幕間
39.そこに見え隠れしている、恒常的な問題について
「一般的にサイの能力っていうのはね、だいたい早いと小学校の高学年ぐらい、遅くて高校生ぐらいで発現するって言うね。つまり十代の始めぐらいから、半ばあたりをピークにして、終わりごろまでかな」
右手に持ったペンの頭を頬のあたりにトントンと付けながら、ハルは言った。
「まあ、俺たちみたいに生まれた時からサイの家にいて、能力があるってこと前提で物心つく前から訓練していると、発現はもっと早いよ。あくまで、一般的に、自然に発現する人の話ね」
「はい」
同じようにペンを構えてノートに手を置き、伊織は真面目な顔で頷く。
ハルとキョウのマンションのダイニング。ここ数日――いや、先日の事件の絡みでこの家に泊まらせてもらっていた頃からだが――、この席が伊織の指定席となっている。
「ただし、発現の仕方にはいろいろあるよ。ちょっと不思議なことがあった、程度で自分の能力に気づかないぐらいのレベルってこともあるし、意識と無関係に能力が四六時中出てきちゃって困るって人もいる。深町くんなんかは、前者のパターンだよね。琴子によると、あのシュートの成功の原因がサイコキネシスだってことも気づいてないみたいだし」
「うん」
「琴子といえば、琴子は完全に後者のパターンだったな。他人の考えてることが常に頭に入ってきちゃって、困ってたよ」
「へえぇ……」
「トレーニングしてコントロールができるようになったから、今はやろうと思った時だけ相手の思考を読むっていうことができるけど。意識的に他人の思考を読むって、かなり高度な技術なんだよ」
「そうなんだ……俺もたまにモノの記憶が見えるって程度だし、意識的にサイコメトリーの能力を使うのは、難しいなかなあ」
「うーん」とハルはペンを置き、代わりにマグカップを持ってコーヒーを一口啜ると、カップを持ったまま視線を宙に上げた。
「伊織くんの場合は、能力の成長期に封印されていたっていうブランクがあるからね。復活してまだ短いし。でも、俺たちにはっきりサイだって分かるぐらいだから、そこそこの能力を持ってるんだと思うよ。聞いてると、十代になる前から気配もあったみたいだしね。もしかしたら優秀な部類なのかも」
「えっ、そう?」
思わず前のめりになって聞いた伊織に、ハルは「うん」と頷いた。
「発現のきっかけが分かれば、訓練もしやすいんだけどねえ」
言ってコーヒーをもう一口飲み、ハルはそれから、
「それで。ほかに質問、ある?」
「あ、えっと……いや、ないかな」
「そう」
ふんわりと微笑んで、
「じゃあさ、俺からもひとつ質問なんだけど」
「えっ? ハルが? 俺に答えられるかな……」
あたふたと言う伊織に、ハルはまた笑った。
「あのさ。俺たち英語の勉強してたよね。この『that』の示す部分はどこなのかって話をしてて。それで『質問ある?』って聞いたんだ。その質問が、なんで『俺って本当にサイなのかな?』になるんだろ?」
言いながらハルが、伊織の目の前に広げられたノートと教科書に手を載せた。紙面には、英語の文章がぎっしりと書かれている。
「ああ! ごめんなさい! すみません! ちょっと、いろいろ考えちゃって……」
慌ててペンを構えなおし、姿勢を正して教科書に向かう。
そんな伊織を見て、ハルは笑顔を少々控えめにして同情的な顔を作った。
「伊織くん、勉強に集中できないね」
「す、すみません……集中します……」
「責めてるわけじゃないよ。たださ、大変だな、と思って」
優しい言葉を掛けてくれるハルに、伊織は申し訳ない気持ちになる。
「いや……考えてもどうにかなるもんじゃないって分かってるんだけどさ。でも、試験前だろうとみんな自分の役割こなして仕事してて、カッコいいなあって思うのに、俺だけ試験休みなんかもらっちゃってさ。そのくせ俺、いつでも足手まといなんだよなって考えちゃって……」
琴子に「うるさい」と言われたことは、ちょっと――いやかなり、気にしていた。
「足手まといだなんて思わないけど」
「あ、ごめん。でもさ、早く能力を使いこなせるようになって活躍できればいいのになあ、と思って」
「うーん。だけどこればっかりは、自分でどうにかできるもんでもないからね。サイの能力は訓練すれば絶対に身に着くってもんでもないし」
「思考の『ロック』っていうのは、訓練すればできるようになるんでしょ? とりあえずそれは、できるようになりたいな」
「うん、根っこは同じ精神力のトレーニングみたいなもんだからね。サイの能力の訓練にも役に立つし、やって損はないと思うよ。試験が終わったら、琴子の特訓再開するんでしょ?」
首を傾げるようにしてにっこりと言うハル。伊織は胃のあたりを押さえた。
「うん……再開……するんだよね……」
「憂鬱そうだね」
「いっ、いやっ、そんなことは……」
苦笑するようなハルから、思わず目を逸らす。
ハルはやっぱり可笑しそうに、
「ま、そのうち『仕事』で忙しくなるかもしれないからさ、今はこれ」
言って、ノートと教科書の上に置いていた手で軽くそれらを叩く。
「中間の範囲は今のうちにマスターしておかないと、ね。授業から遅れちゃうと、取り戻すの大変だよ」
「はい」伊織は素直に頷いた。「ごめん、余計なことばっかり考えて。ハルの貴重な時間を使ってせっかく教えてもらってるのに」
「いいよ、気にしないで。人に教えるのって、自分の勉強にもなるし」
ハルは真正の優等生だった。
「それにさ、伊織くんは物事の受け止め方が素直だから、教えがいがあるよ」
言いながらハルは、リビングのほうに目を向けた。
「キョウに物理の宿題を教えるのに比べたら、全然ラクだ」
ハルの視線の先には、リビングのローテーブルとソファの間の床に座り込んで、シャープペンを握りしめたままテーブルに突っ伏しているキョウがいた。
頬の下に敷いているのは、どうにも明日までにやらなくてはならない物理の宿題だそうだ。宿題とはいえキョウが自宅で勉強する姿を初めて見た伊織だが、「へえ」と感心したのもわずか五分ほどのこと。早々に討ち死にして、小一時間前から動きを止めている。
眠ってしまったのかと思ったキョウだったが、名前があがったのに気づいたのかむくりと上半身を起こした。
「ハルー。ダメだ。いくら考えても無理だ。理解できねえ」
「考えてないよね? 寝てたよね?」
情けない声を上げたキョウに、ハルはすかさず突っ込みを入れた。
キョウは悪びれた様子もなく、ごく真面目な顔で左手をこちらに差し出す。
「ハルの宿題見せて」
反則である。ハルは「まったくしょうがないね」という顔で肩を竦めた。
「俺のクラス、連休で物理一回休みになったから、一週分遅れてるんだよ。まだその宿題は出てない」
「じゃあ先にこれやって。お前んクラスで宿題出た時、俺がそれ見て写してやるから」
「言っている意味が分からないよ」
ハルは困ったように口を歪める。
「だいたい俺のクラス、まだそこまで行ってないんだってば」
「できんだろハルなら。もう一学期分の予習済んでんだろ」
「まさか。せいぜい一か月分くらいだよ」
ハルは完璧な優等生だった。
「だからハルーこれやって」
「うーん、どうしようかなあ」
「なあぁー頼むからー」
「そうだなあ」
「お願いだからー」
ハルは、キョウの「お願い」を完全に楽しんでいる。
「頼むからー」「どうしようかな」のやり取りが数回続いた後に、
「でも教えるのはいいけど、宿題はちゃんと自分でやんなよ」
にっこり笑ったハルに、キョウは泣きそうな顔をした。
ハルは構わずに伊織へと向きなおり、
「ごめんね。先にこっち済ませちゃおうか。キョウは、そのうちどうしようもなくなったらやる気になるだろうから」
「あ、えっと、うん」
キョウの恨めしげな視線を感じつつ、伊織はぎくしゃくと頷いた。
「えっと、キョウは物理が嫌いなんだ?」
「違う。物理が俺のことを嫌いなんだ。拒んでくんだ」
切なげな顔で言うキョウ。そちらを横目で見て、ハルは苦笑いを浮かべる。
「物理の神さまに喧嘩を売るような能力を使ってるから、嫌われてるんだ」
「は、はあ……」
「だったらハルだって一緒じゃんかーっ」
「俺はきちんと付け届けをしているもの」
「なんだよそれー」
嘆いてキョウは、握っていたシャープペンをぽいっとテーブルに投げ捨てた。
「あ、あのえっと、でもキョウもいつも試験の成績はいいって聞いたけど」
少々キョウが可哀そうになってフォローのつもりで言ったのだが、キョウはますます悲しそうな表情になって顔を伏せる。
「……楠見が。試験で学年二十位以内に入らないと、次の試験まで仕事させねえって言うから」
「二十位っ?」
伊織には雲の上のような成績である。いや、まだこの学校に入学してから初めての試験なのであるが、下から数えて二十位には入れる自信がある。
「だからいつも前の夜に必死で頑張ってるんだよね」
ハルはふわりと微笑んだ。
「だけど、高校生になっても二十位以内なんだ。生徒の数はかなり増えたのにね」
「俺それ言ったんだけど、『外部から来た生徒に負けるのは許さない』って却下された」
「す、凄いんだね……」
ほかの感想が出て来ず率直に口にした伊織に、ハルが笑顔を向ける。
「やれば出来る子なんだよ、キョウは。楠見もそう思ってるから、ちょっと高めの目標にするんだよ」
そうしてテーブルに頬杖をついて、キョウを見やって声のボリュームを上げた。
「キョウならちゃんとやれば達成できる目標だって思うから、言ってるんだよ? 無理だって思ったらもっと下げるよ」
けれどもキョウはムスッと口を尖らせて、それからまたテーブルに突っ伏してしまう。物理の宿題は、今度は額に敷かれることになった。ハルは頬杖のまま、軽くため息をついた。
「楠見さんも、結構厳しいんだね」
「楠見はキョウの、学校での立場を考えてるんだよ」
瞳だけ伊織のほうへと向いて、ハルは口元に、困ったような複雑な笑いを浮かべる。
「キョウは遅刻も欠席も多いし、宿題もサボるし、全体的に勉強にやる気が見られないし。不良でしょ。でも学校って、なんのかんの言っても成績至上主義みたいなとこはあるからさ。試験さえちゃんとした成績取れば、一応真面目にやってるのかなって、ある程度までは許してもらえる。あとはまあ、極端に反抗的な態度を取ったり非行に走ったりしなければね」
そしてまたキョウにも言い聞かせるように、
「生活態度はもう仕方ないから、ともかく試験だけはしっかりやれって。キョウの立場を悪くしないためなんだよ」
「へえぇ。心配してもらってるんだね」
素直に感嘆の声を上げた伊織に、ハルはにっこりと笑った。
「うん。だってキョウ、可愛いんだもんねえ。放っておけないよねえ」
ところが。
「……子供扱い、すんな」
テーブルに額を付けたままのキョウから出てきたのは、そんな低く小さなつぶやきで。
そのいつもとは違う反応に、一瞬「あれっ?」という顔でハルは目を丸くし、頬杖を外してサッと伊織のほうへ身を乗り出した。
「反抗期かな……」
「え」
「もしかすると……」
ごく真面目な顔で言って、ハルは伊織に視線を向けキョウには聞こえないようにひそひそと、
「大丈夫。俺、こんな時も来るかもと思って子育ての本を読んでおいたから。反抗期についても、ちゃんと書いてあった」
家事万能男子高校生ハルの守備範囲は、育児にまで及ぶらしい――実践相手は同い年の弟ではあるが。
決然と言うと、また柔らかい笑顔を拵えてキョウに体を向けるハル。
「うん。ごめんね。キョウは高校生だもんね。子供じゃないよね」
それは完全に子供に言って聞かせる口調だったが、キョウはテーブルからほんの少しだけ頭を上げて上目遣いにハルへと目を向けた。
「もう大人だもんね」
「……そうだ」
「大人だから、余計な心配する必要なんかないのにねえ」
「そうだ」
「一人前に、自分でなんでもできるんだもんね」
「そうだ」
「大人なんだから宿題だってちゃんと自分でやるし、試験の前は言われなくったって毎日一生懸命勉強するもんね」
「……そ……」
眉根を寄せ、虫歯でも痛むような表情になって。長い沈黙の後で、キョウはシャープペンを取りなおした。
「……そうだ」
渋々と言った様子で、背中を丸めたまま腕に顎を載せ宿題に目を落としたキョウ。
それを見てハルは、伊織に向け満面の笑みを作り、
「本当に可愛いよねえ」
キョウには聞こえないように、そっと耳打ちした。
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