7.彼らの置かれる微妙な立場というのは

「意外と簡単じゃねえな……」


 理事長室へ戻る道を歩きながら、キョウは難しそうに首を捻った。


(やっとそれ言う? もう少し早く分かったよねっ?)

 一歩遅れて後を歩く伊織は、こっそりため息をつく。精根尽き果てていた。


「もっといろいろ触れるかと思ったんだけどな。なんかさ、広い部屋にずらーっと棚があって」キョウは両手を広げて、「そんで、落とし物がいっぱい並べてあんの想像してたんだ」


(何と間違えているんだろう……)


「なんかいい方法ねえかな」


 できれば別の方法にしてほしいが、キョウは深刻そうに考えた末、

「とりあえず、明日は佐々木サンのいない時間を狙わねえとな」


 明日までに別のトレーニング方法の案が浮上してくれることを、伊織は切に願った。

 と――。


「けどさ、伊織」


 唐突に足を止め振り返ったキョウに、伊織は慌てて「おかげさまで充実した時間を送ることができました」という笑顔を作る。


「どれからも、何も感じなかったの?」

「え? えっと、うん……ゴメン」

「別に謝んなくていいけどさ。けど……もっとたくさん触んないとダメってことか。この方法だと埒が明かないよなあ」


 気づいてもらえて良かった! ほっとした伊織だったが、


「もっと一度にたくさんの落とし物を集めて、一気にたくさん触れるようにしよう」

「……はい?」


(やっぱり落とし物なんですか……)




「……それで。お前は俺に、何をしろって言うんだ」


 執務机の前に座り、楠見は腕を組んでキョウを睨んでいた。

 伊織が電話番を仰せつかりながら黙って席を外した件に関しては、ノックもせずに理事長室の扉を開けるなり執務机に取り付いて「素晴らしい思い付き」を披露し始めたキョウの勢いに呑まれ、棚上げになっている。


「だからあ! 学校中の落とし物を、伊織が触れるようにすんの!」

 キョウは執務机に両手をついて、身を乗り出す。


 斜め後ろに立って、伊織は心の中で各方面に詫びた。

(なんか……俺のために、皆さん本当にすみません……)


「あのなあ」腕組みのまま、楠見は目を細める。「いろんな人間の持ち物を触ってみて、どういうときに伊織くんの能力が発現するのか試す。は、分かった。推理の余地の入らないように、持ち主の分からない落とし物を使う。も、分かった。それで」


 小さくため息をついて、

「どうやったら学校中の落とし物に触れるって思ってんだ、具体的に言ってみろ」


「だからさあ、保管してある場所に入れてもらうとか、ここに持ってきてもらうとかさあ」

「まったくもって現実味がないね。却下」

「そうだ! 楠見が落とし物係ってことにすればいい」

「……なんだ、落とし物係って」

「学校の中で落とし物があったら、理事長室ここに持ってきてもらうようにすんだ。管理は伊織がする。伊織がサイコメトリーで持ち主を見つけて、返す」


(えええぇー……)


「お前……副理事長の仕事をなんだと思っているんだ……」

 呆れ返ったように言う楠見に、けれどキョウも諦めない。


「なあぁ、頼むからー。くーすーみー」


(ああ、またその顔する……)


 憂いを込めた瞳に切なる訴えを滲ませるキョウ。机越しに詰め寄られて、楠見は束の間、考えるようにキョウを見つめていたが――。


「いや。やっぱり無理だ。別の方法を考えるんだな」


(楠見さん、こらえた!)

 楠見はキョウの「お願い」に耐性が付いているらしい。


「なんでだよおっ!」

「だっておかしいだろ、副理事長が『学校内の落とし物を理事長室に持ってくるように』って、どう考えたって。どういう事情がありゃそういう事象が起こり得る? なんでってなるだろ。常識的に考えて」

「なもん、適当に言っときゃいいだろ」

「なんて言うんだ」

「趣味だって言えよ」

「お前は俺をどういう副理事長にしたいんだ!」


 大きなため息をつくと、楠見は眉間にシワを寄せてキョウを睨む。


「いいか? 世の中には世の中の、学校には学校のな、規則や慣習や管轄ってもんがあるんだ。遺失物管理は学生生活課の仕事だ。副理事長がどうこうしろって言うことじゃない」


「だって副理事長なんだから、『やれ』って言えばみんなやんだろ」

 食い下がるキョウに、楠見は顔を歪める。


「そういうわけにいくか。そりゃな? 大概のことはできると思うぞ? けどな、できればやっていいってもんじゃないんだ。そういうのは職権濫用って言うんだ。良識に反することをすれば人は信用を失うんだぞ。強権発動は、最後の最後の最終手段だ。日ごろから常識的に真面目に仕事をして信頼を築きあげてこそ、いざって時に多少の無茶を言っても許されるんだ。好きな時にちょこちょこやっていいことじゃない」


 不満げに眉根を寄せるキョウに、「それよりな」と楠見は腕組みのまま身を乗り出し、視線を険しくする。


「事務室で、何と何と何を落としたって言ったって?」

「ボールペンと小銭入れとカギと携帯のストラップだ」

「怪しまれただろうな」

「かもな」


 拗ねたように顔を背けるキョウ。


(完全に怪しまれてました!)


 半べそになった伊織に同情の視線を送って、楠見はキョウをまた睨みつける。


「かもな、じゃないっ。事務員さんに迷惑をかけて。伊織くんにも気まずい思いをさせて。お前も伊織くんも、何か良からぬことを企んでいる怪しい生徒と思われたらどうするんだ。お前はそこまで考えてから行動したのか?」

「けど――」


「けどじゃないっ」不満そうな顔のキョウに、楠見はぴしゃりと言う。「お前は『適当に言えば』いいと思ってるかもしれないけど、自分だけどうにかすりゃいいってもんじゃないんだ。何か問題が起きたら伊織くんだって困るんだぞ? そういうことを考えたのかって聞いているんだ」


 不満を顔いっぱいに残しつつも、楠見の厳しい口調に押されキョウは困った顔になって黙る。


「いいか? お前はちょっと世の常識だとか、周りにどう思われるかとか、そういうことを考えなさすぎるぞ。子供のうちは多少のことは仕方ないと思って目をつぶってきたがな、もう高校生なんだ。もっとよく考えて、慎重に行動しろ。分かったか」


 そのまま数秒の間キョウは同じ表情で黙っていたが、やがて、

「分かった」

 斜め下に目をやって、不貞腐れたように低く、けれど素直に答える。


 しょんぼりと帰っていったキョウを見送って、楠見はそれまでで一番大きなため息をついた。

 それから、

「伊織くん、キョウが振り回して悪かったね」

 キョウに対しても楠見に対しても申し訳なさに胸を痛めていた伊織に、笑いかける。


「えっ? えっと……いえ……あの、だけどキョウをあんまり叱らないでください……俺のためにいろいろ考えてくれたので……俺が悪いんです……」


「いや。キョウにももっと、ちゃんと考えて良識的な行動ができるようになってもらわないと困るんだよ。これが世間になんの隠すところもないただの高校一年生なら、子供の悪ふざけで済まされる。けれど彼らは違う。彼らはとても、世の中にとって微妙な立場なんだからな。いらない疑いを掛けられたり、変に目を付けられたりしたら、本人が困るんだ。俺や周りの人間が、常にすぐフォローできるとは限らないからね。あいつもそこはよく分かってるはずなんだが、いかんせん世の中の常識とズレがあるのがなあ……」


 半分ひとり言みたいな口調で言って、額に手を載せる楠見。

 その言わんとすることは、理解できた。例えば先日の、連続暴行犯を捕まえた時のように。あの時はキョウやハルに落ち度があったわけではないが、それでも楠見が来なければ、自分たちは当面解放されなかった。一歩間違えればもっと面倒なことになっていた恐れだってある。

 その種の危険性を、どこに行っても何をするにも、キョウたちは常に抱えているのだ。他人を助けても、その場を見られれば人殺し呼ばわりをされてしまうように。彼らが悪いわけではなくても、些細なことが彼らの不利益になってしまうのである。


 伊織は彼ら――おそらく自分も――の微妙な立場を、そしてその周りにある世界の厳しさを、改めて実感する。

 自分たちのことを「裏側の人間だ」と言ったハルの言葉が、重たく胸に落ちてきた。







「勤務時間」を終え伊織が帰っていくと、楠見は思わず小さく笑いを漏らしていた。

 キョウにしろ、琴子にしろ……あいつらが「後輩指導」に乗り出すなんてな……。

 やり方にはやや難ありだが。それに振り回されて困惑している伊織も少々気の毒ではあるが。けれど、自分たちで解決法を模索して試してみようとすること自体は、見上げた心がけじゃないか。そこに多少の大人の手助けは、あってもいい。


(……今回だけだぞ)


 心の中で呟いて背を起こすと、執務机の上の電話機に手を伸ばし、内線表を見ながらボタンを押す。

 大学の学生生活課はそろそろ終業時刻だが、相手はすぐに電話に出た。


「お疲れさまです。理事の楠見です。こないだ大学のほうで、最近学生の落とし物が増えて困ってるって話を聞いたんですけどね。たまたま理事会で話していたら、中高の事務室でもそんなことを言ってるって話を風の噂に聞いたから――連休直前でちょっと気が緩む時期でもありますしね、ひとつ注意喚起を兼ねて、企画を考えまして――ええ、簡単なものですよ、大してお手間は取らせません――」







「おっ、伊織ーっ」


 理事長室のある学園事務棟を出て、高校の正門のほうに向かって歩いていた伊織は、中庭に差しかかったところで声を掛けられた。振り返ると、中庭に面した部屋の窓の中でキョウが手を上げる。


「あ、あれ? キョウ?」

 小走りに駆け寄ると、同じ窓から学園校医の牧田まきた真樹まさきが顔を出した。

「お疲れさま。いま帰るとこ? ちょっと寄ってコーヒー飲んでくかい?」

「入れたてだぞ。あとなんか、シュークリームある」


 そう言うキョウには先ほどの悄然とした雰囲気はなく、伊織は安心して二人の言葉に甘えることにした。




「キョウがね、楠見に叱られたって泣きながらやってきたから、新しいコーヒーを入れてあげたんだ」

 牧田はカップにコーヒーを注ぐと、そう言いながら伊織の前に差し出す。


 緑楠学園診療所のテーブルスペースは、完全にキョウと牧田のお茶会の空間と化していた。牧田に言わせると、キョウたちはこの部屋の「常連」らしい。とは言っても診療所の牧田医師のところに患者としてやってくるわけではなく、ここは彼らの休憩室のようだ。


「俺、泣いてない! いっっさい泣いてないっ!」

「さっき涙を浮かべてたじゃないか」

「ちっげーよ! あれはマキの最初に出したコーヒーが不味かったからー!」

「仕方ないだろ? もう閉室時間なんだから、入れたてのコーヒーなんかあるわけないじゃないか」

「だからって、五時間前に入れてずっと保温してたコーヒーとか、有り得ねえ!」

「常に飲んでるんだもの。そのたびいちいち入れるのも面倒じゃないか」

「ダメ! 絶対! それコーヒーに対する冒涜! コーヒー豆に謝れ!」

「なんだい、機嫌が悪いねえ。ほら、シュークリームもう一個食べていいから。チョコのもあるよ」


 じゃれ合うようなやり取りを眺めながら、伊織は少しばかり心のわだかまりが晴れるのを感じた。

 マキさんは――それに、厳しいことは言いながらも楠見さんだって――キョウのことが可愛いんだろうなあ、としみじみ思う。普通の高校生とはまったく違う、他人から理解されない問題を抱えて生きていかなければならないキョウのことが、気がかりで仕方ないのだろう。


『ただの高校一年生なら――』

 そんな言葉を口にした楠見。


 キョウたちサイの少年少女がなんの不自由もなく自然体で暮らせるようにしてやれないのを、一番心苦しく思っているのは。彼らの屈託や悩みや頑張りを、一番理解しているのは。近くでずっと彼らを見守っている、楠見であり、牧田なのだ。

 唯一、素のままでいられる場所。特別な能力を持った、けれど普通の高校一年生でいていい場所。そうしてその彼らのくつろげる場所の中に、彼らは伊織を入れてくれた。


(だから……)

 と伊織は思う。


 お客さんのように気を遣われて役にも立たないような仕事をさせてもらうのではなくて、早く彼らのためになる働きがしたいと、切に。

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