#24 真実

「どうして俺がここにいる? ――お前こそ、何故ここにいるんだ」

 扉越しに、俺はそう問い返した。だが、蜘蛛アレニェからの言葉は返事とは程遠いものだった。

「ああ、つまりあなたが……そういうことですか」

「答えろ」

「答え? 人の家を尋ねるのに、一体どんな用があるというんです? その家の住人と会うという以外に」

 蜘蛛アレニェの言葉は響きこそ柔らかだったが、そこから抑えようのない殺気が扉越しに伝わってきた。俺は咄嗟に体を引く。

 ズバンッ――。


 扉が開かれた。いや、吹き飛ばされた、と言う方が近い。ドアノブと鍵はまだ扉の枠にぶら下がっている。


「どいてくれますか? あなたに用はない」

 そう言いながら、蜘蛛アレニェは、全身から雨水を滴らせながら、扉の残骸をまたぎ室内へと歩を進める。ランプの明かりに、彼の肩が異常なほどに大きく膨れ上がっているのが分かった。

 八本腕だ。

 いや、見るまでもない。彼が扉を破壊した時に状況は判明していたからだ。こいつは今日、力づくで何かを為そうとしている。


 その進路の前に、俺は片手を水平に上げて、立ちふさがった。

「なんですか?」

「部屋が汚れる」

 雨水と、割れた扉の破片で玄関はぐちゃぐちゃになっていた。

「馬鹿馬鹿しい」

 吐き捨てるそのの顔に向かって、俺は尋ねる。

「シエルに何の用があるんだ」

 蜘蛛アレニェが俺を一瞥し、八本の腕の一本で俺の肩を掴んだ。

「ボディ・ガードのつもりですか?」

 肩の肉に、蜘蛛アレニェの金属製の指が食い込む。指先が普通の義肢とは違う、鋭利なものに換えられているようだ。やすやすと服の布を突き破り、肩の肉を刺す。強烈な痛みが走った。

 だが、そんなものはどうだっていい。

 それよりも、蜘蛛アレニェは今、何と言った?


「あのクソアマが漏らしたのか」

 頭に浮かぶのは、人を食ったような表情を顔面に張り付けた赤髪の女。シエルと俺の関りを知っているのはあの女だけのはずだ。ということは、彼女がその情報をこいつに渡したに違いない。だが、何故。

 こいつとプリステスとの間には確執があったはずだ。

 俺の顔に浮かんだ表情を見て、蜘蛛アレニェが一瞬驚いたような表情を浮かべる。

「あれ、もしかして何も知らないんですか?」

「何をだ」

 それには答えず、憐れむように彼は言う。

「……ボディ・ガード失格ですね」

 と、アレニェと向き合っている俺の背後から、布がこすれるような音が聞こえた。

「どうしたの?」

 シエルの声だった。

 そして、蜘蛛アレニェの肩を目にして息を呑む気配がした。

「誰、あなた。それに、その腕」

「どうぞ蜘蛛アレニェとお呼びください。あなたに一つお話を伺いたくこちらまで参りました」

 俺は判断に迷った。蜘蛛アレニェの要求に従うべきかどうか。

 こいつは俺の知らない事を知っている。恐らくは、E・J・Mに関わる何か。シエルの記憶の糸口になる何か。そして、それは間違いなく、俺の過去にも関わっている。


 だが、だめだ。


 直感がそれを否定した。

 蜘蛛アレニェは平気で嘘をつく人間だ。信頼など役に立たない、と本人も言っていたではないか。第一、まともな用があるのなら、こんなやり方で接触してくるはずがない。もっと穏便なやり方はいくらでもある。


「シエル、こいつの話に耳を貸すな」

 俺が背中越しに言うと、蜘蛛アレニェの金属の指が骨にあたるのが感じられた。怒りがそこから伝わってくる。

野良犬ストレイ・ドッグ、生き残るためには賢くならないといけませんね。私とあなたでは力量も経験も何もかもが違う」

 気付けば、俺は床に跪いていた。力任せに蜘蛛アレニェが俺の肩を押さえつけたのだ。

「何、なんなのよこれ」

「シエル。警戒する必要はありません。あなたに危害を加えるつもりはありません。少し話をしたいだけです」

「聞くなッ」

 俺の叫びは、すぐさま激高した蜘蛛アレニェの言葉に遮られる。

「黙れ、野良犬風情が」

 俺の体は直線的な軌道を描き、隣の建物の壁に激突した。アレニェが扉の外に俺を放り投げたのだ。何かがぐにゃり、と潰れるような音が体の下方から聞こえた。猫か鼠か何かを踏みつぶしたのかもしれない。

 痛みをこらえ、視線を上げる。俺を見下ろす双眸は、夜の闇を溶かし込んだような黒。蜘蛛アレニェが、倒れ込んだ俺の傍までやってきて、襟首をつかみ上げた。


「そう言えば、あなたには別件で用がありました。驚きましたよ、さっきあの家を見に行ったら、燃えてなくなっているんですから。私はあなたに、あの家に訪れる者がいたら、すぐに連絡をするように、と言ったはずです。家って勝手に燃えたりしないですよね。誰かが来た、なのに、あなたは私に連絡しなかった」

「電話は入れた。だが、お前は出なかった」

「……ほぅ。私に落ち度がある、と」

 襟首が強く締め上げられる。呼吸が苦しい。

「それでも何とかするのがプロでしょう? あれだけの金を受け取っておいて、適当な仕事をするとは思っていませんでしたよ。でもあなたは運がいい。私たちにとって、あの家はもう用済みです」

 蜘蛛アレニェは襟首に込めていた力を抜いた。俺の体はそのまま地面に崩れ落ちる。

「その代りと言っては何ですが、ここから消えてもらえますか」

「俺はボディ・ガードだ」

「分かってないようですね」

 蜘蛛アレニェの革靴の先端が俺のみぞおちにめり込む。

「面倒な人だ。死にますか、ここで」

 その時、俺の視界がふさがれた。シエルが俺と蜘蛛アレニェの間に割って入ったのだ。

「話ならいくらだってするわ。だから、この人をもう、これ以上傷つけないで」

 シエルの背は震えていたが、俺の前からてこでも動かない、という決意がそこから漂っていた。

 俺は蹴られた腹を抑えながら、しかし何か良くないことが起きるという予感にさいなまれていた。

 そして、それはすぐに現実となった。


「健気ですね。素晴らしい。たった二日しか共に過ごしていないのに、よく自分を犠牲にしてまで」

「何とでも言えばいいわ。この人には、まだ仕事をしてもらってないもの」

 フン、と蜘蛛アレニェが鼻で笑う。

「自分が殺そうとした相手だというのに」

「私の記憶を……え?」

 シエルの言葉が止まった。いや、全ての音が消えた。同時に、とても脆い何かが、自分の内側で音もなく砕けた。

「あれ、聞こえませんでした? あなたが殺そうとした相手だというのに、と私は今言ったんですけどね。……ああ、野良犬ストレイ・ドッグは初耳ですよね。ええ、そうだと思っていましたよ。でもなければ、こんな少女を守ろうとするはずがない」

 シエルの肩越しに、アレニェと目が合った。そこには、壊れた人形を見つめる子供のような、とても無慈悲で無感情な目があった。

「その子があなたの妻を殺したんですよ」

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