5話 『緊急任務』
紗乃と悠馬のすれ違い(といっても紗乃は特になんとも思っていない)の翌朝からも2人の関係は特に変わることがなかった。
相変わらず紗乃は悠馬以外の人間とは関わらず、2人の距離も付かず離れずといった感じだった。
「おはようさん」
「おはよう、柊崎くん」
「いただきます」
「召し上がれ」
悠馬がこの生活を始めて早くも4日が過ぎた、そんな短い期間であっても人間とは少なからずルーティーンというものを獲得する。朝のこのやり取りも悠馬にとって、もはや日課となっていた。
「今日は珍しくパンなのか」
「なにか文句があるなら食べてくれなくて結構よ」
「文句は言ってないだろ・・・」
紗乃も相変わらずこんな調子だ。
「さて、今日は金曜日。終われば安息の土日が控えてるわけだが」
「それがなにか?今日も放課後は
「ぐっ・・・」
悠馬の中にあったいくら紗乃と言えど金曜日くらい休みにしてくれるだろうという浅はかな期待は見抜かれていたようだ。ここ4日間、他の連中が放課後遊びに行くのを横目に毎日
「いや、ほら、な?」
「何かしら、回りくどい男は嫌われるわよ」
「うぐっ・・・」
紗乃の言葉に遮られ悠馬はなかなか本題に入ることが出来ない。そんな悠馬の態度に愛想を尽かしたのか、紗乃は時刻を確認するといつも通り鞄と2振りの刀を手に玄関へと向かってしまう。
「そういえば、今日も14時には帰宅しているように」
そういえばという部分に少し期待した悠馬の胸中なぞ知る由もなく、紗乃は先に学校へ向かってしまった。
「もうちょい、愛想良く出来ねぇのかあの女は・・・無理か、無理だな」
これも日課となった皿洗いをしながら悠馬はそう結論づけた。
洗い終えた皿を拭きながら、視界の端に表示される時刻を確認すると可愛らしい傘マークがぴょこっとポップした。
「曇りのち雨・・・傘買っとくか」
いつもより数分早く家を出た悠馬はマンションの1階に併設されたコンビニで傘を買う。このMP制度を利用して物を買うのも、もう手慣れたものだ。
教室へ入り、数人の男友達と挨拶を交わす。八木たちのおかげもあり、悠馬も今ではクラスの大半の男子と昼食を共にする程度の仲にはなれていた。
「暗い顔してると運気が逃げてくぞ」
「運気、そんな非科学的なものを信じていたなんて意外ね」
隣に座り、何やら難解な本を読んでいる紗乃へ向けて話の足掛かりとして軽口を放つ悠馬だが、
紗乃のように本を持ち歩いているわけでもなく、かといって教科書を眺めたりするほど真面目な生徒ではない悠馬は途端に手持ち無沙汰になってしまう。そんな悠馬の気持ちを代弁するかのように外には雨が降り出した。
「雨・・・少し早いわね」
「天気予報では午後からって話だったな」
紗乃は独り言のつもりだったのか悠馬に返事はしてくれない。悠馬とだけはそれなりに喋る紗乃だが、それでも必要なこと以外はあまり話さないというのが彼女のスタンスだ。
「柊崎くん」
「なんだ?珍しく」
悠馬の言うように紗乃が教室で名前を呼んでくるのはかなりの珍事だ。しかし紗乃の口からそれ以上に珍しい言葉が紡がれた。
「今日の
「へ?」
「えーと、なんだ?雨天延期みたい・・・な?」
驚きながらも悠馬はとりあえずいつも通りふざけた返しをしてみる。
「雨天延期、遠足のような言われようで腹立たしいけどそんなところよ」
「まーじかよ・・・」
悠馬はつい数分前から驚きの連続だった。明日は空から槍、いやミサイルの雨が降ってもおかしくないのじゃなかろうか。と真剣に考えたほどだ。
「休みが欲しいと思ったことがない事は無いんだが、いいのか?この1週間でそれなりに慣れたから少し難易度を上げてくるかと覚悟してたんだぞ?」
「その心掛けは買ってあげるけど、休みと言ったら休み。それにあなたを
いつもならここで会話も終わり紗乃の指示通り今日は休みということになっていただろう。しかし、雨というだけで
「
「そんなこと言ってないでしょう?それと柊崎くん、自分の身くらいそろそろ自分で守れるようになってもらわないと先が思いやられるのだけれど」
「出来ないことを無理やりやって命を落とす。そんなのはバカのやることだろ?無理なものはできるやつにお任せってのがオレのスタンスだ」
「努力しないことを正当化しようとする浅ましい考え方ね」
幼稚園児くらいにしか通用しないんじゃないかと思うほどくだらない挑発に乗ってくる紗乃を見て、悠馬はにやりと笑っていた。
正直なところ、悠馬は簡単な
「そう、じゃあ次は──」
紗乃の言葉はそこで途切れてしまう。
悠馬と紗乃、2人の視界に突如赤いウインドウが現れたためだ。
【緊急
ウインドウの1番上にはそう書かれている。
「本件は教務部による厳正な審議によって
悠馬は危機感を煽られる色で書かれている文字を読み上げる。
どうやらこれが噂に聞く特殊な
「柊崎くん・・・」
「どうした?らしくない弱気な声で」
「今日の
そんな言葉を聞いて悠馬の中に様々な疑問が生まれるがそれを口に出すことは出来ない。
「肉壁にさえなれるかどうかってとこか・・・、だが」
ここで紗乃を1人で行かせてはならない。悠馬にはそんな気がしたのだ。
「オレは自分に無理なことは誰かがやってくれればそれでいいってスタンス。でも今回だけはお前を1人では行かせられない」
「厨二病、お疲れ様。そんなことを口にしても足でまといという事実が変わらないのはあなたが1番よく知っている。そうじゃないかしら?」
なかなかに痛いところを遠慮もせずに突いてくる。
「それは分かってる。でも今日のお前はどこかおかしい。責任は全部自分で負う、危なくなったらすぐ逃げる。だから連れてけ」
「愚かな選択ね」
悠馬の目に宿る確かな意志を感じ取ったのかそれきり紗乃はなにも言わなかった。ただ悠馬の前に広がる赤いウインドウが消え、新たに現れた【チームリーダーによる参加の意向が受諾されました】というメッセージが全てを物語っていた。
「牛尾先生。私と柊崎くん、2人の公欠の承認を求めます」
始業前のHRのために入ってきた担任に紗乃はそう告げる。彼はどうやら緊急
紗乃と2人で始業前の閑散とした校舎内を進み、訓練棟に設けられている更衣室で制服の下にスーツを着込む。それは普段支給されているものよりも分厚く、硬い。防弾防刃性の特殊なタイプであるためだろう。
装備を整えた2人は例のごとく、不自然な落下感と共にすぐに別の場所へと降り立った。
「雨が降ってるのは変わらないみたいだな」
悠馬の第一声だった。
そこには紗乃への心配の意思が込められている。
「そうね。雨・・・、嫌いだわ」
「オレは好きだけどな」
必要なこと以外は話さない紗乃が重要な
「根暗なの?」
「なんでそうなる。雨の日の土の匂いというか自然の匂いが好きなんだよ」
「変わってるのね」
「お前に言われたくないな。九条はなんで雨が嫌いなんだ?」
「そうね・・・。なんとなく・・・、そうなんとなくよ」
誰しも他人に踏み込んで欲しくない部分というものはある。紗乃にとってはよくわからないが、雨についてがそれらしい。なんとなく察した悠馬はそれ以上何も聞かず、話題をこれからのことへと変えた。
「今日の
「あなたには残念だけれど、
「全力ね・・・」
「舐めていると死ぬわよ」
"死ぬ"それは普通の高校生にとってはあまり関係の無い話だろう。せいぜい不運にも事故にあってしまったり、何らかの病気、怪我でもたらされるものだからだ。だが、悠馬たちはそうではない。自らの一瞬のミスのせいで命を落としてもおかしくはないのだ。
現にその一瞬の気の迷いで何人もが命を落としている。
「始めましょうか」
紗乃の声と共に悠馬の視界に
「この、レーダーみたいなのは?」
「緊急
小さな光点が幾つか集まりながら高速で移動するのを見ながら悠馬は話を聞いている。その動きの迷いのなさからして、かなり
「柊崎くん、最後にもう1度約束して。私が逃げてと言ったらすぐに逃げること」
「無理はしない、約束だ」
そんな約束を交わすと紗乃は一気にスピードを上げ走っていく。どこかに潜む標的を探して。
しばらくして紗乃と悠馬が走る反対側から巨大な爆発音が聞こえてきた。
「柊崎くん」
「ああ、どうやらあっちみたいだな」
そんなやり取りをしながら向きを変え、音の方へと距離を詰める間にも爆発音は続く。
レーダーには10数個の光点が密集している。
「なあ、ほかの連中のランクって分かるのか?」
「あなたを除けば最低ランクはB2、最高ランクはA2と聞いているわ。因みに1年は私たちだけよ」
「動きの感じからして薄々分かってたが、さすがに猛者揃いか・・・」
ランクの高い上級生が多いと聞き、悠馬が安心したのも束の間。一際大きな爆裂音が轟き、レーダーに映っていた光点のほとんどが消える。
辛うじて残った光点は猛スピードで悠馬たちの方へと向かっていた。
「おい!お前ら1年が出張っていい場所じゃねぇ、後退しろ!」
程なくして前から数人の上級生が現れ、退避命令を下す。
「敵は能力者ですか?」
「ああ・・・、火炎系の上玉だ。推奨はA3って話だったが下手したらSはいくかもな」
上級生の男は全く動じない紗乃に驚きながらも、情報を共有してくれる。
「今はソロのA2のやつが1人で相手してるが・・・、厳しいだろな。お前らも死にたくなかったら一緒に逃げ──っ!」
諭すように向けられた上級生の手を紗乃は叩き、振りほどいた。
「失礼ですが、私は先輩方とは違いますので」
そしてそう言うと未だ爆音のする方へと走っていく。一体なにが彼女をそこまでさせるのだろうか。
「すみません!あとで謝りますんで!」
悠馬もまた紗乃の後を追う。
「お前、勝てるのか?」
紗乃へと追いついた悠馬は純粋な疑問を投げかける。大した戦力ではない悠馬は紗乃の力だけが頼りなのだ。
「はっきり言って分からないわ。でもそれが逃げる理由にはならない。私は自らの有用性を証明する」
まるで自分に言い聞かせるように告げる紗乃は突然、腰の刀を勢いよく抜くとスピードを上げる。
標的を目視で確認したのだ。
そのまま彼女は全ての力を余すことなく刀へと乗せ音速で振るう。
巨大な斬撃が道路のアスファルトを捲りあげ、雨のカーテンを両断し飛んでいく。
悠馬が見た中で1番の威力とスピードを兼ね揃えたその攻撃はしっかりと標的の首筋を捉えた。
「おいおい、下手したら殺しちまったんじゃないか?」
「そんなに簡単に終わるのならいっそ殺してしまった方がいいかもしれないわね」
紗乃はその言葉の後、もう悠馬の隣にはいなかった。
「殺しちまうか・・・、クソガキに随分と甘く見られたもんだな」
紗乃の代わりに立ち、そう言った男の姿を見て始めて悠馬は紗乃が男の蹴りによって後方に飛ばされたことを理解した。
「やっぱくるんじゃなかったな、これ」
苦笑しながら悠馬は男と視線を交わした。
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