浮き川竹

 家に戻ってしばらくの間は、断りを入れに村中を回っている菫の代わりを村長さんとお優さんが務めてくれた。気さくな二人に母も笑顔を見せて話を弾ませる。

 この調子であれば他の方々ともすぐに打ち解けて村にも馴染むことだろう。

 色々と勝手の異なる部分はあるけれど、今後についてを心配する必要はなさそうだ。

 ――私もまだまだ馴染んでいるとは言いがたい立場だけれど。

 居間に上がって寛ぐ三人の様子を眺めながら能天気にもそんなことを考えていた。

 私に待ったをかけたのは弟の利久としひさだった。

 用を足したいので厠の場所を教えてくれ、なんて言って私を連れ出したかと思えば神妙な顔を覗かせて。

「なぁ、狸なんだろう」

 なんて、藪から棒過ぎる。

 いきなりのことに何の話か分からないまま足を止め、振り返った。

 首を傾げた私が尋ね返す前に弟は続けた。

「人の姿に化けちゃあいたが……姉さんの居場所を知らせに来た相手は、少なくとも人じゃなかった」

 ――弟も視える側の人間だ。

 私と違い相手の本質を見抜くことに長けていて姿に惑わされることがない。

 故に誤魔化しは通じない……。

 菫のことだと察するには十分なセリフに、しかし、私は状況が状況故に素直に頷くこともできず言葉に迷った。

「……母さんたちには?」

「言ってない」

 母や妹は視えない側の人間だ。

 直感的に感じるものがあったとしても弟から伝え聞いていないのであれば今こうしている間も知らないままだろう。

「悪さをする奴らとは気配が違ってたし……本当にただ姉さんを助けてくれただけってこともあるかと思って」

「そう」

「だけど、この家には他の気配がない」

 言いたいことはよく分かった。

 菫が何をどう説明したかは知れないけれど、弟の態度からするに必要最低限のやり取りだけで済ませたのだろう……。

 仮に私の居場所だけを教えられたものとするなら、ただ一度、顔を合わせただけの狸の言葉に従い足を運んだ先が、相手の住処だった……というような状況だ。

 どうして疑わずにいられよう。

 逆の立場であれば私とて同じように尋ねた。

「大丈夫よ。私は何も求められてはいないし……村も、少し変わった風習が根付いているだけ」

 求めて欲しいと願ったのは私の方。

 その事実をどう説明していいかが分からず、思わず目を伏せた。

 利久がさらに何かを言おうと口を開いた――。

「若葉?」

 唐突に割って入った第三者の声に二人で同時に振り返る。と、帰宅したらしい菫が僅かな汗を肌に滲ませながら、不思議そうな顔をして立っていた。

「おかえりなさい、す――幸之助さん」

「ああ、ただいま」

「母と妹は先に上がらせてもらってて……中で村長さんとお優さんが話に付き合ってくださってるんです」

「そうか。……それで二人は、どうかしたのか?」

 すぐに否定の言葉を返した。

 いいえ。なんでもない。

 私の声を遮るように弟は答えた。

「あんたのことだよ、狸野郎」

「っ利久!」

「中に戻ろう。話は母さんから聞いた方がいい」

 母さんから? 母には菫のことを話していないのではなかったのか。

 戸惑う私の手を弟が引く。

 菫の前を横切って、勝手口から家の中へと戻る。

 ――菫が化け狸であることを説明するより以前に、もっと別の問題が浮上するなどと、誰が思おうか。

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