女と酒には毒がある

 どういう顔をしていればいいか分からなくなってしまって、ひとまず私はお咲紀さんと洗濯の手伝いに。菫は引き受けた頼まれごとを片しに。朝餉を終えた後は別れることになり、ほっと胸を撫で下ろした。

「言っておきますけど、どんなに幸之助さんがあなたを好いていようとそれを理由にあなたを認めることはありませんからね!」

「ええ、それはもちろん承知しております」

 ふくれっ面のお咲紀さんにそう頷いてみせたら彼女はますます機嫌を悪くさせた。

 それでもやっぱり面倒は見てくれるのだから、頰を緩めずにはいられない。


 扱ったことのない量の洗濯物とあっちこっちから投げ掛けられる質問に目が回りそうになりつつ、何とか切り抜けた私はどこに寄るでもなく帰宅した。

 午後も一緒かと思っていたお咲紀さんはお咲紀さんで家事があるからと帰ってしまわれたので家の掃除は菫と二人。

 二人して表面上は取り繕いつつ、ちらちらと相手に視線を向けては目が合うと愛想笑いを浮かべる……なんてことをやってるから、妙に気恥ずかしくてむず痒い。

 今朝のことが尾を引いてるのは明らかだった。

 でも、それが嫌という訳ではなくて、むしろ嬉しく感じている自分がいるのだからもはやどうしようもない。

 布団を干す為の場所だけが先に確保された庭先で、埃っぽいそれを天日のもとに晒しながらそっとため息を吐き出す。

「幸之助ー! いるんだろー、幸之助ー!」

 玄関先から響いてきた男の声に視線を向けると、縁側で床を拭いていた菫が「聡太か?」と首を傾げながら立ち上がった。

 来客だ。

 出迎えに向かった彼を見送ってから布団を干し終える。


 ――客人の元へ向かった菫は玄関の戸を開けて立っていた聡太に「どうした?」と疑問を投げ掛けた。

 切れ長の目が涼やかな印象を与える彼は幸之助の三つ下で、昔っからお奈津一筋。果ては彼女を嫁に迎えて子まで成したのだから、中々に根気の強い男である。

 そんな訳だから、お奈津から好意を寄せられていた自分は目の敵にされて、睨まれるばかりだったのだが……。

 昔から変わらないへの字口でキッと睨むような視線を向けられて、お奈津から何か言われて来たかと察しを付ける。

 挨拶に回れてねぇからそのことかもな。

「お前、女を連れて帰ってきておいて嫁に取るか取らないかでうだうだやってんだって?」

 噂話というのが広まり易いのは世の常だが、外れた予想に嫌な予感を覚えて思わず身構える。

「それ聞いたお奈津から伝言を預かってきた」

「……なんて?」

「迷ってるなんて言ってる時のあなたは十中八九頷きやしないんだから、相手の子を傷付ける前に私のところへ寄越しなさいって。……直接乗り込もうかって勢いで、相当怒ってたぞ」

「あー……」

 冷笑を浮かべるお奈津の姿が容易く想像できてしまい、菫は首の裏をかいた。

 聞けば一回りは若い娘だそうじゃないか、何やってんだよお前は、と小言を並べる聡太の声にごもっとも、と心の内だけで言葉を返しつつ、どうしたものかと考える。

「迷ってるってより決心がつかねぇだけだ……ってお奈津に返しといてくれ」

「同じことだろ、それ」

「違えよ。……多分」

「……まあ、俺は構わねえが。お奈津が納得しなかったら次はお前がうちに来いよ。今、身重で大事な時期なんだ」

「分かった」

 それじゃあと言って踵を返した聡太が去っていくのを見送って、項垂れながらため息を吐き出す。

 まったくお奈津もお奈津で相変わらずっつーか……。

 よく理解してくれているとは思う。

 若葉を手放すとするなら家には困るところであるし、ありがたい申し出だ。

 けれど、今はまだ、受け入れがたい。

 森を抜け、村に辿り着いて、姫神さんの後押しを受けて……見て見ぬ振りで求めはしないと、隠していた欲がひょっこり顔を覗かせている。

 お奈津のところへやってしまったら、きっとそのまま、身を引くことになるだろうから。それは嫌で。側に置いておきたいって。

 ……結局、俺はどうしてぇんだか。

 開いた掌に視線を落とし、それから固く固く拳を握りしめる。

 手放したくないと考えるのに、だから自分のものにしてしまおうとは、やはり思えない。

「なっさけねぇなあ」

「菫?」

「うぉあっ!」

 不意に掛けられた声に驚いて振り返ると、俺の驚きようにびっくりしたらしい若葉が目を丸くしていた。

「ど、どどどうした?」

「いや……動かないでいるから、何かあったのかなって」

「ああ……なんでもねぇよ。気にしないでくれ」

 握り締めた拳を解いて、ほっと胸を撫で下ろす。

 ――今はまだ、悩んでいるとそう言って、彼女を側においておきたい。

 掃除に戻るか、と足を動かした俺を菫の名で呼ぶ若葉が引き止める。

「情けなくても、そういうところも含めて私は好きよ」

 恥じらいから頰を赤らめながらもそう言ってはにかんだ。

 庭の草むしりに向かうと続けてそそくさと姿を消した彼女に俺はその場にしゃがみ込んで熱の集まる顔を片手で覆う。

「ほんっと、なっさけねぇなあ!」

 彼女の言葉でいとも容易く欲が湧く。

 手を伸ばして触れたいと、そんな馬鹿げた欲が湧く。

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