30.ひしゃげたスイカはバスケットボールに勝負を挑む
「あ、あの。朝はどうもありがとうございました」
一瞬テーブルの上を気まずい空気が流れた後で、沈黙を破ったのは美咲だった。
唐突に声を掛け席に割り込んできた三人に、最初こそ驚きと当惑を見せた美咲だが、あおいと並ぶとそう言って小さく笑いながら軽く頭を下げる。
言われたあおいのほうが、面喰ったような表情を見せた。
「えっ、……それは、別に……」
「いえ、とても助かりました」
ウサギかリスを思わせるような丸いクリクリとした瞳を輝かせ、礼を述べる美咲。あおいのまとっている険悪な雰囲気など意に介さぬ様子に、意外と彼女、大物なのかもしれない……と思った伊織だったが、
「それで――」ひとつ咳払いをして、あおいはペースを取り戻した。「単刀直入に訊くけど、二人は付き合っているの?」
(単刀直入すぎるでしょう!)
あおいの問いかけに、伊織は内心で突っ込む。もちろん口には出せない。
横から睨んでいる志穂の視線を一瞬気にして、それから深町はやや及び腰の姿勢でバツが悪そうな口調になる。
「つ、付き合ってる、とかじゃねえよ」
「だったらなんで二人してこんなところに入ってんの。あたしとはお金のかかる店なんか入ったことないくせに!」
志穂はますます険呑な目で、深町を見た。
「ち、ちげーよ、ちょっと真野の相談に乗ってたってだけで」
「あ、あの……」
気圧され気味に答えた深町の向かいで、遠慮がちに声を上げたのはやはり美咲だった。
「すみません、ちょっと深町くんに相談したいことがあって、聞いてもらっていたんです」
志穂のとげとげしい視線が美咲へと向く。
「あのね、真野さん。どんな悩みか知らないけど、こんな男に相談したってろくに役に立たないよ? 林間学校の時だって、カレーの材料買い揃えるのも玉ねぎ切るのもかまどに火をつけるのさえできなくて、何ひとつ自分じゃできなくて全部あたしがやってあげたんだから」
「な、なんでそれ例に出すんだよ! たまたまそん時できなかったってだけだろっ?」
「ほかのことだって、あんたあたしに頼りっきりだったじゃない! 肝試しの時、先に歩くの怖いからってあたしの後に隠れてついてきたのはどこの誰ですかねえ」
「い、言うなよ!」
「さんざん助けてあげた恩を忘れて、あんたって男は――」
「頼んでねえよ! このお節介!」
「あたしがいつお節介を焼いたっていうの! あんたがあんまり頼りないから仕方なく――」
(夫婦喧嘩にしか見えないんですけど……)
不毛な言い争いを始めた二人を、美咲はおろおろと見比べている。その隣のあおいは、応援しているスポーツチームの決勝戦でも見るかのように真剣な目で成り行きを見守っている。
「だからそういうのがウザいんだよ!」
もはや十センチぐらいのところまで額を突き合わせて、深町が大声で言った。
店内にまばらにいるのみの客が一斉にこちらを見た気がして、お誕生日席の伊織は身を縮める。
「はあぁあ?」負けじと志穂も、思い切り抑揚をつけて、「もーういっぺん言ってみ!」
「ああ言ってやるよ! お前のやることいつもなんかズレててありがた迷惑なんだよ! ユニフォームなあ、洗ってくれんのはいいけどバラの香りの洗剤はやめろっていつも言ってるよな? 弁当のピーマンだって、なんで肉詰めピーマンの中身まで食うんだよ! 肉はよこせよ!」
「ピーマンのニオイが嫌だって泣いてたじゃん!」
「んなもん小学生の頃だろうが! 俺もうニオイぐらいとっくに克服してんだよ! しかもお袋に『タカくんピーマンまでちゃんと食べました―』っていちいち報告すんのもやめろ! 逆に疑われんだよ!」
「あんたがガキ過ぎてお母さんにまで心配されてんだから、しょうがないでしょ!」
「んなことねえよ! あと朝なあ部屋まで起こしに来んのもな、もうやめろって何度言ったら分かんだよ!」
「出て来んのが遅いから、部屋に着いちゃうんでしょうが!」
「玄関で待ってろよ!」
「なんで部屋に行っちゃいけないの! 部屋にマズイもんでも隠してるんでしょ!」
「当たり前だろ!」
「なに隠してんの、言ってごらん!」
「言えるわけねえだろ!」
(というかレベルが低すぎるんですけど……)
ヒートアップの様相を見せる二人を、美咲はますます困った様子で見比べている。一方あおいは、ワールドカップ決勝のPK戦でも見つめるかのような緊迫した眼差しで飛び交う会話を見守っている。
「どうして言えないの! あたしに隠し事なんかできる身分だとでも思ってるの!」
「だから、そういうのが嫌なんだよ! お袋でもねえのにお節介すぎて押しつけがましいんだよお前!」
「あたしがいつあんたに何か押しつけたりしたの!」
「押しつけてんだろ、モノでもなんでも! あの地区大会の優勝の、手作りのお守りなんだよ、なにが『バスケットボールの形にしてみたー』だよ、ひしゃげたスイカにしか見えねえんだよ!」
(どんなお守りなんだろう……)
「はあ? あんた喜んでたじゃん!」
志穂は目を丸くして抗議する。
「そりゃそんときは一応礼くらい言うだろ」
「本当はそんな風に思ってたってわけ?」
「そうだよ、当たり前だろ!」
「それで……あのマフラーも……」
志穂の声が少しだけ小さくなった。
話がそこにおよび、伊織はドキリとして姿勢を正す。
「マフラー?」深町は眉を顰めた。「ああ、あの下手くそなヤツ」
(ふ、深町くん、マズイよ)
伊織は身を緊張させた。あおいの視線も、さらに険しくなる。身にまとう空気がピリリと尖ったが、深町はそれに気づいた様子はない。
「そんなこと思ったの? それで部室に放置してたわけ?」
「あんなもん、外でして歩けるかよ!」
言い放った深町に、
「ちょっと。深町くん」
冷やかな声を上げたあおい。伊織は逃げ出したくなった。
「それは酷いんじゃないかしら。せっかく志穂ちゃんが一生懸命編んだのに」
深町はそこで、美少女の瞳に凶悪な色が浮かんでいることに気づいたらしく、少々怯んだような顔でわずかに身を引く。
「な、なんだよ、衣川まで。あのマフラー見たのかよ」
「見たわ」
「じゃあお前、あのマフラーして外歩けんのか?」
「そ、それは――」
(お嬢! そこは『もちろん』って言おうよ!)
「あおいちゃん……?」
「え! そ、そんなことよりも、作ってくれた気持ちのほうが大事でしょう?」
「要らねえんだよそんな気持ち! 毛糸がもったいねえよ!」
「ひっどーい!」
志穂は憤然とテーブルを叩くが、深町も負けない。
「お前下手くそなんだよ、手芸とかやる資格ねえよ!」
「ちょっと! 言い過ぎよ! 志穂ちゃんに謝りなさい」
「謝らねえよ! 手芸ってのはな――」
言いながら体の横に置いてあった通学カバンを軽くあさると、深町は手の平サイズの毛糸製品をテーブルの上に叩きつけるように置いた。
「こういうの作れるようなヤツがやるんだ!」
一同の視線が、深町の取り出したものに集中する。
「あ、それ……」
また小さく声を上げる美咲。
「ああ、真野からもらったんだ、手作りだっつってな」
あおいと志穂の視線はそのテーブル上の毛糸製品に釘づけられていた。
それは見た目にも可愛らしく目の整った、バスケットボール柄のティッシュケースだった。直系二センチほどのバスケットボール――間違ってもひしゃげたスイカなどには見えず、その小ささでもはっきりとバスケットボールだということが分かる――のモチーフが縦横に並び、間を繋ぐベージュの毛糸もレース風の凝った編み方をしている。
そのセンスといい技術といい、志穂と同じ人種の同じ国の同じ歳の少女が作ったとは考えがたい出来栄え。手芸や編み物など分からない伊織でも思わず「うわあ」と感嘆の声を上げてしまい、慌てて口を押さえた。
深町の出した秘密兵器に愕然とした様子のあおいと志穂。
「いいか? こういうのが手編みのプレゼントなんだ。こういうのが出来るヤツが、編み物をしてそれを他人にプレゼントしていいんだ」
勝ち誇ったように言う深町だったが、それがあおいと志穂の怒りの火に油を注いだことは明白だった。
「あ、あたしだって!」
志穂は自分を取り戻し、ティッシュケースを深町のほうに押し戻すと、
「あんたにあげたのは最初の一枚だから……まだ練習のお試しだったんだから……悪いけど、あれからだいぶ上達したんだからね!」
そういえばほかの人にもあげたって言ってたな、と伊織は思い出す。
「あんなもん量産したのかよ! どんだけ毛糸無駄にしたんだよ!」
「無駄なんかじゃないよ、みんな喜んでくれたもん!」
「しかもほかのヤツにもやったのかよ!」
「上手くなったんだってば! あたしだって!」
「はーん、どうだかね。お前の不器用さは俺がよく知ってるね」
「分かったわ!」
そこであおいが唐突に声を上げた。
テーブルに両手をつき、身を乗り出して、
「勝負よ!」
「……は?」
ぴしゃりと言いきったあおいに、伊織ばかりでなくほかの三人もぽかんとした目を向けた。
「勝負って?」志穂が訊く。
「志穂ちゃんと真野さんで、どちらが編み物が上手いか勝負するのよ。マフラーでいいわね」
断言してあおいは腕を組み、憤然とソファに寄りかかる。
「え……」志穂は少々勢いを失い、戸惑った声を上げた。「勝負って……そんな」
「深町くんにあげた時よりも上手くなったんでしょう?」
あおいは困惑を浮かべる志穂に、厳しい目を向ける。
「それを見せてあげましょう!」
「あ、あの……」美咲もまた小さな声を上げた。「わたし、編んだことがあるのは小さなものや、ウサギさんやリスさんの編みぐるみばかりで、マフラーなんてやったことありません」
「それができればマフラーなんか簡単でしょ!」
「ええー」
「もう決めたわ! 提出期日や審査方法はまた連絡するから。それまでに二人とも、マフラーを一本編みあげておくように」
あおいは勝手に取り決めると、ほかの面々を見ながら事務的な口調で勝手に試合開始を宣言した。
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