14.彼らの問題の核心的な部分を

「新田先生、ご足労いただいて恐縮ですが」


 緑楠中学高校・校長の新田にったと二人きりになって、楠見は苦々しく顔を歪めた。

「人前で、『若』って呼ぶのはやめてください」


「ああ、すまんすまん、ついクセでね」

「普通の人が聞いたらいったいなんの組織なんだと思われます!」

「悪かったよ。あらためよう」


 こほん、と軽く咳ばらいをして、新田校長はニヤリと笑った。


「リンぼう――」

「うわあああぁ! やめてくださいっ!」


 慌てて隣の部屋を窺う楠見に、新田は大声を上げて笑い出した。可笑しそうに笑う校長に、楠見は苦い視線を送る。どうもこの人には、勝てない。


 楠見の恩師でもある新田は、元は神戸の静楠じょうなん学園に勤務していた。父と古い付き合いらしく、組織の事情もおおよそ把握している――と言っても、彼は楠見の知る限り教育一筋の人間で、サイ組織との直接の関りはない。彼がなぜ組織やサイの事情を知るに至ったのかはよく知らない。

 だが――。組織の訓練校である静楠学園にとっては、彼のようなサイを理解してくれる人間の存在は相当に重要であった。サイの学園とは言っても、教職員や生徒たちの大多数はその事情を知らない中、内部で上手い具合に一般人とサイの関係を調整し、特殊な環境に身を置く生徒たちをフォローしてくれる。彼のような数人の理解者、協力者がいるから、あの学園は危うい事情を抱えながらも世間に一応の信頼を寄せられ、関西の名門校として上手く行っているのである。


 組織の内部に関わってはこないながらも、組織幹部の間から一目置かれる存在。楠見は学校で生徒と教師の関係になるよりも前、ずっと子供の頃から、楠見家に出入りしている彼を見知っていた。

 そんなわけで彼は、組織の幹部たちに倣って楠見のことを「若」と呼ぶ――が、会議やほかの教職員のいる中ではきちんと「楠見先生」と呼ぶのであるから、「ついクセで」などということはない。おそらくわざとである。


 緑楠も、楠見が組織を離れなければ静楠学園と同じくサイの訓練校となっていたはずであり、その助けとして恩師であり一番信頼している新田を東京に迎えた。サイの事情云々はさておき、若くして理事になり理事会で肩身の狭い思いをしていた楠見にとっては、当時は唯一の味方と言ってもよかった。

 緑楠にサイを入れるという話が宙に浮いた後も、神戸から無理に帰ってこいとも言われないのをいいことに東京で学校をまとめてもらっている。そのうちハルやキョウと出会い、あおいや琴子といったほかのサイたちも入ってくるようになり、静楠ほど大々的ではないながらも彼には世話になっている。新田がフォローしてくれなければ、キョウなど学校に通うことはできなかっただろう。

 楠見は学校内の権力者であるとは言っても、理事が教育現場に直接関わることはない。学校の中、教室の中のことは、教師たちに任せるしかないのである。


 おそらく今も――。

 ふぅと息をつき、楠見は気を取り直す。


「キョウがご迷惑をおかけしましたか?」

「いやなに」


 問うと、新田校長は大きく破顔した。


「生徒のことで『迷惑』なんていうことは、ありませんよ」


 つられるようにして、楠見も笑みを浮かべ、

「相変わらず、頭が下がります」

 思わず、本当に頭を下げていた。


 そんな楠見にまた笑うと、新田は示されたソファに腰を下ろす。


「成宮くんの担任の先生は、今年初めて学級担任になる若い先生でしてね。とても真面目で責任感が強い。彼女に成宮くんの担任は、少々荷が重いかもしれませんなあ。人事に少し手を加えれば良かったと、少々反省しているところです」

「はあ……ご心配をおかけして、申し訳ない」

「なに、私のほうは構いませんよ。いや、それにしても――」


 言いながら、新田は何かを思い出したように大きな笑顔を作った。


「大きくなったじゃないですか。成宮くんも、神月くんも。いい子たちだ。若、頑張りましたなあ。最初に若が彼らを引き取ると言い出した時は、どうなるかと思ったもんですが……」


 当時のことを思い返すような目をした新田に、楠見も思わず苦笑を漏らしていた。


「俺の力じゃありません。彼らが頑張ったんですよ。それに――」

 新田の視線を追いながら、小さく息をつき、

「まだまだ、目が離せません」


 軽く肩を竦めた楠見だったが、


「そう。それでいい」新田は満足そうに、大きく頷く。「常に心配していてやんなさい。成宮くんは、一人では立てない子だ。周りの心配があって、ようやく自分の存在を認識できる。彼が自分のことを大切に思えない分、周りの人間が彼を大事にしてやらないとなりません」


 しばしば、楠見はこの老教師の言動に目を見開かされる。

 ハルやキョウの生い立ちについて、彼に深いところまで話したことはない。どういう事情で彼らと知り合い、どうして彼らの身を引き受けることになったのか――それは粗筋だけを簡単に語ったまで。彼らの成長の過程にあった事件や、その特異なメンタリティの理由。そこまでを詳細に話したわけではない。

 けれど新田は、そういったストーリーを全て飛ばして、彼らの問題の核心的な部分を的確に掴んでいた。長い経験に培われた勘と、洞察力によって。そして、子供たちへの深い愛情によって。


「――いや、老婆心というもんですな。彼のことは、若のほうがよくご存じでしょう」


 しばし言葉を失っていた楠見に、新田は取り繕うような笑顔を向けた。


「いえ……時々しっかり言い聞かせていただけるのは、有り難いです」

 楠見は素直に頭を下げる。

「俺は、まだまだです」


 すると、新田はまた相好を崩す。


「ハッハッハ、謙虚なのはきみのいいところだ。さて、それじゃ本来の話を進めようじゃないかね」


 ニヤリと目を光らせた新田。楠見はわずかに姿勢を正した。


「まず、例の学習塾――『創湘そうしょう学館』の話ですがね」

 言いながら新田は、ポケットから折り畳まれた数枚の紙の綴りを引き出しテーブルに置いた。

「思っていたほど詳しいことは分かりませんでしたよ。どうも、閉鎖的なニオイがしますな。緑楠にも合格者を出していると思うんですが、塾側の人間が挨拶や営業に来たという話を知っている者がおりません。調べりゃ変わったメソッドを実践しているように見えるんだが、実態がよく分からない。あれだけ特徴的な手法なら、話題になっていても良さそうなもんなんですがな」


 最後に小さくため息をついて、新田はソファの背に寄りかかる。


 楠見は新田がテーブルに置いた紙を取り上げた。学習塾に関する分かるだけのデータだが、それはホームページや塾のパンフレット、それに秘書の影山かげやまがすでに調べてくれていることと大きな違いはなさそうに見えた。


 創湘学館。南関東一円に二百近い教室を持つ、学習塾。神奈川を本部とし、その教室の多くは神奈川県と東京都に点在する。大手進学塾ほどの規模ではなく、ひとつひとつの教室も大きくはないが、それなりに善戦していると言えるだろう。

「ESPメソッド」という独自の能力開発方法――それは分かる限り、超感覚ESPを持つサイの能力訓練と似通ったものである――を売りにし、主に小・中・高校の一貫校受験を目的とした、早期教育のための塾である。


 先日の相原哲也の「事件」により、この学習塾が「ESPメソッド」とやらを単に子供の学習能力向上のために利用しているのではなく、実際に子供たちの中から潜在的なサイを発掘しているのだ、というところが明らかになった。

 おそらく楠見家の組織――「本店」に、その学習塾は深く絡んでいる。かつては緑楠学園に入れるサイを見つける役割を担っていたのではないかと想像する。だが、楠見が組織を離れ緑楠学園が「本店」と縁を切った今、関東でサイを発掘したところでその受け皿はなく、にも関わらずそれを続けている目的や、発掘したサイの処遇が謎だった。


 しかし――実際に何人かは、相原哲也のような人物の「スカウト」で、緑楠学園に入ったと考えられるのである。古巣である「本店」との不可侵協定は生きている、と楠見は認識している。その楠見の足もとに、「本店」の息の掛かったサイが送り込まれているのだとしたら――どうしようもない不快感を感じ、楠見は知らず、眉を顰めていた。


「ハハッ、不機嫌な顔をされますな」

 新田に笑われ、楠見は疑念を思い切り顔に出していることを自覚して両手で頬を叩いた。


「すみません。けれど――相原哲也くんの見た、あのDVD。無理な能力開発……あんなことをいまだに続行しているのかと思うと……なんていうか、途方もない無力感を覚えます。俺が――組織を離れたことは、彼らにとってはなんの痛手にもならなかったのかと。そりゃ、すぐに改められるもんじゃないと思ったから、決別した。けれど――彼らは、何も変わっていないのか、ってね……」


「だが、聞いた限りじゃ哲也くんのいた『組織』とやらと、神戸の『本店』は、同じではないのでしょう? そのあたり、『会長』には、話は聞けんのですかな?」


「連絡を取っているところです。会いに行ってみようとは思うんですが……相変わらずですよ、あの人は。向こうから用事のある時は、こちらの事情なんかお構いなしに呼びたてるくせに、こっちから聞きたいことがある時は雲隠れだ」


 肩を竦めた楠見に、新田は小さく笑った。

「ま、それはともかくとして。緑楠の在校生の中で過去にこの塾と関わっていた生徒が知りたい、ということでしたが――」


 新田に相談を持ちかけていた件である。件の学習塾の出身者を当たれば、――そしてその中に、塾でサイの能力を見出されてこの学校への入学を勧められた者がいれば、その生徒を調べるか直接事情を聞くかすれば多少は話が見えてくるかと思ったのだ。

 だが、新田はその思惑を察し、少々済まなそうな表情を作った。


「結論から言うと、全校の生徒を調べるというのは、難しい。個人の入試対策経験を調査するとなると、大々的にやるには何かしら必然的な理由がいるものです。そうでなく、雑談や、漠然としたアンケートのレベルとなれば、可能ですがな。それでは欲しい情報は得られないでしょう」


「そう……ですね」

 言われて楠見も大人しく引き下がる。


「一応、出来る範囲で調べてはみますよ。分かったことがあれば、お知らせしましょう」

「よろしくお願いします」


 ひとつ頭を下げて、それから楠見は真剣な目を新田に向ける。


「先生」

「うん?」

「相原哲也くんや、先日お見せしたリストに載っていた卒業生たちは、この学校をサイの訓練校にする準備時期に入学させられたものでした」

「うむ。そう伺いましたな」

「けれど俺は、組織を離れる前も、そんな話は聞かされていなかった。俺がこの学校の理事となって、しかるべき体制が整って、それからそういう生徒たちを入学させるのだとばかり思っていたんです。つい先日まで、そういう生徒たちがいたということすら知りませんでした」

「ふむ」

「先生は、何かご存知でしたか? 組織から、そういう話を受けたことは……?」


「ふうむ」新田はひとつ唸ると、当時を思い出すかのように視線を斜め上にあげる。「私も具体的な話を聞いていたわけではありませんな。神戸にいた時分から、若もご存知のとおり、私は組織の内情には関与していません。入ってきた生徒たちを、彼らが『特殊な事情』によって不利益を被ることのないように配慮すること。私の仕事はそれだけですよ」


「入学の段階に関しては――」

 無礼を承知で、楠見は真っ直ぐに新田を見つめ、訊く。

「彼ら組織の訓練生として入学する生徒に、ほかの一般の生徒たちと違うところはあるのでしょうか」


 しばし視線を対峙させ、新田は表情を変えずに楠見の視線を見返して、口を開く。


「たとえば通常の入試を経ずに、『サイであるから』と言うだけで入学した生徒がいるか、ということですかな。あるいは入試に細工があっただとか」


 端的に言われ、楠見は観念した。


「その通りです。いえ。失礼な質問だとは分かっているんですが」


 入学試験の結果になんらかの操作があったのだとすれば、それは学校の不祥事だ。この教育者のかがみと言ってもいい人物が、それを知って許しておくなどとは思えなかった。訊いてはみたものの、楠見は非礼を詫びる。

 と、新田はフッと笑みを浮かべた。


「入学試験に関して言えば、それはないでしょう。おかしなことがあれば、裏事情など知らない教職員たちからも不信感を持たれますからな。万一それが外に漏れることがあれば、必ず世間に公になる。裏事情を抱える学校にとっては、余計な疑惑を抱かれることは避けたいところです。危ない橋は渡らんでしょう。ただ――」


 そこでわずかに考えるような間を置いて、新田は続けた。


「推薦枠に関しては、なんとも言えませんな。学業成績や部活動と言った当たり前のことに特段の功績がなくとも、適当な理由を付けて優遇することはできる。詳しい事情や選抜過程は知りません。だが、数は多くはないものの、そういった一般的でない方法で入学してくる生徒がいなかった年はありませんでしたな。あるいは、家庭に子供を私立学校に進学させるほどの経済力のない者が、特待制度と称する方法で入学してくることも。静楠では、特別に珍しいことではありませんでしたよ。ですから緑楠で、私や若がそれを察する前に水面下にそういうことが行われていたとしても、それは有り得る話でしょう。ただ、具体的な心当たりはありません。私はあくまで、入ってきた生徒たちを見守る役割を与えられているだけだと認識していますよ」


 確たる眼差しでそれを告げる新田。そこは過去から将来にわたり、楠見と思惑を異にすることはないと。楠見の知らない「組織との取引」などはなく、もしも何かしら学校や生徒たちに不利益をもたらす要素が生じるならば、その時は楠見と利害をたがうことはないと。

 読み取って、楠見は表情を和らげ息をついた。


「ありがとうございます。また、いろいろと相談させてください」

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