#18 屋敷の奥で

 しばらくじっとしていると、目が慣れてきた。扉の内側は完全な暗闇ではなく、どこかにある小さな窓から光が差し込んでいる。だが、もう夕刻というには遅い時間になっていた。しかも雨模様である。光は弱く、部屋の隅々までを見渡せるほどではない。


 俺とシエルは、足音を殺し進む。屋根を打つ雨音は、激しくなったり弱くなったりを繰り返している。その音が、無人の屋敷の中に反響している。

 黴臭い匂いが鼻を突き、埃も舞い上がっている。

 ここ数週間見て来た通り、本当に廃屋のようだ。人は長い間中に入っていなかったのだろう。

 そうして状況把握に努めていると、背後で物音がした。


「――ッ」

 俺は無言で振り返る。

 そして目に入った物に安堵し、同時にあきれ返った。

「何やってるんだお前は」

「何か、虫がいたの。蜘蛛かしら」

「だろうな」

 シエルの頭に蜘蛛の巣が掛かっていた。物音は、彼女が頭からそれを振り払おうとして立てていたものらしい。

「じっとしてろ」

 俺はその糸を片手で払ってやる。灰色の髪に絡みついた蜘蛛の糸は、色も細さもほぼ同じだ。柔らかく、指に絡みついてくるようでもある。

「取れた?」

 シエルが上目遣いで尋ねてきた。

「ああ」

 俺が答えると、

「ありがとう」

 と照れたような声音で言う。表情は全く変わらないのに、声だけで彼女の感情が伝わってくるのは、いささか不気味だった。

「静かにしていろ」

「分かった」

 

 そんな、どこか緊張感に欠ける会話を小声で行い、俺は再び部屋の奥へと目を向ける。

 二階に上る階段と、一階の奥へと向かう廊下が続いている。セオリー通りに行くのなら、下の階から順に上へと上がっていくべきだ。だが、それはあくまでも中に敵、もしくは住人がいると分かっている場合である。

 俺の目的はただ一つ。中に入った人間を捕らえ、蜘蛛アレニェに引き渡すことだ。誤った方法を取れば、取り逃がしてしまうかもしれない。悩んだ末、俺はやはりセオリーに従うことにした。


 廊下を進む。すぐに扉が現れた。耳を押し当て、向こう側の気配を探る。物音は無い。

 開く。

 再び廊下だ。だが、今度は左側が中庭に面している。屋敷は門構えから想像するよりも広いらしい。

 背後には、シエルの気配がある。ピタリと俺のすぐ後ろをついてきているようだ。特に問題は無い。


 そのまま進む。中庭に面した窓ガラスはほとんどが割られており、中庭を見ると、倒木が腐っていた。手入れを怠ったところで、木は自ら折れたりしない。人為的に起きた事に違いない。

 突如、閃光が天を走った。雷だ。その光が、俺の目の前を明るく照らしだす。


 凄惨。その一言に尽きる光景が、そこには広がっていた。


「ひっ」

 シエルが息を呑む音が微かに聞こえる。


 まず目に入るのは、白骨化した遺体。そして、壁や床には抉られたような跡や、重量物が衝突した痕跡がある。空薬莢と、先の潰れた銃弾が、それらを彩るように散らばっていた。

 俺はすぐさま遺体を検分する。肉は残っていない。死後どれくらいか、ということまでは分からないが、それほど短い時間でないことは確かだ。ぼろぼろになってはいるが、白骨は衣服を身に着けていた。黒を基調として、白いフリルが付いている。メイド服だ。恐らくは、この屋敷の使用人だったのだろう。

 何があったのか。

 それは分からないが、唯一言えることは一つ。この遺体は、死にたくは無かっただろう、と言うことだ。骨盤の向きから、彼女がこちら側、つまりは玄関に向かって逃げようとしたのだと分かる。

 敵はおそらくこの中庭から窓を割って侵入したに違いない。


「大丈夫か」

 俺は、小さく背後に尋ねた。

「……ええ。不思議と。そうね。見たときは驚いたけれど、恐怖は感じないわ」

 年はの行かぬ少女にしては、肝っ玉が据わっている。

「ならいい。行くぞ」


 廊下をそのまままっすぐ進む。再びドアがある。先ほどと同じように耳を当て、物音を探る。音はしない。

 開くと、再び廊下が続いている。少し進むと、廊下は左に折れている。もう中庭には接しておらず、廊下の左右にはドアが並んでいる。最奥には、それらのドアとは違った重厚な作りの扉がある。遠目ではっきりとは見えないが、隙間から光が漏れていた。


 どうやら、そこに誰かがいるようだ。


 俺は腰からリボルバーを抜き、それを構えながらゆっくりと進む。足音を立てず、静かに、だが一歩一歩着実に。シエルも、背後から息を殺してついてくる。

 鼓動が早まる。喉がからからに乾いている。


 この先にいる人間を、俺は知っている。

 だが、彼は既に死んだはずなのだ。




 


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