24.それは、知的な探究心から来る行動なのである

「つまり、この冬以降、彼の態度が変わったっていうのね?」

「うん、そう」


 伊織の椅子に腰かけたあおい。その隣の席に横座りで、小早川志穂は涙交じりに頷いた。「彼」とは当然、六組の色男、深町である。


「マフラーを渡した後……それは、いつ?」

「バレンタインデーのプレゼントだから、……二月十四日に……」


(いや、それ、めちゃめちゃ本気のプレゼントじゃないですか!)


 ハルと並んで机の脇に立って、心の中で叫んだ伊織だったが、あおいはそこには頓着せずに深い同情を湛えた瞳で志穂に頷いた。


「二月……それまでは仲良くしてたのに、それから急によそよそしくなったのね」

「うん。前は部活が終わるのを待って一緒に帰ってたんだけど、友達と帰るからって断られるようになって……家に遊びに行ってもいない振りで、会ってくれないし」


(すっごい仲良しだったんじゃないですか! ってかそれは付き合ってたんじゃないの?)


 伊織は困惑する。男女の仲の感覚が分からない。


「そのうち、目が合っただけでどこかに行っちゃったり、話しかけようとしても避けるようになって」

「……そう」


 形の良い眉を寄せ、深刻そうにゆっくりと頷くあおい。

 連休前の一件で予備知識があったため妙に飲み込みが早いのだが、志穂がそのことに気付いた様子はない。


「あたしもさ、幼馴染っていうの? すごく小さい頃からアイツのこと知ってるからさ、ちょっと馴れ馴れしくし過ぎてたかなって」

「でも、ずっとその距離感でやってきたんでしょう? 急に冷たくするなんて、あんまりだわ」

「うん、無視されたのはちょっとショックだったけど、ちょっと距離を置いたほうがいいかなって。朝あいつの部屋まで起こしに行くのとか、部活のユニフォーム洗ってあげるとか、お弁当のピーマン食べてあげるとか、そういうのもウザかったのかなって」


(何その学園ラブコメの王道みたいな生活!)


 そんなの本当にしている人がいることに驚いた。都市伝説だと思っていた。いや――超能力も拳銃もフィクションの世界の物ではなかったのだから、信じよう。正直ちょっと羨ましい。


「だけど……」

 志穂の声がまた潤んだ。

「ほかの……女の子、と……一緒にいるところを見ちゃって……すごく親しそうに笑ってて……」


(何その少女マンガみたいな展開!)


 思わず口を開け放ってしまった伊織だったが、


「酷い! あんまりだわ!」


 憤然と言ってあおいは口を尖らせた。こういう時、女子は強い。冷静に考えれば、世話女房の幼馴染よりも好きな女の子ができたのだろうと単にそれだけのことのように思われたが、反射的に志穂のほうに同情を、深町に怒りの色を示すあおいに伊織は感心した。


「それはショックだったねえ」


 女子だけじゃなかった……。

 ハルは深刻そうに言うと、あおいの前の席の椅子を引いて座り声をかけた。


「その、相手の女の子、見た?」


 志穂は涙に濡れた目を上げる。


「え? ……えっと。うん」

「知ってる人だった?」

「その時は知らなかったけど、高校に入ってから学校の中で見た。三組の女子。名前は知らない。たぶんほかの中学からの新入生だと思うけど」

「そう……」


 それはやっぱり、真野さんなのだろうか? ちらりとハルに目をやる。同じ想像をしているのかどうか、わずかに考えるように、軽く拳を握った手を顎に当てたハル。ほんの少し考えて、また問いかける。


「深町くんがその女子と歩いているのを見たのは、四月よりも前ってことだね?」

「えっと、うん」

「この高校に入ったのが四月だとすると、どうして深町くんはその子のことを知っていたんだろうね」

「え? ……さあ」


「それが何か、重要なことなの?」

 あおいが小さく首を傾げる。


「ああ、いや……どうして知り合ったのかなって思ったらさ、その二人、本当に小早川さんが考えているような関係なのかなあって思っただけ」


「……え?」

 まだ潤んだ瞳を、志穂はハルに向けて見開いた。

「あいつがその女子のことを好きになったってわけじゃないってこと?」


「え! いや、そう断言できるわけではないけど……どうなのかなって思っただけだから」

 ハルが珍しく慌てている。


「小早川さんっ」

 あおいは志穂に向きなおって、強い声で呼んだ。

「深町くんには、そのあたりのこと聞いてみたの? その女子のこととか、それから小早川さんのことを避けるみたいになった理由だとか」


「えっ? ううん……態度が変わったことについてはちょっとは聞いてみたけど、はっきり答えないし……その女子のことは、聞けてないよ」


 恥じらうように志穂が顔を伏せた瞬間、あおいは勢いよく椅子を蹴って立ち上がっていた。


「訊きにいきましょう!」

「えぇっ?」

「だってこのままじゃずっと、小早川さん、もやもやしたままだわ。はっきりさせたほうがいいのよ、こういうことは」


(えぇっ?)


 と伊織も内心で声を上げる。はっきりさせるも何も、事情を聞く限り深町の心変わりは――以前は付き合っていたものとしてだが――明白に見えるのだが。


『あたしのこと嫌いになったの?』

『そうだよ』

『ほかの女子を好きになったの?』

『そうだよ』


 その会話が生み出すものがあるのだろうか……。

 だが、志穂は戸惑い気味に、しかしかすかな期待を滲ませて、


「え……そうかな」

「そうよ」


 力強く頷いてあおいは志穂の腕を掴むと椅子から立ち上がらせ、そのまま教室の出入り口のほうに引っ張っていく。


「あっ、お嬢――」


 ハルが呼びかけたが、聞こえていないように二人は大急ぎで教室を出ていった。


「あーあ……」ハルはため息交じりに腕を組んだ。「真野さんと深町くんの件はちょっと要観察事項だから、あんまり突撃とかしてほしくないんだけどなあ……」


「あ、はあ……やっぱり相手は真野さんなのかな」


 二月の後半から五月初めの現在までにもう一人挟まっていたとしたら、ちょっと深町の人格を疑いたくなるが。


「たぶんね」ハルは軽く肩を竦めた。「訊いてみないと分からないけど。で、その真野さんは、伊織くんとかこないだの峰尾くんみたいに、どっかの組織がサイとして意図的にこの学校に入れたという可能性がある」


 ドキリと胸が鳴った。

 真野美咲という少女は、自分と同じような立場の人間なのかもしれない。哲也の事件が解決して以来、伊織が誰かに追われたり怪しい人物に声を掛けられたりすることはなくなったが、問題は完全に解決したわけではないのだ。その「組織」とやらの実態は、まだ分かっていないのである。


 昨日、楠見の仕事で防犯カメラをチェックした時に、真野さんという少女は実はサイで、楠見を尾行していたサイの組織と関連があるらしいと教えてもらった。

 その時にはそこまで頭が回らなかったが、早いうちに楠見たちと知り合って「組織」とやらの手を逃れた伊織と違い、同じような状況で入学して「組織」とやらに実際に捕まってしまった新入生がいるかもしれない、ということか?


 伊織は自分の頭の回転の遅さを呪っていた。

 楠見やハルやキョウはとっくにそういうことに気づいて、真野美咲という少女を保護対象かどうかという視点で考えていたのに。それによって、伊織を追っていた組織の謎も解き明かされるのかもしれないというのに。当の伊織ときたら、美咲・深町・志穂の三角関係にばかり気を取られて。正直、ちょっと面白そうだなんて思ってしまった。


(お、俺はなんて鈍いんだ――!)


 心中で己の頭をポカポカと殴りながら黙ってしまった伊織に、察したようにハルは微笑んだ。


「大丈夫だよ。楠見が今、調べてるところだからさ。真野さんには機会を見つけて声を掛けてみると思うし」


「あ、うん。……えっと、けどさ。真野さんが『要観察』っていうのは分かるけど、深町くんも関係あるの? ただ単に、深町くんの小早川さんから乗り換えた相手が真野さんだってだけじゃなくて?」


 たしかに監視カメラの映像で、真野美咲が例の怪しい車から降りてきてすぐに深町と会うシーンがあったが、単に帰りに会う約束をしていたからというわけではないのだろうか?

 訊くと、腕組みのままハルは片手の拳を顎に軽く当てて、


「うーん、昨日の映像を見た限りでは、深町くんまで組織と関係があるとは想像できなかったんだけど」

「だよね」

「うん。でもね、二人が出会ったのが真野さんがこの学校に入学する前ってのが、ちょっと気になったんだ」

「はあ……?」

「深町くんが彼女と会って小早川さんのことを避けだしたんだとしたら、ね? それ以前は、小早川さんは深町くんにべったりだったみたいだから――」

「うん……」

「だったら、小早川さんがまったく知らない間に、他校の女子生徒と知り合っていたっていうのは……まあ、有り得ない話ではないけれど、ちょっと不自然ではあるかなって」

「……ああ」

「小早川さんが気づかないような出会いのきっかけってなると――ちょっと気になるね」


 いまひとつ思考が追いつかない伊織。たしかに不自然なのは分かるが、そこにハルはどういう可能性を考えているのだろう? 戸惑いつつぼんやりと眺めていたが、ハルは顎から拳を外すと、あおいと志穂が出て行った教室のドアに向かって歩き出した。


「あ、あの、ハル?」

「とりあえず、俺たちも行ってみようよ。たぶん、第二体育館かバスケ部の部室だ」


 歩きながらハルが伊織を振り返る。

「お嬢には真野さんや怪しいサイたちのことまだ話してないから、あんまり妙なことは言わないとは思うけど……でも深町くんの反応が気になるし……」

「あ、うん」

「それに、率直になんだか面白そうだし」

「え……」


 ハルがいつもの怜悧な瞳で笑って言うと、その動機は下卑た好奇心などではなく、世の真理を追究しようとする知的な探究心であって、その探究に関心を示さない人間は愚鈍な凡人のレッテルを貼られることもやむを得ないと言った雰囲気になり、伊織は慌てて後を追った。

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