第4話 楠見林太郎の認識する、多分に憂慮すべき問題について
16.楽しいドライブなんだから
ミラー越しに楠見がそれに気づいたのは、首都高速を走っていた車がそろそろ都心に差しかかり、松本ナンバーのトラックを一台追い越して車線変更した時だった。
ほぼ同時に、車に乗り込んだ早々から助手席で窓枠に肘を載せてうつらうつらとしていたキョウが、眠気交じりの目で軽く後ろを気にする素振りを見せる。
「楠見――」
「うん?」
「二台後ろの車。ずっと同じだな」
「――ああ」
もう一度ミラーに目をやって楠見は頷く。シルバーのセダン。品川ナンバー。運転席と助手席に男の姿。後部座席にも一人。
「と、さ」小さな
「なに――? 二台か?」
それは気づいていなかったので、思わずまたミラーを確認した。似たような車種の、いくらか大きめの黒い車。
「そんなに真剣に追い掛けてくるとは、予想外だな」
眉を顰めながら言うと、キョウは窓枠についていたい頬杖を外し、目を見開いて楠見に顔を向けた。
「はっ? 尾行されるって分かってたのかよっ」
「だからお前に来てもらったんだ」
「はあぁ? 言えよそれ先にー」
かくっと首を仰け反らせて、それから座りなおす。多少の眠気は飛んだようで、先ほどよりは仕事の顔になったキョウに楠見は苦笑した。
「もしかするとって思っただけなんだ。みんなの前であんまり物騒なことを言うのも気が引けてな」
「だからってなあ……。なんで尾行されてんの? 何しに行くんだよお前」
「プライベートな用事だよ」
「じゃなんで付いてくるヤツいんだよ」
言葉を濁そうとする楠見にムッとしたように、キョウは声を尖らせた。
「会いに行く相手が、少々大物でな。しかも雲隠れが趣味と来ている。その人物に会いたい人間が、俺についていけばそのうち会えると踏んで、張りついてんのかもな」
「それって……あの、学校ん中にいたサイも? 正門のところで車停めてた」
「どうかな。同じ奴、いるか?」
「見えてる中にはいない。車は違うし――」
「BMWって言ってたな。尾行にそんな目立つ車を使うほどの素人なら、相手にするまでもないんだけどな」
追ってくるらしい二台は、どちらも良く見かける国産車。大通りを走れば、行きかう車の中の二、三十台に一台はいようかというメジャーな車種だ。緑楠学園の教職員駐車場にだって止まっている。
「てか追ってくるヤツも分かってんのかよ」
「そりゃどうかな。彼に会いたい人間はたくさんいるだろうし」
「誰だよその会いに行く相手って」
「だから、プライベートだと言っているだろ」
まだ不満げに睨んでくるキョウ。楠見はちらりと助手席の少年に視線を送る。
「今その車に乗ってる人間も、サイなのか?」
「助手席のヤツはPKだな。その後ろの車は、中の様子まだよく見えない」
「ふむ……そいつが万一何か仕掛けてきても、お前、相手できるか?」
「問題ねえよ」
さらりと言って、キョウはまた窓枠に肘を載せ頬杖をついた。
そちらを再度見やって、楠見はまた苦笑気味に頬を緩める。名家・
その上、子供の頃からサイとして仕事をしてきたキョウならば、尾行だろうが相手が何か仕掛けてこようが動じることなく対処できるはずだ。
「お前を連れてきて、正解だったな」
言うと、助手席の少年はまだ不機嫌の表情を保ちつつ、満更でもなさそうに「フン」と鼻を鳴らして顔を車窓に向けてしまった。
都心に入る手前のジャンクションで、楠見は進路変更を決める。
頭上の看板の文字を眺めて、キョウは不思議そうな顔をした。
「館山に行くんじゃねえの?」
房総半島の南端に行くには、南下して高速で東京湾を突っ切るのが早い。だが、それでは道は一直線だ。
「『面談相手』の居所を他人に知られるわけにはいかなくてな。撒くまでは近寄れないんだ」
上手く行けば東京湾をぐるりと回ってそのまま房総半島へ。無理なら追手を撹乱するために、いったん別の方向に向かわなければならない。長い道のりになりそうだ。
「おい、キョウ。どっかで追手の車を止められないかな。タイヤ狙って壊すとか」
「おまえっ俺がそれ苦手なの知ってんだろ!」
「練習してたじゃないか。コントロール上手くなったんだろ?」
「動いてんのはさすがに無理だっ。車全部とか、道ごととかならいける」
「そりゃ不味い。大事故になる。――しょうがないな。振り払ってやるから、まあ見てろ」
「……俺、降りたいんだけど」
「つれないこと言うなよ。楽しいドライブなんだから」
助手席ににやりと笑って見せ、隣の少年が心から嫌そうな顔をしたのを確認したところでアクセルペダルを強く踏んだ。
車線を変更しながら数台の車を追い抜く。休日の都心は適度な混雑ぶりで、すぐに後ろの車は見えなくなった。しばらくそれを繰り返しながら都心を抜けようという頃、先ほどの追手の一台が何台か後ろを走っているのが見えた。順番が入れ替わり、後方にいた車が前に出てきている。
中に四人の人間が乗っているのを確認し、おや――? と眉を顰めた時だった。
「ああっ?」
助手席でキョウが大声を上げる。そのまま後ろを振り返ろうとして
尾行がつこうがそれがサイであろうが動揺など微塵も見せなかった彼の妙な表情に、楠見は嫌な予感を覚えた。
「……どうした?」
「楠見、後ろの車に乗ってる女――」
それはまさに、楠見が今しがた目にし違和感を覚えた人物――同じ車に乗るほかの三人の男たちとは明らかに異質の――高校生くらいの少女に見えた。
「それが?」
「あれ、うちのクラスの女子だよ」
「……なんだとっ?」
その言葉を一テンポ遅れて脳が処理し、思わず助手席のキョウにまともに視線を向けてしまった。うっかり車体が揺れたついでに無理やり車線を変え、割り込んだような形でさらに一台の大型バスを追い抜く。
「なんで……?」
呆然と言って、後ろを気にするキョウ。バスの後ろに入って、問題の車の姿は視界から消えていた。
「お前のクラスの? 間違いないか?」
「たぶん」
少々怪しい。こいつは四月以来、楠見の体感では数えるほどの日数しか授業に出ていないのだ。
「高校から入ってきたヤツだと思う」
「名前は?」
「知らねえ」
きっぱりと答えるキョウにため息をつくが、楠見も期待していない。顔を覚えていただけマシだと思う。あとでハルに、「キョウのクラスで高校から入ってきた女子」を照会すれば、すぐに絞り込めるだろう。ハルは、キョウのクラスメイト全員の名前はもちろん、簡単なプロフィールや人となりまで把握しているはずだ。
「けど、サイだ」
「なにっ?」
顔を覚えていたのはそういう理由か。
「どんな能力なんだ?」
「たぶんテレパスとか……ESP系の能力なんだけど、ものすごく弱くてはっきりしねえんだ。潜在的ってほどじゃねえと思うけど、発現することもあんまないレベルかも」
キョウならばおそらく日に何人かは目にしているであろうレベルの、微力なサイ。さほど注意は払っていなかったというわけだ。だが――。
助手席で難しそうに顔を曇らせたキョウに、彼も同じ考えに辿りついたことを察する。案の定、キョウは、
「創湘学館に通ってたヤツかな。……哲也のいた組織に、もう入ってるとか?」
「考えられなくはないが――」
答えながら、少々疑問に感じている。
相原哲也がそうであったように、組織がすでに能力を発現しているサイを直截的にスカウトして組織の訓練員として学校に通わせることは、ある。しかしそれはまれなケースだ。潜在的なサイや、何度か発現したらしい程度の微力なサイに、先に組織の話を持ちかけたりすれば、胡散臭がられて終わりだ。
静楠学園のやり方を見ていても、先日の「事件」に関わった卒業生たちを見ても、まず適当な理由で優遇するか受験を勧めるかして入学させ、様子をうかがい、折を見て話す。適切な折というのがなければ、そのまま卒業してしまうことだって珍しいことではない。
にも関わらず。キョウが見ても判然としないレベルの微力なサイが、入学から一カ月の現時点で組織の連中と関わりを持っているとしたら、それは何か特別な事情があるケースだ。
と。考えている楠見を、横からキョウが文句ありげな視線で見つめているのに気づく。
「……なんだ?」
「お前……追って来てるヤツらが哲也の組織と関係のある連中だって、確信してんだろ」
考えが顔に出ていたか……。
「確信はしてないよ。そういう可能性もあるかと思っただけだ。緑楠の生徒が乗っているって聞いたら、それを連想するだろ」
なるべく自然な調子で答えるが、キョウはますます表情に険を浮かべた。
「それよりな、次のパーキングに入るぞ」
露骨に話題を変えた楠見にさらに眉を寄せながら、キョウはちらりと前方の案内標識に目をやる。
「とりあえず――お前はその女子に見られないほうが無難だろう。もう知られてるかもしれないが……ともかく、だからその一台だけでも離す。多少ほかの場所に影響しても構わないから、走行不能にしろ。可能なら二台とも」
「けど、哲也の組織に捕まってるんだったら、放っといていいのか?」
「明らかに逃げたがっている様子なら考えるが――そうでなきゃ、すぐに声を掛けるにはデメリットのほうが大きい。学校に帰ってから接触の方法を検討できれば、そのほうがいいな」
数秒の間、キョウは楠見の顔をじっとみて、
「分かった」
頷いた。
楠見が彼女の身に危険を感じていないことを悟り、それによって同時に、楠見が追ってくる連中がなんであるのか知っていることも察したという風に。
大型バスを追い越し再び真後ろにつけた車をミラー越しに見る。
運転席の後ろに座っている少女は、車の動きに合わせてたまに少し顔を覗かせる程度にしか見えないが、肩の下あたりまでのふわふわとした髪をおろした可愛らしい少女に見えた。丸っこい目が、やや幼い雰囲気。小ぶりの鼻や口から、大人しく気の弱そうな印象を受ける。
衣川あおいのような華やかさや、武井琴子のような清冽な美しさとは違うが、彼女もまた、高校生男子からは人気の出そうなタイプに見える。その少女の名前も知らないというキョウに、楠見は自分のことは棚に上げて嘆息した。
「すみません。やっぱり読めません」
数十分の間ずっと前方に集中させていた意識を緩め、小さくため息をついて少女は顔を伏せた。
「まあ、いいさ」
答えたのは隣のシートに座る、スーツ姿の男。四十前後に見える、落ち着いた雰囲気。
「きみには今日は、我々の仕事を体験するための研修として来てもらっただけだ」
「すみません……」
少女の小さな口から、同じ言葉が漏れる。
「気にするな。まだ能力の確定していない時期なんだ。すぐに上手く行くとは思っていないよ。きみのお母さんは優秀なテレパスだったし、きみもそのうち実力を発揮する時が来るだろう。それまで訓練をすればいい。お父さんもお母さんも、期待されているよ」
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