」

「ええ……確か、そうだったはず」

 E・J・Mの死を俺に教えてくれたのはクラリスの手紙だった。そのクラリスがそう言っている。問題は政府をどこまで信じていいのかということだが、それはどちらでもいい。とにかく、彼が書類上死んだということが重要だ。

 では、なぜE・J・Mは死んだ? 事故か? 病気か? いや、違う。おそらく彼は書類上で、誰かに殺されたのだ。その理由はたった一つ。完全にその足取りを消すためだ。この世界にE・J・Mは存在しないということを確固たるものにするために彼は死んだ。そこまでしなければならない理由ができたのだ。

 ――だが、その理由が分からない。

 何か……。

 スーヴェンの顔を思い出す。

 あの、傲岸不遜な態度。新聞記者をハイエナと蔑む、その言葉遣い。そして憤怒の表情を浮かべ……何だ……何……何か、が脳内に引っかかった。

 目で見た印象は、強く、賢く、そして傲慢。彼の言葉から受ける感触も同じだ。感触……そうだ。俺は確か彼の腕に触れた。硬い、機巧義肢マキナの――。 俺の沈黙に、周囲の記者たちも従う。静謐な地下室にお似合いの沈黙が続く。

 その時、俺は確かに感じた。

 何かが脳内で閃光を放った。それはか細く弱く、消えてしまいそうなほどに小さな光。だが、確かにある。それこそが、すべての答えを導き出すきっかけになる。そんな予感がある。

 そう、それだ。

 なぜ貴族である彼が義肢をしている? 身体が欠損しなければ義肢を装着する理由はない。もちろん、ケガや病気などの可能性もある。それが理由で義肢を付けている貴族もいるだろう。しかし、俺は頭の中に過った一つの可能性を確かめずにはいられなかった。


「この記事の前後の時期で、スーヴェンの写真が映っている記事を持ってきてくれないか」

 俺は、周りに集まる記者たちにそう呼びかけた。あるかどうかは分からない。新聞とて万能じゃない。だが、俺には確信があった。スーヴェンは確か、講和会議に本国代表の一人として出席していた。写真は必ずある。

「ありました!」

「こっちにも!」

「2枚あります!」

「1年前のですが!」

 すぐさま声が上がった。そして、集められた新聞記事に俺はすぐに目を通した。そして、そこにあったのは俺の予想した通りの事実だった。 

 そして、もう一つ俺は確認しなければならないことがあった。

 俺は、周りに集まる若い記者たちに呼びかける。

「この中で、機巧義肢マキナ技術に詳しいやつはいないか?」

「はいッ!」

 手を挙げたのは、一番最初に俺の隣にいた青年。使命感に瞳を燃やす彼だ。

「ここ数年で、機巧義肢マキナの技術革新はあったか?」

 点が線になり、面になっていく。事実がそうして浮かび上がってくる。もちろん、まだ確信ではない。的外れかもしれない。だが、一度そうだと考えると、もうそれ以外の可能性は浮かばない。

「ありません」

 彼が言う。その言葉で十分だった。


「行こうクラリス。E・J・Mは見つかった」

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