恋は盲目

 しかし、やはりどうにも新宮村での菫の立ち振る舞いには違和感を覚えざるを得ないというか……。

 禊を終えてから後。

 なんだかんだと素気無すげない物言いをしながらも世話を焼いてくれるお咲紀さんに色々と教えてもらいつつ、借りた古着に着替えてから私たちは少し歩いた先の食事処で一度腰を落ち着かせた。

 禊が村全体の共通した日課であることを踏まえて各々が家に帰ってから仕度をするよりは……と、朝餉の用意がなされているのだそう。

 村の日課自体がすっぽりと頭から抜け落ちていた菫はそのことも当然のように忘れていて、そういやそうだったっけかなあなんて言わんばかりの顔をしていた。

 そういうところは私の知る彼らしくて、しっかりして欲しいと思いつつもちょっと安心する。

 なお、朝餉の仕度は当番制で、貸し出された白装束の後始末と合わせて村の女の仕事とされ、食事の仕度に当たらなかった場合は家に戻るより前に衣類の洗濯に駆り出されることになるらしい。

 余談にはなるが、洗濯の際には白装束だけでなく普段着も持ち寄られ、各自が別々に洗うということはそう無いようだ。あっても汚れてすぐの時にすすぐ程度とか。そうして集められた衣類の中でも着古したとして持ち主の手から離れることになったものが白装束と共に脱衣所にて保管され、貸し出されていたり、傷みの多いものは糸を解いて雑巾だとかに再利用されていたりするという。

 村人たちからすると思い出の詰まっている品でもあるらしく、覚えのある者は若葉が借りた古着を見ては、誰それが着ていた着物だ、懐かしい、当時の彼女はどうだったこうだったと話に花を咲かせていた。

 ……その傍らで、入れ替わり立ち替わり。声を掛けられては人好きする笑みを浮かべて受け答えをしている菫は、アレを頼みたいコレを頼みたい相談に乗って欲しいと方々から引っ張り凧の様子で、今日に限らず明日からの予定までもがどんどんと埋まっていっていた。

 午後からは家の片付けを進めたいので待てるものは待ってくれと彼が主張したことも起因して、だが。

 一段落ついたところでちらりと視線をやれば他人行儀な微笑みを向けられて、君は誰だともう一度尋ねたい気持ちに駆られた。

「どうかしたか?」

「……ううん」

 猫を被ってる、というのとはちょっと違うのだろうけれど。

 菫としての彼と幸之助としての彼はやはり違う。

 陰と陽の比率とでも言おうか……。

 僅かながら陰の気をまとっていた彼の気配が、村に入って幸之助として振る舞うようになってからは陽の気に染まって別人と言われた方が納得するくらいには様変わりしてしまっている。

 彼が彼であることに変わりはないということも分かりはするのだけれど、一抹の寂しさのようなものが胸を過ぎり若葉は内心でため息を吐き出した。

 心細い……の、だろう。

 現状、余所者は自分一人で、唯一の知人である菫がこれまで知らずにいた一面ばかりを見せるから。

「幸之助さんはうちじゃ頼りにされているんですよ。器用だし、お喋り上手で気配りもできるから」

 お咲紀さんの言葉に彼女を振り返る。

 どこの誰のことを言っているのか、すぐに理解できなかったのは泣いて頭を抱える狸の姿が脳裏で蘇ったせい。

 頼りないとまでは言わないが頼り甲斐があるとも言えず、共感ができなかった……。

「そうなんですね」

 でも、どこが? と首を傾げるのも菫に失礼であるし、捉えようによってはそう言えなくもないかと感嘆混じりに返したら眉をひそめられた。

「あなた、本当に知らないのね」

 禊前の会話を指してのことだろう。

 幸之助のことをどれくらい知っているかと聞かれて、何も知らないと答えた。

「ねぇ、幸之助さん。お若さんのどこがいいの?」

「あー……」

 不満気な声音で詰め寄られた菫は私とお咲紀さんを見比べて言葉を濁らせた。

 答えてもいいが私の手前だと都合が悪い、といったところだろう。

 明確にどこというのは聞いたことがなかったのであえて何も言わずに返答を待った。

 聞いてみたいという乙女心で。

 多分、私の目には期待が滲んでいたんじゃないかと思う。

 少しの間悩んでいた菫は若葉に手を伸ばして――現在、彼らは一つの長机に横並びで菫、若葉、咲紀の順で席についている――両耳を塞ぐと身を乗り出し、咲紀にだけ聞こえるよう声を落とした。

「どれだけ眺めてても飽きないとこ。あと笑った顔が文句なく可愛い」

 ……ただ、手で塞がれたくらいでは、聞こえづらくなったというだけで。まったく何も聞こえなくなった訳ではなくて。それこそ咲紀の耳を借りて囁くくらいの声量でなければ、この距離だ。

 抱き寄せられているのとそう変わらない状態で聞こえてしまった言葉に気恥ずかしさを覚えて息を呑む。

「顔なら私、負けていないと思うのだけど」

「こればっかりは理屈じゃねーからな」

「……納得できない」

「そりゃ、若葉に惚れてなけりゃあそうだろうよ」

「そんなに?」

「でなきゃ悩んでない」

 あまりに迷いなく、言葉の端々に好意を滲ませるものだから、もうどうしていいやら……。

 実は聞こえてますとか言えない。

 言える雰囲気じゃない。

 けれど、じわじわと顔に集まってくる熱を止めることはできなくて。

 結局、体を離した時にバレてしまって、赤面する彼に私は更に耳まで真っ赤にさせることになる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る