#14 ポートとロジャー

 長い午後が過ぎ去ろうとしていた。雨は朝から降ったきり、止む気配はない。

 窓の外から見える邸宅には、今日も誰も訪れず、誰も出てはこなかった。これだけで、あれだけ多額の報酬をもらえるということに、俺はやはり嫌な予感を拭うことができない。

 

「ねぇ、何か話をしない? 」

 BLTサンドとピクルスを食べ終えてしばらくの時間が過ぎたころ、シエルが口を開いた。

「話? 」

「そう。何でもいいの」

「何故そうする必要があるんだ」


 俺が尋ねると、シエルは困ったように少し首を傾げ、

「退屈だから? 」

 とのたまった。

「だったら自分で何かそれを紛らわせる方法を考えろ」

「考えた結果よ、これが。だから話をしましょう」

 シエルは迷うことなくそう答えた。

 その勢いに、妙に納得してしまった自分がいた。そうまで言われてしまえば、確かに断る理由もない。俺もいい加減退屈はしていたのだ。

「いいだろう。それで、何の話をするんだ」

 俺が尋ねると、シエルは間髪入れずに答えを返した。

「そうね。じゃぁ、あなたの過去を教えて」

「過去だと? 」

「そう。何でかって、分かるでしょう。私にはそれが無いから興味があるの。他人の過去だってなんだって、それが過去であることに変わりは無いもの」

 自分に無いから欲しい。子供のような単純な動機だが、それ故に説得力はある。下手な論理を振りかざして、人の過去を穿ちたがるような奴よりは余程いい。

 だが、俺は条件反射のごとく、

「悪いが――」

 と口にしようとしていた。

 俺は街の裏こちら側に来て野良犬になった時に過去を捨てた。ただ復讐のためだけに、それ以外のことは全て捨てたはずだった。


 しかし――。


 俺は、今読んだ新聞の記事の内容に、小さな引っ掛かりを覚えていた。ある男の名前を、その記事の中に発見したからだ。

 それは数多ある点の中の一つでしかない。だが、シエルが俺の過去に関わっていることが確実なのだとすれば、その男の名前が再び浮上してきたことにも意味があるはずだ。

「この記事によると」

 俺は、新聞を開き、目当ての記事を広げシエルに見せる。幸いなことに、彼女は文字を忘れてはいなかった。


「昨日殺害されたのは、サイモン・ガーフレックスと言う男だ」

「ええ。そう書いてあるわ」

 シエルが新聞から顔を上げた。俺は言う。


「俺はこの男を知っている。いや、会ったことがある。俺は、以前従軍記者をしていた。従軍記者っていうのは、戦争に同行して、取材をする記者のことだ。その戦争で、俺は数人の友人を得た。ハンス、パトリック、チャーリー、そしてヨハン。この世人は兵士だった。立場は違ったが、同じ釜の飯、というやつだ。俺たちはいつも一緒にいた。だが、戦争が終わったのに、ヨハンだけが帰ってこなかった。帰国の旅路の途中まで、俺たちは一緒だったのに、だ」


「長い話? 」

 かいつまんで、俺が当時置かれていた状況を話すと、シエルはそう尋ねてきた。

「そうだな。短い話じゃない」

 もちろん短く話すことはできるだろうが、そうしなければならない理由は何もない。何しろ、俺たちはまだあと数時間、ここで家を見張らなければならないのだ。

「いいわ、聞く。面白そうね」

「さぁな。俺にとってはさほど面白い話じゃない」


×  ×  ×


 まだ電話はなかった頃だ。だが、住所はハンスから聞いていたから、俺は事前に手紙を送っていた。何通のやり取りだったかは忘れたが、それほど多くは無い。俺が、ヨハンの行方を捜したい、と伝えると、わざわざ駅まで迎えに来てくれるということになった。

 

 木造の、ペンキが褪せた駅舎に着くと、約束通りヨハンの父親と兄が待っていた。父はポート、兄はロジャーと言う名前だった。


「わざわざこんな遠くまで。ヨハンが世話になったとか」

 父のポートが言った。

「いえ、私の方が、お世話になりました」

「北部戦線を共に戦った、ということでしたか」

 今度はロジャーが尋ねた。顔はあまり似ていないが、声の響きがよく似ていた。

「いえ、私は従軍記者でしたので。銃も剣も弾薬も触ったことがありません」

「そうでしたか」

 二人はしかし、妙に納得したようにうなずいた。

 確かに、その頃の俺の体は、軍隊上がりと言うには肉が少なかった。

「まぁ、何もない町ですが」

 そう言って、俺を彼らが乗ってきた馬車に案内した。古びた木製の馬車だった。いや、馬車と言うよりは、馬に引かせた荷車、と言った方がいいのかもしれない。

 いつもは牧草や小麦などを乗せているであろう荷台に乗り、田舎の風景の中を俺はゆっくりと運ばれていった。


「この間いらっしゃったハンスさんにもお話ししましたが」

 家に到着し、俺は黒い革のソファとローテーブルが置いてあるだけの応接室へと通された。

 そのテーブルの上に紅茶を置きながら、ポートが言った。

「ヨハンは一度も帰ってきておりません。あなた方と別れて家路についたという話も、その時初めて伺いました」

「ハンスがこちらを訪ねたのは? 」

「今から2か月ほど前のことになります」

「それからも何も変わりはないということですか」

「ええ。そうです」

 そう言って彼は、少し悲痛な表情を浮かべたが、すぐにそれをかき消した。心の強さがそうさせるのか、あるいは希望を失うことで、本当にヨハンが死んでしまう、と考えたのかもしれない。

「私たちは、まだ彼が北部連合の捕虜として囚われている、と聞いています」

 ポートはそう続けた。ハンスが言っていた通りだ。だが、俺はその話にこそ、ヨハンの現在の居場所の手がかりがあるのではないか、と踏んでいた。

「その話はどこから」

 俺が問うと、

「終戦時に、領主様からそういった旨の手紙をいただきました」

 ロジャーがポートの代わりに答え、机の上にその手紙を出した。


 確かに、それは紛れもなくこの地の領主、サイモン・ガーフレックスからの書簡だった。簡素ではあるが、公文書としての体裁は整っている。

「少し、拝見しても」

「もちろんです」

 手に取る。いたって普通の便箋だ。

 『貴殿のご子息であるヨハン一等兵が依然として北部連合の捕虜となっており、迅速な解放に向けて尽力している』と言うような内容が平民にもわかるような簡単な言葉で記されていた。


「これだけでしょうか」

「ええ、そうです」

 ポートとロジャーは、期待するような、或いはすがるような眼で俺を見ていた。だが、俺はそれに、悪い方向でしか答えることができなかった。俺は唇の渇きを紅茶で一度潤して、

「実は、ここに来る前に、私は捕虜名簿を調べて参りました。もちろん全部ではありません。彼は北部戦線にいたので、その周辺地域だけですが」

 と、事実だけを口にする。

「そこにはヨハンの名前はありませんでした」


「無かった」

 ポートの体からみるみる力が抜けていくのが分かった。ロジャーがその肩を支えている。無理もないことだ。彼らにとっては、ヨハンが捕虜になっている、ということだけが支えだったのだから。

 それはつまり、言い換えればヨハンがもう死んでしまった、と言うことに他ならない。

 だが、それもまた違うのだ。


「しかし、です。戦没者名簿にも名前はありませんでした」

 俺はヨハンの名前が捕虜名簿に無いのを確認してすぐに、戦没者名簿を洗った。捕虜になっていないのなら、死んでいるしかないからだ。だが、そこにも名前は無かった。


「つまり、ヨハンは名簿上どこにもいない。M.I.Aミッシングインアクション。行方不明ということになります」

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