8.物を大切に。持ち物には名前を書きましょう

 翌朝。掲示板に張り出された一枚の紙を食い入るように見つめて、伊織は首を前に出し、目を見開き口をあんぐりと開け放っていた。


『  学園内での遺失物 一斉展示について


 下記の期日、「学園事務棟」裏、中庭に於いて、本年二月一日から現在までに学園内で拾得され、持ち主が名乗り出ず保管されている金品等以外の遺失物を一斉展示します。


 展示品の中に自身の遺失物を見つけた学生・生徒・児童は、所定の方法で受付に届け出の上、当該遺失物を引き取って下さい。


    記


 日時:―― 』


 記されている日付は、今日と明日の二日間。


(ま、まさか、昨日の今日で――!)


 伊織はしばらくの間、その掲示板の前から動くことができなかった。あまりの食いつきっぷりに、通りすがる生徒たちの何人かが、「いったいどんな驚愕のニュースが書かれているのか」と覗きこんで、不可解そうに首を傾げながら立ち去っていった。伊織は全校生徒に周知を呼びかけるべき掲示板にとって、良いサクラになったと思う。


 張り紙の最後は、軽やかなポップ体の文字で締めくくられていた。


『物を大切に。持ち物には名前を書きましょう。』


 紙面の右下には、目と鼻と口のついた本のイラスト。本は、目にした伊織がもらい涙を催しそうになるくらいに号泣しながら「え~ん ボクの持ち主がいなくなっちゃったよ~」とこれまたポップ体で嘆いている。

 文面から見るに、大学と小学校にも同じ通知が張り出されていることと思われるが、急なこと過ぎて作った人間もどこの学年に向けたらいいのかよく分からなかったという雰囲気の妙な一枚だった。


「ええー、連休前だからと言って気を緩めず、ここで少し落ち着いて、自分の持ち物のことを見直してみましょう。そういうことで、皆さん、放課後は中庭に行って、自分のものがないか確認してください」


 朝、出席を取りにやってきた担任教師までもが、早口に告げる。

 唐突な「イベント」に困惑している様子はありありと見てとれた。「連休」と「落とし物」の因果関係がさっぱり分からないと言った、棒読みの口調だった。


 伊織は誰から責められるでもないのに肩をすぼめ、ひたすら全学園の皆さんに心の中で詫びていた。


(俺一人のために、本当にすみません……)




 一面の芝生の上に、事務机やブルーシートが並べられ、そこに段ボール箱や袋に入った数々の「遺失物」が置かれていた。

 全学行事のわりには二日間と短いためか、そこそこの人数の学生生徒が入れ替わり立ち替わりやってくる。結果さして広くもない、普段はほとんど人のいない中庭は、見たこともない活況を呈していた。


「あの……この傘、自分のじゃないかと思うんだけど……」

 事務机越しにおずおずと黒い折り畳み傘を差し出した、大学生らしい男に、


「いらっしゃいませー」

 満面の笑みを湛えて明るい声を上げたのは、衣川きぬかわあおい。同じクラスの、伊織の斜め後ろの席の女生徒である。


「はいっ、それじゃこの紙に必要事項を記入して、学生証と一緒に見せてくださいねっ」


 深層の令嬢然とした美しい顔に、けれどそれでいてハードルの高さを感じさせない気さくな口調で言って用紙と鉛筆を差し出すあおい。すると男子学生は、


「あ、やっぱりこれじゃなかったかな……」

 曖昧に言葉を濁し、傘を元の場所に置いて慌てて引き返していった。


 実は先ほどから、本当に自分の失くした物を捜しにやってくる学生に交じってこの手の輩が多い。受付に座っている美貌の女子高生と、間近でひとこと口を聞くためにやってくるのである。

 テレパス少女の武井琴子と並び、学年切っての美少女であるあおいは、たしかに一瞬でも近くに寄って事務的なものでもいいから直接会話を交わしてみたいと思わせる輝きを持っており――、


「あら? この鉛筆、芯がもう見えないわ?」呟いて、いま誰もこちらに注目していないのを窺うと、隣の机に載っている箱に目をやる。すると、隣の机から天板ギリギリを滑るように飛んで小さな鉛筆削りがやってきた。あおいはそれをキャッチして、

「今のうちに、ほかのも削っちゃおうかしらね」


 彼女はテレキネシスを操るサイの少女なのであった。


「あっ! お、おじょう、俺やります!」

 伊織は慌てて手を出す。


 が、「お嬢」こと衣川きぬかわあおいはその大きな瞳で隣の椅子に座っている伊織を見つめ、


「いいわ。あたしやるから。そんなことより伊織くん、落とし物を触って能力の発現を試すんでしょ? 受付なら大丈夫だから、そっちやってきて?」


「あ、ありがとう……いやでも、なんか、申し訳なくて」


 有り難いのだが、申し訳なさが先に立って伊織はひたすら恐縮していた。

 楠見がキョウの提案を聞き入れ「強権」を発動した結果、提案からわずか一晩にして企画が実現することと相成った。それはいいが、準備や人員手配まではさすがに追い付かなかったのか、それともこのほうが都合がいいと思ったのか、あおいたちがスタッフとして駆り出されている。


「だって、伊織くんがここにいたんじゃ意味ないじゃない」

 あおいは可愛らしく口を尖らせた。それからふんわりと、華のような笑みを浮かべる。

「いいのよ、こういうことはお互いさまなんだから。ほら、早く行ってきて」


「そうだよ、伊織くん」段ボール箱を持ってやってきたハルが、箱を机の上に置きながら、「早くしないと、時間、終わっちゃうよ? こんなにいっぱいあるんだからさ」


「なんか、ほんと……ごめん」

 頭を下げて、伊織は立ちあがった。


「あの、その……後で缶コーヒーとかそういうの、奢らせてください……」

「気を遣わなくていいって。だいたいキョウが言いだしたことでしょ?」

「そうよ。……ところでキョウは?」

「一緒にそこまで来たんだけどさ、途中で何か思い出したみたいで、『ちょっと寄り道してく』って言っていなくなっちゃったんだ」


 ハルは目を丸くして肩を竦める。


「あら。キョウったら」可愛らしく目を斜め上に上げたあおいの手の中で、鉛筆がバキっと折れた。「自分から言い出しておいて、逃げるなんて。あとでひとこと言っておかないとね」


「ひとこと言う」の意味に想像を巡らせた伊織は、背筋に冷たいものを感じて追い立てられるように立ちあがっていた。


「お、俺、それじゃお言葉に甘えてちょっと……」

「うん。頑張ってね。だけどさ、お嬢……受付に来た人に『いらっしゃいませ』っていうのはおかしいんじゃないかな」

「あら、そう?」


 そんなやり取りを背後にのブルーシートに向かう途中、別の机で受付をしている武井琴子が目に入る。こちらは高校の上級生らしい男子生徒の対応中だった。あおいに負けず、日本人形のような美しい容姿をした琴子にもまた、彼女と会話を交わしてみたい男子生徒が間を置かず口をききにやってくるらしい。いかにもお嬢様然としたあおいとはまた別の意味で、個人的には話しかけづらい――怖いから――だけに、この機会を逃すまいとしている男子は多そうだ。


「こっ、このペンケース、俺のものだと思うんだけど――」


 琴子の睨み上げるような視線に少々ビクつきながら、それでも果敢に話しかける上級生に、

「あんたのじゃないでしょ」

 頬を動かすこともなく琴子は冷やかにバッサリと言った。

 彼女には、申請書類も身分証明書も必要ないようだ。


 懲りない――というか事情を知らない次の男子生徒が、適当な本を手に取って琴子の机に向かう。

 琴子の鋭すぎる視線がそちらに動いた。見ていられなくなって目を逸らしたその時、


「神月せんぱーい!」

 中学生らしい女子生徒が三人ほど連れだってキャイキャイ言いながら、伊織の脇を軽やかに駆け抜けていく。


「あれ? みんな、久しぶり」

 両手を上げてにっこり笑うハル。


「お久しぶりですっ!」

「校舎が離れちゃったから、なかなか会えなくて寂しかったですぅ」

「部活、頑張ってますか?」

「応援してますぅっ」


(……なに? この会場……)


 三名のスタッフたちとは明らかに異質な庶民である伊織は、大人しく落とし物を捜しに来た「客」に紛れる踏ん切りをつけた。


 ブルーシートとテーブルに並べられた落とし物に、端から手を触れていく。ティッシュケース、シャープペン、自転車のチェーン、定期入れ、靴下――思わず手を引っ込めた。明らかに履いた後で洗濯もされていない白い――足の裏の部分は薄茶色い――靴下である。触りたくない。


(てか捨てていいでしょうこれはー!)


 律儀な事務員に尊敬の念と抗議の気持ちを同時に抱きつつ、けれど、


(み、みんな、協力してくれているんだし……)


 心の中で汗と涙を流しながら、伊織は誰のものとも知れない落とし物に片っ端から触っていた。




「うーん、駄目かー」

 傍らに立って伊織の様子を見守っていたハルが、腰に手を当てて宙を見やる。


 ブルーシートの前にしゃがみこみ、最後のひとつ、熊本県の形をしたキーホルダーに手を触れていた伊織は、がっくりとそのまま芝生に膝をつく。


「ご、ごめん……こんなにまでしてもらったのに……お、俺……」

「謝らないで、伊織くん。それより諦めちゃだめだよ。ね、もう少し触ってみなよ」


 ハルは隣にひざまずいて、伊織の指の先にあったキーホルダーを取り上げる。


「もう一度触ってみてよ。何か浮かんでこない? 買った人だとか、持っていた人――そこで起きた出来事――」

 暗示を掛けるかのように言って、伊織の手にそれを握らせるハル。


 けれど金属製のキーホルダーの、ひんやりとした手触りを一瞬感じたのみ。

「ダメだ……何も浮かばない。熊本県のお土産だろうってことぐらいしか分からない」


「それは俺にも分かる」

 ハルは真剣な瞳で頷いた。

「錆つきのないところやエッジの擦り減り具合、ロゴのデザインから言っても、それほど古くない――せいぜいここ二、三年ぐらいの間に製造されたものだと思う。それなら『くまモン』だって良かったのに、あえて県の形をしたキーホルダーを選ぶセンスの人間。しかも拾得場所は小学校の図書室前。熊本出身の大学生が故郷恋しさに持ち歩いていたものとは考えられない。と言って小学生の持ち物にしては少し渋すぎる。考えられる持ち主と言ったら、出入りしていた親や関係者か――いや、親が子供の学習のためにあえて『県の形』をセレクトした可能性もあるね。それは決め手にはならない――か。いずれにしろ買ったのはおそらく大人だろうけれど、でも――」


 伊織のサイコメトリーよりもハルの推察能力のほうが優れていることが、浮き彫りになる結果となった。

 と、そこへ。


「伊織くん、どうだい?」


 日も暮れかけた中庭に颯爽とやってきたのは、スーツ姿に皮のバッグを提げた楠見だった。どこかに外出していた帰りらしい。


「……すみません…俺……」

「ふむ。駄目だったかな」

「これだけ触って駄目ってなると、いよいよ能力発現の契機が分からないねえ。むしろ今まで何か時って、どうして見えたんだろう」

「……すみません、分かりません……」


「ふむ」楠見はバッグを肩の後ろに回すように持つと、顎に手を当て視線を浮かせる。「まあ、『結果が出なかった』っていうのもまた、重要なひとつの実験結果だよ。少なくとも、伊織くんが何か触っただけでそのモノの過去を見ちまうってことが、そんなにたびたび起こる可能性のあることではないってのが分かった。何に触れてもんだったら、大変だろう? けど、それはひとまず安心していいわけだ」


「はあ……」

 慰められて肩を落とした伊織に、ハルは励ますように笑う。


「とりあえず、明日もう一日あるんだしさ。またやってみようよ。少し触る時間を長くするだとか、指先で触るだけじゃなくて握ってみるだとか、ちょっと方法を変えてみたらどうかな」

「そうだな。せっかくの機会だし、いろいろいやってみるといいよ」


「はあ……ほんと、すみません……」


 しょげ返ってかくりと頭を落としたところへ、中庭に面した診療所の窓が開き、

「おーい、そろそろ終わりだろ? コーヒー入ってるよ。みんな、飲んでくかい?」

 窓から顔を出した牧田が、朗らかな声で呼んだ。

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