38.プラスチック・シンジケート

「まず、創湘学館という学習塾。これは、若のご推察のとおり、潜在的なサイを発掘する機関として以前より組織と協力関係にございました」


 楠見の目を真っ直ぐに見上げ、入江は床に片膝をついたまま語りだした。


 その言葉に、楠見は少々鼻白む。何が「ご推察のとおり」だ。楠見一人に知らされていなかったことを、回り道に回り道を重ねた結果ようやく知ったのだ。全て知っていたはずのこの男からそんな言葉が出ては、皮肉にしか聞こえない。

 眉を寄せ、言葉を発する気にもなれないまま続きを待つ。

 入江は楠見の不快に気づいたようで、取り成すように片手を上げた。


「いえ、元来はこの学校にサイを集めるという目的のために創設されたものではございません。能力を持つ人間を効率的に発見する方法や、その能力を高める方法を研究することが、そもそもの目的にございました。緑楠学園にサイを入学される段になりそのデータが使われたことは、わたくしも聞き及んではおりましたが、聞かされている限りそれは二、三年ほどの間のこと。若が組織をお離れになり緑楠にサイを送り込むことがなくなってより後は、緑楠との縁は切れ元の目的に立ち戻ったはずにございます」


「サイを発見する方法を模索する、という?」

「左様にございます」

「では、サイテストやトレーニングのようなあの手法は、ずっと続けられていたわけか」

「左様にございます。そのような機関は全国にいくつかあり、そのうちの数機関と、組織は直接手を結んでおります。目立った能力を持った者があれば、組織や静楠学園に勧誘することもございますし、あるいは当該の機関からサイの能力を必要とする別の組織や団体に紹介することもございます」


「なるほど――」

 低く、頷いていた。


「創湘学館は、関東にある有力な研究所として、元より組織と最も結びつきの深い機関のひとつ。かねてより、組織所縁ゆかりの者が役員にも就任しております」


 そうやって楠見の組織は、全国にあるサイの組織や団体を把握しているわけか。反社会的な動きを取ることなく真っ当にサイを働かせている組織を見極め、人材を融通することで繋がりを保つ。いずれにしろ、サイの業界を見張るための活動なのだ。

 その能力を活かして本人の満足のいく生活が送れるというのであれば、それが犯罪活動にでも繋がらない限り、楠見が異を唱える筋の話ではない。むしろサイの警察機関を自任する組織に見張られ、守られている状態でそれが出来るようになるのであれば、その機関の存在は有意義と言っていいだろう。ただし――、と楠見は思う。


「悪質な目的にその名簿が使われるのは、避けてもらわないと困る。それに、サイの能力のある者を緑楠に入学させるというのも……どういう目的なのか分からなくて気味が悪い」


「仰るとおりにございます」

 軽く頭を下げ、

「塾には抗議いたしたいところですが、ただ――」


 入江はそこで息を整えるように一度言葉を切って、楠見を正面から見つめた。


「いずれも創湘学館自体がどの程度関与している問題なのか、まだいまひとつ判然とせぬのです」

 そう言う入江の表情はほとんど変わらないが、語尾には少々の申し訳なさが滲んでいた。


「学習塾がレベルの高い学校に生徒を入学させたいと思うのは、サイの能力によらず自然のこと。その学校がたまたま緑楠であり、生徒がたまたまサイであったのだと言われれば、こちらはそれ以上抗議の余地がございません。入学させた生徒に接触しているというのであれば問題ですが、いずれもまだ未遂や気配だけのおぼろげな話ですから、目的が分からぬ限り塾自体がどれだけ関与しているのかは不明」


「まあ、そうですが……」

 不満に思いつつ、楠見は一応頷く。


「また、試作段階の能力開発ソフトの被験者選別に塾生の名簿を使用し、危険なソフトを拡散させたのだとしたら、重大な咎ではありますが、これもこの塾の所業であるという確たる証拠はありません。たとえば他者に名簿を渡したのだという可能性も。現在のところ、証言の取れる者は相原哲也のみ。塾側に決定的な証拠を突きつけ断罪するには、いささか厳しいものがございます」


「むう……」と思わず唸り声が漏れていた。

 しらばっくれられればそれまで。否認の余地のないレベルの証拠を固めてからでないと、攻め込めないと言うのだろう。


「だけど、組織と関わりが深いというのなら、直接その塾のほうに話を聞いてみることはできないんですか? 他者に名簿を渡したんだとしても、それはそれで組織になんの打診もなかったのなら問題だ。査察に入る理由にはなるでしょう」


「は。ですがもうひとつ、問題がございます」

「問題?」

「はい」

 入江は頷いて、

「この件のみは会長のお言伝ではなく、憚りながらわたくしの判断でお話いたします――」


 そこで柄にもなく、ほんの少しだけ言い淀むように言葉を切った入江。不審に思った楠見だが、次の入江の言葉に目を見開いていた。


「創湘学館の現在の理事長が、紗緒子さおこ夫人のお兄上でいらっしゃるのです」

「……なんだって?」


 思わず腕組みが緩む。

 「所縁の者」どころじゃない。組織の「会長夫人」の兄ではないか。


「それは……」

「いえ」


 続く言葉を発しかけた楠見を、入江は遮った。


のお方が一連の事件に関わりのあることとして申しているのではありません。どうぞ、ご胸中にのみお納めください。ただかようなわけで、創湘学館への抗議は、我々一組織員の手には余る問題。証拠が固まれば、会長から直々にお話しいただくよりほかありません」


 その事情を聞けばなおさら、塾が無警戒にただ名簿を他者に渡しただけだとは考えられない。が、曖昧な容疑で中途半端に突くことはできないということか。


「学館の件に関しては、調査中にございます。相原哲也の体調が快復し次第、さらに詳しく話を聞く所存です」


「……よろしくお願いしますよ。それから、彼の身の安全もしっかり保障してください」

「会長はそのご意向でいらっしゃいます。ですが、そのことでもご報告申し上げておかねばならないことがございます」

「なんです?」

「は。相原哲也という者が、我らの組織に所属した経歴はございません」


 楠見は何度目かの驚きでもって、入江の顔をまじまじと見つめていた。


「組織の人間じゃない? 彼はそう言っていたと聞いているんですが」

「いえ、ですが、その名は過去をさかのぼっても組織には存在しないのです」


 きっぱりと、再び入江が言う。


「先ほど申し上げましたとおり、彼の入学後すぐに緑楠にサイを集める計画はなくなり、入学したサイたちの多くはそのままとなりました。入学後に接触を予定していた者は、何も知らぬまま卒業。すでに組織の話を知っていた数名が神戸の静楠大学を経て組織に加入しましたが、相原哲也はその中にもおりません。伺ったところでは、彼は高校時代にはすでに能力を発現し、両親もそれを認識していたとか。そういう境遇の者でしたら、通常組織は回りくどいことはせずに直接組織に入るよう勧誘するものですが、それをしたという者もおりません」


「だったら……」

 考えながら、楠見はぼんやりと声を発していた。

「じゃあ、彼のいた『組織』というのは? 菅原や安斉という連中は? 彼らと一緒に行動していたはずだ。ああ、そうだ。彼らは今は、組織の人間ではないんですか?」


「菅原、安斉、それに辻本――この三名の名を、若からご報告いただいておりました」

「ええ」

「菅原と安斉は、若もご存じのとおり、組織にいたサイです」


 また過去形だ、と楠見は思った。

「今は違うんですか?」


 すると、入江は一瞬の間を置いて、

「一年ほど前のことになります」

 唐突に、そう切り出した。


「新団体の創立を企画し、組織を離脱したいと願い出てきた者たちがあります」

「……新団体?」

「はい。その理念は、組織とさほど変わるところはございません。サイの犯罪やトラブルを処理することを目的とし、資金を得る手段として、個人の護衛や調査など――世間で言うところの、警備会社や調査会社のような事業を起こす計画である、と」


 なるほど、と楠見は頷く。サイの能力は、護衛や調査と言った仕事には持ってこいだ。適法性に関しては議論の余地はあるが、使いようによっては人助けになるであろうことは間違いない。


「組織の規律にのっとった審議がなされ、正式な過程を踏み、独立は認められました。菅原、安斉は、その折に組織を離脱した者の一員です。昨日の広崎も同様。これは元は優秀なサイコキネシスでしたが、自然と能力を失い、事務方として組織に所属しておりました者です。辻本という女は、組織にいた者ではなくわたくしも存じません。彼らの新団体を創立後に独自に採用した者やもしれず」


「ちょっと、待ってください?」

 入江があまり当然の物語のようにするすると語るので、楠見は少々気になった。


「なんでございましょう」

「その、組織から独立して新団体を作るっていうことは、よくあることなんですか? そして組織はそれを簡単に許すのか?」


「結論から申し上げますと、可能です。実際にそのようにして独立していった者もおります。まとまった人数で離脱し新たな組織や団体を結成するとなると、厳しい審査がありますが、方式としては認められております。よくあること、とまでは申せませんが」


 入江は淡々と、答える。


「我々の組織は、営利目的ではありません。仕事の内容は多岐に渡れど、集約すれば先にも申しましたようにサイの犯罪抑止。ですがこれだけではなく、その手腕でもって財を成したいと思う者もおりますし、もっと直接的に世のために能力を使いたいと思う者もおりますでしょう。組織の公式見解は、それを否定するものではありません」


 日本でも有数の大手企業を母体に持つ組織は、営利活動にも寛容らしい。楠見としても、サイの能力を金儲けに使うことがいけないとは思わない。生活には糧が必要だし、秀でた能力を持つ者はそれなりの対価を得てしかるべきだ。


「そうして離れた者たちは、少なくとも数年、長ければ半永久的に組織の監視下に置かれます。組織としては、外部に別の協力相手ができる便利もあり、組織に馴染まなかったサイの雇用先を確保することともなり、利も多いのでございます」


「だけど、菅原、安斉と言えば、組織でも中堅でしょう。そのレベルのサイが何人も抜けたというのは」

「その点に関しては、異例のケースでした」


 入江はそう言って、かすかに視線を険しくする。


「万にひとつ、良からぬ目論見であった場合。菅原や安斉と言ったレベルの、しかも組織の訓練を受けたサイを何人も抱えていたのでは措置が厄介になります。団体の活動趣旨が漠然としたものであることも気になりました。正直に申しまして、わたくしは反対でした」


 小さく息をつき、床へと目を落とす入江。ほとんど感情を表に出さない彼にも、不満や鬱屈はあるのである。


「それが、認められたと?」

「ええ。意外にも、幹部の中に肯定の意見も多かったのです。彼らの申すような団体が外部にできるのであれば、組織の手足となって身軽に動く協力相手ができる、というのが有力な意見でした」

「小規模な精鋭隊を、外部に組織するような感じですかね」

「左様な建前にございます。しかし一抹の不安は残りましたゆえ、厳正に監視することとし離脱を認めました」


「ではその『新団体』が、目的はまだ分からないが創湘学館と結んでサイを集め、緑楠に入れたというんだろうか……? それに、妙な能力開発DVDを製作して潜在的なサイに配ったり、失敗して能力の制御の効かなくなったサイを始末しようとしたのも……」


 顎に手を当てて、楠見はつぶやくような口調で言う。


「相原哲也くんは、その『新団体』に所属していたわけですね。いや、だけど彼がその組織に入ったのは、ここ一年やそこらの新しい話じゃない。それに彼は、『楠見の組織』に所属していたというようなことを言っていたんだ。彼らが元いた組織の名前を騙っていたというんだろうか」


「若」

 考え込んだようになった楠見に、入江は静かに声を掛けた。

「この新たな組織に関してわたくしが気にしております点は、まさにそのあたりにございます」


「そのあたりって……?」

「成立時期、目的、組織の実態――どれを取りましても、どうにも曖昧なのでございます」


 曖昧? 楠見は首を傾げる。入江は小さくひとつ頷いた。


「独立したのは一年ほど前のことですが、それよりだいぶ以前から準備を行っていた節があります。組織の名称も所属者も、どうやらはっきりしない。その時々で名称を使い分け、構成員さえも変わるのです。実を申せば幾度か関係者を捕まえ話を聞いているのですが、末端とは言えない地位にいる者であっても組織の概要をほとんど何も知らない様子。相当の中枢にいる人間を捕まえて調べなければと思っておりました矢先、広崎を捕らえることができたのは幸運にございましたが、こちらが期待するほどのことが分かるかどうかは正直申しまして微妙なところです」


 ますます不可解に、楠見は首を捻った。


「実態のない、組織……とでも?」

「正確に言えば、確固たる形のない組織、でございます。そのようなケースは、ごく稀にございます」


 楠見と視線を合わせ、入江は慎重な口調で、


「プラスチック・シンジケート、と、我々は呼んでおります」


「プラスチック……?」


「は。プラスチックとは、可塑性を持つ物質。外的な力を加えることによって、さまざまに形状を変えることができます」


「ああ……」

 と楠見は頷いた。用途に応じ、熱などを加えることで任意の形に再成形するお馴染のあの素材。

「つまり、状況次第で形を変える組織」


「左様にございます」

 低い位置から楠見の目をきっぱりと見つめ、入江は言う。


「時々で組織員や協力体系を変えることにより、外側からその実態が掴みにくいばかりでなく、内部の人間にさえもその全貌を把握するのは難しい。組織員一人ひとりに話を聞いても、彼らは『語らない』のではなく本当に『知らない』のです。かなり中核に近い部分にいる人間であってさえも、その知識や理念は共有されていないと考えられます。彼らはあえて全ての情報を分かち合わないことで、組織員から情報が漏れることを防いでいるのです」


 考えれば、それはサイ組織への情報漏洩を防ぐには最も効果的な方法だった。拷問や、テレパスによる読心。それらが通常業務のように行われる組織である。秘密を守る手段は、「知らない」こと以外にない。


「ですから話の聞ける相原哲也、それに広崎、――あるいはまだ確保に至っておりませんが、菅原や安斉を見つけ出して知ることを全て語らせたとしても、一人ひとりの情報には信頼性がありません。複数の者から得た情報を集約することで見えてくるものはあるでしょうが、組織員の入れ替わりさえもあるとあっては、全体を把握するまでに何名の者の話を聞けばいいのやら見当が付きませんな」


「だけど……ちょっと待ってください?」


 やや投げやりな感じを滲ませる入江を片手で押しとどめ、その手を顎に当てて楠見は考えながら質問を再開する。


「十人中九人が少しずつの情報しか持っていないとしても、残りの一人……中心にいる黒幕的な人間はいるわけでしょう? その人物は、はっきりとした目的を持って組織を動かしているわけだ」


「ええ。ですが下の者が正しく口を割らないことには、その人物と、その目的に辿りつく術がございません」

「組織の幹部に、関わりを持っている人間がいるんじゃないんですか? その、彼らの独立に賛成した者たちだとか」


「わたくし一個人の見解を述べさせていただきますれば」

 非常に慎重な口調で、入江は楠見を見上げる。


「幹部の中に、何かしら知っている者があるのではないかとの疑いは、ございます。けれど、誰が何を、とは申せません。彼らの独立に賛成した幹部たちにしてみても、どの者が最初に賛成の意見を言い出したですとか、強く意見を述べたり他の者に同意を求めたりしたとかということはございません。あえてそれが勘付かれぬよう根回しした者がいるとすれば、実に狡猾な人物です」


 入江の目を見つめ返しながら、楠見はふと違和感のようなものを感じた。彼の語った内容のどこかに、何か不自然なところがある――。

 口を閉ざして考えている楠見に、入江が「若」と声を掛けた。


「ああ、はい?」

「何事かお考えのところ卒爾ながら、先日の『事件』の折にご報告いただいた『松崎』という人物を、若は覚えておいででしょうか?」


 それはたしかに唐突な質問だったが、気になっていることのひとつではあった。


「俺の知っている松崎さんか? 組織の幹部の?」

「左様。わたくしと同様、長らく会長のお傍に仕えておりました人物です」

「哲也くんと一緒に、能力開発DVDの拡散を防ごうとしていたという」

「そのようにご報告いただきました。詳しくは後日、相原哲也から話を聞く所存にございますが――」

「ああ、たしか哲也くんは、途中で連絡が取れなくなったと言っていたようだが……?」


 嫌な予感を膨らませながら、楠見は訊いた。入江はその楠見の目を見つめたまま一瞬の間を置き、


「松崎は、菅原たちの組織に潜りこんでおりました」


 驚きに目を見張り、楠見は入江の目を食い入るように見ていた。


「松崎さんほどの幹部が? 新しい組織に?」

「件の『新団体』を創立する時に、我らの組織から数名の者が引き抜かれています。松崎は、その一人として参りました」

「……だって。怪しげな組織を設立しようとしている者が、組織の幹部を仲間に入れますか?」


「幹部とは申しても、上層部の者がその中でどういった地位にあるかまでは組織員は存じません。あるいは見当がついたとしても、このことから推し、もしや独立当初は彼らも己の作ろうとしている新しい組織が如何わしいものだという認識がなかったのやもしれぬと考えられます。もしくはさらに、別の意図があったか――」


 そこで言葉を切った入江に、また先ほどの違和感のようなものが頭をもたげる。

 だが、


「その松崎と、この春先以来連絡が取れぬのです」

「……なんだって?」


 思わず眉を寄せていた。入江はそれを無表情に見つめたまま、

「事情はまったく分かりません。目下、捜索中でございます」

 それだけ言って、言葉を止めた。


 疑惑のある組織にスパイとして送り込んだ者が、消息を断った――。会長や入江が警戒を強めた原因は、これだろうか。

 そう納得して、考える。まず第一に想起される可能性は、スパイであることが発覚して消されたか。いや、相原哲也は一緒にDVDの拡散を防ごうとしている間に連絡が取れなくなったと言っていた。そのあたりからトラブルに発展したか? けれど、元の組織の幹部であり、長年業界の波を乗り越えてきた熟練の組織員である松崎のような者を、誰がどうすることができるというのだろう。


 そこで、楠見は先ほどの違和感の正体を掴んだような気がした。


「入江さん」

 静かに声を掛ける。

「あなたは『黒幕』の正体を、知っているのか」


 あるいはおおよその見当が付いているのではないか。


 黒幕たる人物と、その目的に辿りつく術がない、と。

 先ほど彼はそう言った。

 下から辿って証拠を固めていかなければ黒幕を暴けないと、楠見に思わせるように誘導したのだ。

 そうではない。入江はその正体を察している。そしてそれは十中八九、「本店」の上層部にいる人物なのだ。


 分かったか、というように、ほんのかすかに唇の端を上げた入江。だが、


「わたくしの口からは、申し上げられません」


 それは、この分かりにくくて厄介な男流の、肯定だった。言えない。だから察してくれと言うのだ。

 楠見は腕を組んで数秒の間その厄介な男と視線を対峙させ、それから長いため息を吐きだした。


「会長の身に、危険が及ぼうとしているのか? それに組織に何かトラブルが――」

「ご心配でいらっしゃいますか? 会長と組織のことが?」


 そう聞いた入江は、今度こそはっきり、ニヤリと片頬を上げた。それを見て、楠見は腕を組んでそっぽを向く。


「そりゃ、会長の身は人並みに心配ですよ。組織がどうなろうと、俺は知ったことじゃないですがね。だけど、そのことでこちらに要らない火の粉が飛んでくるのは勘弁してもらいたい。俺が心配しているのは、この学園と俺の元にいるサイたちが余計なトラブルに巻き込まれないかってことです。そんな気配があれば、早めに教えてもらえるんでしょうね。もちろんこっちに飛び火する前に、そちらの組織内で火を消してもらいたいところだが」


 憤然と言うと、入江は薄笑いを消して真面目な顔で頭を下げた。


「お約束しましょう。若やこの学園に関わることで、何か不審の種を見つけるようなことがあれば、その時はすぐにお知らせいたします」

「お願いしますよ」

「会長も、近く直々に若とお会いになりたいと仰っていました」

「振り回されるのはご免だ。できれば何日か前に、教えてください。予定を空けなきゃならないんで」

「承りました。それでは――お伝えすべきことは全て申し上げましたゆえ、本日はこれにて失礼いたします。また近々」


 もう一度深く頭を下げ、そして入江は、消えた。


(ちゃんと受付で退出の手続きをしていってくれるんだろうな……?)


 少々心配になりつつ、楠見はすぐにはソファから立ち上がれずに入江の語った内容を頭の中で吟味していた。

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