37.質問と回答。そして今そこにある危機
「若。昨日はご無礼をつかまつりました」
入江はドアの外で足を揃えて立ち、慇懃に頭を下げた。
「対真の使い手も――満足なご挨拶もできず、失礼いたしました」
頭を下げられたキョウは一瞬困った顔で楠見へと目を向け、けれどすぐに先ほどの一幕を思い出したのかふいっと顔を背けた。
やはりどうにも、タイミングが悪い。キョウを穏便に追い払ってから入江との密談を、と思っていたのに、キョウを怒らせその上ここに入江がやってくるとは厄介な。
内心で嘆息した楠見だったが、話を聞きたがるかと思ったキョウは、けれど入江の顔を上目遣いにちょっと見つめただけでそのまま部屋を出ていく。
相手の敵意に鋭いキョウが、入江には危険な気配を感じなかったからか。あるいは苦手なタイプだとでも思ったか――だいたいにおいてこの、無表情で愛想の欠片もなく見るからに世をはばかる裏の仕事をしていますと言った風の男を、初対面で気に入る人間はそういない――、それとも単に、楠見への怒りが勝ったのか。振り返りもせずに不機嫌な足取りで廊下を歩いていくキョウ。
入江がその後姿に、深く頭を下げた。
キョウの姿が見えなくなると、入江は頭を上げて楠見に目礼する。
「まだお取り込み中でしたか。失礼いたしました」
楠見はため息混じりにドアを大きく開けて入江を室内に入れ、先に立って歩き応接セットのソファに腰を下ろした。
「掛けてください」
目の前のソファを手で示すが、入江はソファの横に片膝をつくと、
「いえ、わたくしはここで」
示されたソファを一瞥もせず、無表情に答える。
これでは話しにくいのだが、三十回くらい勧めたってこの男は座りやしないだろう。頑固な男を見つめ、楠見は苦々しい息を漏らす。
ご丁寧に、来訪者の札を首から下げた不審人物。必要とあらばどこにだって忍び込むくせに、妙なところで律儀なのだ。そんな
次に顔見知りの警備員に会った時、何を言われるか――とげんなりした楠見の心中など構わず、入江はドアのほうを目で指した。
「随分と、ご立腹のご様子でしたが」
「ああ。昨日の一件を受けて護衛をつけろと言ってきたので、適当にあしらっていたらブチ切れられました……」
こちらも気の重い話。暗澹とした気分で額をこすりながら答える。と、入江は真面目な顔で、
「対真の使い手のご心配はごもっともです。わたくしからも、身辺に重々ご警戒なさるよう忠告申し上げます。――と言いますか……」
頬をぴくりとも動かさず声だけわずかに厳しくした入江に、楠見は嫌な予感を抱いて少々身を引く。
案に違わず、入江は説教モードのスイッチを入れた。
「あなたは相変わらず隙だらけです。対真の使い手は、若との出会いのきっかけを考えれば、そういった種類の不安をお抱きになって当然でしょう。それをあなたときたら、まったく。反省が足りないと申し上げましょうか。ご自分のお立場がお分かりになっているのかどうか。しばらくお会いしない間にもしやお変わりになったかと不遜ながら期待申し上げておりましたが、若は本当に変わらずでいらっしゃいますな。しかも昨日のあのご様子。なんですか。対真の使い手は若をお守りすべくお傍にいらっしゃるのだと、わたくしは認識申し上げておりました。それを逆にお庇いになるとはまったくもって度し難いご行動です」
それはおおむね言われるだろうと予期していたことであるが、楠見としても一言モノ申したい。
「あなたがあの広崎という男を殺すのかと思ったんだ。前にもこんなことがあったから。目の前で人が『拳銃自殺』するところなんか、高校生に見せられるわけないでしょう」
それは至極真っ当な主張だと思うのだが、入江は言下に否定した。
「彼は普通の高校生ではありませんし、あなたが守って差し上げなければならないほど弱くもありません」
「サイの能力の大きさと人間的な成熟度は別問題です。それに、普通の高校生じゃないから見せたくないものだってあるんだ」
「綺麗な物ばかりしか目にしないのでは、人は成長いたしません」
駄目だ。また額へと手をやって、楠見は大きなため息をついた。「本店」の精神論ありきのスパルタ至上主義は大嫌いだ。強靭な精神こそがサイとその組織にとって絶対的不可欠だと考えている「本店」の連中とは、この一点でどうしたって分かり合えない。
「……あなたたちの、そういう考えに俺はついていけない」
特異な能力を持つ人間は、精神的にも肉体的にも強くあらねばならないと、その考え方が間違っているとは思わない。けれど人を極限状態に置くことでそれを鍛えようとしている彼らが、現実に育て上げているものは、能力を高め認められることだけを考えて組織の都合のいいように動く駒。
温い、甘いと言われようと、そんな組織の頂点に立つなど楠見には考えられない。
「ですが」
入江はやはり表情も変えずに、きっぱりと、
「この方法以外に、人を――それも法の影響の内に収まらない特殊能力を持つ人間を束ねる
長年そうやって能力者たちを掌握してきた組織の幹部の言葉は、確信に満ちていた。
「『会長』もいつかあなたがそれをお分かりになるとお考えになって、あなた方の現在の自由を保障されているのです。『約定』を、ゆめお忘れになることのございませんように」
『約定』――。楠見は手に額を預けたまま、その言葉を心の内で繰り返す。
「……俺はそれを、呑んだわけじゃない」
ぽつりと言うと、入江は顔色も変えずに小さく鼻を鳴らした。
「それではわたくしは『会長』に、こうご報告申し上げなければなりません。若は『会長』のお達しを顧みられず、恣意に任せた生活をお送りになっている。対真の使い手はそこに存在を許された名目を違え、その役割を果たしてはいない、と」
そんな報告が怖いわけではないが、その言いようにカチンと来た。両膝に手を置いて身を乗り出し、
「ああ言えばいい。だけどそんな名目は、あなた方が勝手に決めたことだ! 彼に何をさせて何をさせないかは、俺が決める。これは組織を離れた俺の問題だ、彼らに関することであなたたちの指図は受けない」
黒ずくめの男を睨みぴしゃりと言うと、男はそこで初めてわずかに――ほんのわずかではあるが――頬を緩め苦笑いのような表情を作った。
「まったく。相変わらずでいらっしゃいます」
「……ご期待に添えなくて悪かったですね」
「ですが――少し、安心いたしました」
「安心?」
「ええ」
妙な言葉が出てきた。思わず不審に眉を寄せ首を傾げた楠見だったが、続く説明はなく、少々居心地が悪くなって目を逸らすとソファに深く持たれた。
「あなたこそ……少しは変わったのかと思った。あの広崎という男をその場で殺したりしなかったから――」
「学校内に死体を転がすほど無分別ではございません。それに、あの男に少々訊ねたきこともございましたゆえ」
「ああ……そういうことでしたか……」
「はい。おかげで少しずつではありますが、分かってきたことがございます。若には危うい思いをさせ申し訳ありませんでしたが、きのうあの男を確保できたのは、
元の無表情に戻ってさらりと言った入江に、楠見は驚き背筋を伸ばす。
「しゃべったんですか? あの男が?」
先日の事件の折に捕まえた、安斉という男――おそらくは広崎の仲間である――を思い出す。何も語らず挑発にも乗らず、思考さえも「ロック」されていて、優秀なテレパスである琴子でさえもわずかな感情の動きを読み取る程度しかできなかった。あれと同じ意思を持った組織で動く男が、脅されようが拷問されようが口を割るなどとは考えられない。
だが、入江は口の端だけかすかに上げて、
「口を割らせる方法など、いくらもございます。お望みであれば、いくつかお教えいたしますが」
「いや、結構です」
即座に両手を上げて、楠見は断った。
「フン」と鼻息を漏らし、けれど入江は頷く。「左様――このようなことは、若のお手を煩わせるようなことではございませんな。我々のような下々の者が行うべき仕事にございます」
いや、そういうことを言っているのではないのだが。
物騒なのでそこらへんには深く立ち入らないことにして、楠見は本題に戻る。
「あの男は組織の人間なんですか? 彼はそうだと言っていたが、あなたは『組織に所属していた』と過去形で言う。彼は今は組織にいるのではないんですか? 先日の相原哲也や創湘学館がらみの事件を起こした者や、先ごろからこの学校の周りをうろついている者たちは――」
堰を切ったように出てくる楠見の疑問を入江はしばし黙って聞いていたが、やがて、
「若」
落ち着いた声で楠見の質問を止めた。
「疑問に思し召されていることのいくつかの答え、わたくしは『会長』からご伝言として承ってまいりました。ですが、広崎めから得た情報の一切をここで
「ああ、分かった分かった、分かりました」
くどくどと始まったのを、楠見は再び両手を上げて制した。
分からない、調査中だ、で済ませればいいものを、わざわざ「分かっているが教えられない」などと言うのがこの男の憎たらしいところである。あらかじめ「伝言」されてきたこと以外の新たな質問には答えない、と言いたいのだろう。国会答弁じゃあるまいし、馬鹿らしい、とは思うが、言わないと言ったことはこの男は絶対に言わない。それこそ、入江の言う「口を割らせる方法」だって、当のこの男にだけは通用しないだろう、と楠見には思われた。
楠見の物心つく頃には、この男は組織の最重要人物の一人だった。組織の頭、「会長」の一番の側近にして、数々のサイを抱えた組織の中でもトップクラスの優秀なサイコキネシス。主君に忠誠を誓った重臣。生まれながらにサイ組織の中核となる才能を持っていたのではと思わせるほど有能な仕事人であり、およそこの男ほど「裏」がしっくり来る人物を、楠見はほかに知らない。
キョウには先ほど、組織の人間も「表」の仕事を持っているものだと言ったが、この入江に関しては裏も表もなく「裏側の人間」としか言いようがない。
そして楠見も。人生の中の決して短くはないある期間、この男を最も信頼していた。
今だって、そう、彼が楠見にとってどれだけ不都合な言動をしようとも、楠見に対する逆心を疑う必要だけはなかろうと思えるほどには、信用している。
「それじゃ、先日館山まで訊きに行こうとしていたことには、答えてもらえるんですね」
「会長のご意向の範囲で」
「良かった。貴重な休日を潰して無駄足を踏まされて、このまま有耶無耶になったんじゃ堪らない」
腕組みをして嫌味を言う楠見に、けれど入江は一向にこたえていない様子で、
「その件に関しては、丁重にお詫び申し上げるように承ってまいりましたが、いずれ会長はあなたにお会いになることはありませんでした」
しれっと言う。
さりげなさすぎて聞き流しそうになったその言葉を頭に呼びもどして、楠見は目を剥いた。
「会うつもりはなかった? 房総半島の先っぽまで呼び出しておいて?」
「はい。会長にお目通りを望む輩が、若を通じて会長の現在のご居所を突き止めようとすることは想定できましたゆえ。若を追ってくる者の有無を確認することが目的でした」
不審な輩を炙りだす餌に使われたというのか。憮然として言葉を失った楠見に、入江は深く頭を下げた。
「その節は、申し訳ありませんでした。ただ、甚だ僭越ながら会長をご弁護いたしますことお許しいただけますれば、会長は、それでははるばるお運びくださった若があまりにお気の毒ゆえ、一応のご面会はなさろうかとのお考えでした。ですが、はばかりながらわたくしがお止め申し上げました。万々が一、会長に害をなそうとする輩に会長への接近を許すことがあってはなりません。ですからわたくしといたしましては――」
「ちょ、ちょっと待ってください」
腕を組んだまま片手を上げて、慌てて楠見は口を挟む。
「害をなそうとするって? 組織員だか元組織員だかが、会長に?」
その輩とやらの目的が、会長と一緒にお茶がしたいなどという能天気なものであるなどとは、もちろん考えていない。けれど、即座に「害をなす」との疑いを掛けるのは、不穏に過ぎないだろうか?
たしかに先日の安斉からの聞き込みで、彼らが「本店」とは別の思惑で「本店」に隠れて行動しているらしいことは窺える。けれどそれが一足飛びにトップへの反逆に繋がるなど、楠見には考えられない。
だが、と頭の中で目まぐるしく時系列を整理していた。会長と入江は、楠見が何者かにつけられていたから面会に応じなかったのではない。「それ」以前から、何かを警戒していたのだ。
そしてあの広崎という男――ためらいも見せず楠見に拳銃を向けた――。
「いったい……何が起きているんですか? 彼らはなんのために――」
「奴らの目的はまだはっきり分かってはおりません。現在、我々一部の幹部で調べているところです。ただ、広崎のような組織員が上層部を通さずに会長のご居所を探り接見を乞おうとするなど、通常考えられることではございません。何かしらの良くない思惑があると見ても、杞憂にはならぬでしょう」
「何か、それを思わせる事件がそちらであったのか?」
楠見は目を細めた。
「それにお答えする前に」
入江は小さく息をつくようにして、
「先日の事件に関する若のご質問にお答えいたしましょう」
そう、まずはそれだ――。
再び腕を組んでソファの背に持たれ、楠見は無言で続きを促した。
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