#28 古巣

 家に帰って着替えた俺は、すぐに新聞社へと向かった。


 中心街まではバスでおおよそ20分。そこから貴族街のある東方向へとしばらく歩くと、すぐに5階建ての古巣が見えてくる。レンガ造りの旧い建物で、元々は政府関係の建物だったそうだ。20年の歳月がたってはいても、外見は何も変わっていない。


「クラリス・モーガンに会いに来たんだが、いるか」

 俺は受付に座る長い髪の女にそう尋ねた。

「アポイントメントは」

「ない」

「でしたら……」

 予想通り、女は俺を追い返そうとしてくる。それはそうだろう。クラリスも、20年この社で記者をやっているのだ、それなりの立場にはなっているだろう。だが俺だってはいそうですか、と帰るわけにはいかない。何か会う方法を考えなければならない。

「俺は以前ここに勤めていた者で」

「はぁ……」

 受付の女は気のない言葉を返す。まぁそれはそうだ。彼女だって仕事だ。スルリ、と俺を通してくれるはずなどない。何か、無いか。どういう時なら、新聞記者は来訪者をアポイントなしで受け入れる。俺ならどうする。そう考えたとき、あ、あるじゃないか、と俺は気がついた。

「現在起きている連続殺人事件の犯人に、心当たりがある」

「……!!」

 受付嬢の顔色が変わった。そして、一度裏に戻り、何事かを話して戻ってきた。

「分かりました。お名前を」

「名前は……悪いが明かせない。だが、そうだ、クラリスに野良犬が来た、と言ってくれれば分かるだろう」

 クラリスのことだ。俺が今裏社会で生きていることは知っているはずだ。そう俺は見当をつけていた。俺に手紙を出すときに、プリステスに接触したとするならば、彼女だってある程度こちら側に足を突っ込んでいなくてはおかしい。裏も表も、情報に価値があるのは同じなのだ。クラリスが一流の記者であればあるほど、その境界線は曖昧になる。

「分かりました……では、少々そちらでお待ちください」

 背後のソファを指さされ、俺がそちらに向かおうとした時、

「いい、その必要はないわ」

 ハスキーな女の声が聞こえた。振り返る。見覚えのある顔がそこにはあった。とはいっても20年ぶりの再会だから、記憶の中の顔とは少し違う。肌の皺や髪の艶などは、やはり年相応になっている。だが、目だけは記憶の中にあるのと同じにらんらんと活力にみなぎっている。クラリス・モーガンだ。

「久しぶりね、野良犬ストレイ・ドッグ。そろそろ来る頃だと思っていたわ」

「よう」

「知りたいことがあってきたのでしょう?」

「まるで俺が来るのが分かってみたいな口ぶりだな」

「ええ……。分かっていたわ。あなたが来るって、ね」


 クラリスに連れられ、階段を上がり廊下を歩く。古い建物だが、内装は何度も補修されたのだろう。きれいと言うわけではないが、年月を感じさせるほどではない。至る所に資料や新聞紙の束が転がっているのは記憶のままだが。

「本当に久しぶりね。なんで手紙を返してくれなかったの」

「返そうと思ったさ。だが、誰が内通しているのかわからない。お前まで危険にさらすわけにはいかなかった」

「まぁそんなことだろうと思ったわ。でも、大丈夫よ。あなたが消えてから、大きな人事異動があって、かなり整理されたみたいだから。多分だけど、もうあなたに敵対する人間はいないんじゃないかしら」

「そう願うよ」

 俺の前を歩くクラリスは、廊下の一番奥にある扉の前に立つ。表札には、編集長室と書かれている。

「入って」

「おいおい、出世したんだな、お前も」

「ええ。あなたがいなくなったお陰でね」

「よしてくれ、たとえ俺がずっと勤めていたところで、編集長なんかにはならなかったさ」

「あなたがそう思っていても、周りが許さなかったわよ、きっと。まぁ、お陰様で私にお鉢が回ってきたんだろうけどね」

 編集長室は、それほど大きな部屋ではないが、調度品が壁に並べられていたり、床に絨毯が敷かれているなど、他の部署とは全く違う光景が広がっている。ここだけを見れば、貴族の邸宅の一室ではないか、と思ってしまうほどだ。まぁ、しかし、それはあくまで何も荷物が無ければ、と言う話で。今は数多の書類が所狭しと並べられている。立派な壁紙も、机も、何もかもがその資料の前では異物でしかない。この部屋の主人公は、あくまでもクラリスその人なのだ、と言うことを物語っている。

 クラリスは資料をどかして俺を座らせると、自分は大きなデスクの裏に回り、一冊のノートを取り出した。

「それ」

「あなたが書いていたノートよ」

「まだあったのか」

「私が保管しておいたの。いつか必要になる日が来ると思ってね。そしてその日はこうしてやってきたというわけ」

 そしてクラリスはその古ぼけたノートを俺に投げる。

「おい、これ」

 俺はノートを開いて驚いた。俺が書いた字ではないものが、いくつも記されていたのだ。しかも、1種類だけではない、見ただけでも違う筆跡が数人分はある。

「誰か、調査したのか」

「ええ。あなたがいなくなってから、私とそれから他の数人の記者で手分けして」

「危険なことを」

「記者の運命さだめよ。こんな事件の匂いがプンプンするもの放っておけるわけないじゃない」

 びっしりと書かれた文字は、どうやら俺が調査できなかった、戦時行方不明者にすら載っていない行方不明者の消息についてを詳細に調べてあった。俺が調べたのは50人分だけだったが、その数倍に渡る人名の詳細が記されている。

「でも、残念なことに、確たる証拠はつかめなかった。確かにいなくなった人間は確実にいる。けれど、それだけ。彼らがどこに行ったのかは全く分からないし、サイモン・ガーフレックスとも結局会うことはできなかった。誰が内通しているかもわからなかったら、大っぴらに動くこともできなかったし。でも……」

「なんだ?」

「この数週間で事態は変わったわ。だからあなたが来ると思ったのよ、見てみて」

 クラリスが俺からノートを取り上げ、ページをめくり俺に突き返した。

「なんだこれは? 」

「行方不明者の出身地の一覧よ。大体はばらけているんだけど、そうじゃないのもあるの。同じ出身地から、何人もの行方不明者が出ている」

 ノートには、ガーフレックス領を筆頭に、ベルモート領、コインザ地区、ボジョ教区などの地名が箇条書きで並んでいた。

「それがどうしたんだ」

「最近新聞読んでるかしら?」

「もちろんだ」

 欠かしたことなどない。いくら裏社会で生きているとはいえ、表と裏は切っても切れない関係にある。光の反対が影と言うように、その2つはどちらが欠けても成立しない。それに、裏社会の金の流れは、元をたどれば表の世界に通じていることが多い。

「なら、見覚えがあるでしょう? リック・ベルモート卿、ギグ・コインザ伯爵、レイド司祭、これはボジョ教区の元司祭兼領主ね」

「……確かにどこかで聞いたことのある名前だが」

「察しが悪いわね。あなたって昔からそうだったわ。全然気がつかないんだもの。自分の興味のある事にしかアンテナが向かないのよね」

 ほんとうにもう、とクラリスは小さく呆れたような溜息をつく。そんな顔も、記憶のままだ。

「何が言いたいんだ」

「……サイモン・ガーフレックス、と言えばわかるかしら? 」

 その名前を出され、何かが記憶の片隅できらり、と光るのを感じる。何かが引っかかった。すぐに手が届きそうな距離に、知らなければならない何かがある、そんな気配があった。だが、今一つその輪郭がつかめない。昨日今日とのことで、疲労が思考を鈍くしているのかもしれない。

「いいわ。別にあなたをいじめたいわけじゃない。むしろ、私はあなたに協力したいと思っているのだから。……そこにある名前の人物。二人をのぞいて、その全てが、ここ数週間で全員殺されているのよ」

「連続殺人事件か」

 頭によぎるのは、貴族街で警察に囲まれるシエルの姿。

 俺は羅列された名前をもう一度眺める。上から順に数えていくと、確かに19人。サイモン・ガーフレックスは17人目の犠牲者だったから、クラリスの言葉は正しい。

「あなたは、きっとまだ、自分の妻を殺した人間を捜している。私はそう思っていた。そして、この連続殺人事件。出てくる名前は、あなたが追いかけていた事件に関わるものばかり。あなたなら、遅かれ早かれ私に会いに来ると思っていたわ。まぁ、もう少し早くにくるだろう、と思っていたけれど」

「ああ……よくわかってる。お前の言う通りだ。もっと早くここに来ればよかった、俺もそう思うよ」

 クラリスの言う通りだ。もっと早くに訪れていれば、事件に対して別のアプローチができていたかもしれない。だが、だからと言って今の状況は変わっていなかっただろう、とも思う。たとえ答えを知っていたとしても、シエルの記憶を取り戻すまでは、彼女を妻殺しの犯人だとして裁くことはできなかっただろうし、となれば、結局昨晩のように、プリステスに強奪されることになったはずだ。

「ありがとう」

 だが、それはそれだ。クラリスがこうして俺のノートを残していてくれたこと、そして、危険を顧みずに、その調査を継続してくれたことには、感謝しなければならない。

「いいわよ、別に。事件を暴き、真実を白日の下にさらす。それは私達新聞記者の義務よ。……それで、聞きたいんだけど」

 俺がかつて見失ってしまった記者としての誇り。それを彼女は声高に口にする。俺が歩けなかったまっすぐな道を、彼女は歩いてきたのだと知る。

「この事件。私は真実を明らかにしたいと思うの。もちろん、かつての同僚であるあなたを助けたい、と言う気持ちもあるけれど、それよりも、数百人もの犠牲者がいるこの事件を、このままにしておくわけにはいかないから。だから、あなたが何か知っているのなら、教えて欲しい。私も協力するから。……もちろんこれは取引じゃない。私の使命を果たしたい、ただそれだけ」

「ああ、お前の気持ちは分かる。俺もそれでいい。知っていることを全て話す」

 俺はそれから、ここ数日間の間にあったことを、重要だと思われる点を中心にクラリスに話した。


 クラリスは黙ってそれを聞いた。こうしていると、時間が20年前に巻き戻ったような気がする。しかし、それが気のせいだということは何よりも俺が一番知っていた。失った妻は戻ってこないし、ヨハンも、その他大勢の人間も、おそらくはどことも知れぬ土地の下で眠っていることだろう。だがようやく、俺は過去と向き合い、彼らの死に報いることができる。その確信が、俺には何よりの力となっていた。


「それじゃぁ話を整理するけど」

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