#26 機巧人形

 俺の中に渦を巻いていた疑問は、そんなたった一つの言葉となる。

「シエルは何なんだ」


「見ての通りさ、ただの女の子だ」

 見たままだけをいうのなら、灰色の髪の美しい少女だ。しかし、それだけじゃないことはこの二日間で嫌と言うほどに分かっていた。

「血は流れないし、肌も冷たい。それに、昨日は戒厳令を破って貴族街にいたやつが、ただの女の子? それにまだある。シエルが俺の妻を殺せるはずがない。20年前だぞ。こいつはまだ生まれてない」

「見た目なんてのは分からないもんだよ。私がいい例だ。ねぇ半月バンイェ

 傍らの仮面の男が小さく頷きを返す。


「あんたとは訳が違う」

「言い切るねぇ。……まぁいいさ。私は嘘がつけない。あんたの問いには答えてやるよ。そう、あんたが思っている通りさ。これは人間じゃない。サイモンと、E・J・Mが研究していた、機巧人形マキナ・ドールの最終型にして、唯一の完成体、それがこの少女の正体さ」


機巧人形マキナ・ドール?」

「それが何かについては答えてやらないよ。あんたに二つも質問を許した覚えはない。取引は終わりだ……ああ、それと。一つ言っておくが、あんたはボディ・ガードとしての責務を果たせなかった。それがどういうことか分かるね」

 

 分かる、よくわかっている。つまりそれも、彼女に対して嘘をついたということになるのだ。できる、と引き受けた仕事を果たせなかった。


 身を翻すプリステス。その背から放たれる鬼気は、俺がボディ・ガードとしての仕事を果たせなかったからなのか、それとも俺が彼女を脅したからだろうか。いや、違う。今日、今ここで起きた事、その全てに対して彼女はいらだっているのだろう。


「さっさと出ていきな、貧民この街から。そこの馬鹿でかい蜘蛛を連れてね」

 ドサリ、と蜘蛛アレニェが体を泥水の中にくずおれた。木を失ったままのようだ、身じろぎ一つしない。

「余計なことは考えずに、野良犬なら野良犬らしく、消えとくれ。付き合いの長い相手はできれば殺したくない。情が湧くのは、あんただけじゃないんだよ」


 それを最後の言葉として、半月バンイェとプリステス、そしてぐったりと動かないシエルは俺の目前から立ち去って行った。


「起きろ、蜘蛛アレニェ

 俺はようやく立ち上がり、その八本腕に近づいていった。仰々しい見た目の、暴力に特化したその腕も、プリステスの前ではなんの意味もない飾りだった。何が起きたのかは分からないが、蜘蛛アレニェは彼女に傷一つつけることができずに、雨の路上に転がっている。


 足先で肩を蹴る。

 起きない。

 もう一度、今度は強く蹴る。


「ん……」

「起きたか」

「何が起きて……ん……あぁ……」

 初めて聞く、蜘蛛アレニェの間抜けな声。その顔に、今しがた起きた事を簡単に説明する。つまり、プリステスがシエルを連れ去ったということを。それを、彼はああ、とか、うう、とか言いながら聞いていた。案外こいつは素直な性格なのかもしれない。

「バカだろ、お前。プリステスとの取引を反故にすればどうなるかなんてこと、お前が一番分かってるはずだろ」


「ええ、よく知ってますよ。ですが私は駒に過ぎない」

「上からの指示だったのか」

「本国がそうしろと。そうじゃなければ、こんな愚かなやり方なんてしませんよ。……ただ、それにしても、プリステスも丸くなったものですね。私は自分が今生きていられることが信じられません。以前なら、拳を向けただけで殺されていたでしょうから」

 俺も、蜘蛛アレニェの意見には同意だ。

 俺にしたって、彼女を脅すような真似をしたのだ。生きていられるというだけで僥倖だ。

「で、あなたはどうするんですか?」

 蜘蛛アレニェは八本の腕がキチンと機能するかを確かめるように、一本一本を曲げ伸ばししている。

 そのうちの一本の先には、俺の肩の肉がまだいくらか付着していた。

「俺は……」

 問われ、反射的に口を開くが続くは空白のみ。

 俺は、どうするんだ。

「決まってないのなら、どうです? 私と来ませんか。あなたにも悪い話じゃないはずですよ」

「意外だな。お前がそんなことを言うなんて」

「昨日も言いましたけど、私はあなたのことを高く評価しているんですよ。まぁ、今日のことでその評価を変えなければならないようですけど」

 俺が、自分と似ている。最終的には生き残ることを優先する人間だ、と蜘蛛アレニェは俺をそう評していた。それはまだ有効なようだ。


「お前はどうするつもりなんだ」

「とりあえず、上に報告します。ですが、まず間違いなくシエルを手に入れろ、という指示が変わることはありません。私たちの目的は……」

 蜘蛛アレニェは自分が饒舌に話していることに気がついて、一瞬口を噤む。

 だが、この後に続く言葉は予想できた。

E・J・Mエミール・ジャン・モウだろう。お前はそいつを捜してる。その理由は……俺の考えでは、そいつが何か機巧人形マキナ・ドールの技術か知識を持っているから、か?」

「ご名答です」

 蜘蛛アレニェは八本の腕を全て上げ、降参したようなポーズをとった。

「まぁ、最悪の場合、E・J・Mが手に入らなければ、唯一の完成体であるシエルを拉致……というか強奪しろというのが、本当の命令なんですけど。優先順としては、E・J・Mとシエル、両方の奪取、E・J・M単体、そして、シエル単体、という感じでしょうか……どうです? 私と来ませんか」


 悪くない誘いだ。貧民街の支配者と言っても良いプリステスから睨まれた俺は、これから情報屋としては冷や飯を食うことになるだろう。だったら、蜘蛛アレニェに下るというのは魅力的な選択肢である。

 だが、素直にうなずくことはできない。

 そうするときの、俺のメリットはなんだ。

 いや、そもそも俺は目的を見失ってしまっている。妻を殺した犯人を見つけ出す。20年来の目的は、もう達成されてしまった。何故妻が殺されたのか、ということもある程度は分かってきた。

 サイモン・ガーフレックスとE・J・Mが研究していた機巧人形マキナ・ドールを嗅ぎまわっていた俺を、あの二人が共謀して殺そうとしたのだ。あの夜、俺が部屋の隅に立っていた暗殺者に気がつかなければ、その場で俺も一緒に殺されていたに違いない。

 犯人も、その背後関係もある程度はつかむことができた。これ以上何を求める必要がある。もうシエルの件からはさっさと手を引いて、どこか別の街に引っ越した方がいい。幸い金ならある。食うに困ることは無い。


 だが、頭で考えるよりも先に、俺の心は全然別の答えを導き出していた。

「俺は、俺の仕事をする。お前の側にはつかない。」

「仕事?」

「ああ。まだ一つ。ご破算になっていない仕事がある。力もない、頭もそれほどよくは無い。だが俺がこうしてこの世界でやってこられたのは、信頼をないがしろにしなかったからだ。だから、受けた仕事は最後までやる。まだ、報酬も受け取っていないしな」


「仕事? 私が依頼した監視の仕事と、ボディ・ガード以外にまだ何か依頼を受けてたんですか?」

「シエルの記憶を取り戻す。それはまだ終わっちゃいない」

 蜘蛛アレニェが不思議そうな顔をした。いや、馬鹿にしたような顔と言った方が近いか。それでいい。俺自身だって、自分が言っていることがおかしなことだ、と言う自覚はある。


 俺の言葉を聞いた蜘蛛アレニェは予想以上の反応を見せた。

「記憶を取り戻す? 」

「そうだ」

「ということは、ちょっと待ってくださいよ。まだ彼女はE・J・Mの居場所を知らない。つまり、シエルを手に入れたところで、E・J・Mを捕らえることはできない、ということですか」

 大きくため息をつく。何か誤解か手違いのようなものが、彼の中にあったようだ。鋼の腕を手に入れても、力だけではどうにもできないこともある。そんなことに、今更気が付いたように、彼は大きく肩を落とした。


「分かりました。あなたはあなたで動けばいい。私がどういったところで、あなたはこちら側にはつかないでしょう。その代り、取引を」

 またか。もう、取引と言う言葉にはうんざりだ。皆、それぞれに大切なものを求めて生きている。だから、自分の持っているものを犠牲にして、最も欲しいものを手に入れようとする。そのために取引は行われる。

 俺もそうしてきた。

 しかし、いざ自分が最も求めていたもの、妻殺しの犯人を突き止める、ということが成し遂げられてしまうと、取引と言う行為自体が、嘘くさい児戯のように思えてしまう。

 

「取引はもうしたくない。俺はもう自分の目的を果たした」

「まぁそう言わずに。条件を聞けば気が変わるでしょうから」

 どうも、最後まで付き合わなければ解放してはもらえなさそうだ。気が変わるとは到底思えなかったが。

「シエルをあなたに引き渡します。E・J・Mを確保することができれば、もうその少女に価値は無い。その代りに、あなたにはE・J・Mに関する情報を全て明かしていただきたい」

「ちょっと待て、どうやってシエルを手に入れるんだ」

「プリステスは、シエルを売るつもりです。彼女の価値を最も高く見積もる国に。そのタイミングで強奪します」

「バカなのか? そんなことをしてみろ、俺もお前も殺される」

 そうとしか考えられない。

「いいえ、方法はあります」

 にやり、と蜘蛛アレニェは口をゆがめた。網にかかった獲物を見るような狡猾な瞳で。

「プリステスは、嘘をついた。我々にもね」

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