Day 3

#27 そして、朝

「プリステスは、シエルがE・J・Mの居場所を知っていると私たちに伝えました。ですが、シエルは記憶を失っている。つまり、E・J・Mの居場所なんて知らない。それは嘘と言えるんじゃないですか」

 俺と蜘蛛アレニェは、貧民街の路地裏を歩いていた。プリステスから追われる俺たちは、二人でいるのがお似合いだ。

「そういうことか」

 自分が何故プリステスからシエルのボディ・ガードに選ばれたのか、という本当の理由が、俺にもようやく分かってきた。

「プリステスは俺に、シエルの記憶を取り戻させたかった。E・J・Mの居場所をシエルが思い出せばプリステスは嘘をつかないで済む。取引ができる、ということか」

「プリステスはあなたに期待していたんでしょう。あなたがシエルの記憶をよみがえらせてくれる、と。ですがそうはならなかった。そんなことをしている間に、取引のリミットが近づいてきた」

「だからシエルを連れ去った」

 そう考えれば、辻褄は合う。

 そして、それ以外に、もう考えられない。

「もしも、E・J・Mの居場所を知らないシエルは、ただの機巧人形。まぁ、完成体ではありますが、それが一体だけいたところで仕方がない。シエルほどではない機巧人形マキナ・ドールなら、我々の国でも開発していますからね。我々、いや、今多くの人々が求めているのは、彼女の作り方ですから」


 ようやく路地を抜ける。貧民街と中心街をつなぐ大通りの近くまで出てきたようだ。気がつけば雨も止んでいて、空には淡い薄明が広がりつつあった。厚いパン生地のような雲はまだ頭上を覆ってはいるが、この分だと夕方には赤い夕陽が望めそうだ。

 そういえば、E・J・Mが自分のことをメカニックだ、と言っていた。その自称は正しかったのだ。あの時には気がつかなかったが、あれは彼なりの自己開示だったのかもしれない。

蜘蛛アレニェ。一つ分からないことがあるんだが」

「何です? 」

機巧人形マキナ・ドールってなんなんだ」

 その言葉を、俺は今まで知らなかった。だが、なんとなくそれが何かは分かる。サイモン・ガーフレックスが国民に戦わせなければいい、と言ったのはおそらくその機巧人形に関することなのだろう。

 プリステスや、蜘蛛アレニェ、それにさっきの会話の流れから、そこまでは理解できた。


「知らないで、あなたはここまで首を突っ込んでいるんですか?」

 驚く蜘蛛アレニェ

「俺が知っているのは、サイモン・ガーフレックスとE・J・M、それに数百名の戦時行方不明者M.I.Aの失踪くらいだ。その線が、どうやらお前たちの言う機巧人形マキナ・ドールとやらに繋がっているのは分かるんだが、それが何かまでは知らない」

「知らないのなら、教えません、と言いたいところなんですがね。今私はあなたとおの間に、信頼と言うものを築かなければいけないようだ。まだ、E・J・Mのあなたが持つ情報をいただいていませんからね。いいでしょう」

 察しがいい。

 俺と蜘蛛アレニェの間には、今は一切取引はない。相互の利害の一致。だが、彼が自分を殴打したことを、はいそうですか、とは忘れられない。

機巧人形マキナ・ドール。それは、平たく言えば機巧義肢マキナの派生形です」

 そう言いながら、蜘蛛アレニェは腕を一本外し、俺の前に差し出してきた。金属製の重量感が手のひらに伝わってくる。これとシエルが同じもの、とは到底思えないが。

機巧義肢マキナは、欠損した肉体の代替物として作られていますよね。それはあなたもご存知だとは思いますが」

 俺は小さく首を縦に振る。

「でしたら、こう考えることはできませんか? 全身の全てのパーツを機械に置き換えることができるのではないか、と」

「不可能じゃないだろうが」

「そうです。不可能じゃないんです。右腕が機械にできるのなら、足だってできる。足もできるなら、胴体だって、そんな風に考えていけば、人間の体全てを機械で代替することは不可能じゃない」

 ひょい、と俺の手の上から義肢を持ち上げ、蜘蛛アレニェは再び自分の肩に装着した。

「機械の腕が、意思通りに動くのは何故だと思いますか?」

「さぁな、考えたこともない」

「まぁ、実際のところ私もよくは分かっていないんですが、どうやら核質器デコアという、義肢の心臓部に使われている物質がその機能を担っているらしいんですが。それはですね、血液から作られているんですよ」

「血液、って人間のか?」

「ええ。人間の、新鮮な。大抵の場合は、その義肢の装着者からもらい、それを加工することで作り出されるんです。私のこの義肢も、そういう作り方です」

「じゃぁ、シエルもそうなのか。彼女の本体はあの体の中心にまだあって、彼女の肉体の全ての部分は、彼女の血液と機巧義肢でできているということか」

 蜘蛛アレニェはしかし、首を振った。

「私たちもそうだと思っていたんですよ。ですが、どうやらそうではない。彼女は端から端まで全て機械。一体どうなっているのか、我が国の科学班でもわからない。同じような検体はいくつか発見されているんですが、それらはシエルのように自律して動くことは無い。だから、E・J・Mを求めているんですよ。彼ならその作り方がわかるはずですから」

「そういうことか。プリステスが彼を取引材料にしているのは」

 蜘蛛アレニェの説明は、確かに納得できるものだし、俺が調査してきた結果とも矛盾は無い。

「それじゃぁ聞かせてくれますか、あなたが知っているE・J・Mの情報を」

 蜘蛛アレニェに促され、俺は今日、正確には昨日の夕刻に起きた出来事の詳細を語った。喫茶店から見えた、向かいの屋敷の前に止まった車。そして、その中にあった吸い殻。屋敷の惨状、地下室。そして火事。


「なぁ、あの屋敷は一体何だったんだ? 一体何故内部はあんなことになっていた」

「そこまでは私には何とも。前任者がいれば分かったんでしょうが、彼は私が殺しちゃいましたからねぇ」

 それは、プリステスとの対立の原因になったあの出来事のことだろうか、と聞こうかとも思ったが、やめておく。

「ですが、素晴らしい情報です」

 八本の手を、大きく鳴らし、蜘蛛アレニェは珍しく笑う。

「E・J・Mはまだこの街にいる。おそらく彼は顔を変えているでしょうけれども、あなたならもしかしたらそれに気づくことができるかもしれない」

「煙草の吸殻くらいしかわからないがな」

「いいんですよ、それでも。手がかりなんて何一つなかったんですから。ですが、プリステスの動向は気になりますね。彼女だって、このままと言うつもりではないでしょう。何か手を打ってくるはずです」

 それはそうだろう。シエルの目が覚めて、E・J・Mの記憶を取り戻せていないと気がつけば、別の方法で彼の居場所を捜そうとするに違いない。

 

 ゴゥン――ゴゥン――。

 中心街の方から、鐘の音が聞こえてくる。

 人通りも増えてきて、朝餉の支度をする人々の活気が、周囲の建物から漏れてくる。香辛料の嗅ぐだけで唾液が出てくるような匂いも、同じように路上へと漂ってくる。

「プリステスの約束の時間は、今日の夕刻。場所は貧民街の最果て、港湾街です。私は一度本部と打ち合わせをしなければならない。ここでお別れです。では」


 情報交換を終えると、蜘蛛アレニェはさっさと歩いて中心街の方へと入っていく。門にいる衛兵といくつか言葉を交わし、懐に何かを差し入れた。すると、門番がそっと扉を細く開く。そこを蜘蛛アレニェはすり抜けていった。賄賂でも渡したのだろう。


 さて、俺はどうするか。

 すべきことは分かっている。それはたった一つ。残された依頼をこなす。つまりは、シエルの記憶の手がかりを捜すということだ。シエルはここにはいないが、彼女に再会した時に情報として手渡せるものが、何か一つでもあったほうがいい。

 その為には、やはりE・J・Mを見つけることが近道だ。

 思い出すのは、シエルが俺に見せてくれた、手紙。差出人はE・J・M。文面から判断するに、彼はシエルの過去を知っている。


 ならば、当初の行動通りに物事を運ぶのがいいだろう。クラリスに会い、あの旧貴族街の屋敷が誰のものだったのかを明らかにする。そして、あの惨状。白骨化した遺体が散乱していた理由を探るのだ。

 目的の定まった俺は、蜘蛛アレニェに続いて同じように衛兵に賄賂を手渡し、中心街へと向かうことにした。

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