17.それは安堵というにはどうにもささくれ立った気持ち

 パーキングエリアで、キョウは片方の車のタイヤをパンクさせることに成功した。元々破壊に特化した、しかも強大すぎてピンポイントを狙うのに向いていないこの少年のサイコキネシスではあるが、先日スプーン曲げが出来るようになりたいなどと言いだして特訓した成果で、小技を利かせるということを覚えたらしい。


 褒められて少々機嫌を直した少年は、助手席で早めの昼食におにぎりをぱくついている。

 車は高速道路を下りて、国道を北東に向けて走っていた。都心を過ぎると連休の行楽の車で下り車線は渋滞するし、細かい曲がり角や信号のある一般道のほうが追手を撒きやすい、と思ったのだ。

 それが功を奏してか、最初に出た時からずっと追っていた車は見当たらなくなった。そろそろどこかで進路を戻そうかと、国道に出てきたところだったのだが……。


「お、楠見」


 赤信号に車を止めた時、おにぎりを呑み下してキョウが視線を上げた。

「右側の二台後ろの千葉ナンバー。レンタカー。後ろに乗ってるヤツ、さっきのサイだよ」


「……なんだとお?」


 思わず楠見はハンドルを叩いた。

 尾行がバレたことに気づき、車と人員を変えてきたか。


「しつこい連中だな」


 呻くように言いつつ、この周囲の状況に敏感な少年を連れてきて本当に正解だったと思う。だが、同時に楠見には少しばかり不都合な予感があった。この先追手を撒いても、考えていた段取りどおりには事が運びそうにない気配。

 とりあえず……。


「よく気づいた。おにぎりもっと食っていいぞ」

「ん」


 褒めておいて、カーナビゲーションで広域を確認する。狙う地点を定め、信号が変わった瞬間に楠見は車を発進させた。


「おい、キョウ。この先ちょっと飛ばすぞ。おにぎりは早めに切り上げろ。酔うなよ」


 楠見の思いやりと意義のある忠告に思い切り眉を顰めて、キョウは次のおにぎりを開け始めていた手を止めた。




 森の中を曲がりくねった道が続く。

 緩やかな上り坂。

 かなりのハイスピードで車を走らせる。


 細かいカーブが続いた後のわずかな直線。だいぶ離れたと思った車がカーブを曲がって姿を現したのを見止め、楠見はさらにスピードを上げた。

 下りに差しかかる。右に左に数十メートルごとに車体を振ってすぐにまた上り勾配、楠見は思い切りアクセルを踏む。ヘアピンカーブにブレーキが軋む音を上げ始め――


(くそっ、本当にしつこい――!)


 ミラーで後方を確認しながら、楠見はハンドルに集中していた。連なる低山の中腹を縫うように続く道。左手にはずっと峡谷が続いている。傾斜はあるものの断崖絶壁というレベルではないし、斜面には木が生い茂っている。ハンドルを誤りガードレールを突き破ったところで谷底まで落ちることはないだろうとは思えたが、木に激突しては無事では済まないだろう。そもそもここで事故に遭うなどはご免こうむる。


 派手なタイヤ音を立てて何度目かのヘアピンカーブを曲がり、緩い下り坂を滑り落ちるようにしてさらにまたカーブしたところで、


「くすみー……」


 助手席のキョウが、蒼白な顔で苦しげな声を上げた。


「俺もう……ここで降りる……」

「馬鹿言え。あとちょっとで撒くから少し我慢しろ」


 街中で追手を振り払っても、別の車が追ってくる可能性がある。どうやら向こうは人員に余裕があるらしいから、どこかで別の車が待機しているのだろう。そう思っての選択だったが、山道で振り切るのも厳しいかもしれない――。相手の運転技術もなかなかのものだ。この道を、さほど速度も落とさずについてくるのだから。


「……落とそう」


 下りながら右にハンドルを切ったところで、キョウが苦しげに低く、それでも決然とした声を上げた。


「……なに?」

「あの車。ここで落とそう」


 重力に任せ坂道を滑り落ちるような速度で走りながら、山を回り込むようにまた右にハンドルを切ろうとした時。


 キョウは、いた。


「わっ――なっ――! キョウ!」

 思わず叫びながら、どうにかハンドルを切ったところで急ブレーキを掛ける。鋭い音が谷間に響き渡るのと一瞬ずれて、もうひとつのブレーキ音が派手に鳴り響いた。


 続いて何か重い物が膜を突き破るような音。何本もの木々の幹を裂くような音、森林の樹木の枝葉が何者かの侵略に抵抗するかのように派手な音を鳴らし――


 静かになる。


 車はカーブを曲がって数十メートルのところで停止した。ハンドルを両手で握りしめ、楠見は背筋の冷たくなるのを感じ固まっていた。が、轟音に続いてシンとなった空間に、慌てて車を飛び降りそのまま坂を駆け上って最後のカーブまで戻る。


「……なっ」


 目の前の光景に、楠見は唖然としていた。

 たったいま通り過ぎてきた道路には、追ってくるはずだった車も人の姿もなく、カーブ手前でガードレールが数メートルに渡って破り裂かれその破れ目は崖の下に消えていた。

 そこで起きたことを正確に想像し、呆然としたのは一瞬のこと。全速力で楠見はガードレールの途切れている場所に駆け寄る。


「おいっ! キョウ! キョウ――!」


 まさか。だけど。――混乱を抱えながら、ガードレールから身を乗り出し谷底に向かって叫ぶ。

 と――崖下へと必死に目をやる楠見の頭の上を、谷の中から飛び出してきてひょーんと飛び越えていく影があった。

 影は楠見の背後にトンと軽い音を立てて着地する。

 夢中で振り返った楠見は、一瞬息を止めた後、ホッとしているのか苛立っているのか自分でもよく分からない大きなため息をついていた。心臓は高鳴り続けていた。上手く回らない口からどうにか無理やり言葉を取り出す。


「キョウ……お前」

「ん。大丈夫。安全に落とした」

「怪我を――」

「ん? ゆっくり落としたし、周りの邪魔なモンも退けたから、怪我とかはたぶんないと思うけど。気は失ったかもしんねえけど」

「じゃなくて。……お前が怪我してるだろうが!」


 ようやく出てきた言葉を、力任せに発していた。安堵というにはどうにもささくれ立った、複雑な気持ちを持て余して。言われたキョウは目を見開き、きょとんとした顔で楠見を見る。

 楠見にはキョウが何をしたのか把握できた。

 おそらく追手の車のボンネットあたりに飛び乗り相手を驚かせてハンドル操作を誤らせ、谷に落とした。ついでに落ちる車に付き合って、車体に過度な衝撃を与えぬよう樹木を薙ぎ払いながら安全に。


 ガードレールの突き破られた崖の数十メートル下には、木々の藪に突っ込むような形で車が止まっている。あの角度なら、それにあの車体の破損具合なら、シートベルトさえしていれば中の人間に大怪我はないだろう。むしろエアバッグの作動で怪我をしていなければいいが、という程度のものだ。


 けれど。――鉄の箱の中にいる連中は無傷で済んだかもしれないが、キョウは顔やら腕やらに細かい傷をいっぱい作っていた。


「ったく……なんて無茶をするんだっ!」


 ようやく楠見の言うところを理解し、気づいたように自分の体に目を落とすキョウ。頭や肩の上に載せていた葉っぱが、その動きでぱらぱらと落ちた。


「ん? こんなん、どってことねえじゃん」

「あのなあ――」


 深いため息をついて、楠見は額に手を当てる。そうしてもう一度、無茶な少年に険しい視線を送ると、


「病院に行くぞ」

「……は?」

「その傷。今すぐ近くの病院に行って、手当してもらう」

「……はあ?」


 キョウは変な顔をして、首を傾げた。

 楠見はそんなキョウの腕を――傷のなさそうなところを選んで掴むと、引きずるように車に戻る。


「ちょっとっ、待てよ、楠見ー」

「待たない。急ぐんだ」

「って! せっかく追手いなくなったんだから、今のうち早く目的地に行こうよ」

「駄目だ。病院が先だ」

「……なに言ってんの? かすり傷だぞ?」


 キョウが不思議な顔をするのも無理はなかった。あちこちに細かい傷を負ってはいるが、どれも木の枝葉に触れた時に作ったかすり傷ばかりだろう。はっきり言って、病院に行くほどの怪我ではない。それでも楠見は許さない。腕を引いて車に向かいながら、


「森の樹木には、いろんな細菌が潜んでいるんだ。地面には危険な虫だっている。小さな傷から重篤な症状になることもあるんだ。油断はできない」

「消毒しときゃいいじゃん。あっ、あの軟膏、積んでんの? あれでいいよ」

「駄目だ! ちゃんとお医者さんに診てもらうんだ」

「そんなん、明日戻ってマキに診てもらやいいだろ?」

「だったら今すぐ東京に帰る。これからの予定は中止だ」

「はあぁ? 楠見ー」


 キョウは困った声を上げる。が、楠見が絶対に譲らないと分かり、抵抗を諦めたようだ。

 すぐにカーナビゲーションで調べた、そこから車で二十分ほどの場所にある病院に連れていき、「ちゃんと診てもらえよ?」いささか不機嫌な色を載せた口調で言って、渋々と診察室に入っていくキョウを腕を組んだまま見送った。







 処置を終えて――と言っても、消毒薬を塗ってもらい、絆創膏を貼られた程度だ――診察室を出て、キョウは首を傾げた。


「……楠見?」


 処置中に外来の診察時間を終えたらしい病院のフロアには、人気がない。とりあえず、階段を下りて受付のあるロビーに出る。そこには会計を待つ患者や見舞いに来たらしい人がちらほらといるが、捜す楠見の姿はなく、キョウはロビーを見渡してまた首を傾げる。


 楠見、どこ行った?


 と、そこへ。


「成宮さんですか?」

 受付から、病院の制服姿の若い女性が声を掛ける。

「お連れの方でしたら、急用が出来たって、先に出ていかれましたよ」


「……は?」


 受付のカウンターに駆け寄ると、女性事務員は一通の封筒をカウンター越しに差し出してきた。


「楠見さんと仰る方。その方から、お預かりしました。診察料を引かせていただいて、残りは成宮さんに渡すようにって」

 砕けた口調で言って、女性はにっこりと笑う。

 隣の席の受付係と、後ろに立っている二人の女性事務員の視線もキョウに集中していた。


「それから、ここなんですけど」

 言いながらメモを差し出す女性。周りの女性の視線が、心持ちニヤけたものになったような気がした。

「ホテルに部屋を取ったからタクシーで移動して、好きな物を食べて先に行って休んでいるようにって」


 受け取ったメモと封筒の中身――それは病院の領収書と一万円札が数枚と千円札が一枚と、多少の小銭だった――を見比べて。

 キョウは、無理やり病院に連れてきた楠見の意図をようやく理解する。


 なぜだか受付係全員から好奇心いっぱいの視線を送られているのを気にするヒマもなく、

「タクシー乗り場は――」

 と説明しかけた受付係の言葉を聞くまでもなく。


 思わず病院の外に駆けだしていた。エントランスから広い駐車場を見渡し、

「楠見……、あい、つ――!」


 思わずひとり言。呆然と目を見開き。

 先ほど車を降りた場所には、楠見の車はもうなかった。


(俺を置き去りにしやがった――!)


 立ち尽くすキョウの耳に、救急車のサイレンの音が遠くから届く。救急車は正面の門を入ってきて、キョウの立っている病院の入口の前で止まった。

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