29.二人の間にいったいどんなやり取りが
「えっと、お嬢。それで……彼女の後つけて、どうするつもりなの?」
校舎の陰から真野美咲の後ろ姿をこっそり睨みつけているあおいに、伊織は恐る恐る聞いた。あおいの美咲を見つめる目が怖くて、つい控えめな呼びかけになる。
学校の帰り道である。試験まで一週間となって、伊織は楠見から勉強に集中するようにとアルバイトの休みをもらっていた。が、「お嬢が暴走しそうになったら止めるように」との継続案件を処理すべく一応一緒に帰ることを提案してみると、
「ちょうど良かった! ちょっと来てちょうだい!」
予想以上に前のめりの快諾を受け、若干不安になりながらついてきたのであるが……。
「キョウに、彼女のことを見張れって言われたのよ」
ああ、と伊織は納得する。楠見から真野美咲を監視するようにと言われ、渋っていたキョウを思い出して。以前伊織のガード役を任せたのと同じく、あおいに頼んだのだろう。
だが――。
「信じられる?」前方を行く美咲から目を離し、あおいは伊織を振り返った。その綺麗な顔に怒りが浮かんでいる。「このあたしに、そんなこと頼むなんて!」
(えっと……なんでそんなに怒ってるんだろう……)
戸惑いつつ、「はあ」と曖昧に答えた伊織から視線を外し、美咲と距離ができたのを見てあおいは校舎の陰から動き出した。
「しかも、友達になって様子を探れって言うのよ?」
「え……うん」
「信じらんない! なんであたしがあの子と友達になんなきゃなんないのよ!」
(えっと、彼女のことが嫌いなんだな……?)
けれどそこまで怒るようなことだろうか? 美咲を追って足を進めるあおいに続きながら、伊織はやはり控えめに提案してみる。
「その……嫌なら断ればいいんじゃないかな。『友達になる』の部分はさ、別にお嬢が嫌なら――」
「私怨で断ったなんて思われるのも、癪じゃないっ」
(私怨……?)
小早川志穂の一件があったからだろうか?
「私怨って――」
「あたしがっ、キョウの気持ちを邪魔したくて断ったんだなんて思われたらっ……」
「……え?」
頭の中にいっぱい疑問符を浮かべた伊織に構わず、あおいは前方を見据えたまま、
「でも、ちょうどよかったわ」
気持ちを仕切りなおしたかのように、険しい視線で前を行く美咲を睨みながらも口元に笑みを浮かべる。
「えっと?」
「彼女のことをつけて、深町と会ってるところを押さえてやるのよ」
「はあ」
「昨日は逃げられちゃったけど、今度こそ深町にしっかり説明させるの」
「はあ……」
仕事とはだいぶ次元の違う問題のような気がするが、あおいにとって目下最大の懸案事項は小早川志穂と深町孝之の件なのだろう。
「そうよ。今はそのことに集中しなくちゃ」
自分に言い聞かせでもするかのように、真面目な顔で言うあおい。
「真野さんとキョウのことは、その後の問題だわ」
「……は?」
「もしもキョウが真野さんのことを好きだったとしても……そんなのあたしには関係ないんだから――絶対。一切」
「えっと……お嬢?」
(何か、誤解がありませんか?)
どうしてこうなった?
キョウとお嬢の間に、どんなやり取りがあったというのだろう。
「あ、あのさ、おじょ――」
あたふたと追いかける伊織の目の前で、あおいがぴたりと止まった。
視線の先、正門を出るところで、真野美咲が何かに気づいたように足を止めたのだ。
それからすぐ小走りに駆けだした美咲を追って、伊織とあおいも足を速める。
正門を出たところで、美咲が駆け寄って行った人物が誰であるかを知ったその時だった。
「うぅー、やっぱりあいつ……」
背後から聞こえてきた新たな声に、伊織はびくっと肩を震わせていた。険呑な色合いで低く発せられた声。怯えつつ振り返ると。
「こ、小早川さんまでっ?」
伊織とあおいの背後に小早川志穂が立って、恨めしい目で前方をゆく人物たち――真野美咲と深町孝之を睨んでいた。
最初に伊織が見た時と同じように、深町は自転車を引いて。その隣を、美咲がぴょこぴょことした足取りで並んで歩いていく。
「追うわよ!」
「あ、はい。えっと、……こ、小早川さんまで、どうしてここに……」
「昼休みに打ち合わせたのよ。あたしは真野さんを、志穂ちゃんは深町をつけて、一緒にいるところを押さえましょうって」
(志穂ちゃんって)
「タカのヤツ、今日から試験前で部活が自由参加になるから。もしかしたら二人で会うかもしれないって思ってさ。あおいちゃんと相談して」
(あおいちゃんって……)
苦々しげな志穂の声にまだ少々怯えを感じながら、伊織は、獲物を付け狙うスナイパーのような顔になったあおいと志穂にくっついていく形になる。
そういえば二人が休み時間に額を突き合わせて話していたのは、この相談だったのか。
(ど、どうしよう……いいのかな……)
戸惑う伊織にはもう目もくれず、あおいと志穂は殺気立った視線で前を行く二人を見つめながらこっそり後をつける。下手に尾行中止を訴えでもしようものなら絞め殺されかねない不穏な空気に、伊織は内心冷や汗を掻きながら、
(お、俺どうしたらいいですか、楠見さん、ハル、キョウ――!)
必死に頭の中で呼びかけていた。
「この二人が、朝、真野さんを?」
キョウが撮って引き延ばしてプリントアウトしてきた数枚の写真を執務机に並べて、楠見は腕を組んだまま首を捻った。
「ん。知り合いかって聞いても、真野は答えなかったんだけどさ」
「……知らないはずは、ないよねえ」
正面のオットマンに座ったハルが、机に手を置いてぼんやりと写真に目をやりながら言う。
「ああ。正門の監視カメラに映ってたヤツらだよな。真野を車で送り迎えしてるみたいだった」
スツールに腰掛けたキョウがハルに言って、それから楠見へと視線を移す。
「今朝も真野のこと送ってきたみたいだった。それが、なんでか学校からちょっと離れたところで真野が降りて。そいつらが引き止めようとして」
「その場面を、お嬢が見たんだね」
「そういうことだな」
「彼らとの繋がりを、他人に隠そうとするのは分かるとして」楠見はやはり写真へと目を落としながら、「途中で降りて、引き止めるのを振り払って逃げようとしたってのは、なんだろうな」
「なんだか不穏な気配がするね」
「ああ。彼女が納得ずくで彼らと行動を一緒にしているんだと思っていたが、もしかしたら何か問題が発生したかな」
「そういうタイミングだったら、彼女に話を聞き出しやすいかもね。声を掛けてみる?」
「そうだなあ……」
楠見はしばし、考える。写真を手に取って眺め、じっと楠見へと視線を向けているハルとキョウへと目をやり。
「琴子の報告を待って、早めに接触しよう。真野さんと組織との関係、それに深町くんまでが関わっているのかは、確認してもらってからだ。しらばっくれられちゃ、こちらには次の手がないからな」
「了解」
「分かった」
二人は同時に頷いた。
引き出しを開け、中に入っていた数枚の写真に手にしていた写真を重ねる。館山へ行こうとした時に追ってきた尾行を、キョウが逆尾行して撮ってきたものだ。今朝の二人と同じ人間は、この中にはいないようだった。
あの時、追ってきた車に乗っていた真野美咲。同じ一味と思われる人物たちとの接触が、何度も監視カメラに残されていた。その彼女が、今朝は連中の手から逃げようとしていたという。
組織に嫌気が差して抜け出したいと思っているのなら、彼女にとっては厄介な局面かもしれないが、楠見たちには好都合だ。だが、一時的な口論で車を降りただけということだって考えられる。
「とにかく、彼女の身に危険だけはないように。引き続き見張って――ん? 彼女の見張りはどうした?」
訊くと、キョウは平常の面持ちで、
「ん? お嬢に頼んでる」
「そうか」楠見はまたしばし考えて、「ところでお嬢に、真野さんとサイ組織の繋がりやなんかのことは話したのか?」
再び訊くと、ハルがやはり真顔で首を傾げた。
「俺は話してないよ? 昨日はあのまま帰っちゃったみたいだし。キョウ、お嬢に頼んだ時に、詳しい事情を話したの?」
「へ?」
キョウはハルの顔を見て、同じように首を傾げる。
「あいつ知らねえんだっけ?」
そうして眉を曲げて視線を宙へとやったキョウ。
ハルはそちらを見やって、
「知らないとしたら、なんであたしが小早川さんのライバルを見張らなきゃならないのよ! って言うと思うけど」
キョウの眉が、さらに難しそうに寄った。
「そういや、やけに嫌がってるみたいだったな……伊織の時はサクッと受けたのに」
「……おいおい、大丈夫か?」
楠見は少々不安になる。
「ガード云々よりも、小早川さんの件で揉めるんじゃないだろうか」
「一応、伊織くんが『お嬢の暴走を止める』使命感に燃えて一緒に帰っていったけど」
「伊織あいつ、お嬢のこと止められっかな」
「うーん、どうだろう。やる気満々だから任せちゃったんだけど」
顔を見合わせて首を捻った二人に、楠見はますます不安になった。
「むしろ巻き込まれて困り果ててなきゃいけどな……」
伊織は駅前のファミリーレストランで、美咲が目の前に運ばれてきたピンク色の液体にストローを差すのを遠くの席からじっと見ていた。色とメニューから察するに、ピンクレモネードだと思う。
一方、ボックス席の向かいで深町は、コーヒーカップに砂糖を投入しぐるぐるかき混ぜている。
「そろそろ、いい頃かしら」
自分の目の前に運ばれてきたカフェオレに口も付けずに、あおいは鋭い視線で二人を睨みながら低く言った。
その隣で志穂は、動揺も怒りも通り越してほとんど放心状態になっている。深町と美咲の親密そうな様子を、ここまで来る道すがらたっぷり三十分近くも見せつけられて――何しろずっと後をつけてくる三人にも気づかないくらい、二人の間のおしゃべりに集中しているのだ――。とどめは二人がファミレスに入っていったこと。
『あたしとは家か公園か図書館でしか会ったことないのに!』
憤然と言って、二人が席に着いた瞬間に割り込もうとした志穂。あおいはそれを、瞳をきらりと光らせて止めた。
『ダメよ。まだ逃げ出せる体勢だから。声を掛けるなら、その場所に落ち着いてしっかり安心しきってくつろいだ様子を見せてからにしないと』
裏の仕事人らしく、行動調査の対象に声を掛ける時の鉄則を弁えたお嬢。どう考えても、逃走中の凶悪犯でもない高校生二人がファミレスで同級生に声を掛けられたくらいで逃げ出すとは思えなかったが、その真剣な様子に伊織は口出しを控えた。
そうして三人して離れた席に着き、おのおののドリンクを注文しながら様子を窺っているのであるが、「対象」の二人は後から入ってきた同じ学校の三人組にいまだ気づく気配はない。
「いいわ。行きましょう」
決然と言って、テーブルに両手をついてあおいが席を立つ。
(えええ、本当に声を掛けるの?)
伊織は慌てて身を乗り出した。
「ねえ、やっぱりやめない? その……人前だしさ」
伊織の控えめな訴えは、あおいには届かなかった。席を立つと、深町と美咲たちのテーブルへとつかつかと歩いていく。慌てたように志穂が立ちあがって、その後を追った。
(く、楠見さん、俺やっぱり無理かもしれません――!)
内心で叫びつつ、伊織も後に続く。
自分たちに近寄ってくる影にすら気付かずに深刻そうに話しこんでいた美咲と深町は、
「ちょっと、いいかしら」
唐突にテーブルの横に仁王立ちになって声を掛けてきた女子高生に、揃ってぎょっとしたような目を向けた。
「き、衣川……それに、し……小早川? ど、どうしたんだよ、なんでここにいるんだ?」
上体を仰け反らせるようにしながら戸惑ったように言う深町に、あおいは厳しい口調で、
「昨日は話の途中でいなくなっちゃったから。今日こそはちゃんと話してもらおうと思ったのよ」
「話すことなんか、ねえよ」
「そうはいかないわ」
言って、あおいはやや強引に美咲の横に身を入れる。美咲は当惑の面持をしつつ気圧されたように、思わずと言った感じで体をずらしあおいのための空間を開けた。
志穂も深町の隣に座ろうとする。深町は退かない姿勢を一瞬見せたものの、向かい合ったあおいにやはり無言の圧迫を感じたらしく、渋々の様子で場所を作る。
四人掛けのボックス席である。伊織の席はない。
(えーっと……)
今の四人には、テーブルの横に立っている伊織のことを気にしてくれそうな気配はなく、ぽつーんと立ちつくしていた伊織に、
「よろしければ、椅子をお持ちしましょうか?」
ワンピースの制服を着た若い女性店員が、場にそぐわない爽やかな笑顔で声を掛けた。
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