31.家事万能高校生ハルに、死角はない

「そういうわけだから、協力してもらうわ」


 山ほどの毛糸の入った紙袋を抱えて店に入ってきた三人――と言っても抱えていたのは買い物に付き合わされ荷物持ちの大役を仰せつかった伊織だが――に、コーヒーを飲みながら読書をしていたハルと、カウンターでジャガイモの皮を剥いていたキョウは目を丸くした。

 あおいは伊織と志穂をハルのいるテーブルに着かせると、放課後からファミレス、手芸屋をめぐって喫茶ベルツリーにやってくるまでの出来事をごく簡単に説明し、ハルとキョウの反応には構わず堂々とそう宣言したのだった。


「って、お嬢……どういうわけだかさっぱり分からないし、何を協力すればいいの?」


「志穂ちゃんが」

 言って物珍しそうに店内を見回していた志穂を示し、

「編み物が上手くなるように、ハルが特訓するのよ!」


 やはり当然とばかりの堂々とした口調で言い切るあおい。


(いやいや、いくら家事万能のハルだって、編み物はさすがに――)


「でも俺、基本的な棒針編みしかできないよ?」

「できるのっ?」


 家事万能男子高校生ハルに、死角はなかった。カウンターからキョウが声を掛ける。


「ハルはセーターとか手袋とか作ってくれたもんな」

「子供の頃の話だけどね」

「えっと……その頃は、ハルも子供だったんですよね?」

「うん、同い年だからね」


 思わず間の抜けた質問をしてしまった伊織に、ハルは微笑む。

「子供の頃は時間もいっぱいあったし、手や体が小さいから、わりと簡単に出来たんだよ。今はちょっと厳しいなあ」


(いやいやいや、セーターとか手袋とか、マフラーよりたぶんずっとレベル高いから!)


 志穂どころか美咲よりも、ハルのほうが格上かもしれない。


「だから、志穂ちゃんに教えてあげて」

「お、お願いします、神月くん」


 あおいの隣で、志穂もぺこりと頭を下げた。


「うーん……教えられるかなあ」


 ハルの苦笑いには、「自分に教える技術があるかどうか」というよりも、「あのマフラーの作者である志穂を上達させることができるのか」という疑問が含まれているようで、察したようにあおいは身を乗り出す。


「志穂ちゃん、冬から春にかけてかなり練習したんですって! マフラー何本も編んだのよ、ね?」

「うん……あ! 写真があるよ!」


 志穂はカバンから携帯電話を取り出すといくつか操作して、画面をハルに向けた。


「ほら、これとか。これはたしか、三本目に編んだやつ」


 伊織も横から覗き込む。畳の上に一枚の細長い敷物を延べたような画像だった。ショッキングピンクと黒の格子柄。何やら目がチカチカする画像に、「あ、マフラーか」と気づくのに数秒の時間を要した。


「それから、次がこれ」

 次第に技法を覚えたのか、少々複雑な柄。だが、オレンジと緑とピンクの渦巻き模様がなんとも言えなく目の回る一枚。


「こういう…………サイケデリックな柄が好きなの?」

 ハルが考えた末に選んだ言葉に、志穂はかすかに嬉しそうな顔をした。


「サイケデリックとか言われると、ちょっと照れるな。オシャレっぽくて。編み図がよく分からなくて失敗しちゃってさ、そのまま適当に微修正しながらやったらこうなったの。偶然の産物だけど、失敗がいい方向に転んだよね!」


「前向きなんだね」


「ね、これなんかもどうかな」

 言いながら、携帯を操作する。紫と黄色のチェック。

「最後に作ったの。もう冬も終わり頃だったから、春の野原をイメージしてみたんだ」


「ああ、アブラナとムラサキハナナだね。綺麗だよね……野原だったらね」


 当惑を押し隠し、優しく微笑むハル。伊織も切ない気持ちになった。


「うーん……そうだねえ」乗り出していた体を引いて、ハルは腕を組み椅子に深くもたれた。「技術的にはだんだん腕を上げてるみたいだね」


 たしかに、携帯電話のカメラの鮮明とも言えない小さな画像だが、あからさまにおかしかった一枚目と比べると、ミスもそれほどは目立たない。


「デザインは……とても個性的で、似合う人間を選ぶ感じだよね」

 ハルはとても慎重に言葉を選んでいた。

「そうだな、……深町くんの好きな色にするのはどうかな」


「あいつは緑色が好きね。ちょっと暗めの」


 斜めに視線を上げて言う志穂に、伊織はハッとしてあおいと顔を見合わせた。バスケットボールのお守りがスイカになった理由が分かった気がした。

 伊織とあおいがにわかに警戒の色を浮かべたのを機敏に察し、ハルは「あ、それならね」と言葉を加える。


「今回はじゃあ、緑一色で行こうか」

「えー? 一色じゃ、なんだか物足りないな」

「いや、大事な勝負なんでしょ? ここは手堅く、シンプルな柄で完璧な作品を目指すべきだと思うよ」

「そうかなあ」


 ひとまず、目が回ったりチカチカしたりする仕上がりは避けられそうで、伊織は安心した。さすがハル、と思う。


「それで、一通りのことはできるみたいだから、あとは失敗した時の処理方法を覚えれば良さそうだね。目を落としたり捻じれたりしたところをその都度ちゃんと直すようにすれば、いいのができると思うよ」


 にっこりと笑うハルに、志穂は尊敬の眼差しを向けた。


「うん、なんだかできそうな気がしてきた!」




 ハルが部屋で眠っていた編み棒などの道具を取ってきて、志穂は離れたテーブルで編み物を始めた。あおいがその向かいで、必死に編み棒を動かす志穂にエールを送っている。


 そちらになんとなく目をやりつつ、


「てかなんで今マフラーだよ。暑いだろ」


 手伝いを終えてテーブルにやってきたキョウが、コーヒーカップを片手に眉を顰めた。ハルがそれに苦笑を浮かべる。


 初夏である。

 上着を脱いでもさらに腕まくりがしたくなる陽気に、毛糸玉を転がしながら黙々と編み棒を繰る光景は見ているだけでも暑い。職人や本格的に編み物を趣味としている人は、こんな季節でも編み物をするのだろうが、どうも伊織には絵的に妙な感じがして、キョウの言葉に心で同意した。


 が――。小早川志穂には、マフラー以上の複雑な過程を踏むモノは厳しそうだ。そこは「小さなものしか作ったことがない」と言っていた真野美咲も似たような条件だが、あのティッシュカバーの完成度を見るとそれこそセーターや手袋だって志穂よりはまともに出来てしまいそうな気がするので恐ろしい。


 ハルも同じことを考えたのかもしれない。


「ま、二人が対決するならマフラーが無難だろうね。真野さんは編みぐるみなんかも作るって話だから、立体的な工程が必要なものになると真野さんのほうがアドバンテージが大きくなっちゃうし。ただし、話を聞く限りだと、真野さんは棒編みじゃなくてかぎ編みじゃないかと思うんだ。そうすると、編みぐるみやティッシュケースみたいな小物を作るのには適しているけれど、マフラーみたいな大きなもので市販の製品みたいなのを作ろうとすると時間も掛かるし大変だから、二人の技量差を比べるとようやく五分五分に…………なるかなって思うよ」


 にっこり笑って言うハルに、伊織は尊敬の念を新たにする。


「……ハル、詳しいんだね」

「もういっそ、ハルが作ってやったらいいじゃん」


 眉根を寄せたままこちらを振り返ったキョウに、

「シッ、キョウ、それは言っちゃだめだ」

 ハルは口の前に人差し指を立てた。


「ま、お嬢もそこまで考えて言ったかどうかは微妙だけどね」

「はあ、もうその場の成り行きで……って感じでした」

「俺としては、真野さんが深町くんに相談していたっていう内容のほうが気になるんだけど。……それってかなり、今起きている問題の核心部の予感がしない?」

「うん……」


 そういえば、と伊織は今さら気づく。

 真野美咲と深町孝之の繋がりは、重要な問題らしいのだ。伊織こそ場の勢いに流されて、そこまで頭が回らずにいた。


「ごめん……役に立たなくて」

「いや、伊織くんが謝ることじゃないけどさ」

「お嬢、そういやまだ真野のこと聞いてねえんだったな」

「そうなんだけど……小早川さんのいる前じゃ、話に出しづらいね」


 サイの仲間どうしの秘密の語らいを、なんだかすっかり仲良しになったとはいえ志穂の前でするのはマズいだろう。


「このまま一緒に帰っちゃいそうな感じだしなあ」


「お嬢だけ呼び出して、話すか?」

 言ったキョウに、ハルも「そうだねえ」と頷く。


 と、そこへ。

「あ! やば! 神月くーん、間違えたー」


 志穂が数段ほど編んだマフラーを目の前に掲げて、ハルへと向ける。さっそく問題が生じたらしい。ここでこれまで、おそらく適当な力技で切り抜けて何食わぬ顔で続きを編み続けていたのであろう志穂は、ちょうど良くいた先生に助けを求める。


「うん、そこで止まってすぐにやり直せば大丈夫。直し方を教えておくから、家でも同じ失敗をした時はスル―しないできちんと直すようにね」


 にっこりと笑ったハルの横で、キョウが立ちあがった。


「お嬢、ちょっといいか?」


 だが、あおいは、

「はあ?」

 ソファに座ったまま、思い切り嫌な顔でキョウを睨みつける。

「なによ!」


 睨まれたキョウは、不思議そうに目を瞬かせた。


「は? 真野のことなんだけどさ」

「真野さんのことであんたと話すことなんかないわねっ!」

「……は?」


 首を傾げるキョウ。

「……お嬢、なに怒ってんだ?」


 伊織は気まずい気持ちになりつつ、解説を試みる。


「あの……お嬢はどうも、キョウが真野さんのことを好きで、それで真野さんを監視しろって言ったんだとと思っているフシがあるっていうかないっていうか、無きにしもあらず……という可能性も考えられなくはないというか、有り得るかなあ、と……」


 しどろもどろになる伊織に、キョウは不思議そうな視線を向ける。


「は? 真野? 別に好きでも嫌いでもねえけど……それでなんでお嬢が怒んだ?」

「……あっ、そうですよねえ」


 お嬢の想いはキョウには通じてないようです――!

 彼らと出会って以来の疑問を解消した伊織の斜め前の席で、ハルは面白そうにわずかに唇の端を上げた。


「ちょっとそこ! なにこそこそ話してるのよ!」

 男子たちの席の会話へと険しい目を向けたあおいに、


「それよりさ、期日はいつまでなの?」


 隣のテーブルにやってきた志穂の作品を受け取って、間違えたという部分をあらためながらハルが訊く。


「え? そうね……一週間ぐらいでできるかしら」

「試験が始まるけど、大丈夫なの? 勉強とか」

「……そ、そうね。五月いっぱいぐらいでどうかしら……」

「あ、あたしは大丈夫だよ。試験が終わってからでも、その頃には一枚編み上がると思う」

「ふうん。で、どうやって勝敗を決めるの?」


「えっ」あおいは素っ頓狂な声を上げた。そこまで考えていなかったらしい。「えっと、……そうねえ。審査の基準はどちらのマフラーが欲しいかってことで……まずは深町に審査させるとしても……一人だけだと私情が入るかもしれないし……そうだわ」


 そこであおいの瞳がぱっと伊織に向けられる。蛇に睨まれた蛙とはこの状態である。伊織は唐突なあおいの視線から逃げ遅れ、顔を引きつらせた。


「伊織くん、審査員になってちょうだい!」

「え……」


(まずくない? どうしよう……)


 内心で大慌ての伊織だが、あおいの中ではもう決定事項であるらしい。


「やっぱり三人ぐらいいるのがいいわよね。もう一人は」


 もちろんここでキョウあたりに視線が向くのだが、キョウはあおいの視線からさっと逃れ、

「フジとかいいんじゃね? 小早川のことも真野のことも知らねえし、公平だろ」


「そうね。それじゃフジにお願いしましょう」


 満足そうな笑顔を見せるあおい。厄介な役割を華麗に逃れたキョウに、伊織は恨めしい視線を送った。

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