第5話 相原伊織の目撃する、なかなかに危うい問題について

21.マフラーの落とし主、小動物系少女に笑いかける

 壇上に立つ教師の終了の言葉に、伊織は思わず両腕を上に伸ばして「うーん」と体を伸ばしていた。

 連休の午前を利用して行われた集中補講の最終日。今日もまた三時間みっちり働かせ続けた頭は心なしかいくぶん物理的に重量を増したような気がして、肩が凝ったような気分で首をぐるぐると動かす。


 教室の前のほうでそんな大袈裟に開放感を露わにする伊織に、五十代半ばと見られる、娘も息子もすでに緑楠大学を卒業したといういかにも「お母さん」という風情の女性教師は苦笑して、


「相原くん、毎日お疲れさまでした。レポートも頑張ってね」


 右手で小さく拳を握り、荷物をまとめて教壇を下りる。その後姿に慌てて「ありがとうございました」と声を掛け、伊織も机の上に散らかりまくっていたノートや書類をかき集めバッグに詰めた。

 教師から個人的に「お疲れさま」を言われるのも無理はない。

 教科ごとに分かれた自由選択の新入生集中補講を、全て選択して毎日学校に出ている生徒は、伊織を含めわずか数人しかいなかった。伊織としても、さすがに高校入学最初の連休を丸々補習に費やすというのは少々情けない気分ではあったが、入学早々「ついていけない」と感じた緑楠高校のレベルの高い授業を四月はたび重なる「事件」でいまひとつ集中して受けられず、しかも欠席までするハメになり、五月中旬の中間考査までに少しでも追い付かなければと必死なのである。

 それに。多少試験の成績が悪くても、頑張ってますアピールをしておけば少しはその気合を汲んでもらえるだろうか、という打算もあり。


 バッグに荷物を入れ終え、席を立つ。教室のあちこちで、数人ずつの小さなグループが会話を交わしている。数学、英語と苦手な者だけが参加していた昨日までと違い、最終日のテーマは「レポート、課題の作成方法」という少々特殊な内容で、前日までよりも参加者が多く、初めて見る顔も多かった。

 こういう顔ぶれになると、休憩中や放課後は、ちょっとした交流会のような雰囲気になる。普段はクラスの中でどちらかといえば少数派である高校からの新入生たちが、他クラスの新入生と情報交換をする機会だ。通常の授業後にある週二回の補講でも、最初はお互いに様子を見合っていた生徒たちだったが、次第に慣れ、伊織も他のクラスにまで数人の顔見知りができるまでになっていた。


「相原ぁ、今日も午後残って勉強してくの?」

 後ろの席に座っていた隣の隣のクラスの――三組の、つまりキョウのクラスメイトだ――川添かわぞえという男子生徒に声を掛けられ、「うん」と頷く。


「午後は図書館でね」

「そ。毎日頑張んなぁ」

「うん。だいぶ遅れちゃってるからね。試験まで頑張らないと」

「ああ、ま、俺も同じだけどな。中間終わったら、どっか飯でも食い行かねえ?」


 笑顔で言われて、嬉しくなった。

「うん、ぜひぜひ」


 四月の「事件」以来、伊織は学年でちょっとした有名人になっていた。きっかけは「中傷ビラ」を撒かれたせいで、そのことを思い出すと今でも胸が痛むが、結果から考えるとあの一件はプラスの方向に影響したらしい。

「事件」がほぼ解決し大まかに全貌が見えてきてみれば、気付けば伊織は「不幸な事件に巻き込まれた被害者」として認識されており。さらに中西というクラスメイトと取っ組み合いの喧嘩をしたのが学校中に広まると、どちらかといえば同情的に捉えられ、大人しそうに見えて意外に気骨のある面白い奴という像が出来上がりつつあった。


 それは少々小っぱずかしいが、周囲からの視線はおおむね好意的なもので、事件が終わって数日ぶりに学校に出た伊織を安心させた。


 川添に別れを告げて、教室の外に出る。前方を、一足先に教室を出た女子生徒が歩いていた。朝から同じ授業を受けていた新入生だ。小柄でふわふわとした感じの女の子だった。衣川あおいや武井琴子のようなパッと目を引く美少女ではないが、大人しそうで小動物的な可愛らしさがあって、やっぱりこの学校ってレベル高いんだよなあ……と思った伊織。

 休憩中つい見つめてしまっていたのに後ろの席の川添が気づき、同じクラスの真野まの美咲みさきという新入生だと教えてくれた。伊織が彼女に興味を持ったと踏んだのか、ご丁寧に「品川区に住んでいる」とか「数学が苦手」とか「ペンケースに付けているリスの編みぐるみは彼女の手作り」とかいう聞いてもいない情報をつけて。


 後をつけるわけでもないが、同じ出口に向かうためおのずと数メートル後に続く形となる。ぴょこぴょこといった足取りで、やはりどこかしら小動物的な雰囲気を見せる美咲。ほかの同級生とおしゃべりしている様子はなかったし、川添の話からも引っ込み思案な子なのかな? という印象を受けていたが、挙動の可愛らしさから、男子からは隠れた人気が出そうな感じがする。それほど話したことはないと言いつつ彼女のことをやけに知っていた川添も、もしかしたら――などと思いつつついていくと、先に高校校舎を一歩出たところで彼女は大きく右手を上げた。


 その表情は分からないが、なんとなく嬉しそうな後姿に思わずその手を振る先を視線で追う。と――。


(……あれ? あれって……)


 グラウンドの向こうで美咲に応えるように笑顔で手を上げたのは、学生服姿の、見たことのある男子生徒。通学用にしてはやけにかっこいいクロスバイクを自分の身に持たせて立てかけて。一瞬目を見張り、それから記憶を呼び起こして、「あっ」と伊織はつい声を上げていた。


(あれって……フカマチくん……?)


 少女はぴょこぴょことした足取りを小走りに変えて、フカマチの元へと駆け寄っていく。それを笑顔で迎えるフカマチ。


 先日フジが拾ってきた落とし物だかゴミだか分からない手編みのマフラーから、伊織がたぶんサイコメトリーの能力で読み取った、「マフラーをプレゼントされた男子」。そしてそのマフラーを、ゴミと見紛う状況で部室に放置していたという、バスケ部の。


(たしか、六組って言ったっけ……)


 それでは彼女とも同じクラスではなかっただろう? けれどこの親しげな雰囲気。美咲はフカマチの元まで走っていくと、通学カバンを両手で前に抱えて何事か笑顔で語り、それから二人は並んで歩き出した。


(この状況って……)


 出入り口のところに立ち止まり、伊織は頭の中をぐるぐるさせて戸惑う。

 二人は付き合っているのだろうか。とすると、手編みのマフラーをプレゼントした小早川さんの立場というのは? 待てよ、フカマチくんに小早川さんへの好意などないのだとすれば、マフラーの処遇にも納得が行く……いやいややっぱりそれは酷いだろう、一度は受け取ったんだし――伊織はマフラーを手渡された時のフカマチの表情を思い出していた。それは迷惑だとか嫌悪だとか、そんな雰囲気には見えなかった。

 ちょっと驚いたように「ありがとう」と口にするフカマチ……。


(あの時は小早川さんと付き合っていたけど、今は別の子のことが好きで、別れたからマフラーを放置していた、とか……?)


 白い歯を見せて楽しそうに何事か語りながら少女と肩を並べて歩くフカマチが、事情が分からないままとんでもない女泣かせみたいに見えてきて、伊織はちょっと視線を尖らせた。


(って、ちょっと待て。それは俺の、本当にあるんだかどうだか分からない能力で読み取ったヤツだから……)


 もしかしたら妄想かもしれないという疑いも捨ててはいけない。

 やっぱり――この能力、厄介すぎる! 妄想や勘違いなのだとしたら、フカマチには申し訳ない、とは思いながら。そうは言っても自分一人の胸に収めておくこともできずに……。




「その、真野さんの見ていた相手ってのがね、フカマチくんだったんだよ!」


 昼食のお弁当やパンとコーヒーカップを並べたテーブルを挟んで向かい合ったハルに、伊織は勢いよく先ほど見た光景を訴えていた。

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