第8話 真野美咲の訴える過度に物騒な問題について
41.尾行とは、他人の後をつけることであり
キョウから頼まれた――というか押し付けられた「真野美咲の尾行」は、小早川志穂との約束があった二、三日を除いては、あおいの仕事となっていた。
朝と放課後、適当なところで待ち伏せして少し後をつけ、彼女が一人で登下校しているのを確認する。
その間、美咲は「変なヤツに声を掛けられる」どころか、深町とも一度一緒に駅まで帰ったのみ。つつがない毎日に、半ば惰性のように彼女の行き帰りにこっそり同行していたあおいだったが、ここ数日、その状況に漠然とした違和感を抱きだしていた。
そして試験期間も終わり、夜にはベルツリーで打ち上げという本日の帰り道。
おかしい。今日はそう、はっきりと思う。
背後に感じる、気配と視線……。
(尾行しているはずの相手が、どうして後ろにいるのかしら……)
釈然としない思いで背後を振り返る。
と、数十メートル後ろで真野美咲が、ビクッと肩を跳ねさせて脇に避けようとし、けれど隠れる場所が見つからなかったようでキョロキョロとあたりを見回した後、出来損ないのような曖昧な笑顔を作った。
「何をしているの?」
彼女を尾行している――はずの――自分のことは棚に上げて、尋ねる。
「あのっ、そのっ、ええっと……」
美咲は小声でぼそぼそと意味のない言葉を呟いたかと思うと、急に何かを思い切ったような表情になってあおいの元へと駆け寄ってきた。
「あ、あの……最近、よく会いますよね」
すぐ目の前まで来て、気まずそうに目を伏せながらも笑顔のようなものを作って小さな声で言う美咲。
よく会うのはあおいが彼女の後をつけているからなのだが、それに気づいて抗議をしてくるような口ぶりでもなく、美咲はやはり小さな声で、「学校の、行きと帰りと……」と付け加えた。
「そう……かしら、ね」
あおいはしらばっくれる。
そうしてすぐにまた身を翻すと、美咲の利用している駅の方向へ足を進めだした。
(あら? ちょっと待って? あたしはこの子の後をつけているわけなんだから、先に歩いちゃいけないんじゃないかしら)
内心で首を傾げたあおいだが、心配する必要はなく、美咲はぴょこぴょこと小走りするような足取りであおいの後をついてくる。まあ、一緒にいるのなら問題はない、か?
肩越しに小さく後ろを振り返ると、美咲と目が合った。彼女はやはり、少々気まずい顔で、
「あの……もしも、あの、おうちが、おんなじ方向なら……少し一緒に歩いても、いいでしょうか」
わずかに考えて、あおいはここ数日の違和感の正体にようやく気づいた。
真野美咲は、分かっていたのだ。あおいに付きまとわれていることを。知った上で、尾行を許している――というよりも、むしろあえて、あおいから離れないようにしているのだ。あおいを撒かないように歩調をコントロールし、はぐれたら待ち、見失いそうになったら反対に捜して後ろに回り。
その自分の発想にびっくりして――そして少しばかりムッとしたのが表に出てしまっていたかもしれない――、思わず美咲をまじまじと見つめてしまう。すると美咲は、慌てたようにぴょこりと頭を下げた。
「あっ、ごめんなさい!」
この反応、誰かに似ている。
あおいは小さく息をついて、
「別に、いいけど。行きましょ」
言うと、美咲は嬉しそうに口元をほころばせた。
「あ、あの。衣川、さんのおうちは、こちらのほうなんですか?」
追いついてきて横に並んで、一緒に歩きだす。背の低い美咲は、少し見上げるようにしてあおいに話しかける。彼女の歩くリズムに合わせて、カバンにつけたお手製らしい編みぐるみの羊がぴょこぴょこと跳ねた。
「え、家は……そうね、もう少し学校に近いところだけれど……散歩よ、散歩」
何日も同じ方向に歩いているところを見られた後で、今さら家がこちらではないとも表明しにくくて、あおいは誤魔化した。
ちょっと口調に戸惑いが滲んだのを、美咲は別の意味に受け取ったらしい。
「あ、ごめんなさい。あの、衣川あおいさん、ですよね。五組の」
上目遣いに、伺いを立てるかのような調子でそろりと聞く。
そういえば、誘拐犯から助けたり深町とファミレスにいるところに乗り込んだり後をつけたりしまくっていたが、自己紹介もまだだった。唐突に名を呼び掛けてしまったことを謝っているのか。
「いいわよ。そう。深町から聞いたの?」
「え? えっと……あの、深町くんからも聞きましたが、それよりも前から知っていました」
「前から?」
「はい、あの……学校で見かけて。綺麗な人だなあって思って」
美咲は照れたように伏し目がちに笑う。
「す、素敵だなあって……おしゃべりできたらいいなって思ってたんですけど」
(あら……)
あおいは小さく目を見張った。
(意外と悪い子じゃないのかしら)
「そしたらこないだの朝、助けてもらって。あの……あの時は逃げ出してしまって、ごめんなさい」
また美咲はぴょこりと頭を下げた。
「本当に、ありがとうございました。美人なのに喧嘩も強くて、凄いです」
その後で、深町との逢引に割り込んだり妙な挑戦状を叩きつけたりしたことについては、なんとも思っていないらしい。どうも、調子が狂う。
「べ、別に。あんなの大したことじゃないわ」
ふいと顔を背けるが、美咲はキラキラと瞳を輝かせてあおいの顔を覗き込んできた。
「あの……あおいちゃんって、呼んでもいいですか?」
「えっ?」
「ダメですか?」
「えっ、と」
「小早川さんが、そう呼んでました。いいなあって思って」
思いがけない積極的な押しに狼狽しつつ、
「す、好きなように呼んで」
答えると、美咲は「ありがとうございます」と嬉しそうな顔をした。
が。そこで何かに気づきハッとしたように、美咲は一瞬背後を振り返る。
その表情にほんのかすかに怯えのような色が浮かんで、あおいは怪訝に思う。けれど美咲はすぐに元の笑顔に戻って、
「小早川さんは、今日は一緒じゃないんですね」
「あ、ええ。日直で遅くなるみたいだったから……」
美咲と深町のことがきっかけで最近ちょっと親しくなったばかりなのだとも、美咲の尾行のために先に出てきたのだとも言えず、言葉を濁す。
美咲はやはり気にした様子はなく、「そうですか」と笑った。
「仲が良くって、羨ましいです」
「……羨ましい?」
「はい」
小動物を思わせる軽い動きでこくっと頷いた美咲に、あおいはちょっと考える。
羨ましがられるほど、仲が良いって言っていいのかしら。
あおいは志穂に、あおいの人生の核心に触れる秘密を打ち明けてはいない。おしゃべりをしたり、たまにどこかに一緒に出かけたりするほかのクラスメイトとおんなじで。
いや――。ベルツリーに連れていったり、家に招いたりしたのは志穂が初めてだ。だけど、あおいが一人暮らしをしている理由を知りたがっている様子だった志穂に、そのわけを詳しく話すことはできなかった。
ほかの大多数の人間にはない特別な能力を持っていることだとか、とても特殊な家に生まれたのだとか、公にはできない変わった仕事をしているのだとか、そんなことは一切話さない。
好きなドラマの話、クラスメイトや先生の噂。そんな他愛もないおしゃべりばかりを心から楽しんでいる振りをして。
そうやってずっと演じている「普通の女子生徒」は、もうすっかり肌に馴染んで、自分を偽っている感覚はない。けれども友人たちと笑いあっている時にふと感じる虚しさだとか寂しさだとかを、完全に押し込めて気づかずに過ごすこともできない。
自分はここにいるほかの人たちと、同じレベルまで自分をさらけ出すことはできないのだと。
「わたしも、そんな風なお友達が欲しいです」
呟くようにそう言った美咲は、少し、ほんの少しだけ、あおいと同じような寂しさを抱えているような気配がして、あおいは思わず目を見張った。
「だけど……深町とは、親しそうにしてたじゃない。相談ごともできるようなお友達なんでしょう?」
「あ、いえ……深町くんにはとある『事情』があって話すようになって……そのことで相談もしているのですが、……その……『事情』でもなければ、誰かに話しかけることもできなかったかも」
そこで言い淀むように言葉を切った美咲。それ以上のことを言うかどうするか迷うような間を置いて、けれど美咲が続けたのは「事情」に関する説明でも、それ以上詳しい深町との関係でもなかった。
「あの、うちが厳しくて、これまであんまり友達と遊んだりするのは許してもらえなかったので……高校に入って少し家から離れたところに通うようになって、友達と一緒に寄り道をして帰ったりできたら嬉しいなって」
(この子って……)
ふいに黙って考え込んでしまったあおいに、美咲は慌てたように言葉を繋いだ。
「あ、それにこないだの『編み物勝負』、ですか。あれも楽しそうです。編み物は好きだけど、ずっと一人でお部屋の中でやるばっかりだったので、誰かと見せあいっこするのだとか、作ったのを誰かにあげるのだとか、やってみたくって」
(天然なのかしら……)
「あ、あのね。『勝負』の意図、分かってる?」
「はい、もちろん。お互いの腕を高めあうためですよね。小早川さんは、始めたばかりの頃からどれだけ上手くなったかを試す。わたしはこれまで編んだことのなかったマフラーに挑戦する。楽しみで、試験勉強の合間にも編み進めていました」
「そ、そう……」
毒気を抜かれる、とはこのことを言うのだろう。
美咲を相手に腹を立てたりやきもきしたりしていた自分が物凄く馬鹿らしく見えてきて、ついため息をこぼしたその時だった。
美咲がまた、警戒心の強い小動物よろしく何かに驚いたように鋭く振り返り、今度は足を止める。そうしてやはり怯えたように、あおいへと身を寄せる。あおいは、彼女がここ数日、あおいの尾行を知りながら自分から近づいていきていた理由にようやく気づいた。
「何者か」の接触を、彼女は警戒しているのだ。一人になりたくなくて、あおいから離れようとしなかったのだ。
そしてそれは、キョウから彼女の尾行を頼まれた時に思い浮かべたような、彼女に言い寄ってくる男、などというものではない。
もっと切実に危険で物騒な――。
先日の朝の「誘拐犯」のことが頭に思い浮かんだのと、美咲の視線の先、あおいたちの数十メートル後方の塀の陰から一人の男が姿を現すのが、ほぼ同時だった。
先日の人物と同じような風体。けれど違う。別人であることは、肌で分かる。この男――
(サイね?)
男はあおいたちのほうへと足を進めて、
「美咲さん、捜しましたよ。お迎えにまいりました。さあ、行きましょう」
思いもかけずソフトな口調で語りかける。が、美咲が警戒を解く雰囲気はない。どころか、ますます身を固くして立ち竦む。
そんな美咲を気にして彼女へと目をやったあおいに、男は視線を向けた。
「そちらの方は、お友達ですか?」
疑問の形を取ってはいるが、それは言葉のとおりの質問ではない。男が知りたいのは、あおいがこの男の目的を邪魔する存在なのかどうか、だ。
無意識に、あおいは美咲の腕を掴んで彼女を庇うように一歩前に出た。
「真野さん」
男を睨みつけたまま、美咲のほうは見ずに小声で話しかける。
「あの人、知り合い?」
「えっ? ええと……」
訊かれた美咲が小さく震えたのが、腕を掴んだ手に伝わってきた。
先日の朝と同じ。あの時は深く追求しなかったが、男と彼女が知り合いであることは明らか――しかも、相手の男はサイだ。
「わけは後で聞くわ。あの男と一緒に行きたいか、それとも逃げたほうがいいのか、今すぐ決めて」
ほんの一瞬の、戸惑うような間の後に。
「に、逃げますっ!」
美咲が小さな、それでも力強い声を上げたのと同時に、あおいは美咲の腕を思い切り引っ張って走りだしていた。
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