プラスチック・シンジケート ~緑楠学園サイキック事件録
潮見若真
第1話 彼らを取りまく少々憂鬱な問題について
1.モッコウバラの路地
角を曲がると、塀伝いに薄黄色のモッコウバラが無数の花を咲かせていて、日暮れ間近の小さな路地はそこだけ昼間に戻ったように明るく見えた。
その見事な彩りと香りに浸りつつ、
小道の突き当たりに、二階建の小奇麗なアパート。目指すのはその手前の道に面した、こちらもやはり二階建のアパート。伊織が数週間前から住んでいる安アパートに似た、古めかしい佇まいだった。
アパートの階段脇につけられている「ハイツ小池」のプレートを確認して、伊織はスマートフォンの地図を閉じる。そうして少し立ち止まり、スタート画面を見つめて考える。先に一報、電話を入れてから訪ねるべきだろうか?
先日起きた「事件」の参考品として警察に押収されてしまった伊織の携帯電話の代わりに、ほんの数日前に「雇用主」となった人物から支給されたばかりの、新品のスマートフォンである。自分の携帯だってあと数日したら返却してもらえるのだからと恐縮しきりの伊織だったが、「こちらのほうが仕事に便利だし、使用料金は経費で負担するから」と言って与えられた。持ってみるとたしかに便利であることは実感するが、まだ使い慣れない。
だから、とぼとぼと歩きながら目的の電話番号を画面に呼び出す間に、一〇三号室のドアの前に辿りついてしまった。
スマートフォンの画面とインターフォンのボタンを見比べたところで。
伊織の到着を待っていたかのように、玄関のドアが開いた。けれどそれは、ドアチェーンに引っ張られて十五センチほどの隙間を開けただけで止まる。
「――合言葉は?」
中からそんな言葉が聞こえた。その声は、伊織が訪ねてきた相手のものに他ならないのだが、どういうわけだか冷ややかで他人行儀な声色。ドアの内側にいる声の主の顔は見えない。
「はっ? え! あ、合言葉……?」
あたふたと考える。そんなものがあるとは聞いていない。
伊織はただ、この場所に荷物を届けるように、「雇用主」から仰せつかっただけで。
(合言葉……合言葉……?)
どぎまぎと視線をさまよわせていた伊織は、部屋の内側にいる人物がドアの隙間から差しだしてきたものに、心臓を凍りつかせた。
「合言葉を知らない。……さては。……敵、だな?」
アパートの弱々しい室外蛍光灯の明かりに、それは黒く光る。
拳銃だった。
「ひっ……ひえぇぇぇ!」
思わず後ずさりしてそのまま踵をつまずかせ、伊織は廊下に尻餅をついていた。
(こ、殺される……!)
と。ドアの内側の人間は、
「あ、あれっ」
慌てたように呟いて一度扉を閉じた。中でドアチェーンを外す音がして、再び戸が開く。
「伊織くん、ごめん! ちょっと脅かしすぎちゃった?」
気まずげな笑いを浮かべて顔を出したのは、伊織と同じ制服を着た少年。紛れもなく、伊織のクラスメイトにしてクラス委員長の、
ドアを開け放って「ごめんごめん」と苦笑する。
「……ハ、ハ、ハル……」
ハルこと神月悠の怜悧な瞳を見上げながら、伊織は乾ききった口で辛うじてその名を呼んだ。
「ごめんね。伊織くんが来るの、窓から見えたから分かってたんだけどさ」
ハルは申し訳なさそうに控えめな笑顔を作って、まだ地面に尻をついている伊織に手を差しだした。
「ハルー……か、勘弁してよ……」
不満と安堵が混ざり引きつった口調で言いながら、差しだされた手を握ると、ハルは伊織を引き起こして室内に入れる。
「ああ、靴は履いたままでいいよ。許可はもらってるから。だけど――」ハルが伊織の背中を押して室内に入れ、「この状況で伊織くんがあんまり無防備にやってくるもんだから、ちょっと脅したくなっちゃったんだ。ほんと、ごめんね?」
この状況って……? 伊織はあくまでも、ただ、雇用主からこの荷物を持ってこの場所に行けと言われただけなのだが。
背を押されて部屋に入ると、ミニキッチンの向こうの六畳間、家具も何も置かれていない部屋の窓際で、畳に
「何やってんの? お前」
端正な瞳を不機嫌そうに細める。
「お前、状況分かってる? 俺ら今、『サイ』の連続暴行犯を追ってんの。そいつがもうすぐここに来んの。乱闘とかなっかもしんねえの。要するに、危ねえの」
「そう言うわけなんだよ。そんな場所に来ちゃ、駄目だよ? 危ないからね?」
優しく言って肩を竦めるハル。状況を理解して、伊織は少しばかり申し訳ない気持ちになった。
「そ、そうなんだ……ごめん。その……ハルとキョウがここで仕事してるから、差し入れを持っていってくれって、
おずおずと、手に持ってきた買い物袋を差しだす。おにぎりやサンドイッチやチルドパックの飲み物や、それから菓子やパンがいっぱいに詰まった袋だった。
ハルは目を丸くしながら、それを受け取ってキョウの傍に座ると、袋をひっくり返した。
「わあ……すごい量。そうか。それじゃ、そんな仕事を指示する楠見が悪いね」
「あ、いやあの、本当は楠見さんが自分で来ようと思ったんだって。だけど急用が出来ちゃったからって……」
いちおう雇用主の弁護を試みる伊織だったが、この二人は子供の頃からその人物の元で仕事をしていて、伊織なんかよりもずっと前からその人物のことをよく知っているのである。
「楠見だろうと誰だろうと、これから『サイ』と対決しようって時に『サイ』から自分の身を守れないヤツに来られたら迷惑なのっ」
キョウは窓辺に頬杖をついたまま、やはり不機嫌な顔をする。
「あの人の『サイ』に対する警戒心の薄さって、たまに和むよねえ」と、ハルは差し入れの食糧を床に並べながら。
「たいていイラっと来るけどな」そう言って窓の外に目をやるキョウ。「あいつのほうこそ、ちょっと脅かしたほうがいいよな」
「こないだキョウが撃たれた時は、血相を変えてやってきたけどね」
「けどあれは『サイ』じゃなかったっていうな」
「まあ――」ハルはキョウに苦笑を向けて、取りなすように伊織に目を向ける。「来ちゃったものはね。差し入れありがとう。だけどそんなわけで、俺たちこれからちょっと物騒なことになるかもしれないから、ここは危ないから、申し訳ないんだけどすぐに帰ってくれる? あ、おにぎり何個か持ってっていいよ。それから――」
ハルは適当に手に取ったおにぎりをキョウに渡し、もう片方の手でずっと持っている拳銃を伊織の目の前に掲げる。
「これ、一応護身用に持ってなよ。あってもアレだけど、ないよりは心強いかもしれないからさ」
そう言って気軽な調子でほいっと渡された拳銃を、伊織は緊張を身に
高校入学から一か月足らず。いろんな「事件」に巻き込まれ、だいぶ現実離れした生活を送っているものの、こないだまで拳銃なんてものはテレビの中にしか存在しないと思っていた程度には、伊織は普通の高校一年生である。
ずっしりと両手にかかる重力。それに鉄の冷たい感触に、心臓を激しく鳴らしつつ、伊織の視線はその黒光りする凶器に釘づけられていた。
(ど、どうしよう……)
渡されはしたものの、使い方など分からない。だいいち怖い。撃てる気がしない。
「ああ、撃っちゃ駄目だよ? 引き金は引かないようにね」
ハルは伊織の困惑に同情したようにふわりと微笑んで言うと、セロハンを解いてカツサンドを口に入れた。
その向こうで、すでにおにぎりを頬張っていたキョウが、窓の外を睨み視線を鋭くする。
「ん。ひははあ」
「来たかな? って」柔らかい口調のまま、ハルが訳す。「うん、来るね。しまった。伊織くん、出そびれた」
キョウと同じように窓の外に目をやり、ハルはそれまで伊織に向けていた微笑みをしまって視線を険しくした。
「仕方ないな。いい? 伊織くんは、俺たちがいいって言うまでこの部屋から出ないでね。一応その拳銃、預けておくけど。脅しにしか使えないからね。撃っちゃ駄目だよ? 本当に自分の身に危険を感じた時に、一瞬威嚇に使うだけだからね」
言って、二人は同時に立ちあがる。
次の瞬間、だいぶ薄暗くなった窓の外を人影が通り過ぎた。それはどうにも危険な気配などしない、小柄な女性に見えた。だが――。その人影から数十メートルの距離を置いて。
もうひとつの影が、女性の影を追っていく。
ハルとキョウが視線を向けているのは、その、後ろの人物だった。
「もう少し遅い時間だと思ったんだけど……まあ、しょうがない。行こうか」
「ん」
即座に開け放った窓から、同時に路地へと飛び出す二人。
瞬時、呆然と見送って。それから伊織は二人の出ていった窓に慌てて取りつき、外で起きている出来事を理解しようと目やら頭やらを必死に動かす。
女性がアパートの一階のドアを開け、室内に姿を消した。それを見届けるや、後ろから来た男は同じドアへと歩いていき、ドアノブを握る。カチリとかすかな音が鳴るのが聞こえた直後。
「はい、そこでちょっと止まってくださーい」
忽然と男の背後に降り立った、ハルとキョウ。
ハルの言葉に、男はドアノブに手を掛けたままゆっくりと振り返った。
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