#20 頭蓋骨

 火は、何もかもを焼き尽くす。そこに例外などは無い。紙も木も鉄も、火の前には抗うことなどできはしない。灰塵に帰すのみだ。だが、失われるのはそうしたモノだけではない。記憶もまた、同時に失われる。この家の形、誰が住んでいたのか、そして、何故あのような凄惨な虐殺行為が行われたのか。それを探る術はもうない。

 

 地下室は完全な暗闇だった。当然と言えば当然だが窓などはない。空気はカビの匂いに満ちており、何年あるいは何十年もの間、人が立ち入っていないのだと分かった。入ってきたドアを開いたまま、俺は少しずつ中へと進む。何も見えない。だが、ライターをつければこちらの位置が丸わかりになる。先行者にこちらの位置が知られてしまうわけにはいかない。


 俺は手探りで中を歩いた。

 風が微かに背後の方へと流れていく。上階で燃える火が空気を求めているのだ。それは、つまりこの先に出口があることも意味していた。

 あまり長い時間ここに留まることはできないだろう。家屋を焼きつくす音だけが、地下室にまで届いている。この場所にもいずれ火がやってくる。それまでに脱出しなければならない。

 息を殺し、手探りのまま中を進む。右手が何かに触れた。冷たい。金属だろう。丸い形をしている。

 バタン、と何かが倒れるような音が頭上で響いた。さらに、材木が裂けるようなおとも聞こえる。

 あまりゆっくりとはしていられないようだ。

 と、その音に紛れて俺の耳は、靴音を拾った。

 正面。距離は少し離れているが、それほど遠くではない。

「待てッ」

 俺の叫びが地下室に反響する。それが引き金となったのだろう、靴音が大きく、そして早くなった。走り出したのだ。まるで逃げているようだ。死んだはずの男が、一体何から逃げる必要があるのだろう。

 その時、突然目の前が明るくなった。背後の開いたままの扉から赤い光が地下室を照らし出した。炎が地下室まで下りて来たのだ。普通ならあり得ないことがだが、どうやら油の類を用いて、火が地下室にまで降りてくるように仕向けていたのだ。

 だが、俺の足はその事実を把握しても動くことが無かった。炎に照らしだされた地下室の光景に目を奪われていたからだ。


「なんだ、これは――」


 俺の目に映ったのは、いくつもの頭蓋骨だった。


 壁に添うように、いくつかの棚が設けられており、その中にそれらは並んでいた。それ以外にも、無造作に床に転がっている物もあった。部屋の中央にはテーブルがあり、その上にはペンチやハンマーなどが散らばっているのも見えた。

 胸糞の悪くなる光景だった。見る人間が見れば、吐き気を催すだろう。ある程度そういったものに耐性がある俺でも、その光景は息を詰まらせるものがあった。

 俺は床に落ちてある頭蓋骨を拾い上げた。ずっしりと重い。

 そこで俺はようやく自分の見立てが間違っていたことに気が付いた。

 頭蓋骨は、本物の骨ではなかった。金属製の模造品である。別の頭蓋骨を手に取る。それもやはり重い。

 何故、金属製の頭蓋骨をこれほど作る必要があったのだろう。装飾品かとも思うが、それにしては悪趣味である。もちろんそういう好事家はいるだろうが。

 分かることは、情報が少なすぎるということだ。

 ならば、集めればいい。俺は壁に設けられた棚を漁ることにした。並んでいる金属製の頭蓋骨は無視して、引き出しを開く。

 よく分からない薬品が入った瓶、工具類、それにネジなどが入っている。この金属製頭蓋骨を作成するために用いられた道具のようだ。手がかりになりそうなものは何もない。

 気が付けば、部屋はかなり明るくなっていた。火が扉を越え、部屋の中にまで入ってきているのだ。タイムアップである。俺は半ば諦めの心境で、最後の引き出しを開いた。

「水晶……か……?」

 そこに入っていたのは、親指ほどの大きさのガラスボールのようなものだった。持ち上げ、手のひらで転がしてみると、ただの水晶では無いことが分かった。一部分に灰色の円が描かれているのだ。

 それと同じものに、俺は確かに見覚えがあった。水晶を、目の高さまで持ち上げ、灰色の円を自分の方向に向ける。

 それは、シエルの眼球によく似ていた。


 俺はその眼球を一つポケットに入れ、出口と思しき通路へと向かった。少し歩くと、小さな扉が見えてきた。輪郭を示すように、外側の光が四角く漏れている。

 軽く手を当てると、微かな軋みと共に扉は外側へと開いた。最初に飛び込んできたのは、聞きなれた雨音だった。どうやら外に出られたようだ。

「大丈夫なの? 」

 次に聞こえたのは、シエルの声だった。丁度、小走りでやってきたところのようだ。この分では、俺より先に出たはずの男は見ていないだろう。

「ああ。問題ない」

「でも、すごく汚れているわ」

「お前もな。傘はあるか」

「ごめんなさい。Pierreピエールはもう閉まっていて」

「そうか」

 残念だ。

 俺とシエルは連れだって歩き出した。全身煤まみれで、しかも俺はこんな雨なのにコートも来ていない。シエルにしても、白い肌が真黒になっている。だが、幸いなことに地下室の出口は、貧民街の門の近くの茂みにあった。これが中心街であれば不審に思われもしただろうが、貧民街の人間と思えば、それほどおかしな格好でもない。

 だが、そんなことを気にするよりもまず、俺はシエルに尋ねなければならない事があった。

「なぜ、地下室があると分かったんだ」

 暖炉の奥に、入り口があるなんてことは、当てずっぽうで言えることではない。

「確かに、お前の言う通りだった。お陰で俺はこうして生きている。もしもお前がが教えてくれなければ、俺はあそこで焼かれていただろう。……記憶が戻ったのか?」

「分からないわ。分からない。本当に。でも、気が付けば叫んでいた。きっと、私はあの家に行ったことがあるんだと思う。だから、この出口も分かった」

「そうか」

 信じるかどうかは保留しながら、そう答える。

「ごめんなさい」

「なんで謝る? お前は俺の命を救ってくれたんだ。謝る必要なんかないだろう」

「そうね。ただ、記憶を全て取り戻すことができたら良かったのに、とそう思っただけ」

「約束は覚えているな」

「私が記憶を取り戻したら、その内容の全てをあなたに教える、でしょう?」

 雨が、シエルの頬についていた煤を洗い落としていた。

「その通りだ」

 俺は思わずその頬に手を伸ばした。この顔だ。間違いなく、この顔なのだ。妻を殺した女は、確かにこの顔をしていた。

 俺は確かに今、真実に近づいている。20年前、俺が手を伸ばした真実が、もうすぐそばまで来ている。肉薄している。そんな実感があった。


「どうしたの? 」

 シエルが怪訝な目で俺を見ていた。今ポケットの中にあるガラス玉と同じ色、同じ形をした灰色の瞳で。

「いや、蜘蛛アレニェにどう報告しようか、と思ってな」

「それは難しい問題だわ。監視していた家に来訪者があって、そいつを追いかけて家に侵入し、挙句の果てに全部灰になってしまいました、なんて。しかも、その来訪者の手がかりは結局何もない」

 シエルの頬から手を下ろし、視線を前へと向けた。

「いや、何もないわけじゃない。俺は来訪者に会ったことがある。名前も覚えている。手がかりとしては十分だ。ただ、まだ蜘蛛アレニェには報告できない。煙草の吸い口の切り方は、証拠としては弱すぎる」

 蜘蛛アレニェのことだから、きちんとその説を聞いてはくれるだろうが、そんな半端な情報を渡したくはない。偽りの情報ほど、情報屋の信用を落とすものは無い。

「だから、あの家で過去に何があったのかを調べようと思う。幸い俺は新聞記者だった頃の伝手がある。それほど難しいことじゃない」

「そう。なら、そうしましょう」

 シエルがそう言い、俺たちは話すことがなくなった。なんにせよ、もう夜が来る。今日できることは何もない。気がかりは、再びシエルが昨夜のように出歩かないか、と言うことだけだ。だが、これまでの16人の殺人事件は、全て2日おきに行われている。

 そこにどんな理由があるにせよ、今日の夜はしっかりと眠ることが出来そうだ。連続殺人鬼の壁一枚隣で眠ることが果たして良いことなのか、という問題はあるが。

 ぼんやりとそんなことを考えていると、貧民街の門が見えてきた。赤いランタンの光が、路上を照らしている。


 その前に辿り着いた時、シエルがおずおず、といった風に口を開いた。

「ねぇ、それで、結局その人は誰だったの? あなたは言ったわ、私の過去にその男が関係しているかもしれないって。だとしたら、私は知りたいし、あなたは私に教えなければならないはずよ。だって、そういう約束なんだから」

 俺の隣で、きっとシエルはずっとそれを考えていたのだろう。こらえきれなくなった、というのが口調から感じられた。

 そして、その質問を俺は予期していた。


「エミール・ジャン・モウと言う男だ」

「――――ッ。それって」

 シエルの目が驚愕に見開かれる。気がついたのだ。


「そうだ。絶対とは言えないが、おそらく間違いない。E・J・M。あの手紙の差出人だ」

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