6.けれど訓練に近道はないのである

「んー。けどなあ。たしかに琴子に教わんのが一番いいんじゃねえかな」

 伊織の涙ながらの訴えを聞いて、けれどキョウは眉根を寄せて視線を宙に上げる。


超感覚ESPっつったらあいつは優秀だし。俺らはサイコキネシスPKだかんな」

「はあぁ……」


 琴子の恐怖の訓練を終え、楠見のところで仕事なのかなんなのかよく分からない時間を過ごしている伊織。楠見は外出中で、伊織は電話番としてここにいるのであるが、現状、やってきたハルとキョウとお喋りをしているだけである。


「感覚をコントロールする訓練っつーなら、俺らん中じゃ琴子が最適だろ」


 サイの能力は、ごく大雑把に分けると二つ。モノに影響を与える力――動かしたり壊したり――をPKと言い、テレパスや透視などの感覚的な能力をESPと言う。

 先日楠見から教わったことを、伊織は頭の中で復唱する。

 超能力者というと、手を触れずに物を動かしたり空を飛んだり他人の心を読んだり、と、伊織のマンガやテレビで培った知識の中では万能のようなイメージなのだが、どうやらそれほどなんでも器用にこなせる能力者というのがいるものはないらしい。基本的にはPKかESPのどちらかで、持って生まれた能力以外のことはできないようだ。

 PKとして超優秀だというハルやキョウも、他人の心が読めたりするわけではない。


 伊織の持っているらしい「サイコメトリー」とは超感覚系の能力であり、キョウたちPKとはその質は根本的に違う。誰が近いかと言えばそれはテレパスである琴子で、だから彼女が伊織のトレーナーを買って出てくれたのだ。


「基礎的な訓練は、一緒だっていうけどね」

 ハルが優しく微笑んだ。


「でも、俺たちと伊織くんでは、発現の仕方が違うから、俺たちが教えられるかどうかは微妙だなあ」

「はあ……?」


「俺たち生まれた時からサイの家にいるから、物心つく前からじわじわ訓練してるんだよ。ぶっちゃけ基礎の基礎のことなんてよく覚えてないんだよねえ」

「だな」

「テレパスに思考をないように意識を『ロック』する方法なんて、交通ルールを覚えるよりも前から知ってたもんね」

「どうやって出来たか覚えてねえな」


 この二人はサイの世界のエリートなのであった。


「その点いくと、琴子は能力を発現してからコントロールすることを覚えたタイプだから、伊織くんがやるべきことをちゃんと知っていると思うよ」


「はあ……」

 伊織は肩を落とす。優しいハルや、話しやすいキョウに指導してもらうことは難しいようだ。


 琴子の協力はとても有り難いので、こんなことを思ってしまうのも心苦しいのだが、あの訓練は心臓に悪すぎた。


「あ、けどさ」視線を宙に上げたまま、キョウがぽつりと言う。「琴子はさ、あれは、常に他人の考えてることが頭ん中に入ってきて、それシャットアウトして好きな時だけように練習したんだろ?」


「まあ、そうかな」

「そこ行くと伊織の場合は、能力出ることがまれじゃん? 何か見てるんでもねえのに、精神統一とか言われても実感湧かないかもな」

「うぅん……『その時』のために感覚を方法を覚えておくのはいいことだとは思うけど、たしかに『その時』でないと正しく訓練が身に着いているか効果を感じるのは難しいね」

「だろ? なんか、そん時コントロールできるように訓練したほうが早くね?」


(それだ……!)


 心に光が差し込んだ。伊織の日常的な思考を消すのではなくて、サイの能力を使ってものを頭から遮断するのならば、琴子に読まれたところでそれほど不都合はないのではないだろうか。少なくとも、中学時代の成績を全部知られたり、朝すれ違った可愛い女の子のことを思い出していけない想像をしてしまったのを悟られたりすることはない。


「んー。けどどうしたら見れんのかな。なに触ってもその過去が見えるってわけじゃねえんだろ? 何が条件なんだろ」

「サイコメトリーって、楠見も本物を見たことないって言ってたもんね。どういう能力なのかイマイチ想像付きにくいよね」


「伊織、お前さあ」キョウがソファの上で身を乗り出す。「その能力使って例の『事件』以外の普通ん時で、なんか見たもんとかねえの?」


「え? ええっと……」

 きょときょとと視線をさまよわせて考える伊織だったが、思い浮かぶのは「事件」のことばかり。


(……いや、あれ?)


 ふっと思い出した。


「そうだ! あのさ、たぶんあのDVDを見た次の日なんだけどさ」

 後から思い起こせば、あれは伊織の能力が解放されるきっかけとなったDVDを見た、その翌日のことだった。今住んでいるアパートに引っ越した、次の朝だ。

 朝の公園で、交通事故の現場のようなものを目撃した。


 その時の光景を思い出してハルとキョウに語って聞かせる。けれど話しながら、伊織は気持ちが暗くなるのを感じた。


(あの出来事が、もしも本当のことだったら――)


 ハルとキョウも同じことを考えたのかもしれない。眉根を寄せて聞いていたが、やがて、


「うぅん、でも――それじゃ、本当に起きたことなのかどうか分からないね」

「だな」

「疑うわけじゃないけれど、うとうとしていて夢を見たとか、前に見たドラマやなんかのことを思い出して記憶がこんがらがってるとか、そういう可能性もある」

「だな」

「あ、う、うん……俺もできたらそのほうがいいかなって……この件に関しては、その」


 ハルとキョウは、一度顔を見合わせた。


「ま、いちお船津さんに聞いて、調べてもらうか。そういうことがあったかどうか」

「そうだね。その確認は一旦保留だ」

「ほかはねえの?」

「えっ? ええと……」


 目を伏せて、また考える。

 実は、もうひとつある。あの「事件」の終わり頃。ハルとキョウの部屋で見た、子供の頃の彼ら。二人の過去。

 けれど、それは――。


「けっこう厄介な能力だな」キョウが難しい顔をして、ソファの背に持たれた。「本当にあったことなのか、夢なのか、区別が付かねえってのはなあ」


(そ、そうなんです、まさにそれが悩みなんです……)


 迷った末に、伊織は彼らの部屋で見たことを口にするのをやめた。

 あれが夢だったり妄想だったりしたら、かなり恥ずかしい。


(それに……)


 それだけでなく。あの場所で「それ」を見てしまったことも。今ここで、「それ」が本当のことなのか問いただすのも。無遠慮に、彼らの過去に立ち入ってしまうような気がして、ためらわれたのだ。まだ――。

 伊織の能力は、想像していた以上に厄介なものだった。

 けれど、そうであるからには、余計に使いこなせるように訓練することは必要だ。


「んー。いろいろ触って試してみるしかねえかなあ。そのモノの過去が見えっかどうか」

「答えがすぐに分かるものがいいね」

「誰かの持ち物とか?」

「だけど知ってる人のじゃだめだよ? 元々知っていたことやそこから推理したことなのか、能力を使って見たことなのか、判断が付かないからね」

「んー……」


 キョウは視線を宙に上げて考えていたが、少し経って、

「そうだ!」

 唐突にソファから身を起こした。


「いろんなヤツの持ち物に触る方法、思いついた!」

「え!」


 妙案、とばかりに嬉しそうな顔をするキョウに、伊織も思わず身を乗り出す。


「おっ、俺っ、その練習します!」


 深く考える間もなく勢いに乗って、伊織は答える。

 どうにか能力を使いこなせるようになりたい。――できれば琴子のスパルタ・テレパス座禅以外の方法で。


 ハルが不安な表情で固まっているのが視界の端に引っ掛かって気になったが、すぐにキョウが「行くぞ!」と立ち上がる。


「ハル、お前は? 行く?」

「えっ? う、ううん……俺は、これから部活に行くから」

 ハルはサッとキョウから視線を逸らし、

「ごめんね、伊織くん」


 片手を上げたハルの謝罪の理由が、伊織に付き合えないからというだけには見えず、伊織は何か大きな失敗を犯したような気がして心に影が差すのを感じた。




 そして――。伊織は高校校舎の一階で、訝しげに眉を顰めじろじろとこちらを見つめてくる女性事務員と、事務室のカウンター越しに向かい合っている――。


「……何を、失くしたって?」

 女性事務員が、強い疑惑の念を包み隠すこともせずに聞いた。


「あ、あの……その、い、家のカギを……」


 しどろもどろに答える伊織を、「佐々木」という名札を付けた三十代後半に見える女性事務員はたっぷり十秒ほど見つめて。


「……きみたち。十五分前にも来たよね。その時は小銭入れを失くしたって言った」

「あの……はい」


 伊織は身を縮める。


「……その十五分前にも来たよね。ボールペンを失くしたって言った」

「あの…………はい」


 ついでに頭を引っ込める。


「で? 今度は?」

「いえ、の、カカ、カギを……」


 佐々木の疑惑に満ちた視線は、いまや琴子にも負けない険呑さで伊織の体を貫いていた。


(ど、どうしてこんなことに……)


 助けを求めるように、横に立っているキョウに目をやる。

 キョウは一瞬目を見張り、それから「しょうがねえな」という表情を作ってカウンターに腕を載せた。


「こいつ、よくモノ失くすんだ」伊織を指さして、佐々木に向かって言う。「おかげで入学してから足りないモンばっかで大変なんだ。間が抜けてんだ。トロいんだ」


(……キョウ……)


 佐々木の疑惑の眼差しは、キョウに移った。

「……どんなカギなの?」

「どんなっつっても、普通のカギだからなあ」


 ますます不審そうに目を細める佐々木に、キョウは途方に暮れた顔で訴える。


「大事なカギなんだ。失くして凄く困ってんだ。頼むからさ」


 キョウがそんな切なげな顔をすると、世の万人すべからく彼に助けの手を差し伸べなければならず彼を無下にする輩は人非人の謗りを免れない、といった風な空気になり、伊織は率直に「ずるいな」と思った。


 佐々木ももちろん鬼でも悪魔でもなく、仕方なさそうにではあるが小さくため息をつくと一度事務室の奥に引っ込む。そしてジャラジャラと音のする布袋を持ってやってくると、袋の口を開いて伊織の目の前に差し出した。


 数はそれほど多くなかった。佐々木の鋭い視線に冷や汗をかきながら、一本一本横に選り分けるような仕草でカギに触れていく。何度か経験した限りでは、手に触れた直後に「過去」を見た。見られるものならば、少し触れただけでもその物の過去が頭に入ってくるだろうと思った。

 けれど――何も起きないまま、九本目で佐々木の視線に負ける。


「……ない、みたいです」


 キョウが落胆のため息をつくが、伊織としてはそれ以上粘る勇気はない。


「そう。残念ね」

「はあ……ありがとうございました」

「それで、それから? 後は何を? そろそろ窓口を閉める時間だから、まだあるんなら一度に言ってくれるかな」


 親切な内容に反し、その口調と表情には微塵の温かみもなかった。だが、キョウは嬉しそうな顔になる。


「マジで? いいの? 待って。いま考え……思い出すから。伊織」

 そう言うとキョウは伊織の肩を掴んで後ろを向かせ、内緒話の体勢に入る。


「なんにする? もう二、三種類行けそうじゃね?」

「ねえ……もうやめようよ」

「なに言ってんだよ、チャンスだろ? あとなんだろな。教科書とかたくさん届いてっかな」

「そんなでもないと思うよ。失くしたらすぐに気付くし」

「んー。本とか辞書とかはなあ。タイトルや出版社聞かれるだろうし」

「ねえ…………もうやめようよ」


「あーきみたち。そろそろ良いかな」

 佐々木が後ろから声を掛ける。

 振り返りざま、キョウの視線が伊織のポケットをかすめた。


「あっと……携帯のストラップ! 届いてない? 落としたんだよ、な、伊織」

「ええっ? えっと、はい」

「……どんなのかな。一応見てみるけど。何が付いているの?」

「説明が難しいんだ」

「何が付いているかぐらい言えるでしょう」


「なんとも言えねえんだ。なんか、こう……色は、……まだら? んで形は、あるようなないような……動物っぽくも見えるし、食べもんかなって感じもするし……俺にはちくわに見えたけど、こいつはキリンだって言うし、ほかのヤツから見ると招き猫にも見えるらしい」


 女性事務員の目はもはや疑惑を通り越して、ちくわとキリンと招き猫を同時に表現した珍妙な現代アートの鑑定でも依頼されたかのような困惑と迷惑を浮かべていたが、キョウは構わず瞳を輝かせて手を出した。


「とりあえず、落しもんで届いてる携帯のストラップ、全部見せて」

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