#11 捕虜

 帰国した俺は、すぐに次の仕事にとりかかった。

 それは、戦後講和会議の取材だ。要は戦争中に行われた様々な出来事を、総括し、さばき、そして戦勝国がその責任を、敗戦国に押し付ける、という会議である。

 私たちの国は敗北こそしたが、本国の領土を奪われるということは無かった。だが、もちろん金銭的な賠償は莫大な額に上った。俺は多くの政治家たちや、貴族たちが集まる会議場に朝から晩まで缶詰になって仕事をし続けた。


 だが、もちろん妻のことを忘れたわけではない。会議自体は他国で行われていたのだが、数週間ごとのシフト交替制になっていたので、交替時期は家で温かい食事と柔らかなベッドを心ゆくまで楽しむことができた。

 

 今思えば、最も充実した時間だったはずだ。

 だが、俺がある噂話を聞きつけたところから、その時間は崩れ始めた。

 

 きっかけは、俺がいた大隊で世話になっていた、下士官と偶然街で出会ったことだった。


「結婚したらしいな、おめでとう」

「ありがとう。どっから聞いたんだ、ハンス」

 俺がそう言うと、彼は日焼けした腕で俺の肩に軽く当て、にやりと笑った。

「噂ってのは、どっからでも流れてくるもんなんだよ。どうだ、一杯」

 ハンスに誘われ、俺は少し迷った。その時は、確か本社勤務の時期だった。家に帰れば妻が待っていることだろう。だが、妻ならいつだって会える。その点、ハンスとは次にいつ会えるかわからない。まだ電話は一般世帯まで普及していなかった頃だ。


「行こう」

「おお。そうでなくちゃな。ちょうど今から、パトリックとチャールズも落ち合う事になってんだ。あいつらも喜ぶ」

「懐かしいな。本当に、あの頃は世話になった」

 パトリック、それにチャールズ。その二人も、俺がよく部隊でつるんでいた奴らだった。だが、俺はふと疑問が頭に浮かんだ。その二人と、ハンスがいるというのなら、あと一人いなくちゃおかしい。


「ヨハンも来るのか? 」

 だが、ハンスの答えは無かった。代わりに帰ってきたのは、沈鬱なため息だった。

「何があったんだ」

「着いたら話すよ」

 ハンスはそう言った切りその話を切り上げ、別の話を振ってきた。戦友たちの近況や、敗戦後の今の暮らしなどだ。俺たちに話すことは山ほどあった。そうしているうちに、俺たちは飲み屋に到着していた。


「よう、新婚らしいじゃねぇか」

「かわいい嫁さんを手に入れたって噂になってるぜ」

 俺の顔を見た二人の反応は、さっきのハンスのものと似たり寄ったりだった。

 俺たちは麦酒を頼み、しばらくそれを呑んでから、葡萄酒に切り替えた。

「なかなか、最近は景気が悪くてな。卸値が上がったっきりなんだよ」

「お前のところは、確か料理屋だったっけ」

「親父が、このままじゃぁ潰した方がましだ、とか言っててなァ」

「まぁ、講和条約がさっさと決まれば、少しは良くなるだろう」

 話は、それぞれの仕事の話へと移っていた。パトリックと、彼の親父が経営している料理屋の話が中心だ。俺は適当にその話に相槌を打っていた。


「お前はまだ記者やってるんだったよな。どうなんだよ、その辺は」

 ハンスが俺に尋ねた。

「悪いが、その辺りのことはあまり詳しくないんだ。俺の専門は、もっとキナ臭い方でさ」

「キナ臭い? ってーと」

「戦時下の犯罪行為。捕虜の扱いとか、虐待行為がなかったか、とか。あるいは新型兵器の話なんかだな。だから、経済関係のことは正直さっぱりわからない」

 俺がそう言うと、場の空気が少し変わった。

「捕虜……」

 チャールズが小さく繰り返した。そして、おずおずと口を開いた。

「ヨハンがどうなったか、知らないか? 」

「ヨハン? なんであいつの名前が出てくるんだ? 」

 そして、そういえばハンスが飲み屋でする、と言ったヨハンの話をまだ口にしていないことを思い出した。

「そういえば、ヨハンはどうしたんだよ」

 俺はすかさずそう尋ね返した。3人が顔を見合わせた。どうやら彼らはが合ったことを知っているらしい。少し、蚊帳の外に置かれたような寂しさを覚えたが、それも致し方ない、と思い直す。俺は記者で、彼らは兵士。同じ場所にいても、命を預け合う、という彼らの関係の深さにはどうやったって敵わない。

 代表するように、ハンスが口を開いた。

「ヨハンが、帰ってきていないんだ」

 俺は意味が分からず、思わず聞き返した。

「帰ってきていない? 」

「ああ。言葉通り受け取ってくれ。お前も覚えているだろうが、俺たちは同じ駐屯地を経由して、本国まで帰ってきた。俺も、パトリックも、チャールズも一緒だった。もちろんヨハンもそこにいた。だが、北部の国境を越えたあたりで、俺たちのいた大隊から、数十人の兵士が別の班に分かれたんだ。ヨハンもそこにいた。」

 それは、俺も覚えていた。確か、北の貴族領に入ったあたりだった。

「あれは確か」

「ガーフレックス領だよ」

 チャールズが言い、ハンスが頷く。

「ああ、そうだ。故郷が近いから、ってーことで、そこでお役御免、て話になった。手続き上はまだ退役したわけじゃないとは言ってたが、部隊からは離れて家に帰るって、ヨハンは言ってた」

 ハンスの目が俺を見る。俺が覚えているのかどうか確かめているのだ。

 俺はその目を見て頷いた。

「よく覚えているよ」

「良かった。それで、だ。俺ァこの間あいつに会いに行ったんだ。丁度そっちで仕事があってな。でかい橋だか何だかを建てるっていう話だった。ヨハンの家は、あいつが離れる時に聞いてたからな、すぐに分かった。小さな牧場だったよ。牛が数匹と、馬がいた。……だが。ヨハンはいなかった」

 それは、予想された言葉だった。帰ってきていない、ということは、つまりそう言うことなのだろう。ガーフレックス領で俺たちと別れたヨハンは、そのまま行方不明になっている、と。

「家族に聞いても、分からない、としか言っていなかった。ただ、捕虜になって、帰ってくることができない、という説明が役人からあったらしい」

「それで、一番事情に通じていそうな俺を待ち伏せしていたのか」

 そして、同時に合点がいった。考えてみれば、ハンスもパトリックもこの辺りに住んでいるわけではない。チャールズは辛うじてこの近くに住んでいるはずだが、俺を見つけたのは彼じゃない。

「……悪い。だますようなやり方をして」

「いいさ。でも、そういうことなら本社に顔を出してくれればよかったのに」

 それは紛れもなく、俺が思った言葉だった。

「いや、それは……な? 」

 3人が困ったような顔をして、軽く目配せしていた。その意味を、俺は微かな胸の痛みと共に理解した。

 身分が違う。

 一言で言うなら、そういうことだ。俺は仮にも大学を出、新聞社という、大きな組織に入った。だが、3人は違う。それぞれ家業のようなものを営んでいる。彼らからすれば、新聞社というのはエリート階級の集まる場所で、自分たちが入るにはいささか勇気が必要なのだろう。

 そう思うと、俺は少しばかり熱い思いがこみ上げてきた。そんな風に、まだまだ皆が対等だ、とは言えないこの社会だが、彼らはこうして俺を頼ってくれている。戦友でない、という寂しさはもう今はどこかに消えてしまった。

「分かった。少し俺の方でも調べてみるよ」

「本当にありがとう。お前は、いいやつだ」

 ハンスが、そう言って葡萄酒の入ったジョッキを俺のジョッキにぶつける。パトリックとチャールズもそれに倣う。俺たちは、残りを一口で飲み干した。


 外に出ると、とっぷりと日は暮れていた。だが、俺は高揚感の中にあった。自分が記者としてやっていることが、人の為になっているのだと、疑ったことは無かったが、それを直接感じることは難しい。記事を書いても、それがどう人々の役に立つのか、手で触れるように感じられることは少ないからだ。

 だがこうして3人に頼られることで、自分が調査することによって役立つことがあるのだ、と実感することができた。

 

 そこから、全てが転がり始めたのだった。


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