2.「サイ」のいる路地

「はい、そこで止まって。動かないで。今、『サイ』の能力でカギを開けましたね?」


 ハルは男のすぐ後ろから声を掛ける。キョウは退路をふさぐような位置取りで、路地の真ん中に何気ない面持ちで立っている。


「……な、なんだ、きみら」

 男はドアノブに手を掛けたまま、肩越しに低く言う。


「そこ、あなたのおうちじゃありませんよね? 勝手にドアのカギ開けて入ったら駄目ですよね?」

「なっ……何を言ってる」


 少々慌てたように眉を寄せて、ドアノブから手を離し振り返った男。二十代だろうか。カジュアルなスーツにアイロンのきいた白いシャツ。手にはアタッシュケースを提げ、営業にやってきたというような風情。「連続暴行犯」などという肩書からはほど遠い、どちらかといえば真面目で清潔そうに見える男だった。


 だが。


「ですから、訪問販売の営業員を装って街を物色し、若い女性のいる家に目を付けて帰ってきたところでカギを勝手に外して押し込む。このお宅で四件目ですよね。もう警察も全て把握してます。観念しましょうか」


 そうハルが言った瞬間、男の周りの空気がピリリと尖ったのを伊織は感じた。

「なに……、どこにそんな証拠がある。俺はただ、この家に営業に来ただけで……」


『伊織くん。『サイ』の犯罪者ってのはね、けっこう堂々と犯行をおこなう』

 ちょうど昨日、「雇用主」である楠見からレクチャーを受けた。

『道具や手を使っての犯行と違って、証拠も残らないし誰がやったのか分からないという自信があるからね。バレるわけないし、万一疑われてもしらを切り通せると思ってるんだよ』


「なんなんだ、いったい、きみたちは……」

 男を取り巻く空気は、さらに尖って禍々しく揺れる。それは「空気を感じる」などというものではなく、伊織にははっきりと見えていた。邪悪な色だった。


『特に組織やなんかに所属しないで個人で犯罪を行っている『サイ』はね。『サイ犯罪』を専門に追っている者がいるなんて、想像もしないんだろうなあ』


「あ、申し遅れましたが、俺は緑楠りょくなん高校一年の神月こうづきはるか。こっちは」後ろに立つキョウを手で示して、「同じく、成宮なるみやきょう。俺たち『サイ』の犯罪者を捕まえる仕事をしています。警察に頼まれて、あなたを捕まえに来ました。ちょっと話を聞かせてもらいます。それから」


 ハルは一歩片足を引き、後ろのキョウへと軽く視線をやる。


 キョウは、見えない鞘から刀を抜き払うように。

 右手に細身の日本刀を出現させた。


 男の目が驚愕の色を浮かべるのが、伊織の場所からでもよく分かった。


 ハルはキョウの手の刀と、男の目を一度確認するような間を置いて。

「神剣『対真刀たいまとう』って言います。あれで、あなたの能力をもらいます」


『けどね、バレたってなったら開き直る。逃げるためにすぐに能力を振るおうとするヤツも多い。現行犯でなければ、まずほとんど捕まることはないって分かってるからね。だから、その場に行き合わせたら、気をつけろ――』


 瞬間。アパートの塀に寄りかかるように置かれていた、住人のものらしい自転車が、ゆらりと宙に浮き上がった。


(あ、あわわわわ……)

 浮かび上がった自転車を、伊織は窓枠に両手を掛けて隠れるようにして見ていた。


 超能力というものを、ここ数週間でだいぶ見てきたが、何度見たって見慣れるものでもない。つい今月の初めまでは、そんなものはフィクションの世界のものだと思っていたのだから当然である。初めて見る人間の能力には、やはり驚く。腰を抜かさなくなっただけ成長したというものだ。


 自転車は男の背よりも高いところで一瞬止まり、それからハルの数メートル後ろに立っているキョウを目指して猛スピードでくうを滑る。が、身じろぎもせず立っているキョウの身に達する直前、それは目に見えない壁にぶつかったかのような大きな音を立て引き裂かれたようにいくつもの鉄くずになって空中に散った。


 ハンドル部分が伊織のいる窓を目指して飛んでくる。


(ひゃぁっ!)


 思わず窓の下に頭を伏せた伊織だったが、ハンドルは窓の横の壁に鈍い音を立ててぶつかり落ちた。


「キョウ、他人ひと様のものを壊したら駄目だ」

「無理だっ」


 そんな声が聞こえたそばから、また陶器でも割れるような鈍い音が聞こえた。

 駄目だと言いながら、ハルが頭上から降ってきた二階の部屋の植木鉢を壊したのだ。


(そ、そういえば、この二人の『サイ』の能力は『破壊専門』だって言ってた……)


 知り合ってまだ数週間の伊織には、家族関係はよく分からないのだが、実は同い年の兄弟なのだというハルとキョウ。「サイ」の名家、神月こうづき家という家に生まれた、強力なPKサイコキネシスを操るとても優秀な能力者らしい。

 が、次々飛んでくる凶器を壊さずに避けるという種類の能力は、二人にはないようだ。


 また窓から目を覗かせて、恐る恐る二人の様子を見守る伊織。そうしている間に、プランターとバケツと三輪車と物干し竿がゴミになった。


 そこらのものを手当たり次第に動かし――と言っても手を触れているわけではないのだが――攻撃を繰り出しながら、男は驚きと苛立ちを顔に表す。

 一方、最後に自分の身を目がけて飛んできた樹脂製のジョウロをポンっという軽い音を立てて弾き飛ばしたハルが、「面白い」と言った表情で目を丸くする。


「器用な能力だなあ。テレキネシスですね。それに結構強力だし。この能力、もっと役に立つことに使えばよかったのに。ねえ、罪を認めて二度と悪いことしないって誓うなら、何か仕事を紹介してもいいですけど、どうです?」


「ふざけたこと……」

 苦々しげに吐き出す男に、ハルは「ふむ」と頷いて。


「反省の色なし。情状酌量の余地なし。能力も確認したし、人も来ちゃいそうだし、じゃあもうか。キョウ、タイマだ」

「ん」


 横から飛んできたフクロウか何かの形の陶製の置物を、体から三十センチくらいのところで粉々に割って、キョウは対真刀を手に地面を蹴ると男へと跳びかかる。

 刀は青白い気を纏って、かすかに冷たく美しい光を発する。

 そのまま斬りつけるかに見えたが、男は寸でのところで身をかわし、キョウが思い切り振るった刀はアパートのコンクリートの門柱にぶつかった。


 小さく舌打ちするキョウ。再び刀を構えるが、男は飛びずさりながらポケットからナイフを取り出しキョウの前にそれを突きだす。キョウの持つ日本刀と男のナイフでは、間合いが違いすぎる。勝負になるはずもなかったが、しかし――。

 ナイフは男の手を離れ、何かに引っ張られるかのように真っ直ぐに飛ぶ。その短い刃物はキョウの顔を目がけて。キョウに触れる寸前、ナイフは見えない力に弾き飛ばされるように角度を変えた。


 だが、地面に落ちる直前にそれはまたふわりと浮きあがり、凶刃が再びキョウに向かう。鬱陶しそうにキョウが刀でナイフを弾く。


 くるくると回りながら、ナイフは伊織のいる窓のすぐ下に落ちた。

 壊れずに飛んできたナイフに目をやって、伊織はハッとなる。


(あのナイフを奪わなくちゃ!)


 考えている余裕などなかった。もう一度そのナイフが男の手に戻る前に。キョウを目がけて動き出す前に。それを奪わなければならない。

 夢中で窓から飛び出し、浮きあがろうとしていたナイフを渾身の力で踏みつける。


「伊織くんっ?」

「伊織! この馬鹿!」


 ハルとキョウが同時に叫んだのに顔を上げた瞬間、男の凶悪そうな視線と目が合った。


「……あ」


 しまった。また後先考えずに行動してしまった。


(そうだ!)

 伊織はずっと手にしていた、ハルから預かった拳銃のことを思い出す。

 震える手で恐る恐るそれを、男に向けた。


 だが――。

 男は不快そうに眉を顰めるのみで、恐れる様子もない。


(……あ、あれ? もしかして俺、説得力ない?)


 伊織は内心で首を傾げる。顔立ちといい体格といい、いかにも害のなさそうな、普通の制服姿の高校生男子。拳銃を構えたところで、もしやあまり危険な気配を醸せていないだろうか――?

 怯むこともなく平静な面持ちの男の視線。背中を冷や汗が伝った。


 と、男の横で、隣家の塀の内側にあったテラステーブルが持ち上がる。


 その重そうなテーブルが次の瞬間伊織を目がけ飛んでくる光景が自然と頭に浮かび、伊織は思わず拳銃を宙に向けた。刑事ドラマなんかで見かける、あれだ。威嚇射撃とかいうやつだ。

 震えながら、引き金に手を掛ける。その冷たい感触は、伊織の頭の芯まで凍てつかせる。意を決し堅く目を閉じると、重い手ごたえを感じながら指を引く。


 シュポっという軽い音がして、拳銃が火を吹く。


(……へ? シュポ?)


 引き金に手を掛けたまま呆然と拳銃を見ると、それは文字通り、ささやかに火を吹いていた。


(……ラ、ライターだったんですか……!)


「だから撃っちゃ駄目だよって言ったのに……」

 ハルがため息交じりの呆れた声で呟くのが聞こえた。

「俺たち健全な普通の高校生が、本物の拳銃なんか持ってるわけないでしょ?」


 男がフンと鼻を鳴らした直後。重そうなテーブルが、愕然と立ちすくむ伊織の身を目指して猛スピードで飛んできた。

 ハルが片手を上げる。テーブルは伊織と男の中間くらいまで飛んできて、そこで何かに弾かれたようにバラバラに砕ける。


 テーブルの脚の部分が男のほうに向かって飛んだ。男がそれに目を奪われた一瞬。キョウはタイマ刀を握りなおし再び男に斬りかかる。


 両手で握った刀で袈裟掛けに男を斬り下ろし、残心を取るキョウ。

 ――テーブルの脚が男の頭上を越えて後ろに落ちるのと、男が地面に膝を突くのが、同時だった。


(お、……終わったの?)


「……ふうー」

 ハルがため息をついて、けれどもう一息入れる間もなくすぐに伊織へと体を向ける。

「行こう、伊織くん。人が来ると面倒だ」


「あ……! はい!」

 声を掛けられてびくっと背を正し、ずっと足で踏んづけていたナイフを拾い上げようと手を触れた瞬間。


「あ、れ……?」


 唐突に伊織の脳裏になだれ込んで来たのは、見るのもおぞましい光景。

 怯えきった女性の顔。ナイフの刀身に、醜悪に歪んだ男の笑い顔が映る。悲鳴。絶叫。別の女の恐怖に引きつった顔。ナイフが振り上げられる。それは女の顔を目がけて振り下ろされようと――


「う、うわ――!」


「伊織くん!」

 ハルの声が意識に割り込んできたと思うや、伊織はその手からナイフを奪われていた。


「大丈夫? 何か? 歩ける?」


「ハルっ」

 いつの間にかすぐ間近に立っていたキョウが、慌てた声を上げる。その手には、先ほどの刀はもうない。

 キョウの視線を追って、男が忍び込もうとしていた突き当りのアパートへと目をやると。扉の隙間から驚愕に目を見開いた女性の姿が覗いていた。

 女はこちらに向けていた目を、アパートの前に倒れている男に移し。

 次の瞬間。


「きゃあぁぁぁ!」

 叫び声を上げる。

「誰か――ひ、ひと……人殺し――! た、助けて!」


 先ほどから表で派手な破壊音が聞こえるのを、家の中にいた近隣の住民も不審に思っていたことだろう。外に出て様子を見ようとしていた者も、一人二人ではなかったかもしれない。――女性の悲鳴を聞きつけて、すぐさま数人の人間が、狭い路地に集まってきた。


 動くことを忘れている伊織へと手を差し伸べていたハルは、長いため息をつきながら背を起こし、

「失敗だ……逃げそびれた……」


 観念したように口を歪めて肩を竦めると、困った顔で周囲を見回していたキョウと目を合わた。

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