一日千秋

 翌日。昨晩の事を尋ねると、アレは穂付姫神様への供物だと菫は答えた。

 普段、村では大人しく人々に理解ある存在として神殿に座するも荒御魂であらせられることに変わりはなく、争いを好み、常に目の前に立ちはだかる強敵を望んでいるのだという。

 ……村全体を神域とし陰の気を徹底的に排すよう教えを広めているのも、より強大な敵を生み出すためか。

 昨晩の陰の気に当てられた空が鈍く、輝きを失っている……。

「厳密に言うと異なるが、手法としては蠱毒に近い。……ま、人里で悪さしてるやつを取っ捕まえて来たり何だりしてのことだ。妖にとっちゃあ迷惑な話だが、人の身からすりゃ有り難えだろ」

「……そう」

 確かに、有り難いことなのではあろう。

 森で鬼と遭遇して穂付様が現れた時。菫が「そういうことか」と呟いたのも、つまりあの鬼は穂付様への供物だった、という意味に違いない。

 しかし、先日、お咲紀さんに祓われた妖を思えば素直に安堵することも出来ない……。

 無意識のうちに浮かない顔となっていた私に、菫は探るような物言いでいった。

「気に入らない、か?」

「嫌味なら余所で言ってちょうだい」

 分かってる。

 間違っているのは私だと。

 否。間違ってはいなくとも『彼ら』を受け入れることは常人には難しい。

 そう、とても、酷く、難しいことなのだ……。

「若葉?」

「……ごめんなさい。話を振ったの私だけど、過去に、同じような話題で良い思いをしたことがあまりなかったものだから」

 彼は化け狸であるより以前に穂付姫神様の使いなのだ。

 供物とされる妖など、木に実る果実と同等に違いない。

「ここに連れて来られるのは、血の味をしめて抜け出せなくなった、どうしようもない……話もロクに通じねーような奴らばっかだよ」

 だから、落ち着いてくれと宥めるように菫は私の頭を撫でた。

 ……その、血の味をしめて抜け出せなくなったどうしようもない相手の中に知り合いがいるのだとは、正直に打ち明けられないまま。私は歯切れ悪く頷いて温もりを受け入れる。

 人喰らいの『塊』は今、どこで何をしているだろうか……。


「幸之助ー! お若さーん!」

 悶々としたものを抱えながらも、細かなところに目を向けるとまだまだ終わらない家の整理に勤しんでいれば玄関先から声が掛かった。

 この声は、村長さん……?

 何だろうか。

 村の皆々の手伝いに回る為、出掛ける用意を進めていた菫と一緒に出迎える。

「どうした?」

「どうした、じゃねーよ腑抜け面。……お若さんのご家族がついさっき村に入った」

 自らを頼るよう伝えていたならそのことを事前に報告しておけと村長さんが文句を並べる。

 私の、家族が村に入った……?

「それ、本当ですか!?」

「ああ。今はお優に案内させて穂付様へのご挨拶を済ませてもらってる。終わればそのままこっちに向かうよう言ってあるが……迎えに行くかい?」

「ありがとうございます、是非」

 袖をまくるのに結んでいた紐を解き、慌てて草履を履こうと動くと、勢いそのままにつんのめってしまった。

 転ぶ前に伸ばされた菫の腕に捕まって事なきは得たけれど。

「おい!? 落ち着けって」

「ご、ごめん」

「慌てちまう気持ちも察してやれよ甲斐性無し。……大丈夫かい、お若さん?」

「はい、すみません」

 腰に回った菫の腕とは別に、近くまで来た村長さんに手を取られ、転ばないよう支えてもらいながら草履を履くハメになった。

 羞恥心で顔が燃えそうなくらい熱い……。

 いや、手の取り方が慣れてるっていうか。あまりに自然すぎて拒む暇もなかったというか。こう、近くでよくよく見ると村長さん、顔立ちが整っている上に、いい年の重ね方をしたようで味がある。色恋関係無しにときめいてしまう程度には。

 お優さんのような器量も気立ても良い方を奥方に迎えているのも納得の貫禄である。


 私に付いてくる気になっていた菫は、その前に引き受けてる仕事に断りを入れてこいと村長さんに追い払われて一旦席を外すことになった。

 なので村長さんと二人。

 神社に向かう道中。

 道の向こうから村の男衆に荷車を預け、お優さんの案内のもとで歩みを進める母と弟たちの姿が目に映った瞬間、私は抑えの利かない衝動に駆られて走り出していた。

 痩せ細った母の、長旅で疲れた体に響かぬよう直前で勢いは殺したものの、その体を抱きしめ、浮かぶ涙までは止められない。

「母さん……っ! ああ、ああ……良かった!」

「そりゃあこっちのセリフだよ……まったく、あんたって子は昔から心配ばかりさせて」

 姉さん! お姉ちゃん! と、それぞれ声を上げた弟妹に応えるべく、一旦母から離れて膝を折る。高さを合わせた私に飛び付いて来た二人を抱き止めて再会の喜びを噛み締めた。

 ――まさか菫や私のように森の中を進んだ、なんてことはなかろう。鬼に襲われるといったことも。しかし、野盗の危険だけは否定ができない。女子供だけでの旅路となればなおのこと。

 本当に、無事で良かった……。

 積もる話もありはしたけれど、ここでこのまま話し込む訳にもいくまい。

 ぐずる妹を抱き上げて、来た道を戻るべく踵を返す。


 この時、私は、本来ならばいの一番に懸念すべき事柄が念頭から抜け落ちていたことにまったく気付いてすらいなかった。後になって肝を冷やし、慌てふためくことになるのだけれど、それは何も私だけの責任ではなかったと、先に弁明させておいて欲しい。

 菫は狸だ。それも化け狸。

 そんな、今更改まって確認するまでもない事実。

 ……家族にどう説明する?

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