#29 迷路と出口

「今の話を総合すると、まず、20年前。E・J・Mと言う男が、サイモン・ガーフレックスやその他の貴族たちと共謀して、数百名の人間を戦時行方不明者として、どこかへと連れ去った。そして、あなたはそれを追いかけていた。しかし、それはどうやら戦時法違反になるようなヤバい実験で、あなたはそのシエル、と言う少女に殺されかけた。なら、シエルは間違いなくサイモン側の人間ということね」

「そういうことになる」

「そして、シエルという少女は、どうやら人間ではなく、機巧人形マキナ・ドールという……何かしらの存在で……ということは、戦時法違反になる実験ってのは」

「国民を戦わせない為に、機械兵士を作ろうとした。おそらくはそんな実験だ。その結果生まれたのがシエルということだろう」

「私もそう思うわ。つまり、名簿から消えた数百人の人間も」

「シエルが生み出されるために使われた、そう考えるのが妥当だろう。義肢には人間の血液が使われている。シエルのような機巧人形マキナ・ドールは他にもいるという話だった」

 クラリスと俺は、ようやく結論めいた答えに行きつき、大きく息を吐いた。20年。その歳月を経て、俺はようやく真実と言えるものへとたどり着くことができたのだ。

「それで、そのシエル、って女の子、でいいのかしらね。……が記憶を失って、あなたを訪ねた」

「プリステスの差し金だろうな。あいつは、多分最初から全部を知っていた。その上で、俺とシエルを引き合わせた。シエルの記憶がそうすることで戻ると考えたんだろう」


「でも、記憶は戻っていない。なら、私たちのやることは一つね。E・J・Mを見つける。プリステスよりも先に……ただ、それだけじゃ筋の通らないことがあるわね」

 クラリスが言おうとしていることに、俺も気が付いていた。そう、シエルが人体実験によって生み出された存在なのだとしたら、なぜ彼女はサイモンを殺害したのだろう。もちろん、まだ彼女が殺したという確信はない。だが、深夜の貴族街。しかもサイモン・ガーフレックスが殺害された邸宅の近くに、彼女がいたということは、間接的な証拠と言っていい。


「シエルが、なぜサイモンを殺害したのか」

「そう。シエルにとって、サイモンは親みたいなものじゃない。まぁ、そういう考え方がすんなりあてはまるものじゃないとは思うけれど」

「いや、言いたいことは分かる。だが、シエル自身はその夜のことを何も覚えていない。……ただ、あの様子は」

「様子?」

 俺は、その夜のことを仔細に渡ってクラリスに話す。

 近づいた俺が、シエル、と呼びかけると、シエルは錯乱し狂ったように叫び声をあげた、あの夜の情景を。

「分からないわ。だけど、もしも彼女が貴族たちを殺害していたのなら、彼女はとらえられるべきね。これ以上被害者を増やさないためにも」

「あと二人。グレッグ・オースティンと」

「王国軍事科学上級顧問、スーヴェン・ゾラ。この二人は、まだ実験に関わった19人のうちで、殺害されていない」

「その二人には、会ったのか?」

 俺の情報がなくても、クラリスはこの連続殺人事件の関連性には気が付いていたのだ。記者として、彼らを訪ねないはずがない。だが、クラリスは縦とも横ともわからない、微妙な角度に首を倒す。

「もちろん会おうとしたわ。けれど、グレッグはもともとそれほど地位のある領主ではなくて、完全に没落してしまった今では足取りがつかめなかった。スーヴェンはその逆で、門前払い。だから、どちらとも話はできていないわ」

「そうか」

 その時、ドアが突然勢い良く開かれた。


「失礼します!」

 背の高い男が、そこから入ってきた。まだ若い。年のころは、20少し過ぎぐらいか。おそらくは新人記者なのだろう。手に何か紙を握りしめている。

「ノックくらいしたらどうだ」

 すかさずクラリスが男の不注意を𠮟りつけた。

「あ、えっと、申し訳ありません……ですが」

「なんだ。用件は」

「はい、先ほど警察から連絡があり……18人目の被害者が発見された、と」

 若い男は、クラリスの表情が険しくなるのを見て、慌てて一礼して、部屋を出て行こうとする。別に彼女は怒っているのではないが、事態が事態だ。

「ちょっと待て」

 呼び止める。

「その被害者の身元は確認できたのか」

「いえ、警察の話ではまだ……」

「どう思う?」

 クラリスに振られ、俺は自分の考えを口にする。

「グレッグだろう。スーヴェンが殺害されたのなら、警察はすぐに身元を明かすはずだ」

「私もそう思うわ。だけど、おかしい。これまで殺害は二日おきだった。けれど、サイモンが殺害されて、まだ一日しか経っていない。それに、シエルは昨晩、あなたといたはずよね」

 クラリスの指摘はもっともだ。俺の知る限りでは、シエルはあの夜どこにも行かなかった。プリステスが連れ去った後で、目を覚ましたとも考えられなくはないが、現実的じゃない。シエルがあのプリステスから逃れられるとは考えられない。……分からない。


「ああ、君、ありがとう。もう戻ってくれ」

「はいっ、失礼します」

 勢いよく入ってきた若者は、同じ勢いで扉を閉めて出て行った。初々しさに、どことなく背中がむずがゆくなる。俺も、あんな時代があったのだ。クラリスを横目で伺うと、眩しそうに彼の背中を眺めていたが、すぐに思考を切り替えたようだ。俺が見ていたことに気が付いたのか、小さく口許に笑みを浮かべるが、目はもう笑っちゃいない。さすがはプロだ。そして、俺もまたそうなのだろう。彼女と目が合い、何を考えているのかはすぐに分かった。

「スーヴェンに会う。それしかない」


 クラリスの計らいで、俺たちは社用車に乗りスーヴェンの屋敷へと向かうことになった。

 時刻は既に11時を回っている。蜘蛛アレニェの言っていた時間まで、残すところ5、6時間だ。プリステスでさえ見つけることができないE・J・Mを俺たちはたったそれだけの時間で見つけなければならない。不可能にさえ思えるが、投げ出すつもりはなかった。

 だが、なぜ俺がそうまでしてシエルの記憶を取り戻そうとしているのか、正直なところ自分でも判然とはしない。蜘蛛アレニェには、手を付けた仕事を途中で投げ出すわけにはいかない、とそう言ったが、なぜ自分の妻を殺したシエルに、俺は執着しているのだろう。

 恨みか、怒りか。最初はそう考えていたが、どうやらそういった否定的な感情ではないようだ。

 思えば、俺は20年前のあの日。ヨハンの失踪を知った時から迷路の中にとらわれてしまった。妻が殺されたというのは、その迷路の中の、最も入り組んだ袋小路だ。俺は長い間そこにとらわれ、身動きが取れなくなっていた。だが、今は違う。真実を知り、その袋小路は過去のものとなった。もちろん、痛みはある。苦しさも、悲しさも消えてなどいない。だが、それでも俺は、その袋小路の中にいることで、妻と一緒にいたのだ。忘れかけたこともあったが、妻の死を起点として、俺の生き方や生活は成り立っていた。


 シエルは、そんな迷路に現れた光なのだ。今はそんな風に思っている自分がいる。なぜそんな風に思っているのか、不思議といえば不思議だ。だが、彼女は俺をこの迷路の出口へと導いてくれた。過去を整理し決別する、そんなきっかけをくれた光なのだ。それに、昨日の夜、蜘蛛アレニェが俺を投げ飛ばしたときに、シエルはとっさに身を挺して俺を守ろうとした。そこにあったのは混じり気のない気持ちだったはずだ。その気持ちに、なんと名前を付けるのが適切なのかはわからない。だが、俺とシエルの間には、確かに通じるものあった。プリステスは情が移った、などと言ってはいたが、それを否定する言葉を俺は持っていない。たった二日で何を、と思うが。しかし、そうなのだ。

 迷路を抜ければ、妻を失ったことに向き合うことになるだろう。復讐のために生きていた俺にとって、それはおそらく、妻の死と向き合う最初にして最後の機会になる。その時、俺がシエルに対してどんな感情を持つことになるかは、今は分からない。再び憎しみを覚えるかもしれない。殺してやりたい、とそう願うかもしれない。

 だが、今はそれ以上考える気にはなれなかった。

 シエルの記憶を取り戻す。

 そして、本当の真実。一片の曇りのない、この入り組んだ迷路の地図を手にいれる。それが俺の、野良犬ストレイ・ドッグの、なさねばならぬことなのだ。

 車窓に流れる街の景色を眺めるともなしに目に映しながら、自分の中にある、濁り、複雑に絡み合い、見通すことも、見つめることもしなかった感情に、俺はそう蹴りをつける。


「そろそろよ」

 クラリスの言葉で、はっと我に返る。

 長い間、考え込んでいたようだ。

「まぁ、会ってくれるとは思わないけれど。でも、いま私たちにできることはこれだけだものね」

「いや、会ってくれるさ」

 俺には確信があった。ポケットの中には、灰色のガラス玉がある。これは、機巧人形マキナ・ドールの存在を裏付ける確かな証拠だといっていい。それが吉と出るか凶と出るかはわからない。だが、クラリスと同じように門前払いされることはない、と俺は踏んでいた。


 そして、その考えは正解だった。

 俺とクラリスは、すぐに屋敷の中へと迎え入れられたのだった。




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