川立ちは川で果てる

 もふもふの毛並に温かな体温。

 呼吸に合わせて上下する体。

 数日のこととは言え、菫に包まれて眠ることに慣れてしまったためか久しぶりの布団に多少の物足りなさを感じつつも眠りについた。

 その日の夜。

 昼間の疲れもあって夢も見ない程に熟睡していた若葉だったが、月が空高くに昇って更には傾きを見せ始めた頃。

 不意に目が覚めた。

 誰かに呼び掛けられた訳でもなく。

 体を揺さぶられた訳でもなく。

 微睡んでいたのも束の間のこと。

 背筋に絡み付くような悪寒にハッと息を呑んだ。

 薄気味悪い何かが、いる……?

 じっと動かず寝たフリを続けながら気配を探る。

 ……側にはいない。

 家の中にも。

 庭? 違う。

 もっと遠く……庭の先にある森の中?

 固く閉じた瞼を開けて、体を起こす。

 探るのはあまり得意ではない自分にもこれだけはっきりと、強く感じられるのだ。

 よほど強い陰の気をまとっているのだろう。

 畏れと好奇心。怖いもの見たさ。

 ざわつく胸を押さえつつ縁側へと続く障子に手を掛けた。

 大丈夫だという確証を得たくて――。

「若葉」

「っ!」

 悲鳴を上げそうになった口元を咄嗟に押さえる。

「大丈夫だから戻って来い」

 ゆっくり振り返ると人の姿のまま横になって寝ている菫の姿があるばかり……。

 起きて、いたのか。

 念のために言っておくが、仕切りとなる襖が外されているだけで彼と私の布団は別々の部屋に敷かれている。

 開かれなかった障子と彼とを見比べて、言われた通りに大人しく身を引くことにする。

 何かしらに仕切られた空間というのは大なり小なり外と内を区切って招かれざるものを弾いてくれる。

 安全を確認できないことに不安は残るが、今、障子を開いて陰の気を呼び込むことが得策かと言われると頷き難い。

 下手をすれば相手に気取られる。

 しかし、拭えない悪寒から自らの布団に戻る気も起こらず……。

 おずおずと菫の側まで寄って膝をつく。

 持ち上げられた瞼の奥で菫色の双眼が淡く輝く。

 何と言ったものかと悩み困り顔を向ける私に、意図を汲み取った彼は何も言わないまま姿を化け狸のそれへと変えた。

 屋敷に合わせてか、喜平太のところへ乗り込んできた時や森での時と比べると一回り、二回りは小さいが。

 私一人が飛び込むには十分。

 丸まった彼のお腹あたりにもふっと埋まればそっと柔らかな尻尾に包まれて安堵が広がる。

 異形の者に耐性があるとは言え怖い時は怖いし、先日の鬼を思い起こせばなおさらだ。

 こういう時一人ではないというのはそれだけで心強い。

 自然、詰めていた息を吐き出す。

 わさわさと撫でるように動かされた尻尾の毛先に肌をくすぐられて、背ける形となっていた顔を振り返らせる。

 片目だけ、半開きの菫色の瞳がこちらを伺っており、誘われるように身を寄せる。

 ちろりと覗いた赤い舌が僅かばかり残る不安を拭い取るように頰を舐めた。

 菫の瞼は完全に落とされてしまって、眠る体勢に直った彼の寝顔をしばしの間眺めてから私も目を閉じた。

 大丈夫、の言葉を胸の内で反芻し落ちていく意識に身を任せる。

 大丈夫。この温もりに包まれている間は大丈夫……。

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