15.理事長室のローテーブルは、彼らのお茶会のためにある

「やっぽー。イオリンいるー?」


 そんな妙な声を上げながら理事長室に踏みこんできた藤倉ふじくらすぐるは、ローテーブルとその周りを囲む面々に、ドアを入って一瞬目を見張った。

 ローテーブルの上には菓子やコーヒーカップが所狭しと並べられ、周りを囲むのは伊織とキョウと、その後からやってきた衣川きぬかわあおい、武井琴子、そして部活を早々に切り上げてきたというハル。


「なんじゃー。みんな揃いで。なんかお祝い? パーティーかいな?」

「ちょっとしたティータイムだよ。フジも入んなよ」

 微笑んだハルの横で、キョウがテーブルの上の皿を指さす。

「エクレア。食っていいよ」


 先ほどやってきた衣川あおいに、伊織の訓練に付き合わなかったかどで締めあげられそうになったキョウが、「エッ、エクレア! エクレア買ってくるから!」と慌てて逃げ出して大急ぎで買ってきたものである。

 コーヒーを入れたのも、診療所でチョコレートを調達してきたのも、もちろんキョウだ。


「うほーっ、サンキュー」

 いかにもスポーツマンと言った風情で体格の良い藤倉卓が、人好きのする笑みを作って入ってきた。


「あ、あの……フジ、先輩?」

「んー? あーイオリン、先輩とかいいから。フジって呼び捨ててくれよお」


 エクレアを一口で頬張りながら、伊織の知るサイたちの中で唯一の上級生、緑楠高校二年のフジはもごもごと笑う。年長者を呼び捨てにするというのも気が引けるが、それよりも伊織は先ほどフジが自分の名を呼びながら入ってきたことと、そして彼の手に持っているものが気になっていた。

 二つ目のエクレアに手を伸ばしている彼が、もう片方の手に持っているもの。それはどこからどう見ても、四十五リットルの半透明ゴミ袋。そして袋の後ろに見え隠れする、ゴミつかみ。


「あ、その……フジ……俺に何か、ご用事でしょうか……?」

「うん? ああっ、そうそ、イオリンが落とし物でサイコメトリーの訓練するって聞いてね。俺っちもなんかいっちょ協力しようかって思ってさ」


 言いながら、ゴミ袋を胸の高さに持ち上げ満面の笑みを見せるフジ。

 その次の動きを素早く察知して、ハルとキョウが絶妙のコンビネーションでテーブルの上の飲食物を脇に除けあるいは手に取りテーブル上に空間を作ると、フジはにこやかな顔でゴミ袋の中身をそこにぶちまけた。


「学校中を歩きまわって、落とし物集めてきたぜい!」

「……落とし物って、これ……?」

 フジがテーブルにぶちまけたものに、ぼんやりと目をやってハルが呟いた。


「おうよ。二日がかりで集めたよ。いや、礼は要らんよ。イオリンが一人前のサイコメとリストになったら、俺も嬉しいしさ」


 どこか照れたように言うフジの言葉を聞き流しながら、伊織は呆然と、テーブルの上のモノたちに目を奪われていた。


 空き缶。ビンの王冠。牛乳パック。古い新聞紙。ボロボロのタオル。


「落とし物っていうか、……これは……」やはり呆然と、ハル。

「ゴミ、だな」真剣な表情で言うキョウ。

「ちょっとぉ! 汚いわねえ!」あおいが喚けば、その隣で琴子はまさにゴミに向けるような視線を無言でフジに送る。


「ちょっ、ゴミとか酷いわ! 一生懸命集めてきたのに!」

「どっからどう見たってゴミじゃない!」


 泣き真似をするフジをあおいが罵る横で、ハルは仏様のような微笑みを伊織に向けた。

「伊織くん。きみの能力が、校内美化に役立ったみたいだ」


 あまり嬉しくは、なかった。


 仕方なく、伊織は訓練――という名のテーブル上のゴミ撤去に乗り出す。さすがに見兼ねたのかハルとキョウが手伝って、ゴミ袋とゴミ箱にそれらを入れる作業が始まった。あおいに散々に罵られたフジが、渋々とそこに加わる。


 アルミ缶と王冠を片隅にまとめ、紙類を重ね、何気なく編み目のほつれた毛糸の手編みらしいマフラーを取り上げたその時だった。


(……あれ)


 思うのと同時に声を上げていた。


「あ、……あれっ?」


 は本当に、不意打ちのようにやってきた。前日二日間、何百というモノに触れて待ち焦がれながらもついに訪れなかった、が――!


 女の子の顔。見覚えのある――伊織と同じ年頃の――ショートボブの柔らかそうな髪。コタツ、編み棒、床に転がる毛糸の玉。マグカップ、カレンダー、写真立ての中の写真には、同じ年頃の数人の少年少女たち――写真の中の男子――赤いチェックの紙袋を渡す手――彼の驚いた瞳、口が「ありがとう」の形に動いて――


「伊織くんっ?」

 呼ばれて強く肩を掴まれ、伊織は毛糸のマフラーを両手で握りしめ目を見開いて自失していたことに気付いた。


 ゆくりと首を回すと、心配そうに覗きこんでいるハルと視線が合う。

「あ、えと……」

「伊織くん、大丈夫? 何か?」


 ハルが毛糸のマフラーを伊織の身からはがすように取り上げて、伊織とマフラーを見比べる。

 紺と緑と黄色の縞模様の、お世辞にも素敵なセンスとは言い難い、ところどころ毛糸がほつれたり段が飛んだりして明らかに手編みと見える、もっさりとした暑苦しいマフラーだった。


「このマフラー? 持ち主が見えたの?」

「あ、えっと……もしかしたら、だけど……編んだ女の子……かな。それが――」


 気づけばほかの面々も、息を呑むようにして深刻な面持ちで伊織に視線を集中させている。

 みんなに曖昧に笑いかけて、伊織は先ほど頭の中に浮かんだ人物を思い出す。


「うちのクラスの――」

 少々ためらいながら、

小早川こばやかわさんに見えたんだけど」


「小早川さん?」ハルがまた首を傾げる。「ほかには? 何か見えた?」


「う、うん――可愛くラッピングして、男子に渡してた」


「手編みのマフラーを、男子にプレゼントしたのねっ」

 少々興奮気味に弾んだ声で、あおいが言う。「相手は? だあれ?」


「そ、それが……知らない男子で」

「緑楠の生徒かな。顔は覚えてる?」

「えっと……う、うん……」


 目を閉じて、伊織はその男子の顔を思い出す。たしかにあれは、緑楠の制服に見えた。


「伊織くん、悪いけど、覗かせてもらうよ? 琴子――」


 え? と声を上げる間もなく、険悪な顔で自分を睨んでいる琴子と目が合った。数秒間、相手を射殺すつもりかと思うような視線を伊織に送った末に、琴子はハルを振り返る。


「分かった。フカマチだと思う」

「フカマチくん。六組の男子だね。小早川さんもどちらも内部新学生だ。たしか去年――中三は同じクラスだった。付き合ってるって話は聞いたことないけれど、仲良しグループの中の二人みたいな感じで一緒にいることは多いよ」


 ハルはなぜだか生徒たちの交友関係に詳しい。


「冬にプレゼントしたのかな。……だけど」

 そこで何か問題にぶち当たったというように、ハルは拳を顎に当て目を伏せる。

「フジ、これってどこにあったの?」


「ほへ? それは部室棟の……たしか、バスケ部の部室の隅に捨てられてたヤツだな。冬からずっとあって。汚ねえから誰も触んないしもう要らないんじゃねえのってバスケ部の連中が」

「……フカマチくんは、たしかにバスケ部だな」


「ねえ、それって、つまり……?」

 あおいがその綺麗な眉を困ったように寄せる。


「うん……手編みのマフラーをもらって、部室に放置――か」ハルは顎に当てた拳はそのまま、もう片方の手につるしたマフラーへと目を細める。「このマフラー、一見ボロボロに使い込んだようにも見えるけど、たぶんこの編み目がほつれたり段がおかしくなって妙な柄になっているのは、使い込んだせいじゃない……元々編み手が――つまり――」


「下手くそだったんだな」

 キョウが恐ろしくぶっちゃけた発言をするが、あえて異を唱える者はいなかった。


「端的に言えば、そういうことになるね」

「模様も……なんか、目がチカチカすんな。立ち入り禁止って感じだな」


「少し、センスにも問題がありそうだね。だけど、手編みのマフラーだからね。初めからあからさまにボロかったからと言って、それに少々危険な柄だったからと言って、無下にしていいものではない。たとえ装着することが恥ずかしいほどのレベルであっても、他人から馬鹿にされたとしても、部室の片隅でゴミ同然に長期間放置されていいものではないよ。ゴミに見えるようなものであっても、ボロ雑巾と間違えられて空き缶や古新聞と一緒に回収されたりしたら可哀そうだ」


 ハルの話す内容も口ぶりも至極まともで同情的だが、言葉の選択に遠慮がなくなっていた。

「そっか」と切実な顔で、キョウが頷いた。


 伊織は小早川さんに心から同情し、名前を出してしまったことを内心で深く詫びた。


「それで……どうするの?」

 眉を寄せたまま、あおいが訊く。


「そりゃー、コバヤカワさんなりフカマチくんなりに、訊くっしょ。これあんたらのかい? って」

「いや不味いでしょそれは」


 当然とばかりに口にするフジに、ハルは首を傾げた。


「心を込めて編んだマフラーがこんな仕打ちを受けてるって知ったら、小早川さんショックだよ。フカマチくんにも、『なんでこんなことするんだ』って聞きづらいし……伊織くん。これは見なかったことにしよう」


「じゃ捨てっか」

 頷いてハルの手からマフラーを奪いゴミ袋に入れようとするキョウに、伊織は慌てて手を伸ばしてマフラーを取り上げた。


「ま、待って。捨てるのは……心を込めて編んだマフラーなんだし」

「ん。じゃどうすんの?」

「えっと……それは……」


 先のことなど考えてはいなかったが、今にもそれをゴミと一緒に捨てようとしているキョウの視線から逃れるように、伊織はマフラーを後ろ手に庇った。


 と、そこへ。

 隣室のドアが開き、楠見が姿を見せる。そして、室内の状況に唖然とし、


「――お、お前たち――なんだこの状況は!」


 叫ぶのも道理だった。食べ物と食べかすが脇に除けられたローテーブル、その真ん中に、ゴミの山。ゴミを囲む高校生たち。ゴミ袋とゴミつかみを手にしたフジが、屈託のない顔で笑った。


「あは。なんか散らかしちゃって、すんませんっ」


 後から出てきた校長が、その惨状に感心するように、「ほほう」と唸って目と口を丸くした。




「ところで、きみたち、連休中は何をするんだ?」

 校長を見送って執務机についた楠見が、高校生たちを見渡して声を掛ける。


「あ、俺は勉強を……」目が合ったような気がして、伊織は口を開いた。「連休中、午前中に補習があるって言うんで」


 それに図書館は授業が休みの日でも開いているらしいから、午後も勉強だ。ただでさえ授業に遅れ気味なのに、四月はいろいろと事件が重なってだいぶ置いていかれてしまったから、連休でどうにか巻き返したい。


「へえ、そりゃ感心だね。頑張れ。おいキョウ、見習え」


 テーブルの上を拭く作業を命じられていたキョウは、しゃがんで布巾を動かしながら少しばかり嫌な顔をして、

「俺は休みの日はベルツリーの手伝いすんだっ」


 ベルツリーは、ハルとキョウの住むマンションの一階にある喫茶店だった。鈴音すずねさんという若い女性が一人で切り盛りするのを、キョウは時間の空いた時に手伝っている。……が。


「ベルツリーなら、連休は休みだけど」

 コーヒーカップに口を付けながら言ったのは、琴子だった。


「……へ?」

「鈴音さん、あたしと一緒に旅行に行くから。長野。二泊三日」

「え……俺、聞いてねえけど……」


「あたしはクラスのお友達と遊ぶのっ。鎌倉に行くでしょ? それから渋谷で買い物でしょ?」


「なぬっ? お嬢、クラスに友達いんの?」

 フジが心底驚いた声を上げて、あおいに睨まれた。

「あ、お、俺は部活っす」


「俺も部活」最後にハルが答える。「それに新入部員のね、新歓コンパがあるんだ、毎年この時期」


 フジは陸上部。ハルは弓道部に所属していると聞いた。どちらも部内ではかなりの成績を持つ実力者らしい。フジのことはまだよく知らないが、ハルやキョウの運動神経――と言うには常人離れしすぎているが――を見る限り、サイには運動能力の高い者が多いと言うのも肯ける。


「新歓コンパ?」

 楠見は眉を寄せた。

「おい、酒なんか飲むんじゃないだろうな」


「飲まないよ。ジュースとお菓子の健全な会だよ。中学の時もやってたけど、単に歓迎会って言ってたね。高校でなぜか『コンパ』って名前に変わっただけ」


「ふむ……それならいいが。じゃあヒマなのは結局、キョウだけか」

「俺はヒマじゃねえ!」

「おいキョウ、ドライブに連れて行ってやるぞ」

「だからヒマじゃねえし、楠見とドライブとか嫌な予感しかしねえ! 俺、行かない」

「明日とあさって、一泊で行くから準備しとけ」


 キョウの抗議を完全に無視して話を進める楠見に、ハルが首を傾げた。


「どこに行くの?」

館山たてやまにな、ちょっと人に会いに」

「千葉の?」

「ああ。そういうわけだから、キョウを借りるよ」

「いいけど、無傷で返却してよね?」

「俺行くって言ってねえっ」


「キョウ」

 わずかに口調を真剣なものに変えて、楠見はキョウに視線を据えた。

「お前の頼みを聞いて、伊織くんの訓練のために遺失物展示会の機会を設けてやったな」


「……う」

「にも関わらず、お前は二日とも姿を見せなかった」

「……うぅ」

「ほかのみんなが手伝った」

「……ううぅ……だ、だからエクレア買ってきた!」

「エクレア? どこに?」

「もうないよ。キョウがみんな食べちゃったし」

「お前らみんな食っただろ!」

「俺の分は、どこに?」

「だから……それは」


 布巾を片手に視線を泳がせ始めたキョウへ、楠見はにっこりと笑いかける。


「館山に、行くよな」


 キョウに拒否権はないようだった。

(なんかキョウ、ごめん、俺のために……)

 心の中で伊織は頭を下げた。


「なに、プライベートの用事なんだ。ただ移動距離が長いから、一人じゃちょっと退屈かと思ってな。だから目的地に着いて俺が相手と会合している間は、お前は好きなモン食ってていいぞ。館山は何が美味いかな」


「千葉っつったらピーナッツっしょ」

「梨も美味しいんじゃなかったかしら」

「梨はまだだよ、夏だからね」

「あらそう?」

「お、おいお前ら……俺、千葉に行くの嫌だよ」

「でも鈴音さんはいないから。ベルツリーはないから」

「館山だと漁港があるから、海鮮がいいかもね。お刺身とか海鮮丼とか美味しいんじゃないかな」

「海鮮丼」


 口々に言い合う中から、フジが不審げな顔を楠見に向けた。


「けど楠見さん、こういう時、助手席に乗せる女性いないんすか? キョウでいいんすか?」


「……うるさいね」

 同じ笑顔でにっこりと、楠見が答えた。

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