4.再び、赤色灯の路地

 赤色灯が道の両側の家やアパートを照らす。数人の警官が忙しなく行き来する。狭い路地は、物騒で物々しい雰囲気になっていた。

 路地とその向こうには数台のパトカーと救急車、なぜだか消防車まで駆けつけ、遠巻きに人だかりができている。


 その中で伊織は、ここ二、三十分の間でたぶん四十回目ぐらいにはなるであろう重いため息をついていた。

 ハイツ小池の入口の、コンクリートの段差に腰掛けて。

 自己嫌悪に、泣きだしたい気分である。


「ほんと……ごめん」

 これもこの二、三十分でたぶん十五回は口にした言葉を、また隣に座っているキョウに向けて言っていた。


 キョウは少しばかり眠そうな、それでもなんとも言えず端正な瞳でちらりと伊織を見やって、

「もういいって」

 そう言ってすぐに目を逸らした。


 超能力者サイの能力を奪うという、神剣・対真刀たいまとう。家宝としてそれを守る神月こうづき家にも数百年に一人しか生まれないという、キョウはその神剣の使い手なのであるが、人の身でそれを振るうのには大きなエネルギーを要するらしい。仕事の後はひたすら眠い様子。すぐにでも家に帰って眠りたいところだろう。


 それをお預けにする結果となった自分の無謀な行動を、咎められるかと思ったのだが。伊織のあまりにもしょげ返った面持ちに説教をする気も失せたのか、それとも眠くてそんな気力も湧かないのか、キョウは「もういいよ」と言うばかり。


 泣きだしそうになりながら視線をやった先で。制服の警察官に手振り身振りで何かを説明していたハルが、こちらを気にするように目を向ける。ハルは、伊織の横で眠たげに顔を伏せているキョウを心配そうな目で見ていたが、警官に何か話しかけられて視線を戻した。


「ごめんなさい」

 ハルにも向けて、小声で呟く。


 つい先日発覚した、伊織の「サイ」の能力。物や場所の過去を見てしまうという――それは楠見に言わせると、「サイコメトリー」と呼ぶらしい。

 まだ偶然のように発現するばかりでコントロールの効かない能力を、よりによってこんな場面で発揮してしまうなんて。おかげですぐに動き出せず、三人揃って逃げそびれた。

 それ以前に、余計なことをしてハルとキョウの仕事の段取りを狂わせた。

 いや、それよりも前に――。


 ここに来た時点で伊織は邪魔者だった。

 楠見に頼まれたのは、子供の遣いのような単純な仕事だったのに。


 そもそも楠見が伊織をアルバイトに雇ってくれたのは、一人で生活すると決めたのにも関わらずなかなか仕事を見つけることができない不器用な伊織へのお情けだ。伊織が自分の能力をコントロールできる一人前のサイならば、もう少しまともな仕事もできるのだろうが、アルバイトに雇われてはみたものの伊織のこなせる仕事と言えばこれぐらいの雑用しかなかったのだ。楠見は仕方なく、伊織に恐ろしく簡単な仕事を与えてくれたのだ。


(そんな簡単な仕事でさえ、他人の足を引っ張れる俺って――)


 伊織がここにいなければ、ハルとキョウの仕事はものの二、三分で終わり、そろそろ二人も家に着いていたころかもしれない。

 伊織はどこに出しても恥ずかしくない、正真正銘の立派な足手まといだった。


 さらに。伊織の憂鬱の原因は、それだけではなかった。

 四十一回目ぐらいのため息をついた伊織の耳に、ヒステリックな女性の叫び声が飛び込んでくる。


「あの高校生たちが――そこらの物を投げ合って壊して――そこの人に刀で斬りかかって――だから、見たんです、はっきり!」

 ハルとは別の警官に向かって言いつのる若い女性。


(酷いよ……)


 今度こそ、伊織は本当に涙がこみ上げてくるのを感じた。

 ハルとキョウは、あの女性を助けたのに。二人がいなかったら、彼女はあのテレキネシスの男に部屋に押し入られ、襲われていたはずなのに。


 外の物音を聞きつけて、彼女か近隣住民の誰かがすでに警察に通報していたのだろう。すぐに駆けつけた警官に、女は勢いよく飛びついてドアの内側の安全な場所から目にしていた一部始終をまくし立てるように語った。

 そうは言われても、キョウは彼女が見たはずの刀など持っていないし、アパートの前に倒れている男には傷ひとつない。

 困惑に首を傾げる警官を前に、女は必死の主張を続けている。そのせいでとりあえず、伊織とハルとキョウは解放されず、衆目を集め続けているのだった。


「酷いよ。酷い――」


 堪らずに口に出した伊織に、キョウが長いまつ毛を重そうに持ち上げる。


「キョウはあの人を助けたのに……なのに、……ひ、人殺し、呼ばわりなんて……」


 膝に頬杖をついて、キョウはさして関心もなさそうに小さく息をついた。

「普通の反応だろ?」


「だけど――」

「だから。あれが普通なんだって。お前みたいに、『助けてくれてありがとう』とか言うヤツのほうが珍しいの」


 諦め気味に言って、目を閉じるキョウ。

「別に、慣れてるし。俺らはなんとも思わねえよ。気にすんな」


 なんとも思っていないなど、あるだろうか。


 ハルとキョウは、いずれ解放される。楠見や、彼らと警視庁との間を取り持つ船津刑事によって、彼らの行いは不問となる――あるいは有耶無耶になるのだろう。だからここでこうして拘束されたって、ちょっと時間を取られるくらいで大した問題にはならない。

 それでも彼らが現場をすぐに立ち去ろうとするのは、あの種類の反応を見るのが気鬱だからなのかもしれないと、伊織にはそう思われた。

 脅えきった女性の瞳。好奇と恐れの視線を向ける、野次馬たち。


 他人のために身を危険に晒しているというのに、彼らの仕事はその他人の理解も感謝も得られない。伊織の胸には憤懣が募るばかり。


「それよりさ」そんな伊織の気持ちを変えるように、キョウはふっと目を開いた。「焼きそばパン、あったよな」

 背後の、さっき持ってきた買い物袋が置き去りにされている部屋をちらりと目で示し。

「チョコチップメロンパンも入ってたな。あれ、どうにか取って来れねえかなあ。おにぎり一個しか食えなかったもんな。腹減ったな」


 けれど余計な行動で変な疑いを増やすわけにもいかず、また目を閉じて顔を伏せ、

「伊織。お前さ。ピザトーストとシナモントーストどっち食いたい?」


 場違いな質問を投げかけるキョウに、自分を気遣ってくれているのだろうと理解はしつつも伊織はさらなる不満を募らせる。気を遣ってほしくなんかなくて。文句のひとつも言ってほしくて。


「早く、楠見か船津さん、来ねえかなあ」

 言いながらキョウが腕に顔を埋めた時だった。


 野次馬をかき分けてやってくる、長身の人影。


「あ、楠見さん……」

 呟いた伊織の声に、キョウが顔を上げる。


 警官に向き合っていたハルも、首をめぐらす。


 ようやくやってきた助けの手――警官と対等に話のできる大人――に、ハルとキョウが離れた場所で同時に息をついた。




「悪かったよ。コトが起こるにしても七時過ぎだろうって聞いてたからさ。差し入れを届けてもらって腹ごしらえするヒマくらいあるかなって思ったんだ」


 ハンドルを切りながら、楠見はルームミラー越しに後部座席のハルとキョウに視線を向け、それから助手席の伊織に軽く顔を向けた。


「伊織くんも、ごめんな。間の悪い仕事、頼んじまって」

「あ、い、いえ……」


 伊織は慌てて首を振るが、後ろでハルはフンと鼻を鳴らした。


「まったくだよ。伊織くん、伊織くんが悪いんじゃないからね。楠見が全部悪いんだからね」

 憤然と言って、ハルはその肩に寄りかかっているキョウに目をやると、

「キョウ? ほら、もうすぐうちに着くよ。帰ったらすぐに寝ていいから。もう少し頑張れ!」

「んー……」


 楠見はやはりミラー越しにその様子を見て、顔を歪めた。


「伊織くん、この二人の家に先に寄るよ? キョウが眠っちまいそうだから。その後で、きみの家まで送るんでいいかな」

「あ、はい……」


 聞かれた伊織に否やはない。

 一刻も早くキョウをベッドに入れてやりたい気持ちは、楠見とハルと同じだろう。


 チャコールグレイのタイルが瀟洒な印象を醸し出す、六階建てのマンションの前で、ハルとキョウを下ろす。ハルがキョウの背中を押してエントランスに入っていくのを確認して、楠見は車を走りださせた。


「伊織くん、能力発現させちまったって? 嫌なものかな。大丈夫か?」

「あ、はい……」


 言われて思い出す。男のナイフに触れた時に光景。あれは衝撃的だったが、それよりもその後のごたごたのほうが伊織にはショックが大きかったのである。


「あの……」

「ん?」


 楠見が横目で伊織を窺う。


「さっきの、あの、女の人」

「うん?」

「キョウやハルのこと……人殺しって。そう言ったんです」


 思い出したら、また涙が込み上げてきた。悔しかった。


「酷いです。あんまりです。二人はあの人のこと、助けたのに」


 堪え切れずにぐずりと鼻を鳴らした伊織に、楠見は苦笑するような視線を向ける。


「まあ――ね。そう見えるだろうねえ。常識的な普通の人間には」

 ふっと息をついた楠見も、どこかやり切れないような面持ちに見えた。


「けどね。きみがそう言ってくれるだけで、俺は嬉しいよ。あの二人も、たぶんね」


 ショックは完全には癒えないまでも、その楠見の柔らかい表情に、伊織の気持ちは現金にも幾分和らぐ。


「きみみたいな人間が必要だよ。本当に。良い仕事してくれて、ありがとな」

 にっこりと笑って言う間に、ハルとキョウのマンションからいくらも離れてはいない伊織のアパートの前に、車は辿りついた。


「ああ、これ、持っていきな」

 伊織が最初に運んだ時よりはだいぶ小さくなった買い物袋を、楠見は手渡す。

「冴えないけど、夕めしの足しにしてくれ」


「あ、あの……ありがとう、ございます」

 車から降りて、伊織は頭を下げる。


「こちらこそ。じゃあね。早く寝なよ」


 微笑んで、車を出し去っていく楠見を見送りながら。

 褒められた充足感と、褒められるような立場ではないのにそんな充足感を感じているいたたまれなさに、伊織は涙を浮かべていた。

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